呪いが初恋に変わるまで


 翌日、朝から放課後までのほとんどの時間、大牙は顔を机に伏せて眠っていた。あれほど霊が憑いているのだ。睡眠妨害を受けて寝不足になるのも不思議ではない。
 腕の隙間から見えた顔色は悪く、目の下に薄っすらと影があった。一ミリの狂いもない整った顔に隈という欠点になんとも唆られる。
 誰もいなくなった教室で、彼の机に指を滑らせる。まだそこに熱が残っている気がした。
 ──もっと重くしてやればよかったかな?
 ──いや、いっそ他の霊を祓って僕の呪いだけにすればよかったのかもしれない。
 考えながら隣の教室を通り過ぎようとしたら、彼が中にいることに気が付いた。

「大牙まじで大丈夫?」

「病院いけよお前」

「いや……いいって」

「でも顔の隈やばいじゃん〜。あ、金縛りってなんかストレス抱えてたり疲れてるとなるらしい。最近なんかあった?」

「……特にはないけど」

 とっくに帰ったと思っていたのに、こんなところで無駄な時間を過ごしていたんだ。
 足が勝手に教室の中へと進む。別に無視してもよかった。でも、首に巻き付いた霊がやっぱり気になる。恐らく大牙に捨てられたであろう女の生霊が、呪いの上に重なっているのが何より許しがたい。

「具合悪そうだね」

 彼らが一斉にこちらを見た。昨日と違う男が三人と、綿辺沙理が大牙を取り囲むように座っている。

「え、誰?」

「あー! 昨日の」

「大牙の知り合い?」

「天城くんだよね、もう噂になってるよ。イケメン転校生きたーって」

「出た。すぐそうやって飛びつく」

「だってこの顔なんだから仕方ないじゃん。天城くんてフォロワーどんくらい? 繋がろうよ」

 誰の声も雑音に聞こえて、もはや気にもならなかった。大牙のところまで一直線に足を進める。

「……なんだよ」

「顔色悪いの、おもしろいなあと思って」

「はあっ?」

 ガタンッと椅子がひっくり返った。彼は立ち上がった勢いのまま、僕の襟元を荒々しく鷲掴んだ。制服のシャツに喉仏が潰されて息が詰まる。

「ふざけてんのかよ」

 昔はこんなんじゃなかった。声を荒げることは滅多になく、気に入らないことがあれば他の人にやらせる。
 そんな彼が好きだったのに、ずいぶん落ちぶれてしまったみたいだ。
 ポケットの上から袋に触れた途端、クッと彼の腕から力が抜けたのが分かった。さらに拳の中で握り締める。

「うっ……」

 彼は歯を食いしばって苦痛の表情を浮かべた。そのまま膝から崩れ落ちる。ガタガタと体が机にぶつかって激しい音が教室に響いた。
 ──あの獅子道大牙が、僕の目の前で跪いた。
 ぞくぞくと首筋に鳥肌が立った。思わず口角が上がる。
 正直、ここまで大牙の体を意図的に操ることができるなんて想像もしていなかった。呪いの力がそれほど強く働いている証拠だ。

「え、おい大丈夫か」

 顔が腰のあたりまで落ちたおかげで、初めて彼を見下ろすことができた。眉を寄せながら上目で見つめられる。
 ──ああ、なんて可愛いんだろう!
 目も頬も真っ赤だ。か細い息が唇の端から溢れている。
 この顔をずっと見ていられたらいいのに。

「だめだよ、大牙」

「は……」

「あんな風に掴んだら苦しいじゃん」

 指先で頬をぷにぷにと摘んでみた。余計な肉はないが、思ったより柔らかい。

「……離せ」

 彼はとうとう目を逸らしてしまった。目尻が赤く染まっている。さっきまでの、苦しみから来るものとは違う。みんなの前でこんな姿を晒したことに対する猛烈な羞恥心だ。

「本当にかわいいね」

「ちょっ、なに? どうなってんの?」

「えっ……大丈夫?」

 女が後ろから彼に駆け寄った。どうやら、他人が触れていると呪いの効力は薄れてしまうらしい。
 ──くそ、邪魔しやがって。
 距離感や視線、それから触り方。どう見ても綿辺は大牙に好意を持っている。もし付き合っているなら別れさせるまでだ。
 大牙の顔を心配そうに覗き込んでいる女がそばにいるというのに、彼はなぜか再び僕のことを睨みつけた。

