振り返ってみれば
私の思い出の中にはいつも貴方がいる
貴方は……
私の全てでした──
◇
心地よい風が頬を撫で、私はゆっくりと閉じていた瞼を開いた。机に伏せていた顔を上げると、辺りを見渡す。
風に揺れるカーテンの音が僅かに響くだけで、人の気配のない教室。それを確認した私は、視線をすぐ横の窓へと移すと外を眺めた。
決して広いとは言えない校庭に、一際目立つ大きな木が目に入る。桜だろうか。小さなピンク色の花が咲いている。
「──ひよ……?」
突然聞こえてきたその懐かしい声に、私は眺めていた外の景色から視線を外すと、その声の主の方へと振り返った。
開かれたままの教室の入り口で、その声の主であろう男の子が私を見ている。
少し色素の薄いサラサラの髪に、垂れ目がちの大きな瞳に通った鼻筋。幼かったその顔は、顔立ちこそ変わってはいないもののすっかりと大人びている。
私とさほど変わらなかった背丈は、教室の扉と比べてみればとても高いのが分かる。見覚えある姿とはだいぶ変わってはいても、見間違えるはずはない。
絡まる視線──。戸惑いに僅かに揺れる瞳。
「……大ちゃん」
ポツリと小さく声を漏らすと、優しく微笑む大ちゃん。
「やっと見つけた。ここにいたんだね」
とても嬉しそうに微笑む大ちゃんの姿を見て、何故だか私は思わず泣き出しそうになった。
一体、どうしたというのか。それ程に、私は大ちゃんに会えたことが嬉しかったのだ。
ゆっくりと私の元へと近付いてくる大ちゃん。
どんなに会いたいと願った事か──。その姿を前にして、その想いがやっと叶ったのだと心が震える。
「ひよ、久しぶりだね。ずっと会いたかったよ」
そんなことを言われてしまえば、ついに我慢ができなくなってしまう。
「私も……っ、ずっと大ちゃんに会いたかったよ」
「ひよは相変わらず泣き虫だね」
困った様に微笑む大ちゃんの言葉を受けて、私は自分の頬に流れる涙を拭った。
そんな私の仕草を黙って見守っている大ちゃん。なんだか少し照れ臭い。
「大ちゃん……何だか雰囲気が変わったね? 背も凄く大きくなったし」
「もう高二になるからね。背も伸びたよ、今は百七十四くらいかな」
「高二……」
高二という言葉を聞いて、大ちゃんの成長した姿にも納得をする。
大ちゃんと私は、小さな頃からいつも一緒にいた。それこそ、生まれた時から一緒だった。
この小さな島では人口も少なく、同級生といえば私達を含んでも五人しかいない。そのせいもあってか、私達五人はとても仲が良く、いつも一緒に遊んでいた。
そう──大ちゃんが中一の夏休みに東京へ引っ越してしまうまでは。
「そっか……。私達、もう高二なんだね」
「……」
私の言葉に、何故か急に悲しそうな顔を見せる大ちゃん。何か気に触る事でも言ってしまったのだろうか?
