役立たずの身代わり令嬢と、孤独な白虎の侯爵

 すると隼人(はやと)は安堵したように微笑んだ。

「良かった。…………足、冷たくないかい?」

 尋ねられ、紫乃(しの)は凍えきった足を少し引く。

 浴衣姿で寝ていた時に拐かされて以降、足袋など与えられず、裸足のままだった。

 とっくに芯まで冷えているし、素足のまま歩いて足の裏も痛い。

 伯爵令嬢にしては慎ましやかな生き方をしてきたと思っていたが、存外自分はお嬢様だったと思い知った。

「私が温めてあげよう」

 思考に耽っていると隼人はそう言い、身を屈めると紫乃の足を両手で包んできた。

「い、いけません」

 侯爵に足を触らせるなど、そんな不敬な事はできないと思い、紫乃はとっさに足を引っ込めようとする。

「駄目だよ。私が温めると言ったんだから」

 しかし隼人は優しいが有無を言わせない口調で言い、紫乃の足を自分の腿の上にのせ、両手で包み、さすってきた。

「こんな事……っ」

 恥ずかしい格好になった紫乃は、羞恥で真っ赤になりながら着物の裾を押さえた。

 伯爵令嬢として生まれ、子供時代はともかく、最近は素足で過ごす事などなかった。

 子供の頃から「足は恥部」と教わってきたので、この状況は恥ずかしい以外のなにものでもない。

「いいから」

 しかし隼人は頑として聞かず、紫乃の足を放してくれなかった。

 やがて彼女は諦め、大きな溜め息をついたあと、されるがままになる。

 しばらくして、冷えた足に隼人の温もりが伝った頃、彼は口を開いた。

「……とある筋から〝手違い〟があったと聞いてね。私の妻となる女性が誤って裏オークションに出されたと耳にした。本来なら軍人として取り締まるべきだが、今回は緊急だったので身分を偽って潜入し、君の安全を確保した」

「……助けてくださり、ありがとうございます」

 お礼を言うと、隼人はフッと笑う。

「少し肝を冷やしたよ。大切な花嫁が、好色な爺にでも買われたら一大事だ」

 確かに無関係の男性に買われ、あの翁面の男が言っていたように、性的に弄ばれるような事になれば人生が終わっていただろう。

「……けど、あんな大金を使わせてしまって申し訳ないです」

 侯爵家であっても、十万円といえば大金なのは間違いない。

「大切な君のためなら構わない」

 そう言われ、チクンと胸が痛んだ。

 隼人は菖蒲を心配しているのであり、紫乃の存在など知らない。

(そもそもお姉様に求婚したのだって、彼女が美しくて優秀だからだわ。能なしの私なんて、誰にも知られる訳がない)

 せっかく命が助かったのに、誰も〝紫乃〟の無事を喜んでくれる人はいない。

 そう思うと悲しくて堪らなかった。

(お父様とお母様は、亀吉から連絡を受けていなかったのかしら。お姉様が大事なのは分かるけど、地味な妹でも一応は娘なら心配してほしい)

 あまりに自分の価値がなくて情けなく、涙が出てくる。

「……っく……っ、ひっ……」

 紫乃は小さく嗚咽し始め、隼人はそんな彼女の肩を優しく叩く。

「怖い思いをしたね。もう大丈夫だから」

 隼人は優しい言葉をかけてくれるが、そうではない。

(きっと彼は、私が泣いてる理由を一生理解しない)

 自分に優しくしてくれたトキの、温かな手を握る事はもうない。

 学友たちと帰り道にあんみつを食べる事もない。

 自分はこれから、知らない人に囲まれて菖蒲として生きていくしかないのだ。

 紫乃は白粉が崩れるのも気にせず、静かに泣き崩れた。

 さすがに目の前で泣かれて気まずかったのか、隼人は静かに息を吐いて慰める。

「私は君を買ったが、酷い目に遭わせるつもりはない。妻として大切にする」

 そう言われ、紫乃はこくんと頷いた。

 屋敷に着くまで、隼人は無理に紫乃から話を引き出そうとせず、恐ろしい体験をした彼女を気遣ってくれた。

 しかし紫乃は彼に優しくされるたびに、罪悪感が重くなっていくのを感じたのだった。



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