生活魔法しか使えないから諦めてたのに……あれ?私、最強だった 〜5歳の転生幼女、自由気ままに異世界を生き抜く〜

「いい天気だなあ〜」
 雲ひとつない快晴の下。
 私は、エルフィノラを離れて走っていく馬車の中にいた。
「はしゃぎすぎて馬車から落ちんなよ。気持ちは分かるけどな」
 そんな私を、対面に座っているカレンさんが微笑ましく眺める。
「ユイは馬車に乗るのが初めてなんだよな」
「はい!」
 元気よく頷く。
「魔の森に行く時は、徒歩だったし……こんなにエルフィノラから離れたのは初めてかもしれません!」
 エルフィノラを出発して、結構な時間が経とうとしている。
 街での出来事を思い出すと、寂しくて涙が込み上げてくるけど……我慢我慢。
 カレンさんもいるからね。
「一応言っとくけど、せめて王族の前ではちょっとは控えろよ。あいつらの機嫌を損ねたら、後々面倒そうだからな。まあ……アタイも人のことを言えるほど、マナー作法には詳しくないが」
 とカレンさんが唇を尖らせる。

 そう──私たちは王都に向かっているのだ。

 王都といえば、この国一番の都会だと言われている。
 果たして、王都ではどんな光景が待ち受けているだろうか?
 ワクワクする気持ちを抱えながら、私は一週間前にフィリスさんから告げられたことを思い出した──。

 ◇ ◇

「──王族が、ユイちゃんを保護したいって言ってるのよ」
 私の無事を祝う会の途中。
 フィリスさんは慌ただしい様子で、そう告げた。
「王族が?」
 王族っていうと……国王とか王子のことだよね?
 どうしてそんな話になるのか分からず、私は首をひねる。
「ええ」
 フィリスさんは話を続ける。
「今回の──モーリスの一件は王族の人の耳にも届いたみたいでね。しかも、冷房の開発者がユイちゃんだということもバレてるみたい」
「ふむふむ」
「それで……今回のことがまた起こったら、ユイちゃんが危ない。ユイちゃんの力は王族も興味がある。だから、ユイちゃんを危険から遠ざけるため、王城で保護したいって話だったけど……」
「バ、バカ言うんじゃねえ!」
 話に割って入るように、反論の声を上げたのはグレゴルさんであった。
「王族の連中にユイを渡すだと!? そんなの、許せるわけがねえ!」
「その通りだ! 薬神様を王族に渡すわけにはいかない!」
 続けて、ハドリーさんも叫ぶ。
 それを皮切りに、他の人たちからも反論の声が上がる。
「王族の連中はなにを考えてやがる」「この天使を王族にやるだと!?」「ユイの力を利用しようとしているだけに違いない」「王族なんていなくても、ユイは俺たちが守る!」などなど……。
 しかし、当の本人である私には別の考えがあった。
「ユイも嫌だよな? 王族の連中に保護されるなんて……」
「──いいえ」
 急に王族からお呼びがかかって、戸惑っていないと言うと嘘になる。
 だけど私はグレゴルさんの言葉に、首を横に振り。
「私、王都に行ってみたいです」
「ユ、ユイ!?」
「私だけならいいんです。ですが──今回はみなさんを巻き込んでしまいました。モーリスの一件はなんとかなりましたが、今後もみなさんにご迷惑をかけてしまうかもしれません」
 それに国が本気になったら、さすがにみんなも私を王族に差し出さざるを得ないだろう。
「ユイ……俺たちのことなんて、気にしなくてもいいのに……」
「さすがは薬神様。君は自分のことより、他人である僕たちを気遣っているんだね」
 しんみりとした空気が場に流れる。
「もっとも、すぐに戻ってくるかもしれませんけどね。王族の人たちの話を聞いてみるだけでもいいと思うんです」
 そう言って、フィリスさんと真っ直ぐ目を合わせ。
「だから私、王都に向かいます。そこで王族の人たちときちんと話をします」
「分かったわ」
 真剣な顔をして頷くフィリスさん。
「そうなったら、ユイちゃんをひとりで王都に向かわせるわけにはいかないわね。街の外には魔物もいるんだし、万が一王都に辿り着けないってことは有ってはならないわ」
「だったら──アタイも行く」
 黙って事の成り行きを見守っていたカレンさんが、手を挙げる。
「アタイがユイの護衛を務める。それに王都でなにが起こるか分からないから、しばらくユイと一緒に滞在しよう」
「カレンさん、いいんですか?」
「いいんだ。久しぶりに王都にも行ってみたかったしな」
 私に気を遣わせないようにしてくれているのか、カレンさんがニカッと笑う。
「決まりね。だったら、すぐに馬車の手配をするわ。出発は一週間後。それでいい?」
「はい」
 頷く。
 ……正直なことを言うと、王族の人たちと話すのは気が重い。
 しかし、いいきっかけだったのだ。
 いつか、この力の付き合い方と向き合わなければいけなかったのだから。
 まだ見ぬ王都の風景を想像しながら、私はそう強く決意するのであった。


