「じゃ、頑張れ!」
湯汲はそう言って俺の肩を何度か叩いたあと、笑顔で帰っていった。
あいつのおかげで電車内が気まずくなりそうだと思っていたら、天城はまたわざと一席空けて座った。しかもそこに鞄まで置いて俺が座れないように阻止した。
強引に鞄を奪って隣に座ると、
「……他空いてるのになんでここ座るの」
と不満げに愚痴られた。無反応よりよっぽどいい。
「いいだろ別に、それくらい」
重い沈黙が落ちる。
天城が不機嫌な理由が理解できなかった。言動や態度、どれを取っても俺のことが好きなようには見えない。
好きだと言われてここまで怒る理由はなんだ?
逡巡していたら、あっという間に駅に着いてしまった。無言でさっさと降りた天城の後を追う。
思えば、あいつと再会してから背中を追ってばかりだ。手を伸ばせば届くところにいるのに、一定の距離が永遠と縮まらない。小学生の頃、あいつも俺に対して同じような感情を抱いていたのだろうか。
「ついて来ないでくれる?」
「え?」
振り返って言われてようやく気が付いた。自分が帰る道はとっくに過ぎ、天城の家がある方向に歩いていたことに。
「はあ、大牙はこっちじゃないでしょ」
柔らかな夕日の色が混じり初めた空と対照的に、天城の顔にはどこか寂しさが滲んでいる。ただの帰り道ではなく、これから先の人生のことを言われた気がした。
どうせ一緒にはいられない。どうせ着いて来れないだろう、と。
いつも天城は強いのに、ふとした時に内側の弱さ──脆さが露呈する。まるで俺を試すかのように。
足を一歩踏み出す。まだ遠い。
もう一歩。天城が纏っている空気が震える。
さらにもう一歩。俺を見つめる、澄んだ瞳が大きく揺れる。
頭がおかしくなりそうな匂いに誘われて、足を止められなくなった。肌が触れたのと同時に腕を背中に回す。腕のなかで天城は小さく呻いた。
「大牙……っ」
初めてこいつとキスをした時に感じたものと、似た感情が腹の底からふつふつと沸いてくる。泡みたいに簡単に膨れ上がり、やがて破裂する。そうなるともう手がつけられない。天城のことで頭が埋め尽くされてしまう。
「どうすればいい」
「な、なにが」
「どうしたら伝わる? 他の女と同じようにすればいいなんて、思ってない」
「離れて。人いるから……」
「どうでもいい」
抜け出そうと試みる体を腕で押さえつける。こんなに隙間なく密着しているのに、まだ足りない。もっと近づきたい。自分とこいつの境界線があいまいになるほど。
「……なんでさっきあんなこと言ったの。大牙は人の目とか気にするでしょ。男が好きって知られたら、霊が見えるよりも気持ち悪いって思われるかもしれないのに」
過去に自分が天城を傷つけた言葉は、今も治らない傷としてこいつに刻まれている。
「気にする必要なくね? 友達も女も全員切ったんだから今更だろ」
「それは……だから、もう約束は守らなくていいって」
「何も良くない。お前の人生奪った責任取るから、最後まで付き合えよ」
強張っていた体から、ふっと急に力が抜けた。頭が胸元に伸し掛かってくる。その重さに思わず喉が鳴った。心臓の鼓動が速くなりすぎて息が苦しい。
「……れい」
「それ、本当に意味わかってんの。今まで通り簡単に捨てられると思ってるなら見当違いだし、他の女みたいに──」
胸の中で、天城は独り言のようにもごもごと呟いた。もはや最後のほうは聞こえなかったが、この状況に狼狽えているのは分かった。
「俺に言ったこと覚えてる? 俺にはお前を縛る権利はない、なんで同じことを求めるのか考えろってやつ」
「……覚えてる」
「正直に言う。れいが他クラスの奴に笑顔見せんのも、湯汲と仲良いのも嫌だ。俺には口出す権利がないって分かってる。でも好きだから独占したくなる」
「え?」
「これが勘違いじゃないって証明するには時間がかかる。言葉だと信用できないのも俺のせいだし……あー……っと、だから」
途中で、何を伝えればいいのか分からなくなってしまった。