「……大ちゃん? 」
様子を窺うようにして問いかけてみれば、大ちゃんは悲しそうな顔をしたまま少しだけ微笑む。
「もっと早く会いに来てあげられなくてごめんね、ひよ」
「遠いもんね、東京。でも、今こうして大ちゃんと会えたから私は嬉しいよ」
だから悲しい顔はしないで。せっかく会えたのだから、悲しい顔ではなく笑顔が見たい。
そんな思いを胸に、大ちゃんに向けて精一杯の笑顔を見せる。
「……そうだね。俺もひよに会えて凄く嬉しい」
そう言って笑顔を見せてくれる大ちゃん。私が好きだった大ちゃんの優しい笑顔は、成長した今でもやっぱり変わらない。
小さな頃から大好きで、大好きで──でも、結局気持ちを伝える事はできなかった。
私の初恋で、今でも好きな人。
目の前の大ちゃんを静かに見つめていると、私の視線に気付いた大ちゃんは優しく見つめ返してくれる。この空気がとても懐かしくもあり、なんだか少しくすぐったい。
暫くそのままお互いを見つめ合ったままでいると、チラリと窓の外に視線を移した大ちゃんが口を開いた。
「……あ。皆んな来たみたいだよ」
「皆んな?」
視線を私へと戻した大ちゃんがふわりと優しく微笑む。
「タイムカプセル」
「え……?」
「ここ、廃校になるから。その前に皆んなで埋めたタイムカプセルを掘りおこそうって」
そう言って窓の外を指差す大ちゃん。その指先を辿って見てみると、先程見た大きな木の側に三つの人影がある。
「そっか……うん、そうだったね。タイムカプセル」
どうやら大ちゃんに会えた喜びからか、今の今まですっかりと忘れてしまっていたらしい。
「俺達も行こうか」
「うん」
そう促された私は、立ち上がると大ちゃんに付いて教室を後にした。
◇
「皆んなと会うのも久しぶりだね。何度かこっちには来てたんだけど……。高校に入ってからは、皆んなバラバラで会えなかったし」
隣を歩く大ちゃんをチラリと見てみると、懐かしそうな顔をして微笑んでいる。
何度かこっちに来ていたなんて知らなかった私は、その時に会えなかった事を残念に思う。
(いつ来てたのかな……)
高校に入学してからのことなら、会えなかったのも仕方のない事だ。そう自分に言い聞かせる。
私達が生まれ育ったこの島には、学校といえば小学校と中学校しかない。その為、高校生になると皆んなこの島を離れて寮に入って生活をするか、一日数本しか出ていない船に乗って片道一時間半かけて通う事になる。
そんな不便さからか益々人口は減り、ついには島に唯一あった中学校も、この夏には小学校と合併して一つになってしまうのだ。
先程、大ちゃんがそんな話をしていた事を思い返すと、この学校がなくなってしまう事を寂しく感じる。
「皆んなに会えるの楽しみだね」
「うん」
笑顔を向ける大ちゃんにそう返事を返すと、少し軋む古びた廊下を二人並んで歩いてゆく。
チラリと隣にいる大ちゃんを盗み見てみると、だいぶ背も高くなり大人っぽくなったようだ。そんな姿を前に、何故だか急に恥ずかしくなった私は慌てて顔を俯かせた。
昔は私とさほど変わらなかった大ちゃんの目線。こうして並んでみると、随分と変わってしまったのだと改めて気付かされる。
可愛らしかった顔はすっかりと男の顔になり、思わず見惚れてしまうほどにカッコよく成長している。
(やっぱり、好きだな……)
自分の気持ちを再確認した私は、火照った頬を両手で包むとこっそりと微笑む。
そのまま大ちゃんと二人で校庭へと出た私は、窓から見えた大きな木に目を向けると足を止めた。
教室からではよく見えなかった花も、こうして近くで見てみると綺麗に咲いているのが良く見える。一つ一つは小さく可愛らしい花でも、満開に咲き誇っている姿はとても立派で力強い。
立ち止まった私に気付いた大ちゃんは、私の視線の先にある桜の木を眺めると口を開いた。
「綺麗だね。ひよと一緒に見れて良かった」
「うん、凄く綺麗。……この木、どうなっちゃうのかな?」
取り壊しの決まっているこの学校は、来月から工事が始まると先程大ちゃんから聞かされた。
この立派な桜の木も、一緒になくなってしまうのだろうか?