 ──王都に出発するまでの一週間で、私はお世話になった人たちへの挨拶を済ませることにした。

 まずはミナちゃん。

「王都に行っても、私のことを忘れないでちょうだいよね! お手紙も一杯書くから! あっ、それとお土産もよろしく!」
 ミナちゃんは腰に手を当て、元気に言う。
 だけど、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「うん、もちろんだよ! 私もお返事を書くね!」
 ミナちゃんと握手をする。
 彼女と別れるのは寂しいけど、今生の別れというわけではない。
 王族の人たちに保護されることになっても、なんとか時間を作ってエルフィノラに帰ってくればいいだけなのだから。

 さらにグレゴルさんとハドリーさん。

「明日からユイと簡単に会えなくなると思ったら、寂しいな」
「冷房のことは任せてよ。グレゴルと適切に管理するから」
 グレゴルさんとハドリーさんとも握手をする。
 ……冷房のことは、さすがに私がエルフィノラから離れたら管理できなくなると思い、ふたりに任せることにした。
 ふたりは当初断っていたが、私がどうしても……と言うと快く了承してくれた。

 あとは冒険者ギルドのみんな。

「ユイちゃん、元気でね」
「めえ〜……」
 フィリスさんとココの声にも、心なしか寂しさが滲み出ている。
 他の冒険者の人たちとも同じように別れの挨拶をする。中には『やっぱり行くな!』と引き留めてくれた人もいた。
 私がエルフィノラで暮らし始めてまだ半年も経っていないのに、こんなに別れを惜しんでくれるなんて……と思うと、嬉しさが込み上げた。

 そして──ガリ兄。

「私、王都に行くことになりました」
 私が最初にそう告げた時、ガリ兄は淡々とその事実を受け止めていた。
「そうか……まあこの街にいるだけじゃ、またモーリスのような輩に目を付けられるかもしれないからな。王族に保護してもらうっていうのは、いい手だと思う」
 いつもと変わらない様子。
 だけど……ガリ兄が『王族』という名を出す時、彼は酷く寂しそうな表情をする。
 王族になにか思い出でもあるのだろうか?
 だったら余計に……。
「……ガリ兄」
 私は意を決して、ガリ兄に伝える。
「ガリ兄も一緒に王都に行きませんか?」
「俺が?」
 まさかそんなことを言われると思っていなかったのか、ガリ兄はきょとんとした顔をする。
「はい。なんというか……やっぱりガリ兄は王都に行くべきだと思うんです」
「どうして、そう思うんだ?」
「自分でもよく分からないです。ですが……ガリ兄が昔いた魔法研究所って、もしかしたら王都にあるんじゃないでしょうか?」
 思えば、ヒントはいくつかあった。
 最初にパンを渡しに行った時も、ガリ兄は王都の名物ホットドックを昔食べたことがあると言っていた。
 王都の商人であるモーリスのことも、ガリ兄はなにか知っているようだった。
 そして、今──王族になにか思うところがあるような素振り。
 これらのヒントを繋ぎ合わせれば、ガリ兄と王都を結びつけるのも難しくはない。
「ガリ兄の病気?も、王都に行ったら治るんじゃないでしょうか。こんなこと、私から言うのも烏滸がましいんですが……ガリ兄は一度、過去と向き合うべきだと思うんです」
 それで──ガリ兄が前に進めるきっかけになるかもしれないから。
 そう思った。
 ガリ兄は少し考え込む素振りをし。
「……そうだな、ユイの言う通りかもしれない。いつまでも過去に囚われていては、俺はいつまで経っても前に進めない」
「だったら──」
「しかし」
 一度言葉を切り、覚悟を固めるように大きく息を吸った。
「それは今じゃない。そもそも、俺は慢性的に金欠だ。王都に行くまでの馬車代もないからな」
 しんみりした空気を吹き飛ばすように、ガリ兄は冗談っぽく言う。
「だが、俺も仕事を始める。そして金が貯まったら、必ず王都に行こう」
「そんなの、私と一緒に行けば──」
「いいんだ。これは俺なりのけじめだ。王都に行くまでの馬車代も自分で稼げないようなら、ユイの隣に立つ資格もない。だから──」
 ガリ兄はふっと笑いかけて、私の頭を撫でる。
「少し、待っていてくれるか? 次は王都で再会しよう」
「……はい!」
 力強く頷く。
 ガリ兄と一緒に行けないのは残念だけど……心配はない。
 何故なら、今のガリ兄の瞳には大きな決意が込められているように見えたから。
 今のガリ兄なら、きっと王都に来てくれるはずだ。
「では……しばらくお別れです。また王都で会える日を楽しみにしていますからね!」
「ああ」
 手を振って、ガリ兄と別れる。
 かつてはゾンビのように生気のなかったガリ兄。
 でも、今の彼からは生きる希望が確かに感じられた。

