八歳の時、お花の師範が菖蒲の活けた花よりも、紫乃の作品を褒めてくれた事があった。
その時は嬉しくなり、自分にも良い所がある。姉が自慢に思ってくれる妹になれたと喜んだのだが、――それがいけなかったようだ。
その日の夕方、父が大切にしていた水晶の置物が破壊された。
紫乃は割っていないのに菖蒲は『紫乃が割った』と嘘を言い、彼女が折檻されてしまう羽目になった。
当時を思い出すと、自分より劣っていると思っていた妹が、お花の師範に褒められたのが気に入らず、腹いせに罪を着せたのかもしれないと思ったが、証拠はない。
その時の事を思い出そうとしても、酷く叱られて怖ろしい思いをしたからか、おぼろげな記憶しかない。
その頃から紫乃は成長と共に大きくなる、決して外れない翡翠の腕輪をお守りにしていたが、誰が与えてくれたのかはよく覚えていなかった。
多分、母が哀れに思って買ってくれたのでは……と思っているが、いまだ真相は分かっていない。
兄の龍之介は紫乃に無関心で、使用人たちは小さな弟にかかりっきり。
紫乃が泣きつくのは婆やのトキしかいない。
しかし使用人であるトキが両親にもの申せるはずもなく、紫乃は菖蒲の逆鱗に触れないように息を潜めるしかなかった。
歳の近い下男、亀吉に相談する事もあったが、彼は『お嬢様を応援しています』しか言ってくれない。
紫乃は常に地味な着物を身に纏い、汀家の姉妹にと贈られた簪や着物、帯も、菖蒲が選んだあとの余りをもらっていた。
残りかすのような人生を歩んできたが、女学校に行けば友達がいたし、勉学に励めば結果を出せたので、そう悪い生活ではなかったと思っている。
両親は常に菖蒲の味方をし、紫乃は放置されていた。
だから菖蒲が婚約破棄された時は驚いたし、そんな事もあるのかと驚いた。
菖蒲は恥をかかされて過敏になり、紫乃に嗤われていると思ったのか、今まで以上に妹にきつく当たるようになった。
それを経ての、東京の三千風家からの縁談だ。
(東京の名家との縁談があるなら、それに越した事はないと思うけれど)
菖蒲はこの土地を愛していて、歴史のある京都に憧れを持っているが、東京が文化の中心地となった今、あちらに行ったほうがいい想いができるのは確かだろう。
『東京なんて行きたくないわ』
菖蒲はツンとして言ったあと、いい事を思いついたというように、笑い混じりに言った。
『紫乃を嫁がせればいいんじゃないの? あの子もそろそろ結婚を考える歳でしょう? どうせ顔も分からないし年齢も一歳差だから、姉妹のどちらが嫁いでも構わないでしょう』
その言葉を聞いた瞬間、紫乃は背中に氷水を入れられたような感覚に陥った。
(どうして私が……)
心の中で反抗した次の瞬間、父が溜め息混じりに言った。
『それもいいかもしれないな。あの子は暗くて魅力がない。おまけに異能もあれじゃあな……。菖蒲ならともかく、紫乃を結婚させるのは難儀な事だと思ってた』
見捨てられたも同義の言葉を聞き、紫乃は顔色を失う。
彼女が立ち尽くしている間も、三人は紫乃を身代わりに三千風家を嫁がせる算段を進めていった。
後日、父から『話がある』と言われた時は、すでに諦めていた紫乃は、諾々と身代わり結婚の話を受け入れた。
そして十七歳の彼女は、結婚するために単身東京へ向かったのだった。
**
その時は嬉しくなり、自分にも良い所がある。姉が自慢に思ってくれる妹になれたと喜んだのだが、――それがいけなかったようだ。
その日の夕方、父が大切にしていた水晶の置物が破壊された。
紫乃は割っていないのに菖蒲は『紫乃が割った』と嘘を言い、彼女が折檻されてしまう羽目になった。
当時を思い出すと、自分より劣っていると思っていた妹が、お花の師範に褒められたのが気に入らず、腹いせに罪を着せたのかもしれないと思ったが、証拠はない。
その時の事を思い出そうとしても、酷く叱られて怖ろしい思いをしたからか、おぼろげな記憶しかない。
その頃から紫乃は成長と共に大きくなる、決して外れない翡翠の腕輪をお守りにしていたが、誰が与えてくれたのかはよく覚えていなかった。
多分、母が哀れに思って買ってくれたのでは……と思っているが、いまだ真相は分かっていない。
兄の龍之介は紫乃に無関心で、使用人たちは小さな弟にかかりっきり。
紫乃が泣きつくのは婆やのトキしかいない。
しかし使用人であるトキが両親にもの申せるはずもなく、紫乃は菖蒲の逆鱗に触れないように息を潜めるしかなかった。
歳の近い下男、亀吉に相談する事もあったが、彼は『お嬢様を応援しています』しか言ってくれない。
紫乃は常に地味な着物を身に纏い、汀家の姉妹にと贈られた簪や着物、帯も、菖蒲が選んだあとの余りをもらっていた。
残りかすのような人生を歩んできたが、女学校に行けば友達がいたし、勉学に励めば結果を出せたので、そう悪い生活ではなかったと思っている。
両親は常に菖蒲の味方をし、紫乃は放置されていた。
だから菖蒲が婚約破棄された時は驚いたし、そんな事もあるのかと驚いた。
菖蒲は恥をかかされて過敏になり、紫乃に嗤われていると思ったのか、今まで以上に妹にきつく当たるようになった。
それを経ての、東京の三千風家からの縁談だ。
(東京の名家との縁談があるなら、それに越した事はないと思うけれど)
菖蒲はこの土地を愛していて、歴史のある京都に憧れを持っているが、東京が文化の中心地となった今、あちらに行ったほうがいい想いができるのは確かだろう。
『東京なんて行きたくないわ』
菖蒲はツンとして言ったあと、いい事を思いついたというように、笑い混じりに言った。
『紫乃を嫁がせればいいんじゃないの? あの子もそろそろ結婚を考える歳でしょう? どうせ顔も分からないし年齢も一歳差だから、姉妹のどちらが嫁いでも構わないでしょう』
その言葉を聞いた瞬間、紫乃は背中に氷水を入れられたような感覚に陥った。
(どうして私が……)
心の中で反抗した次の瞬間、父が溜め息混じりに言った。
『それもいいかもしれないな。あの子は暗くて魅力がない。おまけに異能もあれじゃあな……。菖蒲ならともかく、紫乃を結婚させるのは難儀な事だと思ってた』
見捨てられたも同義の言葉を聞き、紫乃は顔色を失う。
彼女が立ち尽くしている間も、三人は紫乃を身代わりに三千風家を嫁がせる算段を進めていった。
後日、父から『話がある』と言われた時は、すでに諦めていた紫乃は、諾々と身代わり結婚の話を受け入れた。
そして十七歳の彼女は、結婚するために単身東京へ向かったのだった。
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