呪いが初恋に変わるまで


 放課後の倦怠感が漂う中、天城の背中を黙って追いかけた。何をそんなに嫌がっているのか一度も振り向いてくれない。
 同じ制服を着た生徒達で溢れる電車の中は、西に沈む夕日のせいで顔がジリジリと焼かれるように熱かった。
 正面のガラス窓に天城の顔がぼんやり反射している。隣にぽっかりと空いた一人分のスペースは、当然ながら天城がわざと作ったものだ。俺とくっついて座りたくないという意思表示。
 さっきは湯汲と肩が当たりそうな距離で座っていたくせに──と、窓ガラス越しにあいつを睨む。
 混んできたらさり気なく隣に詰めてみようか?
 俯いてないでこっちを見ろよ。部活も学校も同じなのに会話もせず、一定の距離を保っているのは周りから見ても変じゃないか?
 そんな風に無駄な思考を悶々とこねくり回しているうちに、不意に天城が立ち上がった。狭い改札を抜けて住宅街に入る。

「どこ向かってんの」

 問いかけは無視された。天城はスマホの地図を見ながら、歩みを緩めず進んで行く。
 まるで守護霊にでもなった気分だ。冷たい態度にはもう慣れたが、無視は精神的に来るものがある。そういえば他の誰にそうされても気にしたことさえなかったのに、なぜだろうか。

「……宗主に与えられた課題」

 ぼそっと呟いた彼の足が、ある一軒家の前で止まった。ごく普通の二階建ての家。だが、入り口付近の草木は伸び切っていて、表札下にある郵便受けはチラシやら請求書で溢れ返っている。すべての窓の雨戸が閉ざされ、どう見ても人が住んでいる気配はない。

「課題って?」

「この家は一年前に事件があって、特殊清掃が入ったけどまだ売りに出せないらしい」

「は……」

 天城は淡々と話を続けながら、鞄から書類を出した。

「今は事故物件監視協会の調査対象になってる。簡単に言うと、霊障の調査報告をして家を売りに出せる状態にするってこと」

 紙にびっしりと埋められた文字に目を見張る。読めるところだけ拾って見たが、どうやら除霊の依頼書のようだ。

「ご遺族の方から宗主が依頼を受けたんだけど、僕がやることになった」

「なんで?」

「まだ未熟だから。僕みたいな見習いは実践で経験を積まなきゃいけない」

「へえ……大変そうだな」

「大牙は帰っていいよ。怖がりだし」

 あんな風に倒れて体調を崩したばかりなのに、ここでまた倒れたらどうするのか。それに、何かあれば天城を助けるという条件を反故にするつもりか?

「一緒にいる。倒れたらまた運んでやるよ」

「……意外と真面目だね」

「え?」

「そんなにちゃんと条件守るなんて」

 守れと言ったのは自分のくせに、どこか遠回しに嫌味を言われた気がする。

「ってか、本当に大丈夫か? 体調治ってからやればいいのに」

「あれくらい平気」

 天城は書類を鞄に戻して玄関のドア前に立った。躊躇なく開けられたドアが、ギーッと立ち入りを拒む悲鳴を上げる。

「うわ、雰囲気すげ……」

「大牙の家に入ったときのほうが酷かったけど」

「まじか」

「一階から見て回るね」

「あ、ああ」

 乱雑に散らばったいくつもの靴が視界に飛び込んだ。天城がスマホのライトを正面に向けて歩き出す。
 薄暗くてかび臭い。思わず唾を飲み込みながら目の前にある綺麗なうなじに意識を集中させる。そうでもしないと、すぐにでもひどい恐怖心に蝕まれてしまう気がした。
 こんな時でも天城は冷静で、一切取り乱さない。姿勢の良さや冷淡な表情、そして声色。どれをとって見ても落ち着いている。

「怖いなら手繋いであげようか?」

「……さっきからそのイジりやめろよ」

「可愛くないな」

 ──だいたい、こいつは俺に可愛いって言い過ぎじゃないか。どこにそんな要素があるんだ?
 何がツボなのか知らないが、予想もしてなかったところで言われると反応に困る。天城以外の人間に可愛いなんて言われたことがないから余計に。
 一階の部屋をすべて確認したあと、二階に続く階段の前で立ち止まった。見上げながら天城が言う。

「問題の場所は二階なんだ」

 スマホのライトでは遠くまで照らすことができず、せいぜい見えても二メートル先。階段上部には禍々しい暗闇が広がっている。何かが潜んでいる気がして、咄嗟に天城に視線を戻した。
 怖がりなのは否定できない。これまで霊感がなくて耐えられてきたが、見えるようになってしまった今、正面から霊と向き合うことになる。
 天城は慎重に階段を上り始めた。手すりを握り、一段一段ゆっくりと。
 気を紛らわせる話題は何かないかと必死に考え、とりあえず頭に浮かんだ言葉を丸い後頭部に投げかける。