 ◇ ◇

「みなさん、今頃なにをしているんでしょうね?」
「ユイがいなくなって、寂しくて泣いてるんじゃねえか? それほどユイの存在は、みんなにとって大きかったんだ」
 窓から見える風景を眺めながらカレンさんが言う。
 そう言われたら、ちょっと罪悪感を覚えるけど……考えて決めたことだ。
 今更、引き返す気はない。
 あと三日もすれば、王都に着くのだという。
 馬車の旅は楽しいけど、そろそろお腹が減ってきて──。
「そうです」
 私は布で蓋をしたバスケットを取り出す。
「そろそろ、お昼ご飯にしませんか?」
「おっ、そうだな。それにしても、さっきから良い匂いがしてたが……なにが入ってるんだ?」
「これです!」
 満を持して布をどける。
 すると、そこには美味しそうなサンドイッチが入っていた。
「おっ、旨そうだな!」
 カレンさんの目が輝く。
「今朝、院長先生とミナちゃんに手伝ってもらって、作ったんです。カレンさんからどうぞ」
「じゃあ、遠慮なく──」
 パクッ。
 カレンさんがサンドイッチを手に取り、もぐもぐと咀嚼する。
「旨え! お店のサンドイッチにも引けを取らないぞ! いや……なんなら味が濃いめで、アタイはこっちの方が好みだ!」
「ご好評でなによりです」
 では、私も……。
 チキンとレタスの挟んだサンドイッチに齧りつく。
 噛んだ瞬間、じゅわっと口の中に広がったのは、焼いたチキンの旨みと塩気。
 作ってから少し時間が経っているのに、レタスも驚くほどしゃきしゃきだった。
 思わず頬が緩む。
 作ってきてよかった〜。
「デザートに、苺サンドもあるんです。苺を生クリームで包んでいます。こちらもどうぞ」
「おう! これも旨そう──」
 とカレンさんが苺サンドに手を伸ばしかけた──時であった。

 キキキッ──。

 馬車が急停車する。
「大変だ! すぐに外に出て来てくれ!」
 馬車の御者が叫んだ。
 私たちはすぐに馬車の外に飛び出る。
 すると、そこには──体から腐臭を放つゾンビと、体が骨だけの魔物が道を塞いでいた。
 数は十体ほどだろうか。魔物らはカタカタと不気味な笑い声を上げる。
「魔物のゾンビウォーリアとスケルトンか」
 カレンさんが目力を強いものとし、大剣を抜く。
「ユイ、下がってな。アタイがさくっと──」
「《清浄》!」
 魔物の上空で、《清浄》の光が広がる。
 ゾンビウォーリアとスケルトンは悲鳴を上げる間もなく、蛞蝓のようにちっちゃくなっていき、やがて完全に消滅した。
「なっ……!」
 カレンさんが愕然とする。
「これくらいならワンパンです。……って、カレンさん? どうしたんですか?」
「……いや、なんでもない」
 腑に落ちない表情をしながら、カレンさんは大剣を肩で背負い直す。
「馬車に戻りましょう。まだ苺サンドも食べれてないですし」
「そうだな」
 ぶっきらぼうに言い放ち、カレンさんは馬車に向かって歩き出した。
 なんでそんなに投げやりなんだろう?
「護衛のはずだったけど……アタイ、必要だったか?」


