「ユイ、準備はできたか?」
お城の正門前。
大きなリュックサックを背負ったカレンさんが、問いかけてくる。
「はい!」
それに対して、私は元気よく頷いた。
「料理人のみなさんはどうですか?」
「ああ! 準備万端だ!」
「いつでも行けるぜ!」
同じく、出発を待っていた料理人の方々もそう声を上げた。
私はカレンさんと目を合わせてから、市街地に繰り出した──。
その後、私たちは王都の中央広場で出店を出し、客を呼び込んだ。
「はーい! みなさーん、王城クッキング出張店ですよー! 現在、無料でサンプル品をお配りしています。おひとついかがですかー!」
「王城クッキング出張店……?」
「なんだ、そりゃ」
「行ってみようぜ。タダみてえだし」
当初、人々は不思議そうな顔をして遠巻きに出店を眺めていたが、やがてひとり──またひとりと、出店の前に集まってくる。
そんな人々に、私は紙のトレイに載ったお好み焼きを配っていく。
みんなは見慣れない料理に眉を顰めていたが、恐る恐るといった感じでお好み焼きを口にした。
すると……。
「う、旨え!」
「なんだ、こりゃ!」
「初めて食べる味だ! この黒いソースも不思議な味をしているが、中毒性がある!」
「おかわりだ! 金なら払うから、もっと売ってくれ!」
次から次へと、みんなはお好み焼きの虜になっていく。
よし……! ここまでは計算通り。
やがて広場にいる人たちだけではなく、他の場所からも押し寄せてくる。
おかげで、忙しさでてんてこまいになったけど……これくらいならノープロブレム。
そのために、カレンさんと王城専属の料理人の方々にも手伝ってもらっているしね。
「この調子なら……!」
お好み焼きを作りながら周囲を眺めていると、その変化はすぐに起こった。
「いい匂い……」
「最近食欲がなかったが、これなら……」
「腹が減った……」
──来た。
ソンビのようなふらふらの足取り。
瞳には生気を宿していない。
お好み焼きの匂いに釣られて──無気力病患者も集まってきたのだ。
みんな、顔色も悪い。ろくにご飯も食べていないのだろう。
しかし、そんな人たちもお好み焼きの魅力には勝てないはず。
無気力病患者の人たちにも、みんなと同じようにお好み焼きを配っていく。
「美味しい……俺、今までなにを……」
「長い夢を見ていたようだ。もっと食べたい……」
「えぇい! もっとくれ! 今までろくに食べ物も喉を通らなかったのが嘘のようだ!」
活力を取り戻していく無気力病患者。
「やったな、ユイ!」
「よかったです!」
広場の光景を見て、私はカレンさんとハイタッチをする。
行き当たりばったりの策ではあったが、私の予想は当たっていたのだ。
『私に任せてください! 私が無気力病患者を治してみせます!』
あの時──。
王城の会議室で、クレア王女やアザゼル大臣に私はそう言い放った。
無気力病のメイドも部屋がキレイに片付けられることによって、生気を取り戻した。
そこで私は、無気力病の特効薬は生活を整えることなんじゃないか──と仮説を立てた。
衣・食・住は生活の基本だからね。
この三つが整っていなければ、どんどん気持ちが落ち込んでいって、最悪心の病にかかってしまう。
心の病にかかって会社を退職した、前世の同僚のことを思い出す。
「ユイ様!」
出店の切り盛りをしていると、街を見回っていた騎士のひとりが駆け寄ってきた。
「街の中に、重度の無気力病患者がいます! 広場に出てくるまでの気力もないようなので、ぜひユイ様の力をお借りしたいのですが……」
「家の外にも出られないって、相当重症だな。ユイ、行くぞ」
「はい!」
でも……これだけお好み焼きを求める人々が多い中、私たちが抜けてこの出店は大丈夫だろうか?
少し不安になったが、
「こっちは任せとけって!」
「お嬢ちゃんはそっちに行ってくれ!」
「うおおおお! 燃えてきたあああ!」
──料理人の方々は頼もしい声をかけてくれた。
助かる。
「ありがとうございます」
私はお礼を言って、出店から離れる。
この調子で治していけば、無気力病を根絶できるはずだ。
私は息を切らしながら、街中を駆け回った。
◆ ◆
「陛下! 無気力病患者が、どんどん数を減らしているとの報告を受けました!」
「奇跡だ……ユイ様のおかげだ」
「これなら無気力病を根絶できる!」
私──クレアは城内で作戦の成功を祈りながら、大臣や部下たちの報告を聞いていました。
「ユイ……!」
私はそう声を零します。
突如、この国を襲った無気力病。
どのような薬や治療を施しても、無気力病は治りません。
そこで私はアザゼルの進言により、戒厳令を出そうとしました。
本当はそんなこと、したくありません。
何故なら、戒厳令は国民の自由を縛ることに等しいのですから。
ですが、この国を維持するため、やむなしと思った時……会議室に現れたユイは『私に任せてください!』と自信満々に言いました。
そして、彼女から詳しい説明を聞きます。
彼女は、生活を整えることによって無気力病が治ると考えているのだそうです。
最初は半信半疑でした。
数々の高名な医師でも手の施しようがなかった無気力病が、そんな単純なことで治るのでしょうか? と。
ですが、今までユイは数々の奇跡を起こしてきました。最後の賭けとして、ユイに任せてみるのも悪くありません。
そして結果は私の予想以上でした。
これなら、事態の解決も時間の問題でしょう。
だが。
「…………」
みんなが歓喜に沸く中、アザゼルだけはただ黙って、事の成り行きを見守っていました。
どうして、そんな顔をしますの?
無気力病患者が減ることは、彼にとっても望ましいことのはずなのに……。
「陛下、私たちも頑張りましょう。ユイたちに物資を送るのです」
「……! もちろんですわ!」
アザゼルの態度に違和感を抱きましたが──他の大臣から声をかけられ、一旦意識の外に追いやられました。
◆ ◆
無気力病根絶運動は、三日三晩続いた。
その間、私は街を駆け回り、無気力病患者の治療に勤しむこととなった。
そして……。
「無気力病の根絶が確認されました! 私たちは……勝利したのです!」
騎士のひとりから報告を受け、周りはわっと沸いた。
「やったな! ユイ」
「はい」
カレンさんの言葉に、私はそう頷く。
ふう……よかった。
クレア女王たちにあんなに啖呵を切っておいて、ダメでしたってなったら格好がつかないところだったよ。
これで一安心だ。
「早く城に戻ろうぜ。あの女王陛下にも報告するんだ」
「はい!」
頷き、私たちは王城に向けて駆けた。
◆ ◆
「何故だ……何故、失敗した!」
王城の地下室。
そこで私──アザゼルは悔しさで一杯になり、歯軋りをしていた。
──私の計画は完璧だったはずだ。
虚の霧。
大昔、暴君と呼ばれた国王陛下によって開発された魔法だ。
その効果は高貴な身分にある者以外の生きる力を消し、無気力にしてしまうこと。
あまりに恐ろしい魔法であることから、歴史の闇に葬られ、禁術に指定された。
{完全ではないにしろ}、禁術は発動した。
だが……結果はご覧の有り様だ。
たったひとりの幼女の言葉によって、禁術の対抗策が見破られ、私の計画は失敗に終わろうとしている。
「ここまで至るのに、どれだけの時間と費用を費やしたと思っているのだ! それがたかが幼女のせいで……!」
幼女──ユイの顔を思い出すだけで、腑が煮え繰り返そうになる。
禁術を発動し『貴族による貴族のための政治』を築くため、今まで汚い手を使った。
大商人モーリスだけではなく、葬った人間の数は十や二十では収まらない。
禁術を研究していたリオネルを魔力欠乏症にし、政治の表舞台から引き摺り下ろした。
なのに……! このままでは私の計画が失敗に終わるではないか!
