役立たずの身代わり令嬢と、孤独な白虎の侯爵

 その後、隼人(はやと)は〝諸事情により〟結婚を一年延期すると発表し、東京を訪れようとしていた各地の華族に詫び状を出した。

 大変な作業だったと思うし、侯爵である彼としては恥を掻いたのかもしれない。

 けれど隼人は一言も文句を言わず、いつも側で微笑んでくれている。

「隼人さま。今日はお母様たちと銀ブラをして、プリンを食べました」

 紫乃(しの)が報告すると、隼人は「良かったね」と微笑んでくれた。

 水流迫(つるざこ)家は二週間ほど滞在するらしい。

 その間、葵や兄弟が紫乃にべったりなので彼は不満そうだが、紫乃が嬉しそうな顔をしているので、文句を言う気も失せるらしい。





 夜、紫乃は美しい満月を見上げてバルコニーにいた。

「冷えるだろう、これを」

 部屋を訪れた隼人は、舶来品の柔らかなストールを婚約者の方に掛ける。

「ありがとうございます」

 お礼を言った紫乃はストールの温かさに頬を緩め、彼に例を言う。

「〝家族〟には慣れたかい?」

「……そうですね。突然実の母が現れて、お婆ちゃんと思っていたトキも綺麗な女性になって……。何もかも驚きましたが、私にあんなに優しい家族がいると思うと、凄く嬉しいです」

「幸せかい?」

 尋ねられ、紫乃は心の底からの笑みを零した。

「はい……っ、幸せです!」

 月光を浴びてとろけるように笑った彼女を見て、隼人は頬を染め、紫乃の細い顎を捉える。

 何をされるのかと紫乃が瞬きをした時、隼人は端整な顔を傾けてそっと口づけた。

 雪が降るような柔らかな感触を唇に得て、彼女は目を開いたまま呆ける。

「……こういう時は、目を閉じるのがマナーだよ」

 照れた隼人の言葉を聞いた紫乃は、発火したように赤面して呟いた。

「申し訳ございません……。不慣れで……」

「慣れていたら困る。……では、もう一度」

 小さく言った隼人は、そっと婚約者の体を抱き寄せ、その唇を味わった。

 永遠とも思える一瞬が終わったあと、紫乃は一気に大人になってしまった気持ちを得て、吐息をつく。

「君とじゃないと、結婚したくないと思っていた」

 隼人はそう言い、優しく微笑む。

「伊勢で出会った時は子供だったが、ずっと君の事を考えるうちに、私の心に君が住まうようになった。だから結婚できる年齢になったら、迎えようと誓っていたんだ」

「……大変、光栄な事です」

 赤面して微笑んだ紫乃を見て、隼人は甘く微笑む。

「君は私の予想以上に美しく、賢く清らかに成長してくれた」

 言ったあと、隼人は彼女の前に跪くと手の甲に口づける。

「ずっと私が君を守る。……もう何にも怯える必要のない生活を約束する」

 彼の言葉を聞いた紫乃は破顔し、婚約者に抱きつく。



 柔らかな秋の月光は、寄り添う二人をいつまでも照らしていた。




 完