呪いが初恋に変わるまで


 一週間かけて周辺を探索したけど、廃墟以外に怪しい場所は見つけられなかった。あそこが霊の巣窟、もしくは強力な霊たちのたまり場だとすれば、付近の建物にいる人々に影響が出るのも頷ける。それにしても大牙は特殊な体質だ。魅力があるとは言え、なぜあそこまで惹きつけてしまうのか。
 そんなことを考えながら肘をついて窓の外に視線を投げる。
 大粒の雨がバタバタバタと激しくガラスに打ち付けられ、可哀想なほど木々は横に揺れている。久しぶりに雨が降ったかと思えばこれだ。今日は傘を持ってきてないのに。
 奥のほうまで分厚い黒雲が広がっているのを見ると、通り雨ではないだろう。帰路を考えるだけで溜め息が出た。
 この雨では部活も外練習は中止になるはず。しかし室内練習を体育館でやるとなったら、傘なしで帰るよりも面倒くさい。

「最後、これ重要なやつだからしっかり聞いて! プリント配ります」

 前から回ってきた紙には『進路希望調査票』と書かれていた。
 就職か進学、どちらを選ぶか。就職なら職業への希望や考えを書き、進学なら第五まで希望校を書く。

「はい、全員回ったかな? えー今年最初の進路希望調査です。高三だからね、そろそろ進路考えていかないといけません。進学か就職、どっちかに丸つけて下の欄を埋めてきてください。親御さんとも相談してね」

 これには困ったと、紙を眺めながら思った。

「何か分からないことあったら言ってください。提出期限書いてあるけど、来週の金曜日までだから! 忘れないように〜。じゃあ終わります」

「起立。気をつけ、礼」

「ありがとうございました」

「あ、雨すごいから気をつけて帰ってー!」

「はーい」

 鞄を持って一斉に教室から出ていくクラスメイトを横目に、僕はこっそりとまた溜め息をついた。
 霊操師は業界の中ではその名が知れているものの、一般人からは遠い存在である。無知の人にとっては怪しい宗教団体と同じようなものだろう。
 普通の人には視えない霊を祓い、お金を頂く。シンプルだがリスクのある仕事。もし詐欺師だと言われたら否定するのは難しい。何より根拠を提示するのが困難だ。写真にも動画にも映らぬ霊を祓いましたと口頭で言っても、証明にはならない。

「天城? どしたの、ずっとそれ見てるけど」

 前から湯汲が手元を覗き込んでくる。
 物思いに耽っていたせいで、大牙が教室から出たことにも気づかなかった。

「ああ……なんて書こうかなと」

「天城って頭良さそうだよな。どうせ進学だろ?」

「どうだろう。大学に行く費用はないと思う」

「え、でも奨学金は?」

 借りたところで、将来きちんと返せるだろうか。そもそも職業的に審査が通るかどうかも分からない。

「奨学金ね……。湯汲はどうする」

「俺は専門かなあ? なんか大学行っても無駄な気がしちゃって。でも専門だと、将来就職んときに学歴不利になりそうだし」

「それはあるかもね」

 こう見えて彼も色々と考えているのだ。
 湯汲はきっと、両親や友達、周りから充分に愛されて育ってきた。だから自己肯定感も高いし、自分のことも人のことも否定しない。とにかく“無害な優しい人”としてこの先も過ごしていくのだろう。
 その平凡を、僕が手にすることは絶対にない。
 もし自分にも親がいたら。まともな職業をしている家庭で育っていたら──と、そんな無意味なイフの想像をしては、馬鹿な妄想はやめろと打ち消す。

「大牙はどっち選ぶと思う」

 湯汲から振られた質問に答えられなかった。
 仮に彼を手懐けることができたとしよう。そのあとはどうなる?
 将来の道が最初から反対に作られているのに、僕はそれを壊すためにここに来た。首輪を引きずりながら僕の道を歩かせる自信は、まだない。