「許さない」
呟き、私は儀式机に置かれた水晶に手をかける。
水晶は邪悪な魔力を吸い込み、真っ黒な色をしていた。
それを私は思い切り握り潰す。
パリン──。
乾いた音を立て、水晶が割れた。
その瞬間、真っ黒な闇が私の体を包む。
「これで終わると思うなよ──貴族が平民に負けるなど、決して起こってはいけないことなのだ。かくなる上は、私の命をもって幼女に制裁を下す」
意識が遠くなっていく。
しかしこれは不完全の禁術が、完全に至るための必要な工程だ。
私の全魔力──そして生きる力が吸い取られ、死が目の前にまで迫ってくる。
私の嘆きは、禁術にとって最高の糧となった。
これなら、確実に禁術は成就するだろう。
「この国に滅びあれ!」
そう叫ぶと、禁術の闇は私の全てを吸い取り、天高く舞い上がった──。
◆ ◆
私はカレンさんとお城に帰って、クレア女王にも作戦の成功を報告した。
彼女はとても喜んでくれた。
その後、クレア女王の口から直接、無気力病根絶が宣言される。お城は割れんばかりの喝采で包まれた。
さらに私たちの労を労うために、お城のダンスホールでパーティーが開かれることになった。
パーティーだなんてちょっと気が引けたけど、『主役が来なくて、どうするんですか!?』とクレア女王の言葉もあって、参加することになるのであった。
「無気力病根絶に……勝利の杯を!」
壇上のクレア女王の号令と共に、杯が高く掲げられる。
みんなのグラスにはお酒が入っているみたいだけど……子どもの私にはオレンジジュース。
お酒は好きだったけど、大人になるまで我慢だ。
「ユイ! 本当によくやったな!」
一緒にパーティーに参加しているカレンさんが、私の背中を強く高く。
顔がほんのりと赤い。
カレンさんはパーティーが始まる前からアルコールが入っていたみたいで、既にほろ酔いみたいだ。
「ありがとうございます。でも、私ひとりだけの力じゃありません。みんなの力あってのことです」
これは本音。
私ひとりじゃ、王都全域をカバーすることはさすがにできなかったしね。
出店を手伝ってくれた、料理人の方々……重症の無気力病患者がいないか見回ってくれた、騎士の方々……。
そしてカレンさん──みんなのおかげだ。
「ユイは謙虚なんだな。すごいことをやってのけたっていうのに」
そう言ってカレンさんは勢いよくお酒を呷り、「見ろよ」とパーティー会場を見渡す。
「みんな──笑顔だ。無気力病が蔓延してた頃は、みんな暗い顔をしてたんだぜ。この光景が実現できたのもユイのおかげだ」
カレンさんと一緒に、会場を観察する。
パーティーには貴族や城の大臣だけではなく、使用人や騎士の人々も参加している。
『貴族と平民、分け隔たりなくパーティーを楽しんで欲しい』というクレア女王のたっての希望だったからだ。
カレンさんの言う通り、みんなは笑顔を浮かべていた。
パーティーの楽しいムードに釣られて、私も酔ってしまいそうだ。
……やっぱり、みんな笑顔で暮らしていける世の中がいいと思う。
これは私が日本育ちだからだろうか、貴族や平民という身分で分ける世界には、やっぱり違和感があった。
みんなが力を合わせて、いい国を作っていく……そういうのがいいんじゃないだろうか。
「ユイ」
そんなことをしみじみと思っていると、クレア女王が歩み寄ってきた。
「この度は、本当にありがとうございます。この国はユイのおかげで救われましたわ。国民を代表して、私がお礼を言います」
「私のおかげで救われた……って、そんな大袈裟な」
「大袈裟ではありませんわ。あなたはもっと、自分を誇りなさいの」
とクレア女王は頬に手を当てる。
頬が軽く紅潮している。どうやらクレア女王も、ほんのりと酔っているみたいだ。
それにしても……。
私はきょろきょろと辺りを見渡して、彼女にこう質問する。
「アザゼル大臣の姿が見えないんですが、どこに行ったんでしょうか?」
彼は内務大臣という大事な職についている。
当然彼も、今回のことで喜んでいるはずなのだが……先ほどから探しても、姿が見当たらない。
「そういえば、そうですわね」
困ったような表情をして、クレア女王は続ける。
「もちろん、アザゼルにもパーティーのことは伝えていますが……まあ、彼も彼でやることがあるのでしょう。ユイが気にする必要はありませんわ」
「そうだぜ、ユイ」
クレア女王の言葉に同意するカレンさん。
カレンさんも元々、アザゼル大臣にあまりいい印象を抱いていなさそうだった。私がこうして彼を探しているのも、気に入らないのだろう。
だけど、やっぱりおかしい──そう思うのは、私だけだろうか?
最初に見た時から、アザゼル大臣には拭えない違和感があった。
迷子になっているだけというのは考えにくいし……。
しかし。
「あんな根暗そうな大臣、ほっておけばいいじゃねえか。今はパーティーを楽しもうぜ」
「は、はい、そうですね」
カレンさんの言葉で思考がストップする。
私の考え過ぎかな?
そう思って、これ以上はアザゼル大臣のことを考えないようにした。
考えれば考えるほど、嫌な感じが膨らんでいく一方だったから。
「さあ、ユイ。こちらの料理も食べてくださいの。王都の名物料理で……」
とクレア女王が言いかけた時であった。
窓から差し込んでいた光が消える。
「え……」
急に夜になったかのようだ。
すぐに窓の外を見る。
外はさっきまで快晴だったのに、今はすっかり曇り空に覆われていた。
不穏な空気に、私は体が固まる。
「カレンさん──わっ!」
振り返り、驚きの声を上げてしまう。
カレンさん──そして、会場内にいるメイドや騎士、そして貴族たちが膝を突き、苦しそうにしていたのだ。
「くっ……なんだこりゃ、思うように体が動かせねえ……」
「の、飲みすぎた……ってわけじゃないですよね?」
「そこまで酔っ払うほどバカじゃねえよ。これは……そう、まるで外から魔法で攻撃を仕掛けられているような……」
自分の今の状況が分からないのか、カレンさんの顔に戸惑いの色が浮かぶ。
さっきまで楽しい雰囲気に包まれていた会場は一転して、パニックに陥っていた。
「なんで、私は無事なんでしょうか」
「ユイだけではありませんわ。私も……」
みんなが苦しむ一方、私とクレア女王の体には異変が生じていないようだ。
「もしかして……毒?」
「いえ、そうだとしたら、同じものを食べている私やユイが苦しんでいないのは、おかしいんですの。それに今日の料理は厳格な管理下の元に置かれています。毒を混入させるなど不可能なはずですが……」
そう言うクレア女王ではあるが、彼女自身もみんなが苦しんでいる理由が分からないようであった。
こうしている間にも事態は一向によくならず、苦しむ人々の顔色が青白くなっていく。
ど、どうすればいいの!?
このままじゃ、みんなが衰弱していく一方で……。
「──禁術はまだ終わっていない」
その時。
パーティー会場に澄み切った声が響き渡った。
同時に、会場奥の大扉が開け放たれる。
反射的に声の方を、振り向くと……。
「ガ、ガリ兄……?」
自分でも自分が口にしたことを、信じられないくらいだ。
パーティー会場に急に現れた男は──まさしく、ガリ兄であったのだ。
彼は私の考えを裏付けるかのように、
「久しぶりだな、ユイ」
と柔らかく微笑んだ。
うん……やっぱり笑うと意外とイケメンなお顔、ガリ兄だ。
でも、なんでガリ兄がここに?
必ず王都に来ると約束してくれたが、ここで登場するのはさすがに予想外すぎる。
ガリ兄はクレア女王に歩み寄る。
その歩みは堂々としたもので、誰も彼を止めようとしなかった。
「リ、リ……」
クレア女王の前で立ち止まったガリ兄を見て、彼女はこう名前を叫ぶ。
「リオネルお兄様!」
「え?」
思わず、間抜けな声が漏れる。
確か……リオネルというのは行方不明になった、クレア女王のお兄さんの名前だったはずだ。
え? はい? どうして?
さっきから無数の疑問符が浮かび、正直頭の中がパンクしてしまいそう。
「……迷惑をかけたな、クレア」
ガリ兄はクレア女王を抱きしめようとするが、すぐにその手を引っ込めた。
「ガリ兄がなんで、ここにいるんですか? それにリオネルって……」
「リオネルは、俺の本当の名前だ」
ガリ兄は私に視線を戻す。
「そして、俺はこの国の第一王子だ。いや……王子と名乗るのは烏滸がましいか。王子という立場から逃げた俺には、最早その名を語る資格などないのだから」
「そんなことありませんの!」
クレア女王が大きい声で、ガリ兄の言葉を否定する。
「お兄様は……いつまでも、この国の王子ですわ! そして……私の愛するお兄様ですの!」
「まだそんなことを言ってくれるんだな。ありがとう、クレア」
ガリ兄が表情を緩める。
…………。
え、えーっと……。
勝手にふたりの世界に入っているようですが……。
ガリ兄の正体は、この国の第一王子だったってこと?
「いやいや、そんなまさか」
だとしても、どうしてゴミ区に──いや、待てよ。クレア女王の話を思い出せ。
彼女の話によると、この国の第一王子──リオネルは魔力欠乏症に陥り、魔法が使えなくなった。
そのことに絶望したリオネルは王城を去り、行方をくらました。
どこにいるのか分からなかったようだが……ゴミ区にいたのなら、その理由も納得ができる。
王子ともあろう者がまさか、ゴミ区に溶け込んでいるとは思わないのだから。
そう考えると一応、辻褄が合ってしまう。
「なるほど。そういうことだったか……」
カレンさんは苦しそうに胸に手を当てながら、こう続ける。
「昔、ユイを救出しにいった時……こいつの内側からは、僅かな魔力を感じていた」
「そうだったんですか?」
「ああ。そして、ユイを助けた結界魔法。見事なものだったが……王子だと聞いたら納得だぜ。行方不明になった第一王子は、魔法の神童として名を馳せていたからな」
「だが、俺は魔力欠乏症のせいで、一度魔法を使えなくなった。本来そのまま一生を終えるはずだったが……」
ガリ兄は私と視線を合わせたまま、こう言う。
「ユイのおかげだ」
「私?」
「ユイの作る薬のおかげで、魔力欠乏症が徐々に治っていったんだ。よほど質がよかったんだろう。さすが『至高の薬』と言うだけはある。今なら全盛期には程遠いが、簡単な魔法くらいなら使えるまで回復した」
そういえば、ガリ兄は病気のせいで薬を飲んでいたと言っていた。
私は当初、危ない薬だと誤解していたが……あれも魔力欠乏症の薬だったってこと?
「で、でも、ガリ兄は魔法研究所をクビになったんじゃ……」
「すまない、あれは嘘だ。俺の素性がバレれば、王都に連れ戻されると思ったんだ」
あっ、なるほど……。
点と点が繋がる。
魔法の神童と呼ばれていたなら、魔法について異様に詳しかったのも納得だしね。
「色々質問したいところですが……今はそれどころではありません。ガリ兄……じゃなかった、リオネル王子殿下。禁術というのは──」
「ガリ兄と呼んでくれ。ユイから王子だなんて呼ばれると、むず痒くなる」
「だったら、ガリ兄──禁術というのはどういうことですか? それにまだ終わっていないって」
「一から説明している時間はない。悪いが、手短に説明させてもらうぞ」
そう言って、ガリ兄は説明を始めた。
かつて、この国には暴君と呼ばれた王がいた。
暴君王は独裁を敷き、『貴族による貴族のための政治』を行なっていた。
だが、彼の治世は長く続かない。暴君王の治世に耐えかね、国民が立ち上がったのだ。
追い詰められる暴君王。だが、彼は諦めなかった。
彼は密かに未知なる魔法を作り上げようとしていたのである。
その魔法の名とは──虚の霧。
国中を暗黒で覆い、人々から生きる力を吸い上げる魔法だ。
生きる力を失った人間は、人形のように感情も思考もなくす。
しかし虚の霧は、当時の騎士や冒険者たちの手によって防がれたが……この魔法がもう一度使われれば、次は国が滅びるかもしれない。
そう考えた人々は、虚の霧を禁術に指定した。
だが──何者かによって禁術の楔は解かれた。
今、王都の上空に暗雲が立ち込め、みんなが苦しんでいるのも虚の霧の影響だろう……ということだった。
「こうなる前に、王都でなにか異変は起こっていなかったか?」
「はい。無気力病といって、みんなが生きる力をなくして……」
「それも虚の霧の初期症状だ」
そう断言するガリ兄。
「未完全なままだったら対処は可能だったが……一足遅かったようだ。禁術は完全に発動され、今我々を襲っている」
「ということは、王都中の人々がこんな感じに?」
「そうだな。さらに今はまだ影響は王都に留まっているが、虚の霧は徐々に広がっていく。これを放置すれば、やがて国全土に影響が波及するだろう」
「で、ですが、お兄様、どうして私たちは無事なのですか?」
次にクレア女王が質問する。
「Sランク冒険者のカレン様ですら、こうして苦しんでおられますわ。それなのに──」
「これは俺の推測だが……おそらく、王の血を引いている者には、禁術の影響が届かないのだろう。禁術を発明した暴君王自身も生きる力を失われれば、本末転倒だからな。だが、ユイについては分からない。なにか理由はありそうだが……」
ガリ兄は腑に落ちない表情で、首を小さく傾げた。
──虚の霧の影響を受けないのは、私が転生者だからじゃないだろうか?
