役立たずの身代わり令嬢と、孤独な白虎の侯爵

「駄目っ!!」

 ずっと過去の(かずら)を見守り続けていた紫乃(しの)は、声を上げて彼らに突進した。

 自分に呪符を止める力があるかは分からない。

 だが、ここは葛の心の世界だ。

 自分に他者の心に干渉する力があるなら、想いの力だけで勝つ事は可能かもしれない。

「んぅううううぅっ!!」

 黒い炎に包まれている葛に触れた瞬間、ジュッと手が焼け焦げるような痛みが紫乃を襲う。

 思い出の中の丸尾(まるお)は姿を消し、墨田川の川縁も消え、闇の中に紫乃と葛だけが取り残される。

「絶対に……っ! あなたを連れ帰ってみせますから!」

 黒い炎は葛ごと紫乃を焼こうとし、その心を憎しみや怒り、悲しみや破壊衝動で満たしていこうとする。

「負けない……っ!」

 紫乃は歯を食いしばって声を上げ、涙を流す。

「あなたが深く傷付いていた事、理解しました! 葛さんが主人である隼人(はやと)様を守るため、私を疑っていたのも分かりました! あなたは三千風(みちかぜ)家になくてはならない、優秀な執事です! 過去の痛みがあるから、あなたは今ここにいて、鬼と戦っている!」

 鬼の力によって増幅させられた負の感情が、紫乃をも蝕んでくる。

 ――どうしていつもお姉様ばかり!

 ――なぜ私の言う事は聞いてくれないの?

 ――悲しい!

 ――悔しい!

 すぐ側でもう一人の自分が頭を抱えて座り込み、滂沱の涙を流して怨嗟を垂れ流している。

「そう思っていたけど……っ! でもっ!」

 怒りに呑まれかけた紫乃は、手の甲で涙を拭い、この屋敷を訪れてから感じた幸せを思い出す。

 隼人は厳しくも優しく寄り添い、異能の使い方を教え、紫乃には価値があると自覚させてくれた。

 四人のメイドたちはまるで姉妹のように接してくれ、一緒にいると女学校にいた頃を思いだした。

 音更(おとふけ)は歳の離れた頼れる姉のようで、何事も彼女に任せれば上手くいくのではという安心感がある。

 燕谷(つばたに)だって、顔を合わせた時はいつも親切に接してくれた。

 その他の使用人たちも、主人である隼人が妻にと決めた紫乃だからこそ、明るく挨拶をし、気を遣ってくれた。

「隼人様がいなければ、私には何の価値もないのは分かってる! ……っでも! せっかく三千風家に来たのなら、ここで頑張ってみたい! 葛さんとも手を取り合って、このお屋敷のために、隼人様のために、皆のためにできる事がしたい!」

 声を張り上げ、紫乃は全身をボロボロにさせながらも、必死に葛を抱き締めていた。

「だから戻ってきて! そんな鬼になんか負けないで! あなたの事を待っている人がいるの! 音更さんが好きなんでしょう!? 彼女に伝えたい事があるはず! まだまだ、隼人様にお仕えして、他の皆さんとも穏やかな日々を過ごして、第二の人生を歩みたいはず!」

 涙を流し、全身を焼く黒い炎の酷い痛みに堪えていた時――。