呪いが初恋に変わるまで


 ここ最近、隣の席から視線を感じることが増えた。理由は聞かなくても分かる。
 約一ヶ月ほど、大牙に話しかけられても無視してきたからだ。
 彼の態度は相変わらずだった。約束を破った反省の色は見えぬが、綿辺沙理と距離を置き始めたことだけは評価できる。そろそろ会話くらいしてあげてもいいだろう。

「れい」

「なに?」

 久しぶりに返事をしたからか、大牙は目を見開いてから組んでいた腕を解いた。

「あ……だから、その」

「また増えたね。いつもどこから連れて来るのかな」

「は?」

 新顔の霊は二体。しかもハッキリと顔が出ていて、僕のことを静かに睨んでいる。感じていた視線はこれかもしれない。

「不快だよ。僕のことジロジロ見てくるし」

「……どんなのが憑いてる」

「知りたいの?」

「天城お待たせ〜、帰ろ」

 割り込んできた湯汲によって会話は途切れた。
 僕が鞄を持ちながら立つと、ガタッと大牙も立ち上がった。 

「ちょっと待て」

「あ、ごめんなんか話してた?」

「いや」

「ああ」

 大牙と声が重なった。湯汲が困惑した顔で首を捻る。

「え、どっち?」

「こいつと話したいことがある」

「僕はないけど」

「……なんか喧嘩中?」

「帰ろう、湯汲」

「えっ!」

 湯汲の背中を押した途端、後ろから肩を強く掴まれた。

「言われたこと……、守れなくて悪かった」

 ──大牙が謝った?
 信じられない気持ちで振り返る。彼は気まずそうに床の一点を見つめていた。

「湯汲ごめん。大牙と話してから帰るよ」

「あ、おっけー! また明日」

 僕達が喧嘩していると勘違いした湯汲は、ぎこちない笑顔を浮かべてそそくさと教室から出て行った。

「それで?」

 自分が話したいと言ったくせに、なぜ黙ったまま突っ立っているのか。
 僕は大牙の席に座り、組んだ足を小刻みに揺らした。

「……最近眠れないんだ」

「だろうね」

 ──僕の呪いも憑いてるって教えてあげようかな?
 そうしたら殴りかかってくるだろうか。想像しただけで笑いが込み上げてきた。

「だから……軽くしてほしい」

「ははっ、図々しいな。約束破って女とやらしいことしてた人の頼みなんか、聞くと思う?」

「俺は何もしてない。あれはただあいつが、勝手にやってきただけで」

「で、なに? それが許されるなら、何をしても大牙“からは”何もしてないって言い訳できるよね」

 彼は再び押し黙った。
 端正な顔を眺めながらトントンと指で机を叩いて待っていると、不意に俯いていた顔を上げた。

「もうさせないから……頼む」

「どうやって信用しろと?」

「それは」

「……大牙って下手だよね。キス」

「は?」

「自分勝手で傲慢。相手のことを考えてない。そんなキスだった」

 言い終わる前に大牙の頬が真っ赤に染まった。
 早く。早く、そのくだらないプライドを捨ててしまえ。僕にすべてを曝け出せ。周りを欺くために培ってきた偽物の強さに興味はない。これまでに得た経験も自信も、全部を剥ぎ取って丸裸にしてやりたい。

「綿辺沙理も思ったんじゃない? 下手だなって」

「……してねえよ。あいつとは」

 ──あれほど体の距離が近く、親密な雰囲気があったのに?
 意外な告白だなと一瞬騙されそうになったが、きっとキスはしていないという意味だ。それならキスよりも気分が悪い。つくづくこの男には苛々させられる。

「まあ、いいや。次もし約束破ったらどうなるか……分かるよね」

 くっと彼の喉仏が上下した。一体なにを想像したんだろうか。
 僕が帰ると言うと、なぜか彼も着いてきた。あんな謝罪だけでまた祓ってもらえるとでも思っているなら浅はかだ。
 大牙の家がどこにあるのか覚えていない。けど、間違いなく僕の家から近い。そうでなければ──あの日、会うこともなかったはず。

「……家に問題があるのかもしれない。霊が憑きやすいって、言ってたやつ」

 ホームに電車が入ってくる騒音と彼の声が見事に被った。でも聞き返さなかった。なんとなく予想がついたから。

「じゃあ泊まらせてよ」

「え?」

「見てもいいけど、僕のこと便利な道具だと思ってるよね? ただ祓わせて帰すつもりなら行かない」

「……わかった」

 ちょうどいい。この機会に親の顔も見ておこう。大牙がどんな人に育てられたのか気になる。


 彼の家は思っていたよりも駅から遠かった。再開発エリアの集合住宅を抜け、大きな公園を通り過ぎる。そしてようやく辿り着いたのは、一軒家が立ち並ぶところだった。
 レンガ調でヨーロッパ風の新しい家々の中に、どっしりと構えられた立派な家。その隣には周囲の外観にそぐわぬボクシングジムもある。正面はガラス張りになっているが、試合や選挙のポスターで埋め尽くされ、中の様子を見ることは叶わない。
 視線を上げると、『獅子道ボクシングジム』と書かれた大きな看板が目に飛び込んできた。文字がところどころ剥がれている。年季が入った建物だ。壁もすっかり色褪せ、ガラスは土汚れが目立つ。手入れや管理をしていないのがすぐに分かった。

