気が付くと、窓の外は見慣れた街の景色に変わっていた。家が同じ地域だとは知らなかった。
「ごめん。ちょっと道見てくれる?」
渡されたスマホの画面には赤いピンで目的地が印してあった。地図だと分かりにくいが、恐らく通ったことがある場所だ。
独立した電気屋、駐車場が広いラーメン屋、それから同じ建物がいくつも並んだ団地を通り過ぎる。
「次の信号で右」
なぜだろう。自分の家と物凄く近いわけでもないのに、明確にここに来た記憶はないはずなのに──、不思議と胸がざわついている。
「この道は?」
「……マンションの角、曲がってください。そのあたりです」
どくんどくん、と鼓動が騒がしくなった。赤い印に現在地が近づいていく。蓋をしていた記憶の箱が少しずつ開けられ、中身が断片的に溢れ出す。
──あれは小学生の頃だった。
『なあ〜、アマギってユウレイ見えるらしいじゃん?』
『きめー! ぜってえウソ!』
『いやマジ。この前も、教室のすみっこ見ながら、泣いてたしっ』
『やば! あいつキモいよな。しかも親いないんだって』
あの日、自分を取り巻く奴らはやけに楽しそうだった。俺を除いてワイワイとクラスメイトの陰口で盛り上がり、何度か話を振られることもあった。 幽霊が見えると言う人間を軽蔑していた俺にとって、アマギはその対象の一人だった。だから周りがどんなに酷い陰口を言っても止めなかった。止めようとも思わなかった。
『ししどー、あいつの家見に行こうぜ!』
『は?』
『おばけやしきだって。見たくね?』
周りにもその話題にも、正直うんざりしていた。だから関わらないつもりだったのに、なぜか俺は頷いていた。
「あれ、ここらへんだよな。立派な一軒家ばっか……」
教師の声にハッと顔を上げる。
あの日、間違いなくこの道を歩いた。数人の男子と一緒にアマギを取り囲み、屋敷のような古い家の前で彼を侮辱した。
『ししどー、こいつの家これだよ?』
「獅子道、天城の家ってこれかな?」
記憶の声と教師の声が重なる。
『おばけやしき!』
「すご。御屋敷みたい。あ、表札あった」
車がゆっくりと停車した。窓の外に視線を向けると、あの時に見た古い家が俺たちのことを見下ろしていた。
『きもちわる』
──そうだ。俺はあいつに軽蔑の目を向けた。侮辱の言葉を投げつけた。複数人の前に立ち、まるで代表するかのように言い放った。
なんでそんな大事なことを忘れていたのだろう? アマギが天城れいだったこと、その存在すらもすっかり記憶から抜け落ちていた。天城が俺に対して高圧的な態度を取るのは、それが原因かもしれない。
「ごめん悪いけど、もう一回おんぶしてやれる? 俺も手貸すから」
「あ……はい」
天城を背中に乗せたあと、俺たちの鞄を持った教師がインターホンを押した。
玄関の扉は格子の付いたガラスで中がぼんやり透けて見える。昔ながらの造りだ。入り口付近に生えている植物は枯れ果てていて、二階の窓には新聞紙や段ボール等が無造作に貼り付けられている。
「すみませーん」
何度かインターホンを鳴らしたが、出てくる気配はない。扉を叩いても無駄だった。
いっそ鍵を探して開けてしまおうと鞄を漁っている最中、ガラガラガラッと扉が開いた。
「何方様ですか」
全身白の肌着を身に着けた、腰の曲がった老人。性格の気難しさを表すような眉間のシワが特徴的だが、天城の顔を見た途端に細い目がパッと開いた。
「すみません僕、担任の──」
「れいに何かあったか?」
「あ、ちょっと具合悪いみたいで。彼が連れて来てくれました」
爺さんの鋭い視線が俺に向けられた。なんとなく目を合わせるのが気まずい。
「……獅子道大牙です」
軽く頭を下げた俺を一瞥し、爺さんは雑に手招きしながら家の中へと入った。
「来て」
「じゃあ先生は帰るから。よろしくな」