私はいわば、この世界にとってイレギュラー。
世界のシステムの外側にいる……と。
だけど推測に過ぎず、みんながいる前で転生者だと打ち明けるのも抵抗があったので、今は黙るしかなかった。
「俺は昔、城に保管されている魔法書を漁っていくうちに、禁術のことを知った。もう二度とこのようなことが起こってはいけない。起こったとしても、必ず俺が止めてみせると思い禁術の研究を続けていたが──原因不明の魔力欠乏症に陥り、俺は魔法が使えなくなった」
悔しさを堪えるように、ガリ兄が歯軋りをする。
「その後のことは知らないが、こうなった以上は他の誰かが俺の研究を流用したということだろう」
「研究していたということは、禁術をどうやって止めるかもガリ兄は知っているんじゃないですか?」
「いや」
ガリ兄は顔を伏せて、首を横に振る。
「……結局、{完全な}対抗策は見つからなかったんだ。一度、禁術が発動してしまえば、途中で止めることは不可能。生き物から生きる力を吸い取り、この国全てがエルフィノラのゴミ区のようになるだろう。そうなってしまえば国の形が保てず、崩壊する」
「そんな……」
愕然とする。
ガリ兄からの話を聞いて、私の頭の中に浮かんだのはエルフィノラのみんなの顔だ。
孤児院のミナちゃんや院長先生。冒険者ギルドのフィリスさんやココ。グレゴルさんやハドリーさん、街の親切な人々。
禁術を止められなかったら、そんな彼・彼女らも笑えない世界が待っている。
生きる力を失い、ただ死を待つだけの人生。
エルフィノラに帰っても、もしかしたらみんなが笑顔で迎えてくれないかもと想像したら、恐怖が湧いてきた。
私の帰るべき場所は──エルフィノラだ。
帰るべき場所がなくなるなんて、断固拒否だ。
「だが……唯一、禁術を潰せる方法がある」
ガリ兄は表情に覚悟を滲ませて、こう続ける。
「俺が『器』となり、禁術を一身に引き受けることだ」
「ガリ兄が?」
疑問を発すると、ガリ兄は首を縦に振る。
「今、空には暗雲がかかっているように見えるだろう? あれは正しく言うと、“希望”と“絶望”が混じったような状態だ。希望は絶望と混ざった瞬間、毒となる。それが禁術の本質だ」
「でしたら、絶望だけを消せば……!」
とクレア女王は表情を明るくする。
だが一方、ガリ兄の表情は暗いままだった。
「しかし、絶望は概念のようなもの。中に漂っている状態では、消すことができない」
「どうしてですか?」
「消すためには、対象が必要だからだ。『誰の絶望を消すのか』を明確にしなければならない。分かりやすく言うと、空に漂っている絶望は持ち主がいないと言い換えてもいいだろうか。持ち主がいない絶望は消すことができない」
絶望だけを消せば、禁術を止められるかもしれない。
だけど絶望は概念で、持ち主がいなければ消すことができない。
だったら、{持ち主を用意}すれば消せるってこと……?
ということはガリ兄は──。
頭の中でそう推論を立てると、ガリ兄はふっと笑いかける。
「賢いユイは気付いたようだな。なんとかして絶望だけを取り出し、それを受け入れる持ち主さえいれば、虚の霧を消すことができるかもしれない。
虚の霧という禁術は、暴君王が作った魔法だ。ならば、王の血を継いでいる俺も、禁術に適合する──『器』になることができるかもしれない。ならばあその『器』を、俺が引き受けよう」
自分の胸を叩くガリ兄。
活路はできた。
だが……。
「ガリ兄が絶望を受け入れたとしましょう。ですが、その後はどうするんですか?」
「自害する」
とんでもないことを、さも当然と言わんばかりのガリ兄。
「絶望を吸収すれば正気が保てず、記憶や感情も消えるだろう。かつての暴君王のように錯乱する前に、俺は自ら命を断つ」
そう続けて、ガリ兄は驚くくらい優しい笑みを浮かべる。
「俺ひとりの犠牲で国が救えるなら、安いものだ。禁術ごと俺が地獄に行く」
「いけません!」
しかし──クレア女王が真っ先に反論する。
「せっかく、再会できましたのに……! お兄様ひとりが犠牲になるなんて、到底受け入れられる結末ではありません!」
「だが! それしか方法がないんだ!」
声を荒らげるガリ兄。
「でしたら、お兄様の代わりに、私が禁術の『器』になりますわ!」
「『器』となるためには王の血を継いでいる以外にも、魔法への適正が必要だ。クレアは昔から、魔法がさほど得意じゃなかっただろう?」
「それは……」
「いいんだ。これが今まで生きることから目を背け、サボってきた人間が払うべきツケだ。ようやく報いを受けることができて、なんならほっとしているくらいだよ」
そう言って、ガリ兄はクレア女王の頭を撫でる。
クレア女王は瞳一杯に涙を溜め、今にも零れ落ちてしまいそうだった。
「だから俺は自害する。俺がいなくなった後も、クレアは国を導いて──」
「待ってください」
勝手に話を進めようとするガリ兄を、私は引き止める。
禁術を止めるためには、ガリ兄が死ななければならない──。
だけどそんなバッドエンド、私は見たくない。
私の異世界生活は……ハッピーエンドじゃないといけないからだ!
ゴミ区からスタートした私の異世界生活。最初はどうなることかと思ったけど、優しい人たちに囲まれて、ここまで来れた。
なのに、今度は国全体がゴミ区みたいになるって? そんなの、あんまりすぎる! 私の異世界転生、どんだけハードモードなの!?
だったら、もうとことん足掻いてみせよう。
ハッピーエンドの先の世界で、絶対に私はエルフィノラに帰る!
だから──。
「ガリ兄の話を聞いて、閃いたことがあるんです。私がいれば、禁術を止めることができるかもしれません」
そう言うと、ガリ兄は目を丸くした。
パーティー会場を後にして──。
私とガリ兄、クレア女王の三人はお城の屋上に来ていた。
「ちゃんとした服を着たガリ兄も、カッコいいです」
私はそうガリ兄に声をかける。
ガリ兄はいつものボロボロの服ではなく、王族衣装に身を包んでいた。
この王族衣装にはいくつかの魔法が付与されており、身につけている者の魔力を高める効果があるらしいのだ。
「ありがとう」
ガリ兄がふんわりと柔らかい表情でお礼を口にする。
「この服を着るなんて久しぶりだから、むず痒い気持ちになるよ。俺の服、まだ残してくれていたんだな」
「いつか必ずお兄様は戻られると思っていましたから……それより、本当に大丈夫なのですか?」
クレア女王が心配したような表情で問う。
「はい! ばっちりです!」
「今まで、ユイの生活魔法は何度も奇跡を起こしてきた。今回も大丈夫なはずだ」
クレア女王を安心させるため、私とガリ兄はそう言葉を投げかけた。
私たちが今からすることは、大きく分けて三つ。
1・《分別》で希望と絶望を分離する。
ガリ兄いわく、空に漂っている暗雲は人々の希望と絶望が混ざった状態なのだという。
まとめて処理しようにも、希望も消してしまっては意味がない。
そこでまずはそのふたつを分離し、絶望だけを取り出す必要がある。
2・ガリ兄と取り出した絶望を、《混合》で混ぜる。
絶望を取り出したとしても、そのままではただの概念。
なので絶望を消すためには、その持ち主……『器』が必要となってくる。
『器』になるためには、王の血を継ぐ者かつ魔法の適正がなければいけない。
禁術が効かない時点で──王の血は継いでいないとはいえ──私にも適正があるかもしれないが、そうすれば三つ目の作業が難しくなる。
そこで危険な賭けになるかもしれないが、ガリ兄に頼らざるを得なかった。
私の《混合》はふたつの素材を{生かしたまま}、混ぜることができる。
ゆえにガリ兄の意思を殺さず、絶望と混ぜることができるのではないか? と考えたわけだ。
3・ガリ兄の中で混ざった絶望を、私の《清浄》で消す。
これが仕上げの三つ目。
絶望はいわば、穢れだ。
今まで散々やってきたように、《清浄》を使えば絶望を消せるはず。
宙に漂った暗雲は、希望から絶望を取り出した時点で、禁術として破綻する。そうすれば、自然と元の持ち主へと戻っていくらしい。
こうすればガリ兄も死ぬ必要はなく、禁術を止めることができる。
──以上が私たちの作戦である。
「だけど、ひとつ懸念があります」
黒い空を眺めながら、私はこう口を動かす。
「ガリ兄の意思を殺さず混ぜるということは、それは即ち絶望も消えないということ。絶望に心を削られ、精神が崩壊するかもしれません。だから強く自分を保つ必要があります」
「構わない」
私の忠告を、ガリ兄は真正面から受け止めた。
「ユイと出会えて、俺は変われた。どれだけの絶望を受け入れようとも、俺は前だけを向き続ける。決して死なない。だからユイ……君は自分のことだけを考えてくれ」
「はい!」
ガリ兄の力強い言葉に、私は元気よく頷いた。