 それから三日が経過し──。
 ようやく私たちは王都に到着した。
「人が一杯です!」
 私はそう声を大にする。
 エルフィノラと比べて、王都は整然とした街並みをしていた。
 歩く人々もどこか洗練されており、みんな笑顔を浮かべている。
 道の両側を挟むように店が並んでおり、ここから眺めているだけでも楽しい気持ちになった。
「ここがこの国で一番栄えている街──王都だ。気に入りそうか?」
「とても!」
 心を弾ませながら返事をする。
「ゆっくり観光したいところだが……そうもいかねえ。すぐに王城に向かおう。あまり王族を待たせるのも悪いからな」
「はい!」
 そう頷き、私はカレンさんに案内されながら王城へと向かった。
 途中、大きな中央広場を横切った。
 石畳が円状に広がり、噴水を中心にたくさんの人が行き交っている。
 ここが王都の中央なのだろうと一目で分かった。
 しかし、広場を抜けると空気が一変する。
 王都の一番奥へ進むにつれ、ざわめいていた市街地の音が、少しずつ遠ざかっていった。
 やがて視界が開ける。
「わあ……!」
 そこにあったのは、王都を見下ろすように高く聳え立つお城だった。
 白色の石で築かれた城壁は高く、長い年月をかけて積み上げられたのだろうと感じた。
「お、大きい!」
 思わず息を呑む。

「止まれ」

 お城の門の前まで行くと、門番らしき男に止められる。
「ここは王城だ。関係者以外の立ち入りを禁じている」
「アタイらはその関係者だよ。Sランク冒険者のカレンって名前は聞いたことはないか?」
「カレン……か。辺境の街で、そのような高ランク冒険者がいると聞いたことがある。では、あなたが王城に用があると?」
「いんや──アタイはただのお供だ。王城に用があるのはこっち」
「こっち……? まさかその幼女か?」
 門番は私を見下ろし、ふんっと鼻で笑う。
「笑わせるな。冷やかしなら、帰るんだな」
 あれえ?
 私の話、通っていないんだろうか?
 どうしよう……と思っていると、
「ユイ──って名前を聞いても、同じことを言えんのか?」
 と声に薄く怒気を含ませて、カレンさんが言った。
「ユイ……確か、クレア女王陛下が言っていた名前がそれで……まさか……!」
 すると門番の顔が見る見るうちに青ざめ、土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。
「す、すみませんでしたあああああ! まさか女王陛下が直々に保護したいと言っている少女が、そんなに幼いとは……すぐにお通しします」
「分かればいいんだ」
 ニヤリと気持ちよさそうに笑うカレンさんと一緒に、私は城門を潜った。
「上手く話が通っていなかったんですかね?」
「ん……まあ、そうだろうな。あの門番だって下っ端だし。これはここだけの話なんだが……」
 王城内を歩きながら、カレンさんが声を潜める。
「実は今の女王陛下──クレア女王陛下は、一年前に二十三歳にして即位した女王なんだ」
「二十三歳……若いですね」
 一年前に二十三歳ということは、今は二十四歳ということか。
 前世の私と同じくらいの歳だ。
「そういうのって、普通なんですか?」
「いや、普通じゃねえ。だから、反発もあったらしい。しかし、その反発の声を押し除けて、クレア女王陛下が玉座についた。そのせいで未だにごたごたしていて、情報伝達が上手くいってなかったんだろう」
 そういうことだったんだね。
 二十三歳から、国の最高責任者になるだなんて……大学出たてで、いきなり総理大臣に抜擢されるようなものだ。前世の価値観からすると、信じ難いことである。
 クレア女王陛下──いい人だったらいいな。
 そう思いながら、私は謁見の間に向かうのであった。