(こんなに生き生きとしてるのに……)
「大丈夫。小学校に植え替えするらしいよ」
そう言って優しく微笑む大ちゃん。私はそんな大ちゃんに向けて小さく微笑みを返すと、再び目の前の桜の木に視線を移した。
(良かった……)
幸福な気持ちで満たされてゆくのを感じて、自分の胸にそっと手を当てる。
(本当に凄く綺麗……。見れて良かった)
「お〜い! こっちこっちぃ〜!」
突然聞こえてきたその声に視線を少し下へと移してみると、桜の木の下にいる人影がこちらに向けて手を振っている。
その声につられるようにしてこちらを振り返った二つの人影も、私達の存在を確認すると手を振り始める。
「皆んなが待ってる。行こうか」
「うん」
皆んなに応えるようにして手を振り返した私達は、再び歩き始めると合流した皆んなへ向けて口を開いた。
「久しぶりだね。皆んな元気だった?」
「久しぶり。元気にしてた?」
久しぶりに見る懐かしい顔ぶれに、私の顔は自然と綻ぶ。
「久しぶりだね」
「うん、元気だったよ。久しぶり」
「久しぶり。これで全員集まったな」
高校生ともなるとやはり当たり前なのか、久しぶりに見る三人の姿は私の記憶の中よりもだいぶ大人っぽく成長していた。
昔から一番背の高かった浩ちゃんは、更に高く伸びたせいもあるのか、大ちゃんと並んでも少し大人っぽく見える。昔は私と同じくらいの背丈だっためぐちゃんと瞳ちゃんは、身長も伸びてとても綺麗になった。
こうして大人っぽく成長した皆んなに囲まれていると、なんだか自分だけ取り残されたような気分になる。
それでも、またこうして皆んなで集まれる事を心から待ち望んでいた私は、目の前にいる三人の姿を一人ひとり眺めると、最後に隣にいる大ちゃんを見て静かに微笑んだ。
「それじゃ、掘り起こしますか」
シャベル片手にドヤ顔の浩ちゃんを見て、相変わらずだなとクスリと笑い声を漏らす。
そのままザクザクと土を掘り始める浩ちゃん。どんどんと深くなってゆく穴の様子を眺めながら、私の胸はドキドキと高鳴っていった。
中学校に上がる頃に皆んなで埋めたタイムカプセル。
当初の約束では、十年後に開けようという話だったのだけれど。四年経った今、予期せぬ事態で掘り起こす事になってしまった。
それでも、四年も前の事なので当時の自分は何を考え何を埋めたのか、昔を懐かしく思うと同時にワクワクとしてくる。
皆んなの様子をチラリと窺ってみると、それは皆んなも同じだったようで、期待に膨らむ瞳をキラキラとさせている。
────コツン
「「あっ……」」
浩ちゃんの握っているシャベルが何かにコツンと当たり、私とめぐちゃんは思わず声を上げた。
「おっ。出てきたな」
そう言ってシャベルを脇に置いた浩ちゃんは、その場に腰を下ろすと今度は素手で丁寧に土を掻き分けてゆく。
土が払われ、徐々に姿を出し始めたタイムカプセル。その姿が完全に現れると、浩ちゃんの動きはピタリと止まった。
「……採掘完了」
青い缶を片手にニカッと笑った浩ちゃんは、私達の目の前に缶を差し出すとそう宣言する。
掘り出したタイムカプセルをそっと地面の上に置くと、それを囲むようにしてその場に腰を下ろした私達。
「それじゃあ、開けるね」
青い缶に手を掛けた瞳ちゃんが、言いながらコクリと小さく唾を飲み込む。
────パカッ
蓋の空いた缶の中を覗き込んでみると、そこには色々な物が入っている。それを思い思いに取り上げると、「懐かしいね」なんて言いながら昔の思い出を語り始める。
(私は一体、何を入れたんだろう……?)