……こうなったらあとは、全力でやるだけだ。
決意し、私は空に手をかざす。《分別》で希望と絶望を引き剥がしにかかった。
「ユイ! どうですか!?」
「問題ありません!」
クレア女王に答える。
……うん。なかなか厄介だけど、これなら無事に分離できそうだ。私はさらに強く魔力を放出する。
空を漂う暗雲は、まるで珈琲とミルクが分かれるように、黒と白の奔流へと変わっていく。
私はその黒色の部分だけを慎重に取り出し、希望と絶望を分離させることに成功した。
「ガリ兄! 希望と絶望を分離しました! 準備はいいですか?」
「ああ! いつでも来い!」
ガリ兄が分離した黒色──絶望の塊を見据え、力強い言葉を投げかけてくれる。
私は絶望の塊をゆっくりと移動させ、ガリ兄に接近させていく。
そして──絶望の塊がガリ兄の中に入った。
「……っ!」
一瞬、ガリ兄の顔が苦痛で歪む。
しかし、私とクレア女王を心配させないようにするためか、震える手でぐっと親指を突き立てた。
「すぐに済ませます!」
《混合》──。
ガリ兄と絶望が混ざっていく。
胸に手を当て、呼吸も荒くなるガリ兄。
暗闇色の霧が、彼の体を包んだ──。
◆ ◆
俺──リオネルは、この国の第一王子として生を授かった。
国王であった父は、貴族と平民の壁を取っ払い、自由で平等な世の中を実現しようとしていた。
俺もそんな偉大なる父の背中を追い、次期国王として国を引っ張っていく。
……いや、『はずだった』というのが正しいか。
幸いにも、俺は生まれながらにして魔法の才能があった。
普通の人が一年かけて覚える魔法を、俺は一晩で習得した。
宮廷魔導士が俺の魔法の腕に驚き、『神童』と称した。
俺はその才能にかまけず、魔法の鍛錬を欠かさなかった。
もっと、この力を人々のために役立てたい。
そのためなら、俺の体なんてどうでもいい……と。
だが、それは間違いだった。
国王として国を引っ張っていた父であるが、一方で彼には敵も多かった。
貴族の中には、自分が持つ利権を剥奪されると危惧する者も多いのだ。
彼らは父の足を引っ張り、国の革命はなかなか進まない。
そんなある日、追い討ちをかけるように俺に悲劇が襲う。
原因不明の魔力欠乏症を発症したのだ。
徐々に、自分の魔力が弱っていくのは自覚していた。
だが、自分の弱さを認められず、誰にも相談することができなかった。
焦れば焦るほど、さらに魔法の腕が鈍っていき……やがて、完全に使えなくなった。
魔力に最適化された体は、魔力が尽きることによって、上手く動かなくなる。ゆえに、俺は慢性的に体の不調に悩まされることになった。
発作を抑える薬なしでは、手の震えが止まらなくなるほどだ。
こんな俺では、父が夢見ていた未来も実現できないだろう。
自暴自棄になった俺は、ひとりで城を飛び出した。
そして……エルフィノラのゴミ区に辿り着き、生きているのか死んでいるのかも分からない生活を送ることとなった。
そんな時──彼女に出会った。
『ゾ、ゾンビさん!?』
彼女は俺を見るなり、そう叫んだ。
無理もない。ゴミ区にいる俺は、ゾンビのような腐った見た目と中身だったからだ。
彼女の名前はユイといった。
どうして、幼女がゴミ区に……と思ったが、ユイは親に捨てられたのだろう。
こんな幼い子を捨てるとは……! と内心憤慨するが、今の俺ではどうしようもできない。
この幼女もゴミ区で、惨めに死んでいくのだろうな……と諦念にも似た感情を抱いた。
しかし、彼女は違った。
彼女には生活魔法の力があったのだ。
それからは、日々驚かされることばかりである。
ユイからもたらされる話は、どれも夢物語のようだった。
そして、俺の運命を変えた決定的な出来事があった。
ユイが王城で保護されることになったのだ。
なるほど、エルフィノラだけでユイを守るのは限界がある。ならば、王城で保護された方が何倍も安全であろう。
ユイとの別れは惜しいが、彼女を止めるわけにはいかない。彼女と別れ、俺は変わらずゴミ区でクソみたいな人生を送り続けるだろう。
そう思っていたが──。
『ガリ兄も一緒に王都に行きませんか?』
とユイは言った。
なんで俺を? と思ったが、ユイは俺が過去と向き合うべきだと考えているらしい。
身の内はほとんど明かしたことがなかったというのに……この子は賢い子だ。俺の心の弱さなど、とっくに見破っていたのだろう。
もう王都に戻るつもりはなかった。今更、妹のクレアに会わせる顔もない。
だが、ユイは変わろうとしている。それなのに、大人の俺がずっとうじうじしていてもいいのか?
悩んだ末に俺は、『必ず王都に行く』とユイに伝え、仕事を始めることにした。
そうすることによって、ユイやクレアの前に自信を持って立てるようになると考えたからだ。
運動不足で痛む体で必死に働き、俺は王都までの馬車代を稼いだ。
そして、一ヶ月ほどが経った。
馬車代も溜まり覚悟ができた俺は、ユイに会うために王都に向かった。
しかし王都に到着すると、どうも街中の様子がおかしい。
人々が苦しんでいる。先ほどまで快晴だったのに、空には暗雲が立ち込めていた。
まさか……! と嫌な予感を抱え、俺は王城に急ぐ。
城の門番も苦しんでいた。おかげで身分を証明しなくても城の中に入ることができた。
そして、俺はユイ──そして妹のクレアと再会した。
久しぶりに会うクレアはたくましく、しかしどこか疲れ切った表情をしていた。
今すぐにでも抱きしめたい。抱きしめて、「もう大丈夫だ」と言ってやりたい。
ユイにも、「お前のおかげで変われた」とお礼を伝えたい。
しかし、それをしている場合ではない。
俺は彼女たちに、今のこの状況は禁術によるものだと伝えた。
そして、俺ひとりだけが犠牲になろうとしたが……ユイは止めた。
もっといい方法がある。
みんな、笑顔のハッピーエンドがいい。
そういう類の話だ。
俺は彼女の考えに乗り、一世一代の賭けに打って出ることにした。
そして──今だ。
「ぐ、ぐああ……っ!」
胸が痛む。
視界は暗闇で覆われ、自分がどこに立っているのかさえ、あやふやになる。
俺の中で混ざった絶望は思いの外、強烈なものであった。
こんなことをしても無駄じゃないか。
一度辛いことから逃げ出した俺には、もう生きる価値はないんじゃないか。
そんな思いが胸の中を満たす。
苦しい、苦しい、苦しい……!
このまま、死んでしまった方が楽なんじゃないか?
そうだ、そうに違いない。
どうせ俺は、生きていても周りに迷惑をかけるだけの存在だ。
死んでしまえば楽になれる……。
「ガリ兄! 頑張って! ガリ兄はこんな禁術なんかに負けるほど、弱くなんてないです!」
その時──。
ユイの声が聞こえた。
彼女は暗闇の中で、俺に手を伸ばす。
「ああ……」
そっと彼女と手を繋ぐ。
目の前を覆っていた暗闇が散開する。
隣には妹のクレアもいた。
クレアはじっと両手を結び、俺の無事を祈っているよう。
──ガリ兄はこんな禁術なんかに負けるほど、弱くなんてないです!
ユイは俺にそう言ってくれた。
俺を信じてくれた。
だから……! 俺はまだ死ねない!
これ以上、ユイやクレアを悲しませるような真似は許されないのだから!
意思の炎は、やがて光となっていく。
眩いばかりの光が、俺に『生きる』という意味を思い出させてくれた。
◆ ◆
「ユイ、もう少しだ……! もう少しだけ、頑張ってくれ!」
「はい!」
ガリ兄の力強い言葉に、私はそう頷く。
先ほどまで、ガリ兄は瞳に虚空を宿し、今にも闇に取り込まれてしまいそうだった。
だけど、もう大丈夫。
ガリ兄の瞳には、光が戻っていたのだから。
私も最後の仕上げとばかりに、《清浄》をさらに強いものとする。
パアアァァ──っ。
光がさらに強くなる。
すっと力が抜けたかと思うと、次の瞬間にはガリ兄を包んでいた闇は消えていた。
「成功した……?」
恐る恐る、声を零す。
ガリ兄はゆっくりと立ち上がり、額に浮いた汗を拭って、
「ああ……晴れやかな気分だ。やったな、ユイ。君のおかげで、俺の中の絶望は払われたんだ」
と微笑んだ。
「……っ! 見てください! 空を!」
続けてクレア女王が空を指差す。
クレア女王の指の先へと視線を動かすと、暗雲が払われ、地上に降り注ぐお日様の光があった。
しばらく立ち尽くしていると、
「ユイ!」
屋上の扉がバッ! と開け放たれ、カレンさんがこちらへ駆け寄ってくる。
「カレンさん! もう大丈夫なんですか?」
「ああ! アタイだけじゃなく、他の連中も無事だ! まだ確認中らしいが、街の状況も同じようなものらしい! ユイ、アタイらは暴君王の亡霊に勝ったんだよ!」
興奮気味に私の両肩を持ち、体を揺するカレンさん。
やった……!
本当に上手くいくかは賭けであったが……私たちは禁術に打ち勝ったんだ!
