呪いが初恋に変わるまで


 ──どうせなら、本物の大牙にしてもらいたかった。
 最後に思うのがそれか……と笑いながら目を閉じた瞬間、ガタッと扉が開く音が聞こえた。

「れい!」

 大牙の声だ。本物の。
 認識した途端に体が崩れ落ちて床に転がる。さああっとそいつが煙に姿を変え、僕の背後に移動していくのが見えた。

「お、おい。大丈夫か?」

 こちらに走ってきた彼に、上半身を起こされる。
 どうして一瞬でもあいつを大牙だと思ってしまったのだろう?
 顔に血が通った、目に光があるこの美しい顔とは似ても似つかないというのに。
 
「……大牙」

 本気で心配しているような瞳で見ないでほしい。勘違いしそうになる。
 彼の頬に手を伸ばすと、意外にも拒まれなかった。

「何があった?」

「あったかい……」

「な、に」

「くび……げほっ、絞められたとき、どんな気持ち……だった?」

 ガサガサでひどい声だ。それでも言葉は伝わったらしく、彼は眉を寄せて呟いた。

「苦しいに決まってる」

 そりゃあそうだ。僕は咳をしながら声を出して笑った。

「……殺されかけたんだ。大牙にそっくりの見た目で、力も相当強かった。霊に……初めて肉体を触られた」

「俺に?」

「でも、さっき力を使いすぎて祓えなかった」

「あ……それは」

「なんでここ来たの」

「い、いや、一緒に風呂に入れって言ったのお前だろ」

 いつの間にか、眉間の皺が薄くなっている。
 夕飯のときに見た彼女の穏やかな顔にそっくりだ。似てないと思っていたが、間違いだった。後で父親の顔も見せてもらいたい。

「上で休んで来いよ。ベッド使っていいから」

「大牙」

「あ……?」

 首に腕を回して顔を近づけると、あからさまに彼は体を硬直させた。
 キスする気力もキスさせる力も今は残ってないのに。

「もう疲れた。洗ってくれる?」

「は!?」

「うるさいな……」

「悪い」

 ズキズキと痛む頭に声が響いた。
 頭痛、吐き気、目眩。著しく体調の悪い状態でシャワーを浴びるのは不可能だと分かっている。が、色んな霊に触れて穢れたこの体を清潔にしたかった。
 大牙は溜め息をつきながら僕の両脇に腕を差し込んだ。

「……仕方ねえ」

 呪いの力を使わなくとも、大牙が僕を見ている。僕に触れている。触れることだってできる。今はそれが、不思議でたまらない。

 蛍光灯の下、鏡に映った自分の首を見て思わず溜め息が出た。白い肌のせいで内出血──赤いまだら模様がよく目立つ。これは制服を着ても隠せないだろうから、絆創膏か何かを貼らなければ。

「はあ……困ったな」

 さっきは頭が回っていなかったが、あの霊のことが気になる。生きている人の肉体に触れることができ、さらには容姿を変える力まで持っている。
 宗主に電話で確認すると、ごく稀に存在するそうだ。厄介にも場合によっては人に乗り移ることも可能らしい。
 大牙が来たとき、僕の背後に移動していった。あれが消えた姿を見ていない。つまり、まだこの家に潜んでいるということになる。
 ──あいつはなぜ大牙の姿で現れたんだろう?
 もしかしたら、僕の弱点が彼だと知っているのではないか。この家に来たときに知られたのか。
 理由を考えながら部屋に戻ると、すでに電気が消されていた。

「……寝た?」

 返事はない。大牙はこちらに背を向けた状態で、ベッドの隅で目を閉じていた。
 自分のために空けられたスペース。
 一緒に寝るという要望を素直に聞き入れてくれたという事実に、感動で胸が熱くなった。

「大牙」

 呼びかけても、瞼は微動だにしなかった。本当に眠っている証だ。
 掛け布団の隙間からゆっくりと体を忍ばせる。シングルベッドに男二人はさすがに窮屈で、腰から下がわずかに触れ合う形となった。
 彼と同じく背を向けるか悩んだが、同じ方向を向いて枕に頭を落とした。こんな状況は二度とないかもしれない。しっかりと彼の後ろ姿を目に焼き付けておこう。
 スースーと整った呼吸が聞こえてくる。きっと今日は、久々に深い眠りに落ちたはずだ。体や呼吸が安定しているのが分かる。
 ──僕にあんなことをされたのに、背を向けて寝たなんて信じられない。どれほど無防備な人なのか。
 目を閉じた瞬間、ブブッとスマホが振動するような音が聞こえた。大牙のものだ。続けて二、三回、ブルルッと振動がこっちまで伝わってくる。
 スマホは彼の手の近くにあった。触っているうちに睡魔に襲われたのだろう。

「……切るよ」

 断りを入れてから手を伸ばした。──が、スマホに触れる前に大牙が寝返りを打った。

「んー」

 彼はもぞもぞ動いたあと、最終的に僕の胸元に頭を収める形で落ち着いた。静まっていたはずの心臓がまた変に騒ぎ出す。
 スマホは諦め、起こさぬようそっと体を元の体勢に戻した。奇妙なほど穏やかな寝顔だ。少し前まで僕を見るたびに睨んできた男とは思えない。
 唇に親指の腹を滑らせる。少しカサついたそこに、冬の名残りを感じさせられた。

「大牙はいいね……」

 元々、獅子道大牙の人生に僕が関わることは想定されていなかった。容姿や恵まれた環境だけで周りから慕われ、尊敬され、女を作り、それなりにいい会社に入る。そして遊びに飽きてきた頃に美人と結婚し、大牙の優秀な遺伝子を持つ子どもがこの世に誕生する。
 僕がこれから一生つきまとっていけば、何かしらの支障がでるのは間違いない。呪いだって土下座をされても解くつもりなんてなかった。でも──、本当にそれでいいのだろうか。
 利害の一致だけで成り立つ僕達の関係。この男をたかが呪いで縛り付けておくのは不可能だと、誰かに言われなくても分かっている。

「おやすみ」

 起きたときに抱き合っていたら怒るだろうか。それでもまあいいやと、僕は彼の背中に腕を回した。