俺が部屋まで運ぶのかと思いつつ、唾を飲んで土間に足を踏み入れる。ギイッと不穏な音が鳴り響いた。
おばけ屋敷と言われていたわりに、奥に進んで行っても不快な空気は一切感じない。見た目はすべてがボロく、あらゆるところにカビや埃がある。それでも、俺の家よりよっぽど空気は澄んでいる。
きっと天城もこの爺さんも、除霊できるから霊がここに留まらないのだろう。
「あんた……獅子道って言ったね」
足を止めた彼は、部屋の扉を開けながら振り返った。
「あ、はい」
「ボクシングジムやってた所の息子さんか?」
「……父を知ってるんですか」
「ああ。ちょっとな」
天城の爺さんと繋がっていたとは初耳だ。
「そこの布団に寝かせてやって」
促されるまま部屋に入る。想像していたよりずっと地味で驚いた。中央には簡易的な机、押し入れの横には本棚、そして窓際に薄っぺらい布団が敷いてあるだけ。何の面白みもない。
布団の端に屈んでゆっくりと背中を倒すと、天城が呻きながら寝転んだ。未だに顔が真っ白だ。
「う……」
「さ、寒い?」
体をずらして布団を掛けてやったが、体の震えは止まる気配がなかった。
「もしかしたら熱があるかもしれないです」
「そうか。まあ、寝れば治る」
無責任な言い方にイラッとした。看病はしない──というより、その知識や常識がまったくないということか。ずっと両親がいないこの環境で天城はどうやって育ってきたのか、想像するのも難しい。
「……飲み物とか何かありますか? お、僕が看病します」
「助かるよ。台所使っていいから」
「あの」
駆け寄って引き留めると、あからさまに怪訝な顔をされた。
「あなたも霊操師なんすよね」
「聞いたのか」
「はい。ちょっと気になることが……あるんですけど」
爺さんは適当に頷いて歩き始めた。自由で予測できない動きをするところが天城そっくりだ。
台所の椅子に座った彼は、新聞紙を広げながら「それで?」と話の続きを促した。
「えっと、れいって、生きてる人間を動かす能力とかありますか」
「ない。なんかされたのか」
「……れいが近くにいる時、自分の意思とは関係なく体が動いたり、止められたり……苦しくなったりすることがあるんです」
彼は顔を上げて俺の顔をじっくりと見た。何か見えているのだろうか。
重い沈黙のあと、溜め息と共に口を開いた。
「……呪いだな」
「え?」
「れいがあんたに呪いをかけたんだろうよ。霊とは違うものが視える」
「呪い……」
「生きている者がかけた呪いは効力が強い。特に本人が近くに居れば、対象の相手を動かすこともできるそうだ。本来そういったことはしない決まりだが……去年まで修行に出ていたから、そこで習得したのかもな」
「そうですか」
「早くやめさせないと。呪いはかけた側にも負担があるから」
あいつと話し合ってくれ、と爺さんは渋い顔で続けた。
「……わかりました。ありがとうございます」
「ああ、それと。今日はなんでああなった?」
「れいが俺を助けてくれて、そのあとに倒れてしまって」
「そうか……そこに茶があるから淹れてやってくれ」
「あ、はい」
随分と慣れているような言い方だった。何度か倒れたことがあるのかもしれない。
新聞紙を持って出ていった彼を尻目に、勝手ながら戸棚を開けさせてもらった。天城が普段どれを使うのかも分からない。適当に湯呑みを取ってポットのスイッチを押す。
意外にも台所は生活感に溢れている。それなりに揃えられた調味料や器具を見るに、恐らく自炊しているようだ。
初めて使う急須に戸惑いつつ、茶を注いで天城の部屋に戻る。そっと扉を開けた瞬間に彼と目が合った。
「起きたのか?」
「……なんでここに」
「倒れたから連れてきた」
「そう」
「これ飲めよ」
手元まで持って行ったのに、天城はなぜか怯えた顔で目を逸らした。
「……要らない」
──俺が持ってきたから飲みたくないのか?
