まるごとぜんぶ、いただきます ~生徒会長に求婚されました~


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(『泉湊音』……)

 これまでの長い片想いを神が労ってくれているかのように、俺にとっての幸運が続いた。
 生徒会準会員となる学年代表委員として、入学式の数日後には、彼が生徒会室へやってきたのだ。
 そこで初めて、俺は彼のフルネームと漢字表記を知った。いや、苗字は幼稚園の時にも聞いていたかもしれないが、苗字呼びする習慣などないのですっかり忘れてしまっていた。

「……泉は、自分から立候補したんだって?」

 入ったばかりの高校で、クラス委員や代表委員など、責任ある役職をやりたがる生徒はそう多くない。大体の生徒は、そんなめんどくさいのはごめんだと考える。学年代表委員も、半分くらいは推薦やクジで決められて仕方なく就任する生徒だ。
 ここはそれなりの進学校だから、後学やポイント稼ぎのために立候補する生徒はいるが……みなとくんはおとなしい子だったから、結構意外だった。

「はい。よろしくお願いします」

 みなとくん──泉は、にこっと笑って頭を下げた。
 いかにも人のよさそうな、品のある笑みだ。彼を見た瞬間から色めき立っていた女子がさらに息をのんだり、叫びを堪えようと口を引き結んだりしている。
 無理もない。幼少時のあどけなさやラインの柔らかさはなくなったものの、今もなお泉は美しかった。俺だって、頭がくらくらするのを態度に出さないよう必死だ。

「2年の黒瀬獅央、副会長だ。よろしく」

 順に挨拶する役員に混じり、俺もそう自己紹介をした。
 泉は律儀に、全員へ都度「よろしくお願いします」を繰り返す。そこまで緊張している様子もなく、常に柔和な笑みを浮かべていた。

(俺のことはやっぱり覚えてないか。ま、当たり前だよな)

 泉にしてみれば、俺と過ごしたのは年少と年中の2年間だ。俺のこと以前に、その当時の記憶すらたいして残っていないだろう。

(でも、今またこうして現れてくれた。これから新しい時間を重ねていくことができる)

 夢のようだけど、夢じゃない。
 幼い子供のように、また泉に夢中になる日々がやってきた。
 生徒会活動で顔を合わせた日には、ひいきに見えないよう意識しつつも極力声をかけ、話をするようにした。
 そんな中でまず思ったのは……

(泉、子供の頃より明るくなったというか、社交的になったな)

 ということだった。

 幼稚園児の時に目を引いた人見知りしている様子や、頼りなげな気配がない。
 相変わらず自分から積極的に周囲と関わっていくタイプではないようだが、初対面の相手からも話しかけられれば物怖じせず答え、笑顔で接している。
 生徒会活動にも真摯に取り組んでいて、あっという間に『可愛いうえに真面目で優秀ないい子だ』と、生徒会室での人気者もますます上昇した。
 しかし本人はそれに気をよくする様子もなく、温厚で控えめな態度を崩さない。どれだけ褒められても、「嫌だな、そんなことないですよ」と照れくさそうにほほ笑むのみだ。
 なんというか……本当に、『いい子』だった。品よく静かにその場にいるけど、隙がない。そういう感じの。
 もちろんそれを悪いこととは思わないけれど、印象が変わったとは感じた。
 だが、しばらくすると気づいた。きっと彼は、自分を作っていると。
 他の誰も気づいていないだろう。でも、俺にはわかる。
 昔の彼を知っていて、今もずっと彼を見ている俺だから。

「なぁ、マック寄ってかね?」
「ごめん、今日はすぐ帰んないとなんだよ。母さんの誕生日でさ」
「あー、おまえんち仲いいもんな。外食?」
「ううん、普通に家メシだけど。父さんも残業しないでダッシュで帰ってくるからさ。俺がケーキ買って帰る担当なんだよな」
「そっかそっか、んじゃはよ帰れ。親孝行しろよー!」

「…………」

(あ……まただ)

 定例会議後、1年の男子2人が話している隣で、泉は静かに筆記用具をバッグへしまっていた。
 その表情が一瞬だけ、ふっと無表情になる。目が細められ、白い肌に濃いまつ毛が影を落とした。
 仮面を被ったように、あるいは外したように。時折こんなふうに、彼の雰囲気が変わることがあるのだ。
 感情が抜け落ちたような顔で目を伏せる。口を閉ざす。ただそれだけ。 
 でも俺には、その姿がなんだかとても寂しそうに……そして、苦しそうに見えた。

 なんとなくの事情を察したのは夏休み前だ。
 またあの、どこか寂しげな気配を見せた泉が、その後一人でこぼした声を聞いてしまった。

「夏も秋も冬も……いつだって独りだよ、俺は」

 その時に気づいた。泉が陰をまとうのはいつも、家族の話題になったり、周りで誰かが家族の話をしていた時だと。

(いつも『独り』……)

 これまでに、共働きの両親と一緒に暮らしているという話を聞いていた。それ以上の家庭環境は知らない。なぜこの市に引っ越してきたのかも。
 だがあの幼稚園に通っていたことからしても、持っている私物の趣味のよさからしても、そこそこ裕福な家庭で家族仲良く暮らしているのだろうと思っていた。
 だけど、どうやら違うらしい。 
 泉が抱えているのは孤独だ。それを、柔和な笑顔で隠しているのだ。

(何か事情があるんだろうな)

 正直、気になる。泉が孤独にさいなまれているなら助けてやりたい。
 でも俺たちの関係は、たまに生徒会で顔を合わせる先輩と後輩でしかない。さすがに踏み込める問題ではなかった。

(泉には幸せでいてほしい。笑っていてほしいのに……)

 再会してから、泉の笑顔はもう何度も見た。でも印象が変わったと感じたのは、本当の笑顔じゃなかったからだ。
 幼稚園の頃の、最初は人見知りしつつも、打ち解けるとふわっと笑ってくれたあの顔。雪解けの地面から花が芽吹いて咲いたような、あの愛らしい笑顔。
 あっちが本物だ。今の泉は、心から笑えていない。むしろ、本当の姿を隠すために笑っている。

(本当のあいつが見たい。悩んでるなら救ってやりたい。守ってやりたい)

 幼いあの日、出会った瞬間に恋には落ちていた。
 再会した今、きっと独りで懸命に何かと闘っている泉を見るたび、その想いは大きくなるばかりだ。
 会うたびに、どんどん惹かれていく。泉の存在が自分の中を満たしていく。

(泉が好きだ。大好きだ。俺が幸せにしたい)

 だが、踏み込むきっかけがないまま時が流れた。
 
 ようやく訪れたきっかけがあの日だ。
 進級し、俺は生徒会長、泉は会計となった新生徒会の、新歓後の親睦会。
 ランチバッグが同じだったのは偶然だ。その、これまた神がささやいたかのような偶然が背中を押してくれた。

「交換しよう」

 あの一言にどれだけの想いがのっていたのか、泉は知らないだろうけれど。