「あははっ」

 思わず笑い声が飛び出した。
 この女が努力して積み上げてきた関係性を、僕はたったの二日で打ち破ったんだ。最高に面白い。

「な、なに笑って……」

「お前らどうしたんだよ」

「なにこれ喧嘩?」

 周りの視線が鬱陶しい。でも、今の大牙の目には僕しか映っていない。
 屈んで目線を合わせると、彼の体が大げさに震えた。

「一体だけ、祓ってあげようか」

「え?」

「腹立つから」

 首に巻き付いた霊に触れる。静電気より強い、ビリビリとした電流が肘の方まで流れてきた。
 ──消えろ。二度と大牙に付き纏うな。
 力を込めながら手のひらを握り締めた瞬間、ふわあっと霧散した。
 複数の中から一体だけ祓うのは初めてだ。力がありすぎるせいで、危うく他の霊まで祓ってしまうところだった。

「あ……天城」

 やっと僕のことを呼んでくれた。
 その飛び出た喉仏を震わせて、低い声で天城とはっきり言ってくれた。でも喜ぶにはまだ早い。

「大牙くん。名字じゃなくて名前で呼んでよ」

「は?」

「僕達、仲良しでしょ?」

 大牙はきゅっと唇を噛んだ。
 ──せっかく祓ってやったのに、たかが名前呼びがそんなに嫌なのか?
 再び首元に手を伸ばすと、彼が慌てた様子で後ずさりした。

「わ、わかった。呼ぶから」

「呼んで。今」

 気まずそうに目を逸らした彼はモゴモゴと口を動かし、それはそれは小さな声で

「……れい」

 とつぶやいた。まるで言葉を覚えたての赤ん坊のような言い方だった。
 まさか、名前を覚えてくれていたとは。
 じわっと頬が熱に打たれた。バカみたいに、これだけで全身が歓喜の声を上げている。

「偉いね」

 乱れた前髪を直してやるために手を伸ばす。彼の肩がわずかに強張った。
 指は通らなかった。スプレーかワックスのようなもので固められた髪はカチカチで、触り心地は最悪。小学生の頃はふわふわな見た目だったのに。
 残念だなとため息をつきながら立ち上がると、他の人達が僕を凝視していることに気がついた。

「大牙の顔色、ちょっと良くなったんじゃない?」

「え……」

「あっ、たしかにそうかも」

「はらうって何?」

「なんか怖……」

 彼らは顔を引き攣らせて口々に呟いた。
 よく見たら、綿辺の体には複数の小さな顔のない霊が憑いている。守護霊ではなく、この人と関わりが強い霊でもない。どこかに行って拾ってきた──という感じだ。

「綿辺さんだっけ。最近、心霊スポットでも行ったの?」

 彼女はヒュッと息を呑んで僕を見た。
 どうせそんなことだと思った。大牙の友達はもれなく質が悪い。服装から態度、口調、纏っている気配。普段どう過ごしているかなんてすぐに分かる。

「な……なんで」

「“それ”、大牙に移さないでね」

「え?」

「じゃあ僕は帰るから。大牙も早く帰りなよ、こんなところに居ないで」

 アホみたいに揃って口を開けている彼らに手を振って教室から出た。
 呪いを操り、除霊までしたせいで足がひどく重い。目眩や吐き気もある。
 ──これは単なる努力不足なのか?
 それとも、本当に呪いをかけたせいで力が弱まっているのか。後者のほうだと仮定すると、これから霊操師の仕事をしていく上で不便かもしれない。