机に一旦置いたあと、天城のほうに向き直る。今話さなければいけない気がした。
「もう帰って」
「話したいことがある」
「僕はない」
「なんで俺に呪いをかけた?」
重い沈黙が落ちる。天城は目を逸らしたまま、俺を見ようともしなかった。
こいつの本音が知りたい。いつも隠されていて見えない内側を暴きたい。思わず顔に伸びた手を寸前で引っ込めると、囁くように天城が喋り始めた。
「霊が見えるようになったばかりの頃に両親を失って、周りの人が怖くて……そんな時に、ずっと好きだった人に傷つけられた。大牙は覚えてもないだろうけど」
「は……好きだった? お、俺のことが?」
「だから、大牙の人生を自分のものにするって決めたんだ。そのために修行もして力をつけた。それだけのために」
何を言われているのかいまいち理解できなかった。でもハッキリ分かるのは、呪いをかけたくなるほど当時の天城を傷つけたということ。そしてそれほど俺に強い気持ちを抱いていたということだ。
自分のたった一言がこいつの人生を変えてしまったと思うと、途端に申し訳なくなってくる。
胡坐を崩して姿勢を正し、畳に額と手のひらをつける。
「すまなかった」
「え?」
「この家を見て思い出したんだ。れいを傷つけたこと。俺にも事情があった……けど、言い訳はしない。傷つけたのは事実だから。ごめん」
「いいよ謝らなくて。許すつもりもないし、呪いを解くつもりもないから」
「いや、でも負担がかかってるんだろ。さっき教えてもらった。こんな風に倒れるのも少しは影響出てるんじゃないのか」
天城は俺と目を合わせたまま、静かに首を横に振った。明確な拒否だ。それもそうだろう。呪うために何年も人生を費やしてきたなら、自分に負担があっても構わないと思うのが道理だ。
逡巡していると、天城が布団から指先を出した。
「大牙」
“あれ”が、また始まった。
がちっと体が拘束されて天城の顔から目が離せなくなる。ぞわぞわと言いようのない高揚感と苦痛が全身に広がっていく。上半身が勝手に彼のほうへと引き寄せられた。
「っ、おい……」
彼の体の上に覆いかぶさっても、動きを止められない。
唇に視線を感じる。きっとキスを求められているのだと気が付いたせいで、なおさらどうすればいいのか分からなくなった。
心臓が激しく暴れているのも、呪いのせいだろうか。
鼻先がほんのわずかに触れ合った瞬間、パタッと天城の手が布団の上に落ちた。直後に穏やかな寝息が聞こえてくる。
「れい?」
きっと今ので力を消耗してしまったのだ。
しっかりと閉じられた瞼を見ながら溜め息が出た。自分からするならまだしも、呪いでキスをさせようだなんて……どうかしてる。
「……寝てるよな」
そっと唇を押し当てて反応を見た。微動だにしないことを確認し、もう一度そこに唇を寄せる。
──冷たくて柔らかい。
天城とキスをすると、たかがキスだと思えないのはなぜだろうか。触れ合った粘膜から全身に血が駆け巡り、頬が火照って耳が熱くなる。そのうち止まらなくなってしまった。
差し込んだ舌で上顎をくすぐり、無抵抗な天城の舌を撫でる。
眠っているはずの体がぴくっと反応した。
「っ、んん……」
悩ましい寝息にすら興奮を掻き立てられる。
もっと深いところまで入りたい。湧き上がってくる感情の意味を知りたい。なのに、瀬戸際ギリギリで理性が阻んでいる。



