ラブ・ミッション・デッドライン〜祠を壊した俺たちが、男同士で愛を誓うまで〜

 なかなかに穴にボタンが、通らない。カチカチとボタンが爪に当たる音や、陽向の焦ったような短い呼吸。
 それが首元の直ぐ近くで繰り返されるたび、彼の心臓は別の意味で悲鳴を上げた。

 涼太は、陽向の匂いや吐息をより敏感に感じるようになった。彼のサラサラとした髪からの香りさえも、胸が熱くなった。
 見えない恐怖と裏腹に、陽向への独占欲がさらに歪んだ形で深まる。目が見えないのは怖い。

 けれど、陽向がこれほどまでに涼太を見つめる。彼だけに触れてくれるなら、この状況も悪くない。
 そんな狂った思考を巡らせて、自然と口角が上がった。陽向は必死のため、涼太の生唾を飲み込んだ音には気がつかない。

「ゆっくりな。そこ段差」
「ああ……何処にも行くなよ」
「行かねーよ。てめーのいる場所が、俺のいる場所だろ」
「すげー殺し文句」
「何がだ?」
「まあ、なんでもない」
「……変な奴」

 朝食を摂るために、二人は移動した。その道中、涼太は陽向の服の裾を掴んでいた。
 破れるんじゃないかと思うぐらいに、強く掴んでいた。陽向が少しでも黙ると、弱々しい声で囁いた。
 その度に、同じ内容の会話をした。涼太にはプロポーズのように聞こえたが、当の本人は子供の面倒を見るぐらいの気持ちだった。

 ――ちくしょー、俺って最低だ。こいつが大変な思いをしてるのに……このままで、いてほしいって思ってる。

 陽向は自分を見下ろしていた鋭い目つきが、布の下に隠れている。弱り切って、自分の事だけを頼りにしてくれている。
 不謹慎だとは分かっていても、自分にもっと頼ってほしい。依存してほしいと、心の底から願ってしまっていた。
 そんな黒い感情を悟られないように、するのに必死だった。悪態をつきつつも、自然と口角が上がってしまった。

「あぶねーから、ここに大人しく座ってろ」
「ういっす」

 キッチンに辿り着き、椅子に涼太を座らせた。いつも通りを装い、軽い返事をした。
 しかし涼太の心の中は、穏やかではなかった。陽向は鼻歌交じりに、料理をし始める。

 通常ならば、その様子を涼太は見守っていた。休日の昼下がり、嫁の料理姿を見つめる旦那のようだった。
 しかし現状、何も見えない状態なのである。異界というものあり、余計に怖さが増してしまう。

 静かに座ってはいるが、嫌な汗をかいていた。誰かに見られているような、そんな感覚に陥った。
 見られてはいないが、目が見えない。それだけのことで、視覚以外が研ぎ澄まされている。

 他のものが敏感になり、些細なことが気になってしまう。水道からの水音だけや、何かが落ちる音。
 日常のものが、恐怖の対象になった。陽向は黙々と、涼太のために料理を作っている。
 そのことが分かるため、声を出して邪魔したくない。唇を噛み締め、両手を血が滲むほどに強く握り締めた。

「涼太! そんなに強く握ったら、あぶねーだろ! 何かあったのか」
「……ひな……たぁ」
「あー、よしよし。そんなに腹、減ってたのか。もう直ぐ、できるからな」
「ちがっ……この際、別にいいか。この匂いは、カレーか」
「おうよっ! 見えなくても、何か分かるだろっ」
「やっぱ、最高の嫁だな」
「俺は男だから! せめて、婿にしろ」
「あっ、それでいいのか」

 陽向は、涼太が辛そうにしていることに気がついた。煮込んでいただけだったため、急いで駆け寄った。
 涼太は真っ暗闇で、何もない虚無の空間に一人でいた。そこに突如、暖かい温もりと優しい声が響いてきた。

