役立たずの身代わり令嬢と、孤独な白虎の侯爵

 パンッ! と乾いた音がした瞬間、紫乃(しの)は姉に叩かれたかと思って身を小さくしたが、まったく痛みがない事に気づいて恐る恐る顔を上げる。

「え……?」

 そちらを見ると、頬を赤く腫らした菖蒲(あやめ)が、キョトンとした顔で頬を押さえていた。

 その様子を見て、隼人(はやと)が冷笑する。

「万が一の事を考えて、彼女に〝跳ね返り〟の術を掛けさせてもらいました。ただ、身を守るだけの初歩的な術なんですけどね。……まさか、実の妹さんが姉を『泥棒猫』呼ばわりして叩こうとするとは……」

 要するに、菖蒲は自分の平手を食らった訳だ。

 菖蒲はワナワナと全身を震わせ、カッとなってすべてを暴露した。

「隼人様! この女は嘘をついています! この女は汀紫乃(みぎわしの)! この女こそ私の妹です! そして私が本物の汀菖蒲! 浄化の雨を降らせる事のできる、本物の異能を使える才女です!」

 気を昂ぶらせた菖蒲は目を見開いて引きつった笑みを浮かべ、すべてを話す。

 その後ろで両親は苦い顔をし、龍之介(りゅうのすけ)はいつも通り何の興味もなさそうな顔で事を静観している。

 八歳の(あきら)はなぜこんな事になっているのか分からず、目を丸くしている。

「隼人様はずっと紫乃に騙されていたのです! その子はあなたを欺き、自分こそが汀菖蒲だと名乗って図々しくもあなたと結婚するつもりでいました! 私がここで真実を話さなければ、隼人様は今後もずっと嘘つきと暮らす事になったのですよ!?」

 誇らしげに言った菖蒲は小鼻を膨らませ、胸に手を当てて言った。

「隼人様の本当の結婚相手は、私です! 今すぐその嘘つきをこのお屋敷から追い出して、私と結婚式を挙げましょう!」

 姉がすべてをぶちまける様を見て、紫乃は顔色を失いガタガタと震えていた。

 家族と顔を合わせたら良くない事が起きると思っていたが、まさかこんな最悪の事態になろうとは――。

 しばらく、耳を塞ぎたいぐらいの沈黙が落ちた。

 やがて隼人は室内に控えていた葛に目配せをし、「皆さんにお茶を」と命じた。

 彼が黙礼して去って行ったあと、隼人は「立ち話もなんですから、皆さんお座りください」と促した。

 混乱したままの紫乃がどこに座ろうか迷い、立ち尽くしていると、隼人はそっと彼女の手を引く。

「君は私の隣に座るに決まっているじゃないか」

「…………あ、……は、…………はい……」

 思考停止した紫乃はそれだけ返事をし、ストンと隼人の隣に腰かけた。