言うことを考えているうちに天城は体を離し、俺をまっすぐ見つめた。
「くれるの?」
「……は」
「僕にくれる? 大牙の、これからの人生。何があっても返さないけど」
ぞわぞわと首筋に鳥肌が立った。
以前なら、自分には荷が重すぎると思っただろう。でも今は違う。こいつにすべてを明け渡す準備が整っている。
「やるよ」
「……返さないって言ったからね」
「ってことは、れいの人生もくれんの?」
首を傾げた途端、ぐっと顔を引き寄せられた。勢いよく唇が重なる。その割にあっさり離れていった。
「元から大牙のものだよ。僕の人生は」
天城の微笑みと共にこぼれたその言葉には、かつてないほど甘さが滲んでいた。
秋になると、ついに共通テストの出願が始まった。天城に合わせて公立の大学を受験することを決めたはいいものの、この時期から勉強に励んでも手遅れな気がしている。仮に受かってもたぶん同じ大学には行けないだろう。
無駄に容姿が良い天城はきっと様々なサークルから勧誘され、交流も人脈もどんどん広がっていく。別に不安があるわけではないが、そこに自分がいないという現実が受け入れがたい。
「大牙。ちゃんと共テの支払いした?」
突然、天城に顔を覗き込まれてハッとした。
「……忘れてた」
「帰りコンビニ寄ってあげるから払いなよ」
「わかった」
受験前に天城と付き合い始めたのは間違いだったかもしれない。一緒に勉強しようと家に誘われて行っても、キスやら何やら──余計なことがすぐに始まってしまう。天城が乗り気なのも困る。
正直、受験どころか頭の中はこいつでいっぱいだ。
「今日は……来る?」
天城が椅子に座りながらこてんと首を傾げた。すぐに頷きたい気持ちを堪え、迷いながら口を開く。
「いや、いい。一緒にいるとまじで集中できねえ……」
同じ大学に行くために出来る限りの努力をしなければ。
決意を新たにしたところで、机に上半身を伏せていた湯汲が唐突に目を覚ました。
「んあーやばい、めっちゃ眠い」
「寝不足?」
「うん。昨日ずっと勉強してたらなんか眠れなくてさあ、アニメ観ちゃった」
「非効率だね」
「うー、冷たいな天城……お前らは今日も一緒に勉強すんの?」
「しない。僕がいると集中できないらしいから」
ちらりと配られた視線に恥ずかしくなる。
湯汲に付き合ったことを報告した時、盛大に祝われたせいで余計に気まずい。
「おもろっ。授業中も天城のことばっか見てんじゃないの~」
「そうなんだよ。ずっと見てくるから困る」
ただの冗談を天城が本気で返した。湯汲のわざとらしい笑顔に腹立つが、事実だから否定できない。
「うぜえな」
「分かるよ。隣に好きな人いたら見ちゃうよな。席替えしない担任で良かったじゃん」
「……それはまあ」
自分の声とチャイムが重なった。教師が入ってくると、ピリッと教室の空気が引き締まった。
相変わらず天城の顔は冷淡だ。どんなにからかっても上手く躱してしまう。だが、キスや体の接触、そして俺を弄んでいる時は表情が変わる。それがたまらなく可愛い。
もっと色んな顔を見るにはどうしたらいいのだろう。
板書を取りながら物思いに耽っていた時のことだった。
──え?
ネクタイを下からグッと引かれる感覚。まさか霊の仕業かと一瞬青ざめたが、隣の席から伸びた手を見て肩の力を抜いた。
天城を見つめて口パクで注意する。しかし彼はふふっと頬を緩め、先端を掴んだまま軽く引っ張った。
一体なにを求めているのだと首を捻った瞬間、
キスして。
天城の唇が確かにそう動いた。声はもちろん出ていない。
ドクンドクンと心臓の鼓動が加速していく。試すようなその微笑みを向けられたら──おかしくなる。自分を保っていられなくなる。
周りにバレるかもとか、教師に見られたら怒られるかもとか、そんなことに気は回らなかった。
上半身を乗り出して唇を合わせる。
触れたか分からないくらいの軽いキス。それでも天城は、じわじわと頬を染めて満足そうに笑った。



