呪いが初恋に変わるまで


 職員室を訪ねるなり、担任の教師から始業式を無断欠席したことについて注意を受けた。その後、転校に関する書類や教科書、体操着などをまとめて渡された。
 三年二組。入学手続きをする際に、「不安なので小学生の頃に仲良しだった獅子道大牙と同じクラスにしてほしいです……」と言ったら、快く承諾してもらえた。これから会えるというだけで胸が高鳴る。
 荷物を持って階段を上がっていると、どこからか複数人の男女の声が聞こえてきた。
 ──彼だ。大牙がそこにいる。
 駆け上がりたい衝動を抑え、一歩一歩ゆっくりと確実に足を踏み出す。彼らの会話にまったく興味はなかった。ただ、どんな顔をしているのか見たいだけ。

「はっ……」

 三階に着いた。息を吐いて顔を上げると、廊下の隅に座り込んでいる集団が視界に入った。

「なんか昨日からこのへんが痛てえ……」

「肩? ボクシングの練習したの?」

「いや、何にも」

 三人の男と一人の女。その中心に彼はいた。首に手を当てて俯いている。
 自分がつけた呪いと、他の霊を見分けるのは簡単なことだった。霊気が弱いザコ。この程度なら触れただけで飛んでいくだろう。
 彼の背中に大きく伸し掛かっている“それ”に、誇らしい気分になった。修行の甲斐があったのだ。思わず口元が緩んだ。
 足を進めると、女がこちらに気づいて振り向いた。

「……ん? 初めて見る」

 大牙の太腿に置かれた小さな手。何とも汚らわしい。

「めっちゃ綺麗な顔〜! 下級生?」

 女は立ち上がって距離を詰めてきた。顔を上げた大牙が僕を見た途端、これでもかと言うほど目を見開いた。
 彼の視界に入ったというだけで今にも体が震え出しそうだ。全身に鳥肌が立つのを感じながら、女に視線を戻す。

「いえ。三年です。転校してきたので」

「えっ転校!? やばあ」

「転校……」

「高三でめずくね?」

 ──初対面でタメ口。こんな質の悪い人達が取り巻きだと、大牙の評価も下がってしまうのに。
 僕は無理やり口角を上げて女に問いかけた。

「三年二組ってどこですか」

「案内してあげるよ! 私は綿辺沙理(わたべさり)でーす。隣のクラスだよ」

 視線はまだこちらに注がれている。
 女と一緒に歩こうとしたら、彼がゆらりと立ち上がった。

「いい。俺が行く」

「え〜そう? じゃ、あとでね」

 その一言で他の男たちも教室に戻って行った。やはり、高校でも彼が主導権を握っているのだ。

「お前さ……」

 大牙が眉を寄せながら僕のほうを向いた。が、目がしっかり合う前に、サッと顔を背けられてしまった。

「なに」

「……いや」

 言いたいことは何となく分かる。彼の脳内は今、僕のことで埋め尽くされているだろう。
 教室に入ると、すでに座っていた生徒達から一斉に視線を向けられた。好奇心に満ち溢れたそれに構わず、近くにいた人に声をかける。

「空いてる席ってどこ?」

「え!? あ、空いてるのはあそこだと思う……」

「ありがとう」

 一番後ろの窓際。背後にいた彼が舌打ちをしながら、スタスタと歩いて行く。そして、その隣の席にドカッと座った。
 ──僕はなんて運がいいんだろう?
 大牙が隣の席なのは嬉しい誤算だ。彼の嫌そうな顔をいつでも眺められる。それだけで今までの苦労が帳消しになる。
 席に辿り着くまでの間に、「え、かっこいい……」「やばいっ」という女子たちの囁き声が耳についた。今はこの雑音も不快じゃない。
 持ってきた荷物を片付け終わったところで、朝礼を知らせるチャイムが鳴った。

「はーい朝礼します」

 颯爽と入ってきた教師が黒板の前に立つ。

「起立、礼」

「お願いしまーす。ちょっとホームルームの前に、転校生がいるので紹介します。天城(あまぎ)?」

 大牙と同じクラスにしてくれた彼に心の中で感謝しつつ、軽く手を挙げる。

「はい」

「あ、席わかったんだね。昨日みんな自己紹介やっちゃったから、天城も簡単にしてもらえる?」

 こういう雰囲気は未だに苦手だ。でも仕方ない。ここで良い印象を与えておけば、学校生活がしやすくなる。
 僕は立ち上がって周りを見渡した。

天城(あまぎ)れいです。よろしく」

「わかんないことあったら皆に聞いてくださーい。小学生の頃はこっちに住んでたんだよな?」

「……はい。仲が良かったんです、大牙と」

「──は?」

 彼は唇をだらしなく開いた。

「だよね?」

 制服に忍ばせておいた麻袋をポケットの上から握る。その瞬間、黒い(もや)が彼の頭に乗った。ゆるゆると頷くように頭が下がる。みんなには、彼自身の意思で頷いたように見えただろう。