 謁見の間──。

「王都へようこそ──ユイ」

 赤い絨毯が真っ直ぐ続く先。
 女王の玉座で──ひとりの若い女性が優雅に立ち上がった。
 金色の髪。
 透き通るような蒼の瞳。
 その佇まいは若さを感じさせず、毅然とした風格を放っていた。
 すごくキレイな人……。
 異世界では美男美女が多く、私も見慣れてきたつもりだったが、その中でも彼女は群を抜いて美しい気がする。
「私がこの国の女王──クレアですわ」
 とんでもない美女──クレア女王は名乗る。
「私はユイと申します」
「アタイはカレンだ──いや、カレンです、だ」
「ふふふ、カレン様、どうか楽にしてください。言葉遣いでどうこう言うほど、私は狭量ではありませんの」
 おかしそうにくすくすと笑うクレア女王。
「あなた方の噂は王都にも届いていましたわ。特に──ユイ。普通の武器を聖剣級に改造してしまう。調薬の安定化。さらに冷房という魔導具も作り、エルフィノラに奇跡をもたらした女の子だ……と」
「え、えへへ」
 褒められっぱなしで、思わず照れ笑いをしてしまう。
 そんな私の失礼な態度にも、クレア女王は優しく笑顔で応えてくれた。
 この人──なんだか温かい。
 無意識に信頼を寄せてしまうような人だ。
 初めて会ったはずなのに、そうじゃないような──そんな不思議な印象を抱いてしまった。
 一方、クレア女王の雰囲気とは正反対の気配を放つ男が、彼女の隣に控えている。
「私が内務大臣のアザゼルだ」
 その男──アザゼル大臣が短く名乗る。
 黒髪をオールバッグにまとめ、眼光は鋭く、笑っていない唇。
 細身の男で、こうして前にするだけでも思わず背筋が伸びてしまった。
「ユイ殿──いや、ユイ“様”とでも呼ぶべきかな。あなたの力は、この国にとって価値がある。そちらのカレン殿も同様だ」
「……どうも」
 どうやらカレンさんも、アザゼル大臣にあまりいい印象を抱いていないらしい。
 その証拠にクレア女王を見るのとは違って、アザゼル大臣に向ける視線は氷のように冷たかった。
「……本題に入りますか」
 そんな私たちの緊張を知ってか知らないのか、クレア女王は柔らかな声で続ける。
「先日の話は聞いておりますわ。商人モーリスによって、ユイは誘拐されたと」
「そ、その通りです」
「ですが、モーリスの企みは失敗。捕らえられ、王都の地下牢に閉じ込められることになりました」
「モーリスはどうなってるんだ?」
 カレンさんが、クレア女王に問う。
「モーリスは……殺されました」
「え!?」
 予想だにしないことを言われて、場違いな高い声が口から出てしまう。
「な、なにが起こったんですか!?」
「数日前の地下牢で、モーリスの死体が見つかったのですわ。私たちは暗殺されたと考えています」
「暗殺……」
「彼は、大勢の人間から恨みを買っていました。なので看守か……もしくは同じ囚人の仕業だと考えられますが、詳細は究明中ですわ」
 死んじゃったんだ……。
 とんでもない悪人だけど、まさか命まで取られるとは思っていなかった。
 しかもモーリス殺害の犯人も見つかっていないようだし、なんだかモヤモヤする。
「……物騒な話だな。犯人も見つかってないみたいだし、きな臭えぜ。まあ、せいせいはしたけどよ」
 カレンさんも同じような感想を抱いたのか、クレア女王には聞こえないくらいの声量でぼそっと呟いた。
「なので、モーリスという危機は去りました。ですが、このままではユイの力がさらに多くの人に知られてしまいますわ」
「そうかもしれません」
「ユイの力は国にとって宝だと考えています。そこで私たちはユイに三つの提案をしますわ」
 そう言って、クレア女王は指を三本立てる。
