先輩、ボクを

先輩ボクを連れてってください 空筈
空筈(からはず)⁉︎」
 小太郎先輩も戻って来た。

「優生くん、目は大丈夫?」
「目には当たってません」
「家に入ろう、頬を冷やさないと」

 道具も持ってもらって、母屋の居間へ。
「あの、大した事ないんで。大丈夫ですから」
 悠人さんより一回り大きい、小太郎先輩と似た背格好の人が加賀美病院の院長、加賀美 正胤(かがみ まさたね)さんらしい。
 冷却剤を弦がぶつかった右頬に当てて、晩御飯までソファに横になる様に言われた。
「すいません……」
「大丈夫? 優生くん、ちょっとゆっくりしていて」

「僕、遠的の方に行っていて、状況よくわからないんですが、正胤さんか悠人、見ていたんですか?」
 部屋の外で小太郎先輩が話す声がした。返事の声はよく聞こえなかった。
「え? ちょっと……びっくりさせないでくださいよ、もう」

 小太郎先輩は部屋に入ってきて、ボクの頭の方に座った。
「優生くん、ごめんね。空筈、初めてだった?」
 ボクの手を取って言った。ボクはそこまで大した怪我ではないから、横になっているのが恥ずかしかった。
 空筈は初めてだったから、頷いた。
「あの二人、大恋愛だったので、いまだにアツアツな感じで……。キスシーンとか、びっくりしたんでしょ?」
「えっと、あの……」
「悠人は祖父の正胤とイギリスで知り合って、大恋愛の末に全部を捨てて日本にやって来たんだ。三十年ちょっと前。当時はイギリスでも同性婚は出来なかった。もちろん、日本はいまだに出来ないけど。それで、帰化手続きが通ってから、色んな都合を考えて、養子縁組して法律上は悠人は祖父の息子なんだ。でも、実際はパートナーなんだ」
 小太郎先輩がボクの手を握っているんだけど、無意識?

 「悠人はもともとイギリス人だし、祖父もイギリス留学長かったから、パートナーとのスキンシップが日本の家庭より多いんだと思う。麻里さんがボクの父の子育てで、ここでしばらく一緒に暮らしてたらしいけど、そう言ってた。麻里さんって、祖父の妹で斎藤桃子さんのお母さんね。僕は見慣れてるけど、びっくりするよね? 男性同士だし」
「びっくり……しましたけど、なんか自然で……綺麗でした」
「優生くんが嫌じゃなければ、一緒にご飯食べよう。……大丈夫? なんか嫌だなぁとかない?」
「ない、です」
 小太郎先輩はニッコリして
「よかったぁ。優生くん、ほっぺ見せて」
 冷却剤をどけて、頬を確認した。
「腫れてはいないけど、少し赤くなってる。触ると痛い?」
 小太郎先輩がボクの頬にそっと触れた。
「ところどころ少しだけ」
「硬くなってるところが弦の当たったところかも。アザにならないといいけど」
 もう一度冷却剤を乗せた。
 ボクの耳が赤くなっているのは見えただろうか?

「落ちた矢の筈が割れてたから、後で取り替えて。他の矢も一緒に使い始めていたんなら、チェックして取り替えたほうがいいかも」
「はい」
「大丈夫だよ。今回は祖父と悠人がびっくりさせたせいだから。もう、空筈は起きないよ」
 多分、この後ボクが弓を怖がらないように言ってくれたんだと思う。小太郎先輩が言うなら、もう空筈は起きないんだ。

 それから、ダイニングで夕ご飯をいただいた。
「優生くん、ごめんねぇ、びっくりさせて」
 小太郎先輩のお祖父さんは小太郎先輩よりもう少しがっしりしていて、顔立ちももう少しバタ臭かった。悠人さんと並ぶと、より外国人っぽい。髪や目はブラウンなので、遠目には目立たないけど。
「仕事終わって、悠人がいたから、ついいつものように……」
「正胤さん」
 小太郎先輩が咳払いをしながら言った。ちょっと小太郎先輩を横目で見ながら、お祖父さんは聞いてきた。
「私達、同性同士なんだけど……優生くん、気持ち悪かったりしない?」
「いいえ。的を見ていたので、あんまりはっきり見えてなかったんですけど、絵のようでした」
 あれ? いつもボクが感じる『気持ち悪い』ってこういうことなのかも? 聞かれても特にどうってことはない。気持ち悪い、の答えはその人の中にあるんだ。

「いつも、弓道場を使わせていただいて、ありがとうございます。すいません、お礼が遅くなってしまって」
「いやいや、こちらこそ。いつも美味しい和菓子をありがとう。嶺南の商店街の和菓子屋さん?」
「そうです。祖父母と母がやってます」
 悠人さんがまたうっとりして言った。
「素晴らしいデザインだよね。味も正胤が点ててくれるお抹茶にとても合う」
 食後、少し話をして、悠人さんがボクを送ってくれることになった。

 小太郎先輩が一緒にきた。悠人さんは一度、スポーツカーに乗ろうとして、
「僕も行く。お願い、悠人、正胤の車にして」
 小太郎先輩に言われて、鍵を取り替えていた。
「たまに乗らないといけないんだけど、三人だと乗れないからなぁ」
「悠人の車、夜だとめっちゃうるさいじゃん。昼間慣らし運転してよ」
 車庫の中にあったのは、漫画で見るような赤いスポーツカーと、お金持ちが乗ると言う黒いセダン。あ、この車、前に先輩を迎えにきてた車だ。

国民スポーツ大会(国体)の後で、優生くんに伝えたいことがある。その週の日曜とか、会える?」
「もちろん」
「よし。頑張る」
「頑張ってください」
 別れ際にもう一度先輩はボクの頬に触れた。思わず、少し顔を傾けてその手に頬を押し付けた。
「ほっぺ、大丈夫そうだね」
「はい」

「おやすみ」
「おやすみなさい。ありがとうございました」
 小太郎先輩の乗った車を見送った。