役立たずの身代わり令嬢と、孤独な白虎の侯爵

『いいえ、どういたしまして。怪我はありませんか?』

 子供に対しても丁寧な口調になるのは、もう執事としての生き方がすっかり板に付いたからだ。

『んふふ、ありません! おじさん、ありがとう!』

 良家の娘とおぼしき少女はペコリと頭を下げ、『何をやっているの』と後ろから歩いてきた、日傘を差した着物姿の女性に呆れられる。

『娘が申し訳ございません。お洋服は汚れませんでしたか?』

 女性は三十路の半ばで、十代半ばの少年、八歳ぐらいの少女を連れていた。

 私的な用事で外出している時まで燕尾服を着ている訳ではないので、彼女は(かずら)をどこかに勤めている男性と思ったのだろう。

 品のいい婦人に丁寧に気遣われ、葛は胸の奥に鈍い痛みを覚えながら返事をした。

『いいえ、お気遣いありがとうございます。良い休日を』

 会釈をして通り過ぎた葛は、母子とすれ違ったあと、歩く速度を緩めて立ち止まった。

 彼は目の前の空間を見つめ、思案する。

 ――あいつ(・・・)が生きていたら、あのぐらいの年齢になっていただろうか。

 ――腹の中にいた子は、あの少年ぐらいに育っていただろうか。

〝もしも〟の世界を考えただけで、胸が締め付けられるほどつらくなる。

 暗い面持ちになった葛は、再度ノロノロと足を動かして目的地である書店に向かい、半分魂が抜けた状態で本を一冊選び、購入したのちに書店の縁台に腰かけた。

(何をやっているんだ、私は……)

 風鈴が涼やかな音を立てるのを聞きながら、葛は首から下げた手ぬぐいで汗を拭う。

 縁台には彼と同様に本を買いに求めた人が座っており、日陰に腰かけてさっそくページをめくっている者もいた。

 ぼんやりと座って通りを見ていると、隣に着流しにパナマ帽を被った男がドカッと座った。