「進路希望……、俺は進学することにした。大学はまだ決めてないけど、たぶん近くの」

「だろうね」

「知ってたのかよ」
 
「ただの予想。就職してやりたいこともないんだろうし」

「……れいは?」

「大牙と同じ大学に行こうかなって──」

 言いながら天城が振り向いた。暗闇の中、スマホのライトで顔だけが浮き彫りになる。どこかに迷いが滲んだ表情だった。

「──思ってたんだけど。進学したところで、どうせ霊操師の道を歩むしかないから無駄なんだよね」

「そう、なのか」

 拍子抜けした。てっきり、どんな大学でも就職でも着いていくと言われると思っていたから。
 
「大牙に呪いをかけるっていう目標は達成できたし」

「それって……」

 呪いをかけたあとのゴールはどこにある?
 これからも自分の体に負担をかけて痛めつけて、そんなことをしてまで続ける意味は?
 ──だったらいっそ、呪いを解いて他の方法で俺を縛り付ければいいじゃないか。こいつにそれができないとは考えにくい。

 タッタッタッタッタッ。

 突然聞こえた足音に顔を上げると、天城と目が合った。

「あ、足音?」

「この近くだったね。奥の部屋かな」

「なんでそんな冷静なんだよ……」

 こっちは、今にも何かが出てきそうなこの家から飛び出したいくらいなのに。いくらなんでも肝が座りすぎだ。修行したからって精神的に強くなれるものなのだろうか。
 二階には全部で三つの部屋がある。階段に近い手前の二つは物に溢れた寝室だった。
 どこも嫌な感じがするのは違いないが、突き当たりにある部屋は扉から異様な気配が漏れ出ている。

「あそこ入んの?」

「霊気が強いから気をつけてね」

「んなこと言われても」

 天城はスタスタと近づいて潔くドアを開けた。反対に、自分はまるで悪い夢の中で逃げているみたいに足が竦んで歩けない。
 視界がどんどん暗く、狭くなっていく。部屋の入り口に立って中を覗いたら、天城に手招きされた。

「祓うから……こっちに」

「あ、おう」

 思っていたより普通の部屋だ。大きな皺のついたベッドのリネンが気になるが、他よりも圧倒的に物は少ない。幸いにも半分ほど開いた雨戸の隙間から外の光が取り込まれていて、ライトがなくても充分明るい。
 足音はどこから聞こえたんだと周りを見渡し、クローゼットで視線が止まった。身長ほどの高さがある二枚折戸の白い扉。その下、床にはドス黒く乾いたシミが広がっている。
 ──まさか血じゃないよな……?
 特殊清掃は入ったと言っていた。もしここが事件現場なら、その痕跡は残されてないはず。

「大牙」

「え?」

「僕だけに集中して」

「……わかった」

 そうだ。俺の役割は天城を助けること。霊に振り回されてしまっては負担になる。
 天城は部屋の中央に正座した。少し間隔を空けて隣に胡坐をかく。
 今のところ霊は見えない。どうやっておびき寄せるのだろう──とその綺麗な横顔を見ていたら、ふと思い出したように彼が口を開いた。

「僕が呪いをかけたこと、どう思ってる」

「どうって……別に。そのきっかけは俺の言葉だから、……そこまでさせたのは申し訳ないなと思う」

 聞いてきた割に天城は興味なさそうに頷いた。
 ──今なにを考えてる?
 ぞっとするほど整った顔からは感情を読み解くことができず、もどかしくて苛々する。俺の惨めさや醜態ばかり暴き、嘲笑し、執着を見せたかと思えば簡単に突き放す。

「呪い、解けよ。このまま続けたら体に影響が出るんだろ」

「またその話? 解くつもりはないって言ったよね」

「だから、呪い以外でなんか方法考えろって。復讐したいならそれでいいから」

「だめ……力では大牙に勝てない。呪いを解いたら、逃げるでしょ。それとも僕に従うって約束できる?」

 首をひねった天城は、“どうせできないだろう”と端から期待してないような顔で俺を睨みつけた。遮るように溜め息を重ねられる。

「いいよ言わなくて。答えは分かってる」

「できる」

「……大牙には約束を守れない。だって呪いがなかったら、二つの条件すら守る必要がなくなるんだから」

「求めてんのは俺のなに? どうしてやったら満足する」

「人生。大牙のこれからの人生が欲しい。それ以外はなんだっていい」

 あまりにも重い言葉だった。それとは反対に、濁りのない澄んだ瞳が夕日の光を纏って輝いている。
 俺に憎しみを抱く前は、想像できないほど純粋で無垢な子どもだったのかもしれない。もしくはその欠片がまだ残ってる──?

「……俺のことが今も好きってこと?」