先輩、ボクを

「なんか、前より大人っぽくなったね、優生くん」

 加賀美病院の弓道場に向かうバスの中で、さくら先輩が言った。
「弓が上手くならなくて悩んでるからですかねぇ」
 それでも、姿勢とかは随分良くなった。
「ちょっとお姉ちゃんに顔を見せてみて」
「?」

 通路を挟んで座ったボクとさくら先輩は顔を見合わせた。
「あらー、えらくアンニュイな雰囲気になったね。恋の悩みかな?」
「恋なんかしてません」
「人に言えない恋があなたを悩ませていますね。そんなの、私たちはまだまだ子供で自由なんです。当たってしまいなさい。大丈夫、砕けません。あなたはより良い環境に進むことでしょう」
 全員が笑った。

「さくら先輩、いつから占い師になったんですか?」
 紬さんが涙を流して笑っていた。

 小太郎先輩は笑ったけど、少し文句がある風だった。その顔を見てさくら先輩が言った。
「元はと言えば、誰かさんがアンビギュラスな(はっきりしない)アフェクション(態度)だから」
 ボクはなんと言ってるのか聞き取れなかったけど、小太郎先輩はわかったらしい。

 紬さんがニヤニヤとして言った。
「ちょっと、止めてよ〜、訳わからない言葉で話すのは」
「ちょ、紬が入院中にくれた『意味深なカタカナ語』の本の中の言葉じゃない。まだ『ア』しか覚えてないけど」

「……国体終わるまで」
 小太郎先輩が自分の手を握りしめた。
「は? 何ヶ月先? 自分だけがモテると思ってると後で泣きを見るわよ」
「ももちゃん!!」

 小太郎先輩が、さくら先輩を愛称で呼ぶのを初めて聞いた。
「止めてよ」
 さくら先輩じゃなくて、紬さんが言った。
 やっぱり、小太郎先輩とさくら先輩は親しい関係? いや、まさか紬さん?
 そんで、元々ボクのせいで喧嘩してる?

「ふーーーっ……」
 ボクが長いため息をつくと、さくら先輩が気にして慰めてくれた。
「優生くん、とにかく、もっと文句言っていいよ。わがままだっていいよ。自分を出すとこから始めよう」
 つまりボクは『自分中心に考える』ところからやり直し。

 この日は、さくら先輩と紬さんはいつも通りの成績。小太郎先輩は最初から遠的をやっていた。いつもと変わらず。遠的の鳥脅しみたいな的の真ん中にズバズバ中てていた。
 ボクは色々思うところはあったけど、つまりはボクの気持ち次第。この気持ちを秘密にするけど、一緒にいたいならちゃんと頑張らないと。
 わかってる。やるしかないんだ。少し回復した。

「あれ? 的中は良くなったね」
「やるしかないのは肝に銘じました。ボク、小太郎先輩と大会出たいです」
 紬さんが袖で涙を拭く仕草をして、
「なにこの子、健気〜」

 それから二人がかりでチェックしてくれた。
 もうボクは良くなることしか考えない。

 ある日、少しの間だけ、小太郎先輩と二人で並んで立つことがあった。
 夏休みの前で、梅雨が明けていた。部活の活動停止も来週から解けるから、学校の弓道場が使えるようになる。毎日加賀美弓道場に来るのも、そろそろおしまいだった。
 病院の送迎バスを降りると、広い敷地の病院内の大きな木立の間を歩いていく。蝉の声が聞こえた。木立の切れ目の日差しが眩しかった。

 並んで射位につく。
 小太郎先輩がボクの後ろに立った。
 不思議と息を合わせて順番に射るのが気持ちよかった。先輩が後ろの安心感。

 八射の後、姿勢の注意点とかを確認して、もう一度一緒に射場に出た。
 次の八射が初めて皆中だった。

「優生くん、すごい!」
 小太郎先輩の本当に嬉しそうな声がした。小太郎先輩にとっては普通の事なのに。
「ね、ちゃんとやれば上達早いって言ったでしょ。秋の新人戦も頑張って」
 ボクはこの景色を、この思い出を、小太郎先輩の笑った顔をずっと宝物にしようと思った。

 その後、小太郎先輩は強化選手の練習とか、対抗試合とかで土日は居ない。学校に来た時も生徒会の仕事があったりで、部活動は二の次になってしまった。時短の為か自分の家で練習するので夏休みの平日も学校の弓道場へはあまり来なくなった。もう、ほとんど会えなくなってしまった。
 それでも、ずっと、チャットアプリで短いやり取りは続けていた。

「調子どう?」
 小太郎先輩から来たチャット。
「今日、顧問に一級認定もらいました」
「じゃあ、連盟の初段試験受けるんだね、秋?」
「さくら先輩たちと一緒に受けます。同じ日に受けられれば」
「夏休みの終わりに所作見てあげるから、おいで」
「はい」
 このはいは、尻尾を振った黒豆柴のスタンプ。

 夏休みの終わり近くに国民スポーツ大会(国体)のブロック予選がある。前より少し遠いけど、県内会場だから応援に行く。
 
 当日、海の近くの会場は隣が巨大遊園地なので、向かう電車の中さえ日常とはかけ離れていた。
 二日間開催で土日なので、遊園地に向かう人たちのキャアキャア浮き立つ声が電車の中にも溢れていた。
 もしも小太郎先輩と遊園地に行くなら……先輩二人でなんて行かないだろう。さくら先輩と紬さんと四人ならなんとか行きそう。でも、行ったら楽しいけど、ボクはまたさくら先輩とか紬さんと仲良さそうな様子で凹むんだろうなぁ……。

 ボクは弓道の小太郎先輩だけを追いかけるんだ。だから、別に小太郎先輩が誰か他の人と、遊園地に行ったって、ご飯を食べに行ったって、結婚したって……。

ボクが女の子だったらなぁ。可愛くて、ふわふわで、いい匂いのする女の子だったら……。