「よかった……」
──ふらあ。
安心すると、急に体の力が抜けた。
「「ユ、ユイ!?」」
倒れそうになる私を、カレンさんとガリ兄がすかさず支えてくれる。
「大丈夫か!?」
「は、はい……安心したら、眠くなっちゃって……魔力を使い過ぎちゃったかも……ちょっとだけ寝てもいいですか?」
「ああ、いくらでも寝ろ。あとのことは俺たちに任せればいいから」
ふんわりと優しいガリ兄の声音。
そういえば、私の異世界生活の始まりもこんな感じだったなあ。
あの時はまさか、こんな風に国を救うことになるだなんて思わなかったけど、ハッピーエンドでよかった。
ガリ兄の柔らかい胸元に顔を埋め、私はそっと瞼を閉じるのであった。
お城の正門前。
大きなリュックサックを背負ったカレンさんが、問いかけてくる。
「はい!」
それに対して、私は元気よく頷いた。
「料理人のみなさんはどうですか?」
「ああ! 準備万端だ!」
「いつでも行けるぜ!」
同じく、出発を待っていた料理人の方々もそう声を上げた。
私はカレンさんと目を合わせてから、市街地に繰り出した──。
その後、私たちは王都の中央広場で出店を出し、客を呼び込んだ。
「はーい! みなさーん、王城クッキング出張店ですよー! 現在、無料でサンプル品をお配りしています。おひとついかがですかー!」
「王城クッキング出張店……?」
「なんだ、そりゃ」
「行ってみようぜ。タダみてえだし」
当初、人々は不思議そうな顔をして遠巻きに出店を眺めていたが、やがてひとり──またひとりと、出店の前に集まってくる。
そんな人々に、私は紙のトレイに載ったお好み焼きを配っていく。
みんなは見慣れない料理に眉を顰めていたが、恐る恐るといった感じでお好み焼きを口にした。
すると……。
「う、旨え!」
「なんだ、こりゃ!」
「初めて食べる味だ! この黒いソースも不思議な味をしているが、中毒性がある!」
「おかわりだ! 金なら払うから、もっと売ってくれ!」
次から次へと、みんなはお好み焼きの虜になっていく。
よし……! ここまでは計算通り。
やがて広場にいる人たちだけではなく、他の場所からも押し寄せてくる。
おかげで、忙しさでてんてこまいになったけど……これくらいならノープロブレム。
そのために、カレンさんと王城専属の料理人の方々にも手伝ってもらっているしね。
「この調子なら……!」
お好み焼きを作りながら周囲を眺めていると、その変化はすぐに起こった。
「いい匂い……」
「最近食欲がなかったが、これなら……」
「腹が減った……」
──来た。
ソンビのようなふらふらの足取り。
瞳には生気を宿していない。
お好み焼きの匂いに釣られて──無気力病患者も集まってきたのだ。
みんな、顔色も悪い。ろくにご飯も食べていないのだろう。
しかし、そんな人たちもお好み焼きの魅力には勝てないはず。
無気力病患者の人たちにも、みんなと同じようにお好み焼きを配っていく。
「美味しい……俺、今までなにを……」
「長い夢を見ていたようだ。もっと食べたい……」
「えぇい! もっとくれ! 今までろくに食べ物も喉を通らなかったのが嘘のようだ!」
活力を取り戻していく無気力病患者。
「やったな、ユイ!」
「よかったです!」
広場の光景を見て、私はカレンさんとハイタッチをする。
行き当たりばったりの策ではあったが、私の予想は当たっていたのだ。
『私に任せてください! 私が無気力病患者を治してみせます!』
あの時──。
王城の会議室で、クレア王女やアザゼル大臣に私はそう言い放った。
無気力病のメイドも部屋がキレイに片付けられることによって、生気を取り戻した。
そこで私は、無気力病の特効薬は生活を整えることなんじゃないか──と仮説を立てた。
衣・食・住は生活の基本だからね。
この三つが整っていなければ、どんどん気持ちが落ち込んでいって、最悪心の病にかかってしまう。
心の病にかかって会社を退職した、前世の同僚のことを思い出す。
「ユイ様!」
出店の切り盛りをしていると、街を見回っていた騎士のひとりが駆け寄ってきた。
「街の中に、重度の無気力病患者がいます! 広場に出てくるまでの気力もないようなので、ぜひユイ様の力をお借りしたいのですが……」
「家の外にも出られないって、相当重症だな。ユイ、行くぞ」
「はい!」
でも……これだけお好み焼きを求める人々が多い中、私たちが抜けてこの出店は大丈夫だろうか?
少し不安になったが、
「こっちは任せとけって!」
「お嬢ちゃんはそっちに行ってくれ!」
「うおおおお! 燃えてきたあああ!」
──料理人の方々は頼もしい声をかけてくれた。
助かる。
「ありがとうございます」
私はお礼を言って、出店から離れる。
この調子で治していけば、無気力病を根絶できるはずだ。
私は息を切らしながら、街中を駆け回った。
◆ ◆
「陛下! 無気力病患者が、どんどん数を減らしているとの報告を受けました!」
「奇跡だ……ユイ様のおかげだ」
「これなら無気力病を根絶できる!」
私──クレアは城内で作戦の成功を祈りながら、大臣や部下たちの報告を聞いていました。
「ユイ……!」
私はそう声を零します。
突如、この国を襲った無気力病。
どのような薬や治療を施しても、無気力病は治りません。
そこで私はアザゼルの進言により、戒厳令を出そうとしました。
本当はそんなこと、したくありません。
何故なら、戒厳令は国民の自由を縛ることに等しいのですから。
ですが、この国を維持するため、やむなしと思った時……会議室に現れたユイは『私に任せてください!』と自信満々に言いました。
そして、彼女から詳しい説明を聞きます。
彼女は、生活を整えることによって無気力病が治ると考えているのだそうです。
最初は半信半疑でした。
数々の高名な医師でも手の施しようがなかった無気力病が、そんな単純なことで治るのでしょうか? と。
ですが、今までユイは数々の奇跡を起こしてきました。最後の賭けとして、ユイに任せてみるのも悪くありません。
そして結果は私の予想以上でした。
これなら、事態の解決も時間の問題でしょう。
だが。
「…………」
みんなが歓喜に沸く中、アザゼルだけはただ黙って、事の成り行きを見守っていました。
どうして、そんな顔をしますの?
無気力病患者が減ることは、彼にとっても望ましいことのはずなのに……。
「陛下、私たちも頑張りましょう。ユイたちに物資を送るのです」
「……! もちろんですわ!」
アザゼルの態度に違和感を抱きましたが──他の大臣から声をかけられ、一旦意識の外に追いやられました。
◆ ◆
無気力病根絶運動は、三日三晩続いた。
その間、私は街を駆け回り、無気力病患者の治療に勤しむこととなった。
そして……。
「無気力病の根絶が確認されました! 私たちは……勝利したのです!」
騎士のひとりから報告を受け、周りはわっと沸いた。
「やったな! ユイ」
「はい」
カレンさんの言葉に、私はそう頷く。
ふう……よかった。
クレア女王たちにあんなに啖呵を切っておいて、ダメでしたってなったら格好がつかないところだったよ。
これで一安心だ。
「早く城に戻ろうぜ。あの女王陛下にも報告するんだ」
「はい!」
頷き、私たちは王城に向けて駆けた。
◆ ◆
「何故だ……何故、失敗した!」
王城の地下室。
そこで私──アザゼルは悔しさで一杯になり、歯軋りをしていた。
──私の計画は完璧だったはずだ。
虚の霧。
大昔、暴君と呼ばれた国王陛下によって開発された魔法だ。
その効果は高貴な身分にある者以外の生きる力を消し、無気力にしてしまうこと。
あまりに恐ろしい魔法であることから、歴史の闇に葬られ、禁術に指定された。
{完全ではないにしろ}、禁術は発動した。
だが……結果はご覧の有り様だ。
たったひとりの幼女の言葉によって、禁術の対抗策が見破られ、私の計画は失敗に終わろうとしている。
「ここまで至るのに、どれだけの時間と費用を費やしたと思っているのだ! それがたかが幼女のせいで……!」
幼女──ユイの顔を思い出すだけで、腑が煮え繰り返そうになる。
禁術を発動し『貴族による貴族のための政治』を築くため、今まで汚い手を使った。
大商人モーリスだけではなく、葬った人間の数は十や二十では収まらない。
禁術を研究していたリオネルを魔力欠乏症にし、政治の表舞台から引き摺り下ろした。
なのに……! このままでは私の計画が失敗に終わるではないか!
「許さない」
呟き、私は儀式机に置かれた水晶に手をかける。
水晶は邪悪な魔力を吸い込み、真っ黒な色をしていた。
それを私は思い切り握り潰す。
パリン──。
乾いた音を立て、水晶が割れた。
その瞬間、真っ黒な闇が私の体を包む。
「これで終わると思うなよ──貴族が平民に負けるなど、決して起こってはいけないことなのだ。かくなる上は、私の命をもって幼女に制裁を下す」
意識が遠くなっていく。
しかしこれは不完全の禁術が、完全に至るための必要な工程だ。
私の全魔力──そして生きる力が吸い取られ、死が目の前にまで迫ってくる。
私の嘆きは、禁術にとって最高の糧となった。
これなら、確実に禁術は成就するだろう。
「この国に滅びあれ!」
そう叫ぶと、禁術の闇は私の全てを吸い取り、天高く舞い上がった──。
◆ ◆
私はカレンさんとお城に帰って、クレア女王にも作戦の成功を報告した。
彼女はとても喜んでくれた。
その後、クレア女王の口から直接、無気力病根絶が宣言される。お城は割れんばかりの喝采で包まれた。
さらに私たちの労を労うために、お城のダンスホールでパーティーが開かれることになった。
パーティーだなんてちょっと気が引けたけど、『主役が来なくて、どうするんですか!?』とクレア女王の言葉もあって、参加することになるのであった。
「無気力病根絶に……勝利の杯を!」
壇上のクレア女王の号令と共に、杯が高く掲げられる。
みんなのグラスにはお酒が入っているみたいだけど……子どもの私にはオレンジジュース。
お酒は好きだったけど、大人になるまで我慢だ。
「ユイ! 本当によくやったな!」
一緒にパーティーに参加しているカレンさんが、私の背中を強く高く。
顔がほんのりと赤い。
カレンさんはパーティーが始まる前からアルコールが入っていたみたいで、既にほろ酔いみたいだ。
「ありがとうございます。でも、私ひとりだけの力じゃありません。みんなの力あってのことです」
これは本音。
私ひとりじゃ、王都全域をカバーすることはさすがにできなかったしね。
出店を手伝ってくれた、料理人の方々……重症の無気力病患者がいないか見回ってくれた、騎士の方々……。
そしてカレンさん──みんなのおかげだ。
「ユイは謙虚なんだな。すごいことをやってのけたっていうのに」
そう言ってカレンさんは勢いよくお酒を呷り、「見ろよ」とパーティー会場を見渡す。
「みんな──笑顔だ。無気力病が蔓延してた頃は、みんな暗い顔をしてたんだぜ。この光景が実現できたのもユイのおかげだ」
カレンさんと一緒に、会場を観察する。
パーティーには貴族や城の大臣だけではなく、使用人や騎士の人々も参加している。
『貴族と平民、分け隔たりなくパーティーを楽しんで欲しい』というクレア女王のたっての希望だったからだ。
カレンさんの言う通り、みんなは笑顔を浮かべていた。
パーティーの楽しいムードに釣られて、私も酔ってしまいそうだ。
……やっぱり、みんな笑顔で暮らしていける世の中がいいと思う。
これは私が日本育ちだからだろうか、貴族や平民という身分で分ける世界には、やっぱり違和感があった。
みんなが力を合わせて、いい国を作っていく……そういうのがいいんじゃないだろうか。
「ユイ」
そんなことをしみじみと思っていると、クレア女王が歩み寄ってきた。
「この度は、本当にありがとうございます。この国はユイのおかげで救われましたわ。国民を代表して、私がお礼を言います」
「私のおかげで救われた……って、そんな大袈裟な」
「大袈裟ではありませんわ。あなたはもっと、自分を誇りなさいの」
とクレア女王は頬に手を当てる。
頬が軽く紅潮している。どうやらクレア女王も、ほんのりと酔っているみたいだ。
それにしても……。
私はきょろきょろと辺りを見渡して、彼女にこう質問する。
「アザゼル大臣の姿が見えないんですが、どこに行ったんでしょうか?」
彼は内務大臣という大事な職についている。
当然彼も、今回のことで喜んでいるはずなのだが……先ほどから探しても、姿が見当たらない。
「そういえば、そうですわね」
困ったような表情をして、クレア女王は続ける。
「もちろん、アザゼルにもパーティーのことは伝えていますが……まあ、彼も彼でやることがあるのでしょう。ユイが気にする必要はありませんわ」
「そうだぜ、ユイ」
クレア女王の言葉に同意するカレンさん。
カレンさんも元々、アザゼル大臣にあまりいい印象を抱いていなさそうだった。私がこうして彼を探しているのも、気に入らないのだろう。
だけど、やっぱりおかしい──そう思うのは、私だけだろうか?