「ボクシングまだやってる?」

 もしかしたら、大牙のお父さんは亡くなっているのかもしれない。直感でそう思った。

「まあ……一応」

 大牙は曖昧に頷いてから玄関の扉を開けた。

「お邪魔します」

 一歩足を踏み入れた瞬間、異様な霊気に体が包まれた。
 ──この家はおかしい。間違いない。
 玄関の時点で全身に鳥肌が立ち、中に入るのを躊躇うほど酷い家は初めてだった。
 入り口付近には二階に伸びた木の階段。両脇には和室が、左奥には台所がある。見える場所すべてから霊気を感じる。
 階段の上からこちらを覗いている霊と目が合った。

「これは……」

「何してんだ? 入れよ」

「よくこんなところで生活できるね」

「汚いって言ってんの?」

「いや」

 家の中は散らかっていない。それどころか、余計な物があまり無く、見た感じマメに掃除をしている印象を受ける。
 霊で溢れかえった家をここまで綺麗に維持できているのは逆に凄い。普通はゴミ山に埋もれたり、埃まみれになったりするのに。母親の努力の証だ。

「親はもうすぐ帰ってくる。泊まることは言った」

「そう」

「飯……れいの分も作るから一緒に食べていいって」

「ありがとう」

 家を見たら、余計に彼の母親に会いたくなった。大牙と同じで憑かれやすい体質だとすると、これまでかなり苦労してきただろうというのは想像するまでもない。
 階段を上がった先に大牙の部屋があった。シングルベッド、テレビとゲーム、小さな丸テーブル、漫画本が並べられた本棚、そしてクローゼット。金縛りのときには見えなかった背景が、今こうして目の前にある。

「ベッドに座っていい?」

「……先に着替えろよ。服貸すから」

「親切だね」

「制服で座られたくない」

 彼はクローゼットの中からトレーナーを取り出し、僕に放り投げた。何度も洗濯してヨレヨレにくたびれたもの。彼の母親が好む洗剤なのか、大牙の香水とは違う香りがする。普段着ていないものより、こっちのほうが遥かにいい。

 着替えを済ませたら、いよいよやることがなくなった。
 家で二人きり。お互いベッドに座っていて体の距離も近い。状況としては悪くないけど、何せ居心地が悪すぎる。

「言っとくけど、この家は異常だよ。今日だけじゃ祓いきれない。あらゆるところに霊がいる」

「……そうか」

 大牙は驚くことすらしなかった。霊感がなくとも、薄々どこかで気づいていたのだろう。これほど霊に囲まれていたら当然だ。

「大牙のお父さんって」

「もう他界してる。俺が中学生の頃に」

 あのボクシングジムを見ればわかる。が、心に留めておくことにした。

「死因は?」

「え? ああ、事故だけど」

「事故ねえ……」

 落ち着いて座っていられないほど霊が多いこの環境では、本当にそうなのか疑いたくなる。
 俯いた彼を尻目に、ベッドの下に潜んでいた霊をこっそり祓った。なぜか大牙には穢れた女の悪い霊がよく集まってくる。

「……れいが見えんのって、どういう霊?」

「霊気が弱いのは影とか靄みたいに見える。強いのは顔が見えることもある。表情も体もはっきりと」

「怖くないのか?」

「怖がってたら霊操師は務まらない」

「へえ……」

「小学生の頃は怖かった。まだ見え始めたばかりだったから」

 もう慣れたけど、とつけ足すと、ぎこちなく彼は相槌を打った。

「……実は、金縛りとか体調不良は昔からだった。家鳴りとか人の声みたいなのも……聞こえるし」

 ──じゃあなんで、僕のことをずっと軽蔑した目で見ていたんだ?
 気持ち悪いと言われた理由もますます分からなくなってしまった。

「お寺にお祓いを頼んだことは?」

「何回かあったと思う。でも効果なかった」

「だろうね」

「だから……お前、れいのことも最初は信じられなくて」

「そもそもお坊さんたちに祓う力はないよ。お経を唱えたりはするけど、それで成仏できるのなんて一握り。頼むなら除霊師じゃないと」

「……霊操師は?」

「除霊師は全国に数百人いる。霊操師は数十人しかいない。一般の人が依頼できるのは除霊師のほう。だから僕はそれなりの対価が必要って言ったんだ」

「そうか」

 実際に祓うのはリスクもあるし、威力が強ければ強いほど反動で体調に影響が出やすい。普通なら何百万と取るところを、無償でやってあげることに感謝してほしいものだ。