役立たずの身代わり令嬢と、孤独な白虎の侯爵

 優しい手に頭を撫でられている。

 生まれてこのかた、紫乃(しの)は誰にも頭を撫でられた事などない。

 両親も兄も姉も、紫乃を慈しんでくれないし、トキは数少ない味方ではあるが、主人の娘である紫乃にそのような事をしない。

 だから誰が自分に優しく接してくれているのか分からないが、嬉しくて、切なくて、ポロポロと涙を流していた。

「う……っ」

 紫乃には憧憬の果てに思い浮かべる人はいない。

 母親だって彼女にはいつも冷淡な眼差しをよこしている。

 だから彼女は誰の名前も呼ぶ事ができなかったが、必死にその手を握り、いかないでと言うように頬をすり寄せた。

 すると、その手が紫乃の涙を拭ってくれる。

 紫乃が求めていた包み込む母性というより、力強く守ってくれるような手だ。

 ――この手は……。

 ス……と意識が浮上し、紫乃は目を開ける。

 すると、心配そうに自分を覗き込んでいる美形と目が合った。

「えっ!」

 ビクッと身を震わせた紫乃は、彼が何者なのかすぐ分からず、布団の中で体を緊張させる。

「目が覚めたか? うなされていたから心配したよ」

 隼人(はやと)の心地いい声を聞きながら、紫乃は徐々に自分の身に何が起こったのかを思いだした。

「……あ、ありがとうございます……」

 紫乃は起き上がると、フカフカの羽根布団の中で膝を抱え、目元を拭う。

 寝顔を見られていたのは恥ずかしいし、寝ながら泣いていたのを慰められたのも恥ずかしい。

 隼人はただ座っているだけで堂々として美しいのに、それに対してなんて自分は貧相な存在なのか。

 緊張した紫乃は視線を逸らし、室内を見る。

 寝かされていたのは昨晩通された〝菖蒲(あやめ)〟用の部屋で、西洋風の精緻な彫刻が施された大きなベッドには、信じられないぐらい柔らかな羽根布団がかかっている。

 ジャガード織の花柄のカーテンの隙間からは朝陽が漏れ、様々な事が起こった夜が明けた事を表していた。

 隼人はしばらく紫乃を見つめていたが、不思議そうに目を瞬かせて言う。

「菖蒲さんは、思っていた女性と違うな」

 彼の言葉を聞き、紫乃はギクッと身を強張らせ、息を止める。