食堂は想像よりも混み合っていた。湯汲が確保しておいてくれた席にトレーを置くと、彼は珍しい物を見たように目を丸くした。
「え、あのラインナップで魚定食? めっちゃ健康的なの選ぶじゃん」
「そう?」
「俺だったら絶対ハンバーグだもん」
「だろうな」
「あっ、今バカにした!?」
「いただきます」
湯汲の声量には慣れた。が、相変わらず周りから向けられる視線は鬱陶しい。せめて二人きりになれたらいいのに。
「天城ってさ、なんか変わってるよな」
「バカにしてる?」
「あ、違う、良い意味! なに考えてるかわかんないっていうか……」
魚の骨を剥がしながら、そうかなと相槌を打つ。
感情が顔に出にくいという自覚はある。元からそうだったわけではなく、虐められているうちに笑うことが少なくなってしまった。
リアクションを取ったところでどうせ嫌われるなら、なんの意味があるのだ──と吹っ切れたのだ。
「いやまじで良い意味で。大人っぽいし」
「湯汲は子どもっぽくて可愛いよ」
目が合ったので微笑むと、彼はサッと頬を赤らめて首に手を当てた。
「からかうなし……」
褒めたわけでもないのに照れるなんて、湯汲のほうがよっぽど変だ。
「て、てか大牙こなかったな。昨日は顔色よかったのに」
「心配だね」
「な〜、あいついないと部活も盛り上がんねえし」
ふと思った。小学生の頃に知り合いだった自分よりも、二年以上も同じ部で活動してきた湯汲のほうが、彼のことをよく知っているはずだと。
「……大牙って高一からあんな感じだった?」
「あー、うん。そうかも。見た目ちょっと怖いじゃん? でも意外と面倒見いいってか、後輩にも優しいし」
「へえ」
「あとやっぱモテる。まじでエグい。だって俺ら去年まで別クラだったのに、あいつの恋愛の話めちゃくちゃ回ってきてたんだよ」
別に聞きたくない話題だが、湯汲の口は止まらなかった。
「後輩からも先輩からもモテまくって、短期間で別れんの。ま、あの顔ならわかるけどさ」
「……今は彼女いる?」
「うーんわからん。でも、あの人がそうなんじゃないかって誰かが言ってた。あれ、隣のクラスの」
「綿辺沙理?」
「あっ、その人! 天城も知ってるんだ」
やっぱり、綿辺は大牙と親密な関係にあるのか。
取ったはずの魚の骨が、小さな細い骨が、なぜか口の中に刺さっている気がする。奥歯で噛みしめると、ギリッと鈍い音がした。
「天城は同じ小学校だったんだっけ」
「そうだよ」
「あいつ昔から変わってない?」
「どうだろう。昔はもっと強かったよ。怖いくらいに」
「やっぱそうなんだ。ボクシングやってるから体デカいもんなあ」
あの身長、羨ましいよ。と言って湯汲はため息をついた。僕と同じくらいの身長だから、その気持ちはわかる。
もっと身長さえあれば、体格がよければ──僕は虐められることがなかったのだろうか?
僕も大牙のような人生を送っていたのだろうか?
トイレで歯磨きを済ませてから教室に戻ると、大牙が席でうつぶせになって寝ていた。
まさかこの時間から来るとは思っていなかっただけに、心臓がバクバクと走り始める。
「おはよう」
声をかけた途端、彼はすっと体を起こした。
僕を睨むその目の下には隈が浮かんでいる。心なしか唇の色も薄い。
「……お前、なにした?」
僕は無視して席についた。
教科書を取り出したところで、今度は名前を呼ばれる。
「れい」
「体調は?」
彼の首には内出血の痕が見える。昨日、僕が手をかけたところだ。現実には触れずとも、実際に体に影響が及ぶとは知らなかった。これほどまで嬉しい誤算はない。
「昨日また金縛りにあった」
「それ、痛そうだね」
「触んな」
首に伸ばした手を強く叩き落とされる。ふふっと笑いがこぼれそうになり、慌てて唇を結んだ。
警戒して睨みを利かせている様子はまるで猫のように可愛らしい。
「おま……、れいが関係してんのか」
「条件飲む気になった?」
「……なってない」
「分かってると思うけど、僕なら操れるよ。今憑いてる霊も──そうじゃないのも」
やってみせようか? と首を傾げると、大牙はあからさまに目を逸らした。
彼が膝を揺らすせいでカタカタと机が小刻みに揺れている。視界に黒い影が映った。昨日の今日でまた新しい霊を連れてきたようだ。
「どこから連れて来たのかな。その霊」
「は?」
恐らく大牙は精神的にも肉体的にも頑丈で壊れにくい。その上、取り込みやすい。彼の持つ魅力に、人間だけでなく霊までもが魅了されているのだ。
「……見えんのかよ」
「それ祓ってあげてもいいけど、友達切るの嫌なんでしょ」
どうせ高校を出たら連絡の一つもなくなる人達と離れるのを躊躇う理由はなんだろう?
──あの女か、僕と一緒にいるのが嫌なだけか。
彼はしばらく逡巡した後、覚悟を決めた顔で口を開いた。
「わかった。条件飲んでやる」
「本当に分かってるのかな。もし約束破ったら……、この手で締めるよ。その首」
「は……」
バッと大袈裟に手で首を隠される。その手が微かに震えているのが見えた。
──ダメだ、笑いを堪えきれない。
「あは」
「き、きめえな」
「今日から親友だね」
「親友? そんなもんなるって言ってな──」
「じゃあやめようか?」
「くそ……」
唇を噛んで俯いた彼の肩に触れる。今度は叩かれなかった。
「新しく憑いたのと前からいるの、どっちがいい?」
「両方」
「駄目。つまらない」
前から居る二体の霊は顔がはっきり見えないし、霊気もかなり弱い。怨霊というよりも、行き場がなくサメにしがみついているコバンザメのようなもの。
祓うなら、彼の腰に強く纏わりついている霊のほうが良さそうだ。
しっかり見える。頬がゲッソリと痩せこけ、長い爪を体に食い込ませるようにして抱きついている女の顔が。生霊ではなく、質の悪い死霊。
「どっち?」
「新しい方」
即答だった。彼もそれを己の身で感じているのかもしれない。
「じゃあ、二人きりになったらしてあげる」
徐々に戻り始めてきた他の生徒たちが僕たちに熱い視線を送っている。ここで目立つ行動をしたら、快適な学校生活を送れなくなる。
「いつだよ……」
再び机がカタカタと揺れ始めた。それほど今の状態がつらいのだろうか。
「放課後、僕と一緒に来て」
「部活は?」
「サボればいい」
大牙は意外に真面目なところがある。学校も部活も普通の生徒と同じように出席し、授業中にふざけるわけでもなく、素行も特に問題ない。
「仕方ねえな」
彼はチッと舌を打ってから机に顔を伏せた。
正直、拍子抜けした。もっとクズで駄目な男に育ってくれていたら、潰し甲斐があったのに。



