呪いが初恋に変わるまで


 何年も頭の中で思い描いてきた大牙と、横に並んで歩くのは不思議な気分だ。身長がこれほどまで違うのに、歩幅を合わせて歩いてくれる。単純に僕の後ろを歩くのが嫌なだけかもしれないけど。
 部活で生徒が出払った校舎内は、不気味なほど静かだった。コツコツコツ──と二人分の足音だけが廊下に響いている。

「……まじで除霊なんかできるのか」

 顔色を伺うようにチラッと視線を送られた。

「まだ信用してないの?」

「いや……」

「除霊だけじゃない。僕は霊操師だよ」

「れいそうし?」

「祓うことも、操ることもできる。家系がそうなんだ。両親は……随分前に居なくなったけど、じいちゃんはまだ現役で仕事してる」

 嗤われると思った。またあのときのように、「きもちわる」と言われるのだと。
 しかし、予想と違って彼は神妙な顔でただ頷いた。

「……そうか」

「僕はいつか継ぐことになるだろうね」

 言いながら、なぜこんな話を大牙にしているのだろうと疑問に思った。自分から同情を誘いに行くなんて阿呆らしい。
 一階まで降りると、先日使った多目的室が目に留まった。
 念のため音を立てないよう中を覗いた。やはり人の気配はまったくない。

「入って」

「指示するな」

「壁際に立って」

 僕の言葉に、彼は眉根を寄せながら従った。ポケットに入れられた手はせめてもの抵抗のつもりなのだろう。
 そのくだらない矜持を根元からへし折ってやりたい。

「早くしろよ」

「黙ってもらえる?」

 目線を合わせるために目の前で膝をつくと、彼は慌てたような声を出した。

「お、おい」

 目が合った。
 もちろん相手は大牙ではなく、さっきまで息を潜めていた女の霊だ。手を近づけても怯む様子はない。それどころか、威嚇するようにその目をカッと開いた。
 ガタガタガタガタ──と部屋に置いてある物が揺れ始める。

「な、ん……だ」

「消えろ」

 霊気に触れると、ビリビリと強い静電気が指先に走った。瞬発的なものでない。触れている間、ずっと電気が流れている。
 女は簡単には消えてくれなかった。彼から離れまいと、長い爪をさらに腰に食い込ませている。

「うう……」

 大牙はそれに反応して前屈みになった。
 複数の霊に憑かれても丈夫なくせに、霊の存在をあまり信じていないくせに、霊の影響を人より受けやすい体。やっぱり彼はおもしろい。

「獅子道大牙から離れ給え」

 立てた人差し指を地面に向かって指す。

「う、うう、う」

 黒い靄がブワッと弾けた。女が苦しそうな声を喉から絞り出し、顔はひしゃげ、跡形もなく消えていく。
 祓うのにここまで時間がかかるのは珍しい。なかなか手強かった。

「消えたのか……?」

「はあ」

 力の抜けた足で立ち上がる。その瞬間、くらりとキツい目眩に襲われた。
 ──あ、倒れる。
 ブラックアウトに備えて頭に手を当てたが、いくら待っても衝撃はこない。
 薄っすら瞼を開けると、咄嗟に僕を抱き留めた男と目が合った。

「危ねえな」

 ガッチリとした腕が背中に回されている。おかげで体が隙間なく密着し、熱烈な抱擁でもされたような気分になった。

「おい……大丈夫か」

 睨むでも蔑むでもない。ただ真剣に見つめられたのはこれが初めてだ。
 数十センチも上にある顔は、息を呑むほど整っていて恐ろしい。こんなに逞しい彼がさっきまで恐怖に震えていたなんて笑える。

「あの霊、どこから連れてきた?」

「知らねえ。ってか離れろよ」

 このまま離れたくない──と言ったらどんな反応をするのかな。
 期待も虚しく、半ば突き飛ばされるような形で解放された。足元がまだふらつく。さっきの除霊で力を消耗したみたいだ。

「除霊って体力使うのか」

「向こうの力が強ければ強いほどね。酷いと熱が出たり意識を失うこともある」

「……危険なんだな」

「僕はまだ経験ない。宗主……、僕の師匠みたいな人に聞いた話」

「お前のおじいさん?」

 質問が続いたことに驚きつつ、僕は首を横に振った。

「修行に付き合ってくれた人」

「修行……?」

「何かあったら今みたいに助けてよ」

「あ、ああ」

「部活が終わるまで時間残ってるけど、大牙はどうする?」

「行く」

「そう……じゃあ、また明日」

 笑顔で手を振るのもなんか違う気がして、足早に部屋から出た。


 この学校に来たときから感じていた違和感。その原因を探るために、校舎の裏に回った。
 大牙はおそらく霊が憑きやすい体質だ。それにしても多すぎる。彼だけじゃない。学校の中でも普通では考えられないほどたくさんの霊を見かける。周辺に霊が集まる場所──墓地や戦争の跡地があるのだろう。
 周辺にはそれらしきものは見当たらない。
 霊気を感じる場所を辿っていくと、五分ほど歩いたところで小さな公園と出会った。さらにその奥に、ひっそりと佇む廃墟を見つけた。

「これかな」

 街の中心に鎮座する三階建てのアパート。ベランダの鉄柵は黒く錆び、支えとなるコンクリート部分が血のように染まって見える。大きなヒビは全体的にいくつも散見された。正面の入口には背の高い木々や草が生い茂り、まるで立ち入ろうとする人を拒絶しているようだ。
 ふと顔を上げると屋上が目についた。ベランダと同様に鉄柵はあるものの、なぜかその多くが欠落していた。屋上の柵が外れるなんてよっぽど杜撰な建築だったのか、あそこで何か起こってしまったのか。
 ぼーっと見つめていたその時、異様な雰囲気を醸し出す貯水槽の後ろから黒い影がぬっと現れた。
 次の瞬間、“それ”がこちらを向いた。もう亡くなったはずなのに肉体──いや霊体はもう原型を留めていない。でも、僕には分かる。きっと生前は同い年くらいの若い男だったはずだ。
 ゆらゆら……ゆらゆら……と不安的に揺れながら、そいつは屋上の縁で動きを止めた。

「あ」

 飛び降りるのはこれで何度目なのだろう?
 可哀想だと思った。ここに囚われ続け、何度も何度も魂を傷つけてしまう。彼が望んでいないことは聞かなくてもわかる。
 試しに彼に向かって手を伸ばしてみた。物理的に距離がある霊を祓ったことはないが、なんとなく出来る気がした。

「御霊を鎮め給え」

 さすが彷徨い続けているだけある。彼が纏う影がわずかに散ったが、簡単には消えなかった。
 さっき体力を消耗してしまったせいだろうか。指先が震え始めた。苦戦している間に彼がゆらゆらとまた動き、ついに縁から飛んだ。
 ──まずい。そう思ったときには駆け出していた。
 空に翳した手にどんどん近づいてくる。とうとうジャンプしたら手が届く距離になると、ぐちゃぐちゃだった彼の顔が今度はハッキリと見えた。
 影が指にかかると同時に、ふわあっと彼は跡形もなく霧散した。

「間に合った……」

 ガクッと一気に足の力が抜けた。手をついて衝撃を逃がしたせいで、肘のほうまで強い痺れが流れた。

「いっ……た」

 除霊の頻度が上がったことで、自分にはまだまだ力が足りないと痛感している。宗主だったら移動せずとも祓えたはずだ。
 これまで大牙のことだけを考えてきた。この忌々しい能力を好きになれたのも、彼のおかげだ。それでも未だに──終わりのない悪夢を見続けなければいけないことへの絶望が、拭いきれない。