「ひとつは、ユイを王城で保護すること。これは事前に申し上げていた通りですわね。期限は定めていませんが、少なくともユイが成人になるまでと考えていますの。
 二つ目はユイに爵位を与えること。正式に貴族として扱えば、他がそう簡単に手出しできなくなりますから。
 三つ目は王城で保護している間、あなたに十分な給金を与えます。その代わりに、あなたには魔法の研究に付き合ってもらう。これでどうですか?」
「そ、そんなに……!?」
 あまりに破格の待遇に驚いてしまう。
 一つ目は最初から聞いていた話だ。
 しかし、二つ目と三つ目は予想外である。
 私の異世界生活がゴミ区から始まったことを考えれば、信じられないようなVIP待遇である。
「か、仮に王城で保護されることになっても、エルフィノラに帰ることはできますか?」
「もちろんです。ですが──すみません。護衛の関係上、そう何度も往復できるものではなく……多くても、年に数回程度と考えていてください」
 どうやら、エルフィノラに頻繁に帰られるというわけじゃないらしい。
 だけど、しょうがないよね。
 そう何度も王都とエルフィノラを往復したら、なんのために王城で保護されるのか分からなくなるし。
「……ユイの保護者として、アタイからもひとつ質問したい」
 カレンさんが挙手する。
「どうぞ」
「その生活魔法の研究ってのは、具体的にどういうのだ? 危険なことだったら、ユイの保護者として許可できない」
「なるほど、当然の懸念ですわね。ユイの生活魔法は未知の領域が多いでしょう? その力を解析することができれば、国にとって有益なものになる──そう判断してのことです。具体的には魔力の検査くらいでしょうか。その他はユイの判断に任せますが、決して危険なことをやらせるつもりはありませんわ」
「その言葉は本当か?」
「神に誓いますわ」
「……分かった」
 まだ納得していないようだが、ここで追及してもろくな答えが返ってこないと思ったのだろう。
 渋々といった感じで、カレンさんが頷いた。
「どうですか? ユイ。私の提案をお受けいただけますか?」
 クレア女王が私の目をじっと見つめる。
 本来なら、すぐに飛びつくような話。
 クレア女王がしてくれた話には、デメリットがないように思えたからだ。
 しかし。
「す、少し考える時間をいただけますでしょうか?」
 緊張を抑え、声を絞り出す。
「魅力的な提案ばかりですが、なにせ急な話……すぐには決められません」
 私が心残りだったのは、やっぱりエルフィノラのこと。
 どんなにいい暮らしが保障されていても、まだ準備も覚悟も足りなかった。
「なので判断は一旦保留にして、検討させていただいていいですか?」
「もちろん、それで構いませんわ」
 不快に思われないかな? と心配だったけど、クレア女王は微笑みで応えてくれた。
「すぐに答えが出るとも思っていなかったのですから。ですが、よければ判断を保留にしている間、王城で暮らしてみるのはどうですか? 検討の材料になるかと」
「い、いいんですか?」
「はい。少なくとも、宿屋よりは居心地がいいと思いますわ」
 そう言って、優しく微笑むクレア女王。
 少し考えてみたが……隣にいるカレンさんと頷き合って、こう答える。
「分かりました。お世話になります」
「ありがとうございます」
 クレア女王が恭しく一礼する。
 ……しばらく王城で暮らすことになった。
 これからどうなるか分からないけど、せめて自分が納得する答えを出したい。
 クレア女王も優しそうだし、王城暮らしもそこまで窮屈に感じないだろう。
 だけど──。
「…………」
 話の間、じっと黙って私を見つめるアザゼル大臣が、やっぱり不気味に感じた。


