「先輩、これ二人分あります」
母はお弁当も作ってくれていた。弓道場の陰に自宅と病院の敷地を分けた塀があって、そこに鍵のかかった扉が付いていた。自宅自体は病院と違う狭い通りに玄関があったが、小太郎先輩とボクは弓道場の裏から、塀の扉を通って庭に入った。
「うわーっすごい庭ですね」
色んな花が咲いていたけど、薔薇が凄かった。
「伯父の悠人が好きで手入れしてる。バラは全部、春と秋に二度咲く種類なんだって」
お茶を持って来るから、と庭のガゼボにボクを残して台所に行った。和菓子も置いて来るね。祖父がおやつに食べるかも。
「すごいお家……」
ガゼボの椅子に腰掛けながら、庭を眺める。バラは何色も咲いていて、香りが漂っていた。昼を少し回っていた。まだまだ日中は暑いけど、日差しは秋に近く、少し優しくなっていた。庭には周りの木立を通った柔らかい風が吹いていた。バラ園でピクニックだ。
「いらっしゃい。優生くん?」
背中側から声がした。振り向くと、金髪の男の人が立っていた。え? 誰? 日本語でいいんだよね?
「三崎 優生です。お邪魔してます」
コクコクと頷きながらぎこちなく答える。
「私は加賀美 悠人です。小太郎の伯父です。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
「悠人! 今日、お休みだったっけ?」
小太郎先輩がお茶を持って戻ってきた。
「こた。おかえり。休講になった。優生くんにも会いたかったから」
小太郎先輩は伯父さんとハグの挨拶をした。
「休講になったじゃなくて、したんでしょ」
「あー……、いや、オンライン授業になった」
「へえ。僕たちこれからお弁当だから。あ、優生くんに貰った和菓子、ダイニングにあるから後で正胤といただいて」
「分かった! またね、優生くん。和菓子ありがとう」
「びっくりしたでしょ、ごめんね」
小太郎先輩がお茶を注ぎながら言った。冷たい緑茶だ。
「悠人は見ての通り、全く血の繋がりはないんだけど」
ボクたちはお弁当を食べながら話した。
「イギリスから来たんだ。ユージーン・ローレンスが元々の名前で、今は帰化して祖父の正胤の養子になってる。戸籍上僕の父の兄にあたる」
途中で、小太郎先輩は唐揚げを箸で摘んで嬉しそうに言った。
「こんな感じのお母さんが作るお弁当って、幼稚園時代以来だ。優生くん、お母様にお礼をお伝えしてね」
「はい」
「あ、悠人の話だった……。長いこと、日本に来てからずっと都内の大学で民俗学と言語学の教授をしてる。後、京都の大学でも」
庭仕事が趣味の大学教授だった……。
「祖父と一緒に僕の父や僕の面倒も見てくれたんだ。家族として」
「大事な人なんですね」
「うん。それに英語と仏語と独語も教えてくれる」
「それは大事、てか便利」
「うん」
くすくす笑いながらお弁当を食べた。
「優生くん! 何あれ! 芸術的だよ」
お弁当を食べ終わった頃に悠人さんが走ってきた。
「お菓子に秋が来てる。すごいよ。物語がある」
和菓子は季節の花や事象を意匠にするんだけど、それを言ってるんだと思う。
「萩の花、野菊、兎、月とススキ。誰が作ってるの?」
「祖父母と母が作ってます。デザインは母だと思います」
「とても、とても繊細な方なんだろうね。素晴らしい! ありがとう。いただきます」
悠人さんが見えなくなるまで我慢して、
「繊細……」
って声に出したら、堪えきれなくなって二人で笑った。ごめん母さん。今日はお陰で小太郎先輩の沢山の笑顔が見られたよ。
「ごめん、失礼だった。とても優生くん思いのいいお母さんなのに」
小太郎先輩が気を遣って言ってくれたけど、
「気にしないでください。『繊細』はどう考えても……」
お弁当とお茶を片付けて、弓道場へ移動した。
弓道着に着替えて、一緒に射位に立った。
四本、八本、十二本、十六本……小太郎先輩はボクの後ろで見てくれながら弓を引いた。
一息入れて、
「昇段試験のこと、顧問のアドバイスは? なんて言ってた?」
「的中だけでなく、全部、体配や礼法、射法八節(基本動作)に気をつけるように」
「僕ね、いつも昇段試験は弓を引く役の、役者さんになった積もりで受けてる。意識を遠くに持っていって、そこから自分を見る感じで。もうこれ『型』なんだよね。格好良くできたら、最悪中らなくてもOKだから」
それから、気をつける点を教えてもらって、入場から並んで練習した。
あぁ……すごく幸せかも。
出来てるよ。心配ない。って言い残して、小太郎先輩は遠的の方に行った。そのまま、練習続けていて。
暫くすると、遠的の的の方に小太郎先輩の矢が届き始めた。
姿が見えなくても気配が感じられるのがすごくいい。ボクの後ろの離れた遠的の射場から、ボクのことを少しでも意識してくれていたらいいなあ。
何射かしていると、少し離れた場所で悠人さんが見ている気がした。
意識しないように弓を引いていると、その隣に立った誰かが悠人さんを背中から抱きしめてキスをしたように見えた。
バチン!!