最初に見た時から、アザゼル大臣には拭えない違和感があった。
迷子になっているだけというのは考えにくいし……。
しかし。
「あんな根暗そうな大臣、ほっておけばいいじゃねえか。今はパーティーを楽しもうぜ」
「は、はい、そうですね」
カレンさんの言葉で思考がストップする。
私の考え過ぎかな?
そう思って、これ以上はアザゼル大臣のことを考えないようにした。
考えれば考えるほど、嫌な感じが膨らんでいく一方だったから。
「さあ、ユイ。こちらの料理も食べてくださいの。王都の名物料理で……」
とクレア女王が言いかけた時であった。
窓から差し込んでいた光が消える。
「え……」
急に夜になったかのようだ。
すぐに窓の外を見る。
外はさっきまで快晴だったのに、今はすっかり曇り空に覆われていた。
不穏な空気に、私は体が固まる。
「カレンさん──わっ!」
振り返り、驚きの声を上げてしまう。
カレンさん──そして、会場内にいるメイドや騎士、そして貴族たちが膝を突き、苦しそうにしていたのだ。
「くっ……なんだこりゃ、思うように体が動かせねえ……」
「の、飲みすぎた……ってわけじゃないですよね?」
「そこまで酔っ払うほどバカじゃねえよ。これは……そう、まるで外から魔法で攻撃を仕掛けられているような……」
自分の今の状況が分からないのか、カレンさんの顔に戸惑いの色が浮かぶ。
さっきまで楽しい雰囲気に包まれていた会場は一転して、パニックに陥っていた。
「なんで、私は無事なんでしょうか」
「ユイだけではありませんわ。私も……」
みんなが苦しむ一方、私とクレア女王の体には異変が生じていないようだ。
「もしかして……毒?」
「いえ、そうだとしたら、同じものを食べている私やユイが苦しんでいないのは、おかしいんですの。それに今日の料理は厳格な管理下の元に置かれています。毒を混入させるなど不可能なはずですが……」
そう言うクレア女王ではあるが、彼女自身もみんなが苦しんでいる理由が分からないようであった。
こうしている間にも事態は一向によくならず、苦しむ人々の顔色が青白くなっていく。
ど、どうすればいいの!?
このままじゃ、みんなが衰弱していく一方で……。
「──禁術はまだ終わっていない」
その時。
パーティー会場に澄み切った声が響き渡った。
同時に、会場奥の大扉が開け放たれる。
反射的に声の方を、振り向くと……。
「ガ、ガリ兄……?」
自分でも自分が口にしたことを、信じられないくらいだ。
パーティー会場に急に現れた男は──まさしく、ガリ兄であったのだ。
彼は私の考えを裏付けるかのように、
「久しぶりだな、ユイ」
と柔らかく微笑んだ。
うん……やっぱり笑うと意外とイケメンなお顔、ガリ兄だ。
でも、なんでガリ兄がここに?
必ず王都に来ると約束してくれたが、ここで登場するのはさすがに予想外すぎる。
ガリ兄はクレア女王に歩み寄る。
その歩みは堂々としたもので、誰も彼を止めようとしなかった。
「リ、リ……」
クレア女王の前で立ち止まったガリ兄を見て、彼女はこう名前を叫ぶ。
「リオネルお兄様!」
「え?」
思わず、間抜けな声が漏れる。
確か……リオネルというのは行方不明になった、クレア女王のお兄さんの名前だったはずだ。
え? はい? どうして?
さっきから無数の疑問符が浮かび、正直頭の中がパンクしてしまいそう。
「……迷惑をかけたな、クレア」
ガリ兄はクレア女王を抱きしめようとするが、すぐにその手を引っ込めた。
「ガリ兄がなんで、ここにいるんですか? それにリオネルって……」
「リオネルは、俺の本当の名前だ」
ガリ兄は私に視線を戻す。
「そして、俺はこの国の第一王子だ。いや……王子と名乗るのは烏滸がましいか。王子という立場から逃げた俺には、最早その名を語る資格などないのだから」
「そんなことありませんの!」
クレア女王が大きい声で、ガリ兄の言葉を否定する。
「お兄様は……いつまでも、この国の王子ですわ! そして……私の愛するお兄様ですの!」
「まだそんなことを言ってくれるんだな。ありがとう、クレア」
ガリ兄が表情を緩める。
…………。
え、えーっと……。
勝手にふたりの世界に入っているようですが……。
ガリ兄の正体は、この国の第一王子だったってこと?
「いやいや、そんなまさか」
だとしても、どうしてゴミ区に──いや、待てよ。クレア女王の話を思い出せ。
彼女の話によると、この国の第一王子──リオネルは魔力欠乏症に陥り、魔法が使えなくなった。
そのことに絶望したリオネルは王城を去り、行方をくらました。
どこにいるのか分からなかったようだが……ゴミ区にいたのなら、その理由も納得ができる。
王子ともあろう者がまさか、ゴミ区に溶け込んでいるとは思わないのだから。
そう考えると一応、辻褄が合ってしまう。
「なるほど。そういうことだったか……」
カレンさんは苦しそうに胸に手を当てながら、こう続ける。
「昔、ユイを救出しにいった時……こいつの内側からは、僅かな魔力を感じていた」
「そうだったんですか?」
「ああ。そして、ユイを助けた結界魔法。見事なものだったが……王子だと聞いたら納得だぜ。行方不明になった第一王子は、魔法の神童として名を馳せていたからな」
「だが、俺は魔力欠乏症のせいで、一度魔法を使えなくなった。本来そのまま一生を終えるはずだったが……」
ガリ兄は私と視線を合わせたまま、こう言う。
「ユイのおかげだ」
「私?」
「ユイの作る薬のおかげで、魔力欠乏症が徐々に治っていったんだ。よほど質がよかったんだろう。さすが『至高の薬』と言うだけはある。今なら全盛期には程遠いが、簡単な魔法くらいなら使えるまで回復した」
そういえば、ガリ兄は病気のせいで薬を飲んでいたと言っていた。
私は当初、危ない薬だと誤解していたが……あれも魔力欠乏症の薬だったってこと?
「で、でも、ガリ兄は魔法研究所をクビになったんじゃ……」
「すまない、あれは嘘だ。俺の素性がバレれば、王都に連れ戻されると思ったんだ」
あっ、なるほど……。
点と点が繋がる。
魔法の神童と呼ばれていたなら、魔法について異様に詳しかったのも納得だしね。
「色々質問したいところですが……今はそれどころではありません。ガリ兄……じゃなかった、リオネル王子殿下。禁術というのは──」
「ガリ兄と呼んでくれ。ユイから王子だなんて呼ばれると、むず痒くなる」
「だったら、ガリ兄──禁術というのはどういうことですか? それにまだ終わっていないって」
「一から説明している時間はない。悪いが、手短に説明させてもらうぞ」
そう言って、ガリ兄は説明を始めた。
かつて、この国には暴君と呼ばれた王がいた。
暴君王は独裁を敷き、『貴族による貴族のための政治』を行なっていた。
だが、彼の治世は長く続かない。暴君王の治世に耐えかね、国民が立ち上がったのだ。
追い詰められる暴君王。だが、彼は諦めなかった。
彼は密かに未知なる魔法を作り上げようとしていたのである。
その魔法の名とは──虚の霧。
国中を暗黒で覆い、人々から生きる力を吸い上げる魔法だ。
生きる力を失った人間は、人形のように感情も思考もなくす。
しかし虚の霧は、当時の騎士や冒険者たちの手によって防がれたが……この魔法がもう一度使われれば、次は国が滅びるかもしれない。
そう考えた人々は、虚の霧を禁術に指定した。
だが──何者かによって禁術の楔は解かれた。
今、王都の上空に暗雲が立ち込め、みんなが苦しんでいるのも虚の霧の影響だろう……ということだった。
「こうなる前に、王都でなにか異変は起こっていなかったか?」
「はい。無気力病といって、みんなが生きる力をなくして……」
「それも虚の霧の初期症状だ」
そう断言するガリ兄。
「未完全なままだったら対処は可能だったが……一足遅かったようだ。禁術は完全に発動され、今我々を襲っている」
「ということは、王都中の人々がこんな感じに?」
「そうだな。さらに今はまだ影響は王都に留まっているが、虚の霧は徐々に広がっていく。これを放置すれば、やがて国全土に影響が波及するだろう」
「で、ですが、お兄様、どうして私たちは無事なのですか?」
次にクレア女王が質問する。
「Sランク冒険者のカレン様ですら、こうして苦しんでおられますわ。それなのに──」
「これは俺の推測だが……おそらく、王の血を引いている者には、禁術の影響が届かないのだろう。禁術を発明した暴君王自身も生きる力を失われれば、本末転倒だからな。だが、ユイについては分からない。なにか理由はありそうだが……」
ガリ兄は腑に落ちない表情で、首を小さく傾げた。
──虚の霧の影響を受けないのは、私が転生者だからじゃないだろうか?