そう思っていると、めぐちゃんがピンク色の封筒を取り上げた。
「これ、誰のかな?」
そう言いながら裏を返すと、【日和】と名前が書かれている。私の字だ。
徐々に蘇ってくる記憶──。
「開けてもいい……?」
そう訊ねるめぐちゃんの声を聞きながら、皆んなに宛てて手紙を書いた過去を思い出す。
私がコクリと小さく頷いたのを確認すると、優しく微笑んだ大ちゃんは口を開いた。
「うん。開けてみようよ」
ピンク色の封筒から更に小さな封筒を取り出すと、それをジッと見つめるめぐちゃん。
「これ……読んでいいの?」
そう告げためぐちゃんの手元にある手紙には、私の字で【みんなへ】と書かれている。
「【みんなへ】って書いてあるから……大丈夫だよ、ね?」
そんな瞳ちゃんの声に、少し照れた笑顔を浮かべながら口を開く。
「うん。読んでいいよ」
目の前で読まれるのは少し恥ずかしい気もするけど、皆んなへ宛てて書いた手紙だ。だから皆んなに聞いてもらいたい。
「めぐ、読んでよ」
そんな浩ちゃんの言葉を受けて、手元の手紙を丁寧に開いてゆくめぐちゃん。
カサリと小さな音を立てた手紙は、めぐちゃんの声によって静かに読み上げられてゆく。
そこには、書いた本人でさえ忘れていた過去の私の気持ちが綴られていた。
生まれた時からずっと一緒で、何をするにもいつも側にいてくれた大ちゃん。そんな当たり前の日々に喜びを感じていること。
まるでお兄ちゃんのように、いつも私のことを気に掛けてくれる浩ちゃんに感謝する気持ち。
瞳ちゃんが貸してくれる本はいつも面白くて、読んでいてとても楽しいこと。そして、瞳ちゃんが弾いてくれるピアノが大好きで、いつもリクエストに応えてくれる瞳ちゃんに感謝する気持ち。
めぐちゃんの家で飼っているさくらちゃんはとても可愛くて、さくらちゃんの散歩は凄く楽しいということ。そしてまた、一緒に散歩に行きたいと──。
この小さな島で生まれて、一緒に育ってきた私達。遊ぶ場所など何もないけれど、皆んなと一緒にいられるだけでどれだけ楽しいか。
そんな当たり前の毎日が私の全てで、とても幸せだと。そう思える皆んなと出会えて本当に良かった。
めぐちゃんが読み上げてくれる手紙の内容を聞きながら、私の中で徐々に蘇ってくる鮮明な記憶。毎日笑い合いながら共に過ごした日々を懐かしく思うと、次第に涙が溜まってゆく瞳。
手紙を読み上げているめぐちゃんの声が徐々に涙を含むものに変わると、それにつられた私はついに涙を流した。
──中学を卒業して高校生になっても、ずっとずっと今と変わらず皆んなと一緒にいたい。
私の書いた手紙は、そう締めくくられていた。
高校生になったら皆んなバラバラになってしまう。それがわかっていた私は、その事を寂しく思い、当時手紙にしたためたのだろう。
頬に流れる涙をそっと拭うと、私はゆっくりと顔を上げた。
手紙を読み終えて静まり返った空間。
めぐちゃんと瞳ちゃんは静かに涙を流し、大ちゃんと浩ちゃんの瞳には涙が溜まっている。
しんみりとしてしまった空気が妙に気恥ずかしくて、私は隣にいる大ちゃんを見ると小さく笑った。
それに気付いた大ちゃんは、私につられて小さく微笑み返してくれる。
「……こっちは何かな?」
再びピンク色の封筒に手を入れためぐちゃんは、中からもう一つの封筒を取り出した。
「大樹……」
そう小さく呟くめぐちゃんの手元を見てみると、そこには【大ちゃんへ】と私の字で書かれた封筒がある。
それを確認した私は、一気に顔が熱くなってゆくのを感じた。
(確か、あの手紙には大ちゃんへの気持ちを綴った記憶が……)
そんな物を今ここで読まれては困る。そう思って口を開こうとした──次の瞬間。
私のすぐ横から、とても優しい声が響いた。
「それは後で読むから、しまっておいて」
隣を振り向けば大ちゃんと視線がぶつかり、私を捉えたその瞳は優しく微笑んでくれる。
安堵からホッと小さく息を吐くと、再びその視線をめぐちゃんへと戻す。すると、そこには封筒を持ったままジッと固まっているめぐちゃんがいる。
(……どうしたんだろう?)
