呪いが初恋に変わるまで


 天城の口元にはほくろがある。小さくて目立たないはずのそれは、血管が透き通るほど青白い肌のおかげでくっきりと見える。それから、耳にかかる柔らかそうな髪の毛。下を向くと邪魔になるのか、天城は頻繁に耳にかけ直している。椅子の背もたれは使わず、どんな時も背中が真っ直ぐ伸びていて姿勢がいい。
 先週の木曜、天城が起きるまで部屋に残った。体調がマシになったのを確認してから帰ったが、あの時と比べると顔色がかなり良くなったように見える。

「天城、冒頭のところ読んでもらえる?」

「はい……ミロのヴィーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、ぼくは──」

 新緑の葉擦れのような声が、春の穏やかな光を受けた教室に静かに響く。
 いつの間にか船を漕いでいた頭は、天城が椅子に座り直した音によって落ちずに済んだ。手のひらの膨らみに顎を支えた跡が薄っすらついている。
 再び隣の席に視線を戻すと、からかうような微笑みを浮かべた天城と目が合った。
 ──かわいい。
 唐突に抱いた感情に戸惑いはなかった。これだけ容姿が整っていて、愛嬌のある仕草をされたら、そう思うのは当たり前だ。俺がおかしいわけじゃない。
 はらりとまた髪の毛が落ちて頬にかかった。直してやろうかと手を伸ばしかけた時、不意に天城が動いた。なぜか付箋を机の角に貼り付けられる。

『見ないで』

 いつもの綺麗な字ではなく、走り書きだった。今まで見ていたことを指摘された羞恥心で顔が熱くなる。まるで、見惚れてないで授業に集中しろと言われた気分だった。
 結局いつもこうだ。気づいたら天城のペースに飲み込まれてしまう。
 ルーズリーフを一枚取り、ペンを走らせる。

『飯はじいさんが作ってくれんの?』

 書いたものを机に置いた瞬間、呆れた顔をされた。意外にも無視されず、すぐに紙が戻ってくる。

『自分』

 あの感じからすると天城は作らざるを得ない環境で育ってきたのだろう。いつから自炊を強いられてきたのか。どんな生活を送ってきたのか。想像もできない。
 ペンを持つ手が止まった。聞きたいことは山ほどある。でも、たぶん返してもらえるのはあと数回程度。

『なんで俺のことが好きだった?』

 何を書くか悩んだ結果、出てきたのはそれだった。小学生の頃の記憶は曖昧だが、天城とはあまり関わりがなかった気がする。
 天城は紙を見て小さく溜め息をこぼした。なかなかペンを握ろうとせず、ついには黒板のほうに顔を向けてしまった。
 それくらい答えろよ……と心の中で悪態をつく。
 本当は過去のことじゃなくて、別のことが聞きたかった。今でも俺のことが好きなのか──と。どうせ答えないだろうけど。
 諦めて自分も前を向いたが、隣が気になって授業どころじゃない。そういえば進路希望票にはなんて書いたのか聞くのを忘れていた。
 再び隣に視線を向けると、机に紙を置かれた。

『大牙だから』

 ──俺だから? 好きになった理由が?
 なんだよそれ、と思わず吹き出しかけた。まったく質問の答えになってない。
 返事を書いている最中に授業終了を知らせるチャイムが鳴った。天城と湯汲が同時に立ち上がる。今日もまた二人で食堂に行くのだろう。

「食堂?」

 咄嗟に声をかけていた。
 天城の代わりに、湯汲が笑顔で頷く。そんな些細なことにも苛々した。

「俺も一緒に食っていい?」

「あ、もちろん。天城もいいよな」

「……いいけど」

 全然よくなさそうな顔だなと思いつつ、黙って二人の後ろを歩く。許可が降りただけ良しとしよう。

 注文口の隣に置かれたメニューを軽く見ただけでさっさと並んだ湯汲は、先に料理を受け取って着席した。天城がそれに続いてなぜか湯汲の隣席にトレーを置く。
 なんでわざわざ湯汲の隣に座るのか。
 自分だけ線引きされたみたいで気分が悪い。苛つきながら天城の向かいに座る。

「大牙は担々麺かあ」

「ああ」

「知ってる? 天城ってほぼ魚定食しか食べないんだ」

「……へえ」

「まじめっちゃ健康志向だよな」

 湯汲はそう言うと、スプーンを取って大盛りのカレーをかき込み始めた。

「湯汲はお弁当か味濃いものしか食べてないね」

「ふっ、たしかに!」

「僕の野菜食べたい?」

「いやいいよ。天城は痩せすぎなんだから食べな。もっと太んなきゃ受験は乗り越えられん」

「それ関係ないでしょ」

「あるんだなそれが。だって莫大なストレス抱えるんだから、痩せてたらダメじゃん」

 まるで二人の世界だ。無自覚なのかわざとなのか、天城は湯汲の前だと俺のことが視界に入らなくなる。それに加え、この二人から繰り出される“俺のほうが知ってる”マウント。
 食堂に来たら天城のことをよく見ていたのに、魚が好きというのは気づかなかった。
 ──俺に呪いをかけるくらい好きだったんじゃないのかよ?  

「そういや最近、大牙っていつもの友達とつるんでないよな。喧嘩でもしたん?」

「いや。あー……まあ、色々あって」

「そっかあ」

 お前の隣に居る男に指示されたからな。
 そう言ってやりたいけど天城を怒らせたくはない。黙ったせいで勘違いしたのか、哀れむような顔で見つめられた。

「大牙も大変なんだな。ごめん、俺知らなかったよ。いつでも話聞くから」

「過保護だよ湯汲は」

「いやいや心配するっしょ。常に人に囲まれてるタイプだったし。てか……、なーんか天城って大牙にツンツンしてねえ?」

 首を傾げた湯汲に、天城は即座に「してない」と頭をゆるく振った。とぼけるつもりか。

「あのさ。これからも一緒に食いたいんだけど」

「俺は全然いいよ〜。でも天城がなあ」

「……湯汲がいいなら僕もいい」

 思わず箸を折りたくなった。
 俺に対しては頑なに意思を曲げない、言うことを聞かないくせに、なんで湯汲にはこうなるんだ?
 少し伸びてしまった麺を口いっぱいに入れて啜った。二人の並んだ姿を見ると、どうも味がよく分からなくなる。これから一緒に食べるなんて言わなければよかった。

「てか聞いた? 今日、タマセン部活来ないらしい!」

「そうなんだ。ちょうど予定あって行かないつもりだったからよかった」

「え〜なんだ天城も来ないんか。アイス買いに行こうと思ったのに」

「……大牙、ついて行ってあげたら」

 天城に気怠げな視線を投げられた。まただ。こういう時だけ俺のことを見る。
 三人でいる時は自分より湯汲を優先されるというのが、やっぱり腹立たしい。俺が何かを要求できる立場ではないと分かっていても。

「れいと一緒に行く」

「え?」

「俺も行っていいよな?」

 不意打ちを喰らったみたいに目が丸くなった。澄ました顔を崩せたことに心の中でガッツポーズする。

「え〜なになに、二人でどこ行くん」

「俺はこいつの約束守らないといけないから」

 だよな、と首を傾げると、分かりやすく睨まれた。

「約束?」

「大牙。食べ終わったなら先に戻りなよ」

「はいはい」