「なんか天城、落ち込んでる?」

「え?」

 指摘されてハッとした。湯汲にも分かるほど表情に出てしまっていたらしい。

「いや、なんとなーく。怖い顔してるし」

「……雨だからだよ。傘、持って来てない」

「まじ!? じゃあ俺と一緒に帰ろーぜ! 入れてやる」

「部活は」

「大雨警報でてるから中止になったんだ〜」

「あ、そう。大牙はそのこと知ってる?」

「大牙? たぶん……あ、てかホームルーム終わった後に女子とどっか行ったじゃん。他クラスの」

「女……」

 綿辺の顔が頭に浮かんだ。大牙を連れて行くのはあいつくらいしかいない。
 立ち上がると、椅子がガガガッと激しい音を響かせた。

「天城?」

「大牙と話がある」

「え、俺の傘入らんの」

 この大雨に濡れて帰るのは嫌だけど、大牙が女と一緒に居ることのほうがよっぽど腹立つ。

「……濡れて帰るよ」

「いやいやっ、この雨はやばいっしょ! 俺ここで待ってる」

 ──バカだな、湯汲は。僕に優しくしたってなんのメリットもないというのに。

「ありがとう。じゃあ三十分……いや、十五分だけ待ってて。戻って来なかったら帰っていいから」

「わかった」

 早めにスマホに位置情報アプリを入れておけばよかったなと後悔しつつ教室を出る。綿辺のクラスを覗いたが、ハズレだった。
 彼らが行きそうなところはどこだ?
 二人きりになれる場所を考えると、僕達が使った多目的室や部活で使用しない教室に候補を絞ることができる。その多くは一階にある。
 とりあえず端から見ていこうと階段を駆け降りたところで、不意に足が止まった。この近くに霊の気配がする。
 多目的室の隣、『放送室』と書かれた部屋に導かれた。扉に耳を寄せる。

「えー」

 綿辺の声が聞こえた。彼女の声が続く。

「なんで付き合ってくれないの」

 そこに大牙がいるのは見なくてもわかった。二人が何をしようとしているのか、考えたくもない。
 中断させるためにわざと勢いをつけて扉を開ける。

「え……?」

 綿辺と目が合った。彼女は、椅子に座った大牙の上に正面から跨っている。今にも触れそうな顔、密着した体。そして厭らしく大牙の首に(まと)わりついた細い腕。
 それらが視界に入った途端、腹の底から打ち上がった怒りがドッと爆発した。

「あ、天城くん?」

 綿辺の体には未だにあの小さな霊──顔のない子どもたちが何体もくっついたまま。生活には支障をきたしていなかったようだ。

「本当、邪魔だな……」

 二人に近づき、僕は綿辺の背中に手を翳した。

「なにっ!?」

 ──迷える御霊(みたま)よ、この手に集まり給え。
 子どもたちの影が濃くなった。可哀想なことに、健気にわらわらと集まってくる。そうして計五体の幼い御霊が塊となり、一つの大きな霊へと変化した。
 ──綿辺沙理に救ってもらい給え。
 “それ”は、胸から首にかけて大きく彼女の体に巻き付いた。まるで母親に抱っこを求める子どものように。

「れ、れい。待て」

「黙れ」

 効果はすぐに現れた。
 綿辺が激しく咳をしながら、大牙の上からゴロっと転がり落ちる。

「う……」

「おいっ、大丈夫──」

「動くな」

 大牙は石の如く硬直した。手も足も動かせぬよう、ポケットの中にある麻袋を上から強く握りしめる。

「ぐ、ぅ……」

 僕との約束をいとも簡単に破り、こんなどうでもいい女の心配をするなんて。
 彼には、それなりの罰を与えなければ。

「綿辺さん」

「ひっ」

「もう、帰ったほうがいいんじゃない? いっぱい憑いてるよ。子ども達の霊が」

「や、やめて……っ、怖いっ」

 優しく言ってあげたのに、彼女は顔を強張(こわば)らせて後退りするだけ。なかなか立ち上がろうとしない。
 苛々が頂点に達した。目線を合わせるために軽く屈む。

「さっさと帰れよ」 

「わ、わかりましたっ、か、かえる……」

 綿辺はぶるぶると震えながら這いつくばるようにして出て行った。

「はあ……うざいな」

 今後、綿辺沙理は大牙に近づきにくくなるだろう。しかし何より、僕は彼に腹が立っている。
 ──約束を破った罰はなにがいいかな?