「めぐちゃん……? それは読まないで欲しいな」
様子を窺うようにして覗き込むと、何故か悲しそうな顔をしているめぐちゃん。
「……うん。わかった」
手に持った大ちゃん宛ての手紙を、丁寧にピンク色の封筒にしまってくれるめぐちゃん。そんなめぐちゃんの姿を見つめながら、私は少しの違和感を感じた。
何故かはわからない──だけど、何か少しモヤがかかったような不安な気持ち。
「少し校舎見てくるね」
そう言って立ち上がった大ちゃんは、私に向けて手招きをする。
そんな大ちゃんを追うようにして立ち上がった私は、歩き出そうと踏み出した足を止めると後ろを振り返った。
未だ俯き加減で悲しそうな表情を浮かべている瞳ちゃん達。そんな三人の姿を見て、少しの罪悪感を覚える。
私が書いた手紙のせいで、こんなにも皆んなを暗くさせてしまったのだろうか? 私はただ、皆んなと一緒に笑って過ごしたかった。そう思っていただけなのに。
「皆んな……なんか、手紙ごめんね。私、皆んなに悲しい顔して欲しかったわけじゃないの。だからお願い、いつもみたく笑って欲しいな」
皆んなの悲しそうな表情を見ていると、胸が締め付けられる様でとても苦しい。
「そんな顔してたら、ひよが悲しむよ? 笑ってあげて」
そんな声と共にフッと影が差し、隣を見上げてみると優しく微笑んでいる大ちゃんがいる。
「……そうだな、何かごめんっ!」
片手で頭を掻くような仕草をしながら、ハハハと笑って見せた浩ちゃん。
そんな浩ちゃんにつられるかのようにして、めぐちゃんと瞳ちゃんの顔にも自然と笑顔が戻ってくる。
「ごめんね、日和」
ポツリと小さく呟きながら微笑んだ瞳ちゃんに向けて、小さく首を横に振って答えた私は笑顔を浮かべる。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「校舎見てくるから、また後でね」
大ちゃんと共にそう告げると、三人は小さく手を振りながら「また後で」と言って笑顔で見送ってくれる。
「──ひよ、こっち」
校舎へと向かっていたはずの大ちゃんは、突然入り口とは別の方へと向きを変えると私に手招きをした。
(どうしたのかな? )
そう思いながらも校舎に沿って歩いてゆく大ちゃんの背中を追いかけると、突然目の前の大ちゃんが声を上げた。
「良かった! もう咲いてる! ほら、ひよ見てごらん」
ピタリと立ち止まった大ちゃんの側まで近寄ると、その視線を辿って前方を見てみる。
するとそこには、白やピンクや紫の花弁を付けた、とても綺麗な花が花壇に咲いていた。
「わぁ……! 綺麗!」
キラキラと瞳を輝かせる私を見て、クスリと小さな笑い声を漏らした大ちゃん。そのまま花壇の前に腰を下ろすと、私に向けておもむろに口を開く。
「……この花、覚えてる?」
「うん。キャンディータフト」
優しく微笑む大ちゃんに向けて、私は笑顔でそう答える。
忘れもしない──大ちゃんが初めて私にくれた花だから。
枯れない花が欲しいと言った私に、大ちゃんはキャンディータフトを押し花にすると栞にしてくれた。
あれは確か、小学四年生の頃。少し歪な形をしたその栞は、不器用な大ちゃんが私の為に一生懸命作ってくれたのだと、私は子供ながらに凄く嬉しく思ったのを覚えている。
今でも大切に持っているだなんて、恥ずかしくて言えないけど……私の宝物。
大ちゃんも覚えててくれたのだと、私は心が温かくなるのを感じた。
(大ちゃんはこの花の花言葉、知ってるのかな……)
当時、栞を貰った私は嬉しくてキャンディータフトをたくさん本で調べた。
そんな昔の自分の姿を思い出してフフッと小さく微笑む。
「どうかした?」
花を見て小さく笑った私を見て、大ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「ううん、何でもない。……綺麗だね」
「うん。ひよと一緒に見れて良かった」
笑顔で答える私にとても優しく微笑み返してくれた大ちゃんは、そう告げると目の前の花壇へと視線を戻した。
「……暗くなる前に校舎見に行こうか」
そう言って立ち上がった大ちゃんは、私が立ち上がるのを待ってから再び校舎へと向かって歩き始める。
そのまま校舎へと入った私達は、古びた廊下を横並びで歩いてゆく。こうして大ちゃんと並んで歩く事も最後になるのかと思うと、私は軋む廊下をゆっくりと一歩ずつ確かめるようにして歩いた。
暫く黙ったまま歩いていると、少し先の方で板の捲れ上がった廊下が目につく。
「あっ……!」
それを見つけた私は、嬉しくなって小走りに駆け寄る。
「大ちゃんっ! 見て見て!」
こちらへ向かってゆっくりと歩いてくる大ちゃん。
そんな大ちゃんに向けて手招きをすると、私は自分の足元にある板を指差した。
「ほらっ! 大ちゃん、よくここで躓いてたよね」
そう言って笑って見せれば、大ちゃんは困ったように微笑む。
「よく覚えてるね」
「忘れないよ、大ちゃんの事は」
妙な言い回しをしてしまった事に気付き、ハッと我に返った私は慌てて顔を俯かせた。
(気付かれ、ちゃったかな……?)