大きな音がして、自分でも何が起きたか一瞬分からなかった。
「……いったぁ……」
弓を引き分けていた瞬間に、矢羽の先、弦に番ている『筈』が割れて外れて、矢は足元に落ちた。力の行きどころの無くなった弦が外れて頬に当たったらしい。
「「大丈夫!?」」
母はお弁当も作ってくれていた。弓道場の陰に自宅と病院の敷地を分けた塀があって、そこに鍵のかかった扉が付いていた。自宅自体は病院と違う狭い通りに玄関があったが、小太郎先輩とボクは弓道場の裏から、塀の扉を通って庭に入った。
「うわーっすごい庭ですね」
色んな花が咲いていたけど、薔薇が凄かった。
「伯父の悠人が好きで手入れしてる。バラは全部、春と秋に二度咲く種類なんだって」
お茶を持って来るから、と庭のガゼボにボクを残して台所に行った。和菓子も置いて来るね。祖父がおやつに食べるかも。
「すごいお家……」
ガゼボの椅子に腰掛けながら、庭を眺める。バラは何色も咲いていて、香りが漂っていた。昼を少し回っていた。まだまだ日中は暑いけど、日差しは秋に近く、少し優しくなっていた。庭には周りの木立を通った柔らかい風が吹いていた。バラ園でピクニックだ。
「いらっしゃい。優生くん?」
背中側から声がした。振り向くと、金髪の男の人が立っていた。え? 誰? 日本語でいいんだよね?
「三崎 優生です。お邪魔してます」
コクコクと頷きながらぎこちなく答える。
「私は加賀美 悠人です。小太郎の伯父です。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
「悠人! 今日、お休みだったっけ?」
小太郎先輩がお茶を持って戻ってきた。
「こた。おかえり。休講になった。優生くんにも会いたかったから」
小太郎先輩は伯父さんとハグの挨拶をした。
「休講になったじゃなくて、したんでしょ」
「あー……、いや、オンライン授業になった」
「へえ。僕たちこれからお弁当だから。あ、優生くんに貰った和菓子、ダイニングにあるから後で正胤といただいて」
「分かった! またね、優生くん。和菓子ありがとう」
「びっくりしたでしょ、ごめんね」
小太郎先輩がお茶を注ぎながら言った。冷たい緑茶だ。
「悠人は見ての通り、全く血の繋がりはないんだけど」
ボクたちはお弁当を食べながら話した。
「イギリスから来たんだ。ユージーン・ローレンスが元々の名前で、今は帰化して祖父の正胤の養子になってる。戸籍上僕の父の兄にあたる」
途中で、小太郎先輩は唐揚げを箸で摘んで嬉しそうに言った。
「こんな感じのお母さんが作るお弁当って、幼稚園時代以来だ。優生くん、お母様にお礼をお伝えしてね」
「はい」
「あ、悠人の話だった……。長いこと、日本に来てからずっと都内の大学で民俗学と言語学の教授をしてる。後、京都の大学でも」
庭仕事が趣味の大学教授だった……。
「祖父と一緒に僕の父や僕の面倒も見てくれたんだ。家族として」
「大事な人なんですね」
「うん。それに英語と仏語と独語も教えてくれる」
「それは大事、てか便利」
「うん」
くすくす笑いながらお弁当を食べた。
「優生くん! 何あれ! 芸術的だよ」
お弁当を食べ終わった頃に悠人さんが走ってきた。
「お菓子に秋が来てる。すごいよ。物語がある」
和菓子は季節の花や事象を意匠にするんだけど、それを言ってるんだと思う。
「萩の花、野菊、兎、月とススキ。誰が作ってるの?」
「祖父母と母が作ってます。デザインは母だと思います」
「とても、とても繊細な方なんだろうね。素晴らしい! ありがとう。いただきます」
悠人さんが見えなくなるまで我慢して、
「繊細……」
って声に出したら、堪えきれなくなって二人で笑った。ごめん母さん。今日はお陰で小太郎先輩の沢山の笑顔が見られたよ。
「ごめん、失礼だった。とても優生くん思いのいいお母さんなのに」
小太郎先輩が気を遣って言ってくれたけど、
「気にしないでください。『繊細』はどう考えても……」
お弁当とお茶を片付けて、弓道場へ移動した。
弓道着に着替えて、一緒に射位に立った。
四本、八本、十二本、十六本……小太郎先輩はボクの後ろで見てくれながら弓を引いた。
一息入れて、
「昇段試験のこと、顧問のアドバイスは? なんて言ってた?」
「的中だけでなく、全部、体配や礼法、射法八節(基本動作)に気をつけるように」
「僕ね、いつも昇段試験は弓を引く役の、役者さんになった積もりで受けてる。意識を遠くに持っていって、そこから自分を見る感じで。もうこれ『型』なんだよね。格好良くできたら、最悪中らなくてもOKだから」
それから、気をつける点を教えてもらって、入場から並んで練習した。
あぁ……すごく幸せかも。
出来てるよ。心配ない。って言い残して、小太郎先輩は遠的の方に行った。そのまま、練習続けていて。
暫くすると、遠的の的の方に小太郎先輩の矢が届き始めた。
姿が見えなくても気配が感じられるのがすごくいい。ボクの後ろの離れた遠的の射場から、ボクのことを少しでも意識してくれていたらいいなあ。
何射かしていると、少し離れた場所で悠人さんが見ている気がした。
意識しないように弓を引いていると、その隣に立った誰かが悠人さんを背中から抱きしめてキスをしたように見えた。
バチン!!
大きな音がして、自分でも何が起きたか一瞬分からなかった。
「……いったぁ……」
弓を引き分けていた瞬間に、矢羽の先、弦に番ている『筈』が割れて外れて、矢は足元に落ちた。力の行きどころの無くなった弦が外れて頬に当たったらしい。
「「大丈夫!?」」