私はいわば、この世界にとってイレギュラー。
世界のシステムの外側にいる……と。
だけど推測に過ぎず、みんながいる前で転生者だと打ち明けるのも抵抗があったので、今は黙るしかなかった。
「俺は昔、城に保管されている魔法書を漁っていくうちに、禁術のことを知った。もう二度とこのようなことが起こってはいけない。起こったとしても、必ず俺が止めてみせると思い禁術の研究を続けていたが──原因不明の魔力欠乏症に陥り、俺は魔法が使えなくなった」
悔しさを堪えるように、ガリ兄が歯軋りをする。
「その後のことは知らないが、こうなった以上は他の誰かが俺の研究を流用したということだろう」
「研究していたということは、禁術をどうやって止めるかもガリ兄は知っているんじゃないですか?」
「いや」
ガリ兄は顔を伏せて、首を横に振る。
「……結局、{完全な}対抗策は見つからなかったんだ。一度、禁術が発動してしまえば、途中で止めることは不可能。生き物から生きる力を吸い取り、この国全てがエルフィノラのゴミ区のようになるだろう。そうなってしまえば国の形が保てず、崩壊する」
「そんな……」
愕然とする。
ガリ兄からの話を聞いて、私の頭の中に浮かんだのはエルフィノラのみんなの顔だ。
孤児院のミナちゃんや院長先生。冒険者ギルドのフィリスさんやココ。グレゴルさんやハドリーさん、街の親切な人々。
禁術を止められなかったら、そんな彼・彼女らも笑えない世界が待っている。
生きる力を失い、ただ死を待つだけの人生。
エルフィノラに帰っても、もしかしたらみんなが笑顔で迎えてくれないかもと想像したら、恐怖が湧いてきた。
私の帰るべき場所は──エルフィノラだ。
帰るべき場所がなくなるなんて、断固拒否だ。
「だが……唯一、禁術を潰せる方法がある」
ガリ兄は表情に覚悟を滲ませて、こう続ける。
「俺が『器』となり、禁術を一身に引き受けることだ」
「ガリ兄が?」
疑問を発すると、ガリ兄は首を縦に振る。
「今、空には暗雲がかかっているように見えるだろう? あれは正しく言うと、“希望”と“絶望”が混じったような状態だ。希望は絶望と混ざった瞬間、毒となる。それが禁術の本質だ」
「でしたら、絶望だけを消せば……!」
とクレア女王は表情を明るくする。
だが一方、ガリ兄の表情は暗いままだった。
「しかし、絶望は概念のようなもの。中に漂っている状態では、消すことができない」
「どうしてですか?」
「消すためには、対象が必要だからだ。『誰の絶望を消すのか』を明確にしなければならない。分かりやすく言うと、空に漂っている絶望は持ち主がいないと言い換えてもいいだろうか。持ち主がいない絶望は消すことができない」
絶望だけを消せば、禁術を止められるかもしれない。
だけど絶望は概念で、持ち主がいなければ消すことができない。
だったら、{持ち主を用意}すれば消せるってこと……?
ということはガリ兄は──。
頭の中でそう推論を立てると、ガリ兄はふっと笑いかける。
「賢いユイは気付いたようだな。なんとかして絶望だけを取り出し、それを受け入れる持ち主さえいれば、虚の霧を消すことができるかもしれない。
虚の霧という禁術は、暴君王が作った魔法だ。ならば、王の血を継いでいる俺も、禁術に適合する──『器』になることができるかもしれない。ならばあその『器』を、俺が引き受けよう」
自分の胸を叩くガリ兄。
活路はできた。
だが……。
「ガリ兄が絶望を受け入れたとしましょう。ですが、その後はどうするんですか?」
「自害する」
とんでもないことを、さも当然と言わんばかりのガリ兄。
「絶望を吸収すれば正気が保てず、記憶や感情も消えるだろう。かつての暴君王のように錯乱する前に、俺は自ら命を断つ」
そう続けて、ガリ兄は驚くくらい優しい笑みを浮かべる。
「俺ひとりの犠牲で国が救えるなら、安いものだ。禁術ごと俺が地獄に行く」
「いけません!」
しかし──クレア女王が真っ先に反論する。
「せっかく、再会できましたのに……! お兄様ひとりが犠牲になるなんて、到底受け入れられる結末ではありません!」
「だが! それしか方法がないんだ!」
声を荒らげるガリ兄。
「でしたら、お兄様の代わりに、私が禁術の『器』になりますわ!」
「『器』となるためには王の血を継いでいる以外にも、魔法への適正が必要だ。クレアは昔から、魔法がさほど得意じゃなかっただろう?」
「それは……」
「いいんだ。これが今まで生きることから目を背け、サボってきた人間が払うべきツケだ。ようやく報いを受けることができて、なんならほっとしているくらいだよ」
そう言って、ガリ兄はクレア女王の頭を撫でる。
クレア女王は瞳一杯に涙を溜め、今にも零れ落ちてしまいそうだった。
「だから俺は自害する。俺がいなくなった後も、クレアは国を導いて──」
「待ってください」
勝手に話を進めようとするガリ兄を、私は引き止める。
禁術を止めるためには、ガリ兄が死ななければならない──。
だけどそんなバッドエンド、私は見たくない。
私の異世界生活は……ハッピーエンドじゃないといけないからだ!
ゴミ区からスタートした私の異世界生活。最初はどうなることかと思ったけど、優しい人たちに囲まれて、ここまで来れた。
なのに、今度は国全体がゴミ区みたいになるって? そんなの、あんまりすぎる! 私の異世界転生、どんだけハードモードなの!?
だったら、もうとことん足掻いてみせよう。
ハッピーエンドの先の世界で、絶対に私はエルフィノラに帰る!
だから──。
「ガリ兄の話を聞いて、閃いたことがあるんです。私がいれば、禁術を止めることができるかもしれません」
そう言うと、ガリ兄は目を丸くした。
パーティー会場を後にして──。
私とガリ兄、クレア女王の三人はお城の屋上に来ていた。
「ちゃんとした服を着たガリ兄も、カッコいいです」
私はそうガリ兄に声をかける。
ガリ兄はいつものボロボロの服ではなく、王族衣装に身を包んでいた。
この王族衣装にはいくつかの魔法が付与されており、身につけている者の魔力を高める効果があるらしいのだ。
「ありがとう」
ガリ兄がふんわりと柔らかい表情でお礼を口にする。
「この服を着るなんて久しぶりだから、むず痒い気持ちになるよ。俺の服、まだ残してくれていたんだな」
「いつか必ずお兄様は戻られると思っていましたから……それより、本当に大丈夫なのですか?」
クレア女王が心配したような表情で問う。
「はい! ばっちりです!」
「今まで、ユイの生活魔法は何度も奇跡を起こしてきた。今回も大丈夫なはずだ」
クレア女王を安心させるため、私とガリ兄はそう言葉を投げかけた。
私たちが今からすることは、大きく分けて三つ。
1・《分別》で希望と絶望を分離する。
ガリ兄いわく、空に漂っている暗雲は人々の希望と絶望が混ざった状態なのだという。
まとめて処理しようにも、希望も消してしまっては意味がない。
そこでまずはそのふたつを分離し、絶望だけを取り出す必要がある。
2・ガリ兄と取り出した絶望を、《混合》で混ぜる。
絶望を取り出したとしても、そのままではただの概念。
なので絶望を消すためには、その持ち主……『器』が必要となってくる。
『器』になるためには、王の血を継ぐ者かつ魔法の適正がなければいけない。
禁術が効かない時点で──王の血は継いでいないとはいえ──私にも適正があるかもしれないが、そうすれば三つ目の作業が難しくなる。
そこで危険な賭けになるかもしれないが、ガリ兄に頼らざるを得なかった。
私の《混合》はふたつの素材を{生かしたまま}、混ぜることができる。
ゆえにガリ兄の意思を殺さず、絶望と混ぜることができるのではないか? と考えたわけだ。
3・ガリ兄の中で混ざった絶望を、私の《清浄》で消す。
これが仕上げの三つ目。
絶望はいわば、穢れだ。
今まで散々やってきたように、《清浄》を使えば絶望を消せるはず。
宙に漂った暗雲は、希望から絶望を取り出した時点で、禁術として破綻する。そうすれば、自然と元の持ち主へと戻っていくらしい。
こうすればガリ兄も死ぬ必要はなく、禁術を止めることができる。
──以上が私たちの作戦である。
「だけど、ひとつ懸念があります」
黒い空を眺めながら、私はこう口を動かす。
「ガリ兄の意思を殺さず混ぜるということは、それは即ち絶望も消えないということ。絶望に心を削られ、精神が崩壊するかもしれません。だから強く自分を保つ必要があります」
「構わない」
私の忠告を、ガリ兄は真正面から受け止めた。
「ユイと出会えて、俺は変われた。どれだけの絶望を受け入れようとも、俺は前だけを向き続ける。決して死なない。だからユイ……君は自分のことだけを考えてくれ」
「はい!」
ガリ兄の力強い言葉に、私は元気よく頷いた。
……こうなったらあとは、全力でやるだけだ。
決意し、私は空に手をかざす。《分別》で希望と絶望を引き剥がしにかかった。
「ユイ! どうですか!?」
「問題ありません!」
クレア女王に答える。
……うん。なかなか厄介だけど、これなら無事に分離できそうだ。私はさらに強く魔力を放出する。