今の言い方では、まるで遠回しに好きだと言っているようにも聞こえる。チラリと視線を上げると、大ちゃんの様子をそっと窺ってみる。
すると、悲しそうな顔をした大ちゃんと視線が絡まり、途端に騒つき始める私の胸。
「大……、ちゃん?」
小さく震える声で名前を呼ぶと、すぐに優しい笑顔を浮かべた大ちゃん。
「俺も、ひよの事は絶対に忘れないよ」
その言葉を聞いて、つい先程感じた不安は一瞬で吹き飛び、私の顔には一気に熱が集中する。
(それって……、どういう意味?)
目の前で優しく微笑んでいる大ちゃんを見ても、その表情からは何も読み取れない。何気なく言った言葉なのだろうか? それでも、大ちゃんの言葉でこんなにも動揺してしまう自分がいる。
高校生になった大ちゃんは、その容姿だけではなく中身まで大人になったのか、その余裕ある態度に私だけが翻弄されているのかと思うと、なんだか凄く恥ずかしい。
エヘヘと笑って誤魔化した私は、赤くなった顔を隠すようにしてクルリと背を向けると、再び廊下を歩き始める。
すぐ後ろから聞こえてくる足音に、ちゃんと大ちゃんも付いて来てくれていることを確認すると、火照った顔を冷ますようにしてこっそりと小さく手で扇ぐ。
────!
突然聴こえて来たピアノの音に、私はクルリと後ろを振り返ると口を開いた。
「瞳ちゃんかな?」
「きっとそうだね。行ってみる?」
「うんっ」
笑顔で頷くと、大ちゃんに付いて音楽室へと向かう。
小さい頃からピアノの得意だった瞳ちゃんは、よく私のリクエストに応えてピアノを弾いてくれていた。一度も島を出た事のなかった私には、片道一時間半もかけてピアノを習いに行く瞳ちゃんは憧れでもあった。
何度もせがむ私に、嫌な顔一つ見せずにピアノを弾いてくれていた瞳ちゃん。そんな瞳ちゃんも、高校生になるとこの島を離れてしまった。
久しく聴く事のできなかったピアノの音に、自然と心躍らせる。
音楽室の前に着くと、開かれたままの扉から中を覗いてみる。
──その光景に、私は思わず目を奪われてしまった。
決して立派なピアノとはいえないのに、瞳ちゃんが弾くとこうも華やいで見えるものなのか。
暫く立ち尽くして眺めていると、こちらに気付いた瞳ちゃんがピタリと手を止めた。
「……ごめん。煩かった?」
申し訳なさそうな顔をしながら笑顔を向ける瞳ちゃん。
「こっちこそ、邪魔してごめん」
「煩くなんてないよ! もっと聞きたいな」
私達が口々にそう答えると、瞳ちゃんはフワリと優しく微笑む。
「何かリクエストある? 少し調律が狂ってはいるけど……まぁ、問題なく弾けるから」
その言葉にパッと笑顔を咲かせた私は、勢いよく口を開いた。
「ショパンの「「ノクターン」」
被ったその声に隣を見てみれば、そんな私と視線を合わせた大ちゃんがクスリと微笑む。
昔から、私が必ずリクエストしていた曲。この曲を聴くのはどれぐらいぶりだろうか──。
「……日和の好きな曲だね」
瞳ちゃんはそう言って優しく微笑むと、鍵盤に手を置きピアノを弾き始める。
その姿を確認した私達は、近くにあった椅子に腰を下ろすと、瞳ちゃんの奏でるピアノの音に静かに耳を傾けた。
その音色はとても優しく穏やかで、気付けば私の瞳からは涙が流れていた。久しぶりに聴く瞳ちゃんが奏でるピアノの音に、嬉しく思う気持ちと同時に何故か悲しくもなったのだ。
高校生になって、皆んなバラバラになってしまったから──。懐かしい昔に思いを馳せ、きっと寂しくなってしまったのだろう。