「おお、じゃあ獅子道はなんかあったら助けてやってな。教室の場所もわかんないだろうし」

「はい。いろいろと助けてもらいます」

「それじゃホームルームね。ええ昨日の──」

 教師の視線が外されたことで、周囲もやっと前を向いてくれた。
 大牙はまだ頭を下げている。拳から力を抜くと同時に、彼の体も脱力した。
 首に手を当てながら、瞳孔が開いた瞳で見つめられる。余裕に満ち溢れていた彼の目に、少しばかり恐れが滲んでいる。
 ──そうだ、もっと。その目でもっと僕を見ろ。こんなんじゃ足りない。

 一時限目が終わると、前の席の男がパッと振り向いた。

「なあ、ここ来る前どこにいたの?」

 挨拶もなしに、いきなり首を突っ込んだ質問。
 僕は目を細めた。失礼な奴は男でも女でも嫌いだ。

「誰?」

「あっ、ごめん。俺は湯汲健(ゆくみたける)。天城だよな? よろしく」

 意外にも相手は簡単に頭を下げた。
 差し出された手を無視しつつ、面倒だが笑顔を見せてやる。こういう、“誰にでも仲良くできる自分が大好き”な自己肯定感の高いお人よしは何かと使える。

「ちょっと地方に行ってたんだ。この町にうんざりして」

「え、あっ、そっか。昔はこっち住んでたんだっけ」

「そうだよ」

「そんな嫌なことあったんだなあ」

「僕、霊が見えるんだ。この辺は特に厄介なのが多くてさ」

「え……?」

 湯汲の頬が引き攣った。
 ──さあ、お前はどんな反応をする?
 これで「やばい奴だ」と認定して近寄らなくなるか、好奇心を持ち続けるか。

「ゆ、幽霊みえんの? まじ?」

「うん」

「すごいな……」

「湯汲に憑いてるかどうか、教えてあげようか」

「いっ、いい! やめて。俺そういうの無理。こわい!」

 意外にも、彼はどちらでもなかった。思ったより良い奴なのかもしれない。

「いやあでもさ、天城って前の学校でも絶対モテてたよな? さっきも女子がめっちゃ騒いでたし」

「別に。興味ないよ」

「そうなん? もったいな。まじ綺麗な顔してる……」

 湯汲が丸い目を近づけてきた。
 そう言うお前はモテなさそうだなと言いたいのを堪えて、頬杖をつく。

「好きになりそう?」

 ふっと笑うと、彼の顔が真っ赤に染まった。どうやら揶揄われるのに慣れていないらしい。

「いやなにっ、言ってんの!」

「冗談だよ」

「……なんか天城って、変わってるな……」

「よく言われる」

 湯汲が前を向いた途端、横から机の脚を蹴られた。

「おい」

 彼は座ったまま、足先を軽く動かしただけ。足が長いという事実にすら恍惚としてしまう。

「聞いてんのかよ」

「なに?」

 大牙はまた舌を打ち、腕を組んで睨みつけてきた。

「お前と仲良かった記憶なんかないんだけど」

「だからなに?」

「いや、何って……」

「これから仲良くしようね。大牙」

「しねえよ」

 低く唸る声はまさに虎の威嚇のようだ。しかし、その肩には呪いを含めた四体もの霊が伸し掛かっている。くつくつと喉の奥から笑いがこみ上げてきた。

「肩、重いんじゃない?」

「は……」

「そんなにいっぱい憑いてるんだもん。潰されないといいね」

「お前──」

 彼の声は、残念ながらチャイムの音に搔き消された。

 昼休みになると周りの生徒達がお弁当を自席で食べ始めた。もちろんそんなものは持っていない。
 席を離れて食堂に向かう途中、廊下で大牙に会った。ポケットに手を入れて壁に寄りかかっていた彼が、僕を見るなり突進してくる。

「お前、霊が見えんのか」

「だとしたらなに? どうしてほしい」

 彼は俯いて押し黙った。くだらない矜持(きょうじ)が邪魔をして、「自分は霊にとり憑かれているかも」だなんて言えやしないだろう。こいつはそういう男だ。相手に弱みを見せることを極端に嫌う。

「聞いてるんだけど」

「……どうも何もできねえだろ。ってか、そんなもんいるわけ──」

「三体。女の生霊も憑いてるね。首にしがみついてる」

「は?」

「最近、酷い別れ方とかした? ヤリ捨てしたんじゃないの」

「な、に、言って……」

 声が震えていた。
 言い当てた割にすっきりしないのは、僕の嫌味はただの冗談だったからだ。事実なら胸糞悪い。

「もういい? ご飯食べる時間なくなるんだけど」

 彼とすれ違う際に、肩が触れた。
 ──もっと重くなれ。
 心の中で囁いた言葉が透明な煙となって、ふわりと辺りに漂った。そして彼の肩に纏わりつく。
 袋を触らずとも呪いを操ることができるようだ。良いことを知った。