空を漂う暗雲は、まるで珈琲とミルクが分かれるように、黒と白の奔流へと変わっていく。
私はその黒色の部分だけを慎重に取り出し、希望と絶望を分離させることに成功した。
「ガリ兄! 希望と絶望を分離しました! 準備はいいですか?」
「ああ! いつでも来い!」
ガリ兄が分離した黒色──絶望の塊を見据え、力強い言葉を投げかけてくれる。
私は絶望の塊をゆっくりと移動させ、ガリ兄に接近させていく。
そして──絶望の塊がガリ兄の中に入った。
「……っ!」
一瞬、ガリ兄の顔が苦痛で歪む。
しかし、私とクレア女王を心配させないようにするためか、震える手でぐっと親指を突き立てた。
「すぐに済ませます!」
《混合》──。
ガリ兄と絶望が混ざっていく。
胸に手を当て、呼吸も荒くなるガリ兄。
暗闇色の霧が、彼の体を包んだ──。
◆ ◆
俺──リオネルは、この国の第一王子として生を授かった。
国王であった父は、貴族と平民の壁を取っ払い、自由で平等な世の中を実現しようとしていた。
俺もそんな偉大なる父の背中を追い、次期国王として国を引っ張っていく。
……いや、『はずだった』というのが正しいか。
幸いにも、俺は生まれながらにして魔法の才能があった。
普通の人が一年かけて覚える魔法を、俺は一晩で習得した。
宮廷魔導士が俺の魔法の腕に驚き、『神童』と称した。
俺はその才能にかまけず、魔法の鍛錬を欠かさなかった。
もっと、この力を人々のために役立てたい。
そのためなら、俺の体なんてどうでもいい……と。
だが、それは間違いだった。
国王として国を引っ張っていた父であるが、一方で彼には敵も多かった。
貴族の中には、自分が持つ利権を剥奪されると危惧する者も多いのだ。
彼らは父の足を引っ張り、国の革命はなかなか進まない。
そんなある日、追い討ちをかけるように俺に悲劇が襲う。
原因不明の魔力欠乏症を発症したのだ。
徐々に、自分の魔力が弱っていくのは自覚していた。
だが、自分の弱さを認められず、誰にも相談することができなかった。
焦れば焦るほど、さらに魔法の腕が鈍っていき……やがて、完全に使えなくなった。
魔力に最適化された体は、魔力が尽きることによって、上手く動かなくなる。ゆえに、俺は慢性的に体の不調に悩まされることになった。
発作を抑える薬なしでは、手の震えが止まらなくなるほどだ。
こんな俺では、父が夢見ていた未来も実現できないだろう。
自暴自棄になった俺は、ひとりで城を飛び出した。
そして……エルフィノラのゴミ区に辿り着き、生きているのか死んでいるのかも分からない生活を送ることとなった。
そんな時──彼女に出会った。
『ゾ、ゾンビさん!?』
彼女は俺を見るなり、そう叫んだ。
無理もない。ゴミ区にいる俺は、ゾンビのような腐った見た目と中身だったからだ。
彼女の名前はユイといった。
どうして、幼女がゴミ区に……と思ったが、ユイは親に捨てられたのだろう。
こんな幼い子を捨てるとは……! と内心憤慨するが、今の俺ではどうしようもできない。
この幼女もゴミ区で、惨めに死んでいくのだろうな……と諦念にも似た感情を抱いた。
しかし、彼女は違った。
彼女には生活魔法の力があったのだ。
それからは、日々驚かされることばかりである。
ユイからもたらされる話は、どれも夢物語のようだった。
そして、俺の運命を変えた決定的な出来事があった。
ユイが王城で保護されることになったのだ。
なるほど、エルフィノラだけでユイを守るのは限界がある。ならば、王城で保護された方が何倍も安全であろう。
ユイとの別れは惜しいが、彼女を止めるわけにはいかない。彼女と別れ、俺は変わらずゴミ区でクソみたいな人生を送り続けるだろう。
そう思っていたが──。
『ガリ兄も一緒に王都に行きませんか?』
とユイは言った。
なんで俺を? と思ったが、ユイは俺が過去と向き合うべきだと考えているらしい。
身の内はほとんど明かしたことがなかったというのに……この子は賢い子だ。俺の心の弱さなど、とっくに見破っていたのだろう。
もう王都に戻るつもりはなかった。今更、妹のクレアに会わせる顔もない。
だが、ユイは変わろうとしている。それなのに、大人の俺がずっとうじうじしていてもいいのか?
悩んだ末に俺は、『必ず王都に行く』とユイに伝え、仕事を始めることにした。
そうすることによって、ユイやクレアの前に自信を持って立てるようになると考えたからだ。
運動不足で痛む体で必死に働き、俺は王都までの馬車代を稼いだ。
そして、一ヶ月ほどが経った。
馬車代も溜まり覚悟ができた俺は、ユイに会うために王都に向かった。
しかし王都に到着すると、どうも街中の様子がおかしい。
人々が苦しんでいる。先ほどまで快晴だったのに、空には暗雲が立ち込めていた。
まさか……! と嫌な予感を抱え、俺は王城に急ぐ。
城の門番も苦しんでいた。おかげで身分を証明しなくても城の中に入ることができた。
そして、俺はユイ──そして妹のクレアと再会した。
久しぶりに会うクレアはたくましく、しかしどこか疲れ切った表情をしていた。
今すぐにでも抱きしめたい。抱きしめて、「もう大丈夫だ」と言ってやりたい。
ユイにも、「お前のおかげで変われた」とお礼を伝えたい。
しかし、それをしている場合ではない。
俺は彼女たちに、今のこの状況は禁術によるものだと伝えた。
そして、俺ひとりだけが犠牲になろうとしたが……ユイは止めた。
もっといい方法がある。
みんな、笑顔のハッピーエンドがいい。
そういう類の話だ。
俺は彼女の考えに乗り、一世一代の賭けに打って出ることにした。
そして──今だ。
「ぐ、ぐああ……っ!」
胸が痛む。
視界は暗闇で覆われ、自分がどこに立っているのかさえ、あやふやになる。
俺の中で混ざった絶望は思いの外、強烈なものであった。
こんなことをしても無駄じゃないか。
一度辛いことから逃げ出した俺には、もう生きる価値はないんじゃないか。
そんな思いが胸の中を満たす。
苦しい、苦しい、苦しい……!
このまま、死んでしまった方が楽なんじゃないか?
そうだ、そうに違いない。
どうせ俺は、生きていても周りに迷惑をかけるだけの存在だ。
死んでしまえば楽になれる……。
「ガリ兄! 頑張って! ガリ兄はこんな禁術なんかに負けるほど、弱くなんてないです!」
その時──。
ユイの声が聞こえた。
彼女は暗闇の中で、俺に手を伸ばす。
「ああ……」
そっと彼女と手を繋ぐ。
目の前を覆っていた暗闇が散開する。
隣には妹のクレアもいた。
クレアはじっと両手を結び、俺の無事を祈っているよう。
──ガリ兄はこんな禁術なんかに負けるほど、弱くなんてないです!
ユイは俺にそう言ってくれた。
俺を信じてくれた。
だから……! 俺はまだ死ねない!
これ以上、ユイやクレアを悲しませるような真似は許されないのだから!
意思の炎は、やがて光となっていく。
眩いばかりの光が、俺に『生きる』という意味を思い出させてくれた。
◆ ◆
「ユイ、もう少しだ……! もう少しだけ、頑張ってくれ!」
「はい!」
ガリ兄の力強い言葉に、私はそう頷く。
先ほどまで、ガリ兄は瞳に虚空を宿し、今にも闇に取り込まれてしまいそうだった。
だけど、もう大丈夫。
ガリ兄の瞳には、光が戻っていたのだから。
私も最後の仕上げとばかりに、《清浄》をさらに強いものとする。
パアアァァ──っ。
光がさらに強くなる。
すっと力が抜けたかと思うと、次の瞬間にはガリ兄を包んでいた闇は消えていた。
「成功した……?」
恐る恐る、声を零す。
ガリ兄はゆっくりと立ち上がり、額に浮いた汗を拭って、
「ああ……晴れやかな気分だ。やったな、ユイ。君のおかげで、俺の中の絶望は払われたんだ」
と微笑んだ。
「……っ! 見てください! 空を!」
続けてクレア女王が空を指差す。
クレア女王の指の先へと視線を動かすと、暗雲が払われ、地上に降り注ぐお日様の光があった。
しばらく立ち尽くしていると、
「ユイ!」
屋上の扉がバッ! と開け放たれ、カレンさんがこちらへ駆け寄ってくる。
「カレンさん! もう大丈夫なんですか?」
「ああ! アタイだけじゃなく、他の連中も無事だ! まだ確認中らしいが、街の状況も同じようなものらしい! ユイ、アタイらは暴君王の亡霊に勝ったんだよ!」
興奮気味に私の両肩を持ち、体を揺するカレンさん。
やった……!
本当に上手くいくかは賭けであったが……私たちは禁術に打ち勝ったんだ!
「よかった……」
──ふらあ。
安心すると、急に体の力が抜けた。
「「ユ、ユイ!?」」
倒れそうになる私を、カレンさんとガリ兄がすかさず支えてくれる。
「大丈夫か!?」
「は、はい……安心したら、眠くなっちゃって……魔力を使い過ぎちゃったかも……ちょっとだけ寝てもいいですか?」
「ああ、いくらでも寝ろ。あとのことは俺たちに任せればいいから」
ふんわりと優しいガリ兄の声音。
そういえば、私の異世界生活の始まりもこんな感じだったなあ。
あの時はまさか、こんな風に国を救うことになるだなんて思わなかったけど、ハッピーエンドでよかった。
ガリ兄の柔らかい胸元に顔を埋め、私はそっと瞼を閉じるのであった。