 それがあまりにも嬉しくて、自然と涙が溢れていた。気がつくと、号泣し陽向の腰に抱きついていた。
 普段なら、何か悲しいことがあっても。涼太は一人で我慢し、抱え込んでいた。

 本当に無理になってからでないと、相談することはなかった。しかし今は、見えないという孤独が彼を弱くさせていた。
 そのことが陽向は嬉しくて、優しく頭を撫でていた。それだけで、涼太は一気に心の奥底から安心することができた。

 そこでカレーだと気がついて、嬉しそうに微笑んだ。それを見て、陽向は誇らしげに親指を立てた。
 涼太には見えないが、想像はできた。深呼吸をしてから、嫁発言をした。
 すると陽向は顔を真っ赤にしながらも、冷静に返した。腰に抱きついている涼太には、顔の熱までは見えなかった。

「あ〜」
「どうだ」
「美味いっ! 陽向は料理の天才だなっ! 死ぬまで食べていたい」
「そんなに褒めても、何もでねーよ〜ほら、カツも食べろ」
「サクッとしていて、最高だな。らっきょうは?」
「ほら、食べろ。俺はらっきょうよりも、福神漬けの方が好きなんだが」
「どっちも最高だよな〜」
「いいですね、ハイスペック男子の堕落と献身。これぞリバースの醍醐味」

 涼太は目が見えないため、陽向がスプーンで食べさせる。陽向はまるで、雛鳥の餌付けをするような感覚だった。
 必要以上に褒める涼太に、陽向は満更でもない。頬を染めて、片手で後頭部を掻いている。

 とんかつも準備していたらしく、口の中に放り込まれた。サクッとしており、中からはジューシーな肉汁が溢れてきた。
 このキッチンには、プロ顔負けの食材と調理器具が準備されている。ここに来てから、皮肉にも陽向の料理スキルは格段に上がった。

 涼太は辛いものは苦手だが、陽向の作ったものなら食べられる。視界が閉ざされている分、舌にスパイスの刺激が強い。
 蜂蜜のまろやかな甘みの奥に、陽向が彼のために汗をかいて調合してくれた。

 その熱のようなものを感じられて、胸が熱くなった。らっきょうと福神漬けのおかげで、大盛りカレーを簡単に平らげてしまった。
 涼太が満足しているため、陽向も満足そうに踏ん反り返っている。その様子を見つめ呟いた佐伯の発言は、見事に無視された。

「あ? チャイム?」
「なあ、ここに来てから一度も聞いていないよな」
「そうだな」
「なあ! ってば!」
「そうだな!」
「すまん、声が小さいと……怖くて」
「まあ、だろうな。聞こえなくても、いなくなったわけじゃねーから」
「分かった……ふう」

 陽向が皿を洗い終わるのと同時に、学校のチャイムが鳴った。キーンコーンカーンコーンと、お馴染みのあれである。
 通常の学校ならば、怖いものではない。しかしこの異界だと、より異質な物に感じられた。

 陽向の声を聞き、涼太は体を小刻みに震わせていた。おそるおそる声を上げたが、チャイムの音で陽向の声は掻き消された。
 涼太は急激に不安になり、大きな声を出した。陽向もムキになり、さらに廊下にも響くような声を出した。

 涼太は体を震わせながら、静かに謝った。目が見えない状況では、陽向が本当にそこにいるのか不安なのだ。
 陽向もそれを察して、罰悪そうに謝った。沈黙が訪れるが、陽向の腰に抱きつくと安心することができた。

「涼太、ゆっくりな」
「……うっ、怖い」
「お困りなら、僕が湧水くんの手を引こうか?」
「陽向以外に触れられるのは、嫌だ」
「……涼太……分かった。頑張ろう」
「ああ、頼んだ」
「付き合いきれないよ。先に行ってる」

 二人が廊下に出ると、無機質な生徒たちが教室に向かっているようだ。涼太はおっかなびっくりに、慎重に歩いている。