隣で静かに涙を拭う私を見て、少し寂しそうな笑顔を見せる大ちゃん。そんな大ちゃんに心配をかけさせたくなかった私は、涙を拭い終えるとニッコリと微笑む。
それに安堵したのか、優しく微笑んだ大ちゃんは瞳ちゃんへと視線を戻すと、そのまま演奏が終わるまで私を見ることはなかった。
────パチパチパチパチ
「瞳ちゃん、ありがとう!」
「ありがとう。久しぶりに聴けて良かったよ」
拍手をしながら感謝の気持ちを伝えると、瞳ちゃんは「どういたしまして」と言って優しく微笑む。
「じゃあ、もう行くね」
「もう一曲聴きたいなぁ」
「暗くなる前に他も見なきゃ」
困った様に微笑む大ちゃんに諭され、後ろ髪引かれる思いで椅子から立ち上がる。
「瞳ちゃん、また今度聴かせてね」
「じゃあ、また後で」
そう言って私達が手を振ると、少し不思議そうな顔をした瞳ちゃんは小さく手を振り返してくれた。
◇
音楽室を後にした私達は、再び並んで廊下を歩いてゆく。古びた木造建ての校舎は所々が脆く崩れ、窓からは隙間風が吹き込んでいる。
そんな老朽化の進んだ校舎でも、私はとても好きだった。特に、歩く度に少し軋む廊下が私のお気に入り。この学校が無くなってしまうだなんて、やっぱり凄く寂しい。
「学校が無くなるのって、やっぱり寂しいね」
すぐ隣を見てみると、そう呟いた大ちゃんは寂しそうな表情を浮かべている。
「……うん」
大ちゃんも私と同じ想いでいてくれたのだと、少し嬉しく思いながらも返事を返す。
「俺はさ、中一の一学期までしかいなかったけど。やっぱり寂しいよね、母校がなくなるのは」
「そうだね。……私、大ちゃんと一緒に卒業したかったな」
思わず溢れ出た本音に、ハッと我に返った私は大ちゃんを見上げる。
「ひよ……」
「……っ」
辛そうに顔を歪めながら私を見つめている大ちゃん。そんな大ちゃんの瞳から目を逸らすことのできなかった私は、ただ黙ってそのまま見つめ返した。
「俺も……ひよと一緒に卒業したかった。ずっと側にいてあげたかった……っ」
今にも泣き出してしまいそうな大ちゃんを見て、焦った私は慌てて笑顔を取り繕う。
「……っしょ、しょうがないもんね! お父さんの仕事の都合で引越しになっちゃったんだから」
決して大ちゃんを責めているわけでもなければ、こんな辛そうな顔をさせたかったわけでもない。
何とかこの場の空気を変えようと、焦りながらも思案する。
「あっ……!」
目に付いた少し色の変わった壁板に近付くと、私はそのままその場に腰を下ろした。
壁の下側にある、色の変わった五枚分の板。
「ほらっ! 大ちゃん」
ニッコリと笑って振り返れば、そんな私に向けて笑顔を見せてくれる大ちゃん。
「そんな事も覚えてたんだね」
私のすぐ隣に腰を下ろした大ちゃんは、そう告げると懐かしそうにその壁に触れた。
昔は、この壁の板を軽く叩くと簡単に取り外すことができて、外へと通じる近道となった。ここは、大ちゃんの秘密の通路。
先生に見つかっては怒られ、それでも暫くするとまたここを使っていた大ちゃん。『今日も見つかっちゃったよ』と悪びれた様子もなく、笑顔で話していた大ちゃんを懐かしく思う。
「張り替えられちゃったんだね。まぁ、流石にもう通れないけど」
「大ちゃん凄く大きくなっちゃったもんね」
クスクスと笑いながら話す大ちゃんを見て、和やかな空気に戻った事に安堵する。
「……もうすぐ陽が落ちるね」
立ち上がって窓の外を見た大ちゃんは、ポツリと呟くと僅かに瞳を細めた。
そんな大ちゃんを追うようにして隣に立つと、夕陽に染まった綺麗な空を静かに眺める。
「教室に行こうか」
「うん」
