役立たずの身代わり令嬢と、孤独な白虎の侯爵

 続いて思い出したのは、破裂音が聞こえる前に鳴った、柱時計の音だ。

 三千風(みちかぜ)邸は大きな屋敷だから、あちこちに時計がある。

 それをすべて、一秒の狂いもなく管理しているのは(かずら)自身だ。

 軍人である主人が一秒の遅れもなく行動できるよう、葛は誇りを持って時計を管理していた。

 恐らく、他の屋敷でも執事は似たような仕事をしているだろう。

 ――それを逆手に取られたのだとしたら……。

(……許せない)

 紫乃(しの)は涙を流し、赤い目をしてヘラヘラと笑っている葛を見つめる。

「葛さん! しっかりして! あなたの隼人(はやと)様への忠誠心は、こんなものではないはずです!」

 いまだ、葛の中に渦巻く悪意に当てられて頭がガンガンと痛むが、へばっていられる状況ではない。

 紫乃は震える脚を叱咤して立ちあがると、キッと葛を見据える。

 そのいっぽうで、鬼はユラユラと揺らめきながらこちらに近づいてきていた。

 討ち漏らした鬼が屋敷に近づいている事に気づいた使用人が、慌てて「菖蒲(あやめ)様! 危ない!」と鬼を退治しているが、何せ数が多い。

「葛さん! 菖蒲様を守ってください!」

 必死に叫ぶ使用人の声が聞こえるが、葛は目を爛々と赤く光らせ、正気と思えない笑みを浮かべて紫乃を見つめている。

(彼をどうにかできるのは、私しかいない)

 ――でも、どうやって?

 ――出来損ないで、戦いにおいても何の役にも立たない私が、何をできるというの?

 強い気持ちを持ったいっぽうで、長年抑圧され続けた卑屈な自分が心の底から語りかけてくる。

(どうにか……、するの!)

 歯を食いしばった紫乃は、手を震わせて再度葛に触れようとする。

 ――やめたほうがいいんじゃない?

 ――痛い目を見て皆に迷惑をかけるのが、目に見えているわ。

「――――それでも!」

 紫乃は声を上げ、一歩踏み出す。

「隼人様はこんな私でも受け入れてくださった。音更(おとふけ)さんも、花鈴(かりん)さんたちも、こんな私に優しくしてくれて、三千風家の女主人になるのだと笑いかけてくださった。――――だから! 私は!」

 紫乃はその榛色の目に強い光を宿し、葛を見つめながら己に向かって宣言した。

「隼人様が大事にするものを、私も守りたい!」

 ――触れた物の記憶を見る事ができるなら、人の心を覗く事もできるはず。

 ――覗くだけじゃなくて、心の底にある鬼の種火を消す事ができたら……?

 紫乃はグイッと手の甲で涙を拭い、覚悟を決めて葛の両手首を掴んだ。

 ――『できたら?』じゃない! やるの!



 その瞬間、紫乃は魂ごとグイッと葛の奥に引き込まれる感覚を得て、――彼と共に昏倒した。



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