そう促された私は、笑顔で頷くと大ちゃんと並んで教室へと向かう。
「ひよ。さっき会った時、俺の席に座ってたよね。……何で?」
隣を歩く大ちゃんが、不意にそんな質問を投げかけてくる。
(何で……? 何でかは分からないけど──)
「大ちゃんに見つけて貰えるかと思って」
「……そっか。見つけられて良かった」
そう言って小さく微笑んだ大ちゃん。
けれど、夕陽に染まった大ちゃんの横顔は、その言葉とは裏腹になんだか少し悲しそうに見える──そんな気がした。
そのまま教室の前まで辿り着くと、開かれたままの入り口を潜って教室内へと足を進める。
「ひよの席はここ」
先程私が座っていた席に腰を下ろした大ちゃんは、椅子ごと後ろへ向くと目の前の机をトントンと叩いた。
大ちゃんに言われた通りに黙って後ろの席へと座ると、そんな私と視線を合わせた大ちゃんは優しく微笑む。
「今日はひよに会えて本当に良かった」
なんだか、先程から少し様子のおかしい大ちゃんの態度に戸惑う。
「……うん。私も大ちゃんに会えて良かったよ。ずっと会いたかったから」
素直な気持ちを伝えると、少し悲しそうに微笑む大ちゃん。
(っ……、まただ……)
先程から、時折見せる悲しそうな表情。私が何かしてしまったのだろうか──?
言いようのない不安に、緊張から小さく震える口元で必死に言葉を絞り出す。
「大ちゃん……っ。私、何か悪い事しちゃったのかな?」
一瞬驚いた顔を見せた大ちゃんは、悲しげな表情を浮かべると静かに私を見つめた。
「ひよは何も悪い事なんてしてないよ。俺が悪いんだ……ごめんね、ひよ」
「どういう事……?」
私の質問に、ただ黙って悲しそうな笑顔を浮かべるだけの大ちゃん。一体何だというのか。
大ちゃんをこんなにも悲しそうな顔にさせてしまっているのは、本当に私のせいではないのだろうか? 拭えない不安に、なんだか私まで悲しくなってくる。
「──あっ! いたいた」
突然聞こえてきた声に視線を向けてみると、そこには教室の入り口に立っているめぐちゃんの姿があった。
そのまま教室内へと入って来ると、私達の目の前でピタリと足を止めためぐちゃん。ただならぬ雰囲気を察したのか、心配そうな顔をして口を開く。
「どうかしたの?」
「……何でもないよ」
大ちゃんが小さく微笑んで答えたのに対して、私は黙ったまま首を横に振って応える。
「…………。これ、渡しておこうと思って」
少しの沈黙の後、そう告げためぐちゃんは目の前の机にそっとピンク色の封筒を置いた。
そこに置かれた封筒には、【大ちゃんへ】と私の手書きの文字が書かれている。先程開けたタイムカプセルに入っていた手紙を、わざわざ届けにきてくれたのだ。
「ありがとう」
「ありがとう、めぐちゃん」
めぐちゃんにお礼を告げると、再び封筒へと視線を移す。これを読まれてしまえば、私の想いが全て大ちゃんに知られてしまうことになる。
好きだと伝えたい気持ちと恥ずかしさから、私は大ちゃんの顔を見る事ができずに俯いた。
「っ、あの……この手紙ね、一人の時に読んでね」
「……うん。わかった」
「誰にも……、見せないでね」
「うん、大丈夫。絶対に誰にも見せないから」
大ちゃんのその言葉を聞いてホッと安堵の息を漏らすと、全身から一気に力が抜けてゆくを感じる。
どうやら、緊張からか無意識に力が入っていたようだ。
「────ねぇ」
そんな頭上からの声にそっと顔を上げてみると、そこには怪訝そうな顔を浮かべためぐちゃんがいる。
私はそんなめぐちゃんの姿を眺めながら、ゆっくりと開かれてゆく口の動きを見守った。
「誰と……、話してるの?」