 ──こうして私の王城生活がスタートした。
「広い!」
 私に用意された部屋は、これまた驚くほどの豪華な部屋。
 天井が高くて、窓からは庭園の噴水がよく見える。
「本当にこんな部屋、使っていいのかな……?」
「当たり前だ。今のユイは言うなれば賓客だからな。王城で保護するって言ってんのに、馬小屋みたいな部屋を用意するわけにはいかないだろ」
 と息を吐くカレンさん。
「さあて……私もそろそろ、王都の冒険者ギルドに顔を出しておくか」
「カレンさん、私と一緒にいてくれないんですか?」
「いつまでも、べったりというわけにはいかねえからな。なあに、安心しろ。呼んでくれれば、いつでも来てやるから」
 そう言い残してから、カレンさんは部屋から出て行ってしまった。
 途端に心細くなる。
「でも。私も自立しなくっちゃ……」
 もしこのまま成人になるまで王城暮らしが確定したら、カレンさんもさすがにエルフィノラに戻るだろうし。
 自立しないといけない。
「城内を散歩してみようかな。特に自由は制限されてないし」
 そう呟き、私も部屋を出た。


 昼下がり。
 私は中庭に出て、ベンチに座った。
「ふう……疲れた。やっぱり、お城は広いや。今日一日じゃ見回れそうになくって……あれ?」
 そこで気が付く。
 中庭の中央に設置されている噴水。
 その水が、なんだかとても澱んでいるように見えたのだ。
 藻が浮いていて、底も見えない。
「どうして、こんなに汚れてるんだろ?」
「最近、どうも水質が悪くてなあ」
「ひゃっ!」
 急に話しかけられ、思わず肩がびくついてしまう。
 いつの間にか、隣におじさんが立っていた。
「ごめん、ごめん。驚かせちゃったかな? 儂はここの庭師なんだ。お嬢ちゃんは……ユイちゃんかのお? ほら、王城で保護されるっていう」
「はい、そんなところです。それよりも、水質が悪いってどういうことですか?」
「噴水の水源が、最近までモヤグロに汚染されていたんじゃ。モヤグロは駆除されたそうじゃが、この噴水にまで影響が残っている。専門の魔法使いを呼んでも、いまいち改善されんのじゃ」
 そんなことが……。
 せっかくこんなにキレイな庭と噴水なのに、肝心の水がこんなに汚かったら、もったいない気がした。
 よし……!
「ちょっと私が掃除してみます!」
「え?」
 目を丸くするおじさんを尻目に、私は噴水に手をかざした。
「──《洗濯》!」
 噴水の水がぐるりと渦を巻く。
 モコモコと泡立ち、澱んでいた泥や藻も外側に押し出した。
「そして仕上げは……《清浄》!」
 ぱああっと光が走る。
 次の瞬間──噴水の水が、透き通った色に変貌を遂げた。
「な、なんと!」
 目を見開く庭師のおじさん。
「キレイになった!? 魔法使いがいくら頑張っても、こんな風にならなかったというのに……」
 さっきまで汚れて底すら見えなかった噴水の水は、今では青く澄み渡っている。
 太陽の光を反射して、キラキラと輝いてすら見える。
「お嬢ちゃん、一体なにをしたんじゃ?」
「生活魔法を使いました」
「生活魔法? 甥も使えたが……普通、ここまで水をキレイにすることはできぬはずじゃが?」
「私の生活魔法は、普通とちょっと違うんです」
「ふうん? そんなものなのかのお?」
 私の言ったことに、庭師のおじさんは頻りに首をひねった。


 ──王城暮らしが始まって、早くも三日が経とうとしている。
 最初は右も左も分からなかったが、用意された部屋で眠り、決まった時間に起きる。食事も毎回美味しくて、正直困ることはなかった。
 しかし──何故だろう。
 なんの不便もないのに、どこか心が満たされない感覚がある。
「暇……だからかな?」
 その疑問は紐解けなかった。
 そして王城暮らしに慣れ始めてきた頃に、それは行われた。

「ユイ、今日はあなたの魔力測定をしたいと思っていますの」

 クレア女王に王城の研究室に呼び出され、私は水晶の前に立つ。
 それを囲むように、研究員らしき人たちもいる。
 クレア女王もいるためか、みんなは緊張している様子だった。
「ユイは今まで、魔力測定をした経験は?」
「ありません」
「あら、そうなのですね」
 クレア女王は少し意外そうに言う。
「魔法使いならば、一度は魔力測定をやるものですわ。どうして、今までされてこなかったのですか?」
「なんとなく……といいますか、今までそんな機会がなかったんです」
「そうなのですわね。あっ、それと──」
 魔力測定の経験の有無はあまり大事な話ではなかったのだろうか、クレア女王が話を変える。
「聞きましたわよ。中庭の噴水、あなたがキレイにしてくれたのですわよね?」
「はい」
「素晴らしいですわ。《手洗》と《清浄》を使ったと聞きました。本来、そのふたつの魔法であの汚れた水を改善することまではできないというのに……ユイはすごいのですわね。私からもお礼を申し上げます」
 軽く微笑むクレア女王。
 クレア女王……意外と魔法について詳しい。
 庭師のおじさんはそこまで詳しくなさそうだったのに、クレア女王はすらすらと魔法について語った。
 なにか理由があるんだろうか??
「ではユイ様、そろそろ始めましょうか」
 そう言って、クレア女王は水晶に視線を移す。
「こちらの水晶に触れてください。手を置くだけで十分ですわ」
「は、はい」
 恐る恐る水晶に手を当てる。
 ……しかし、目立った反応がない。
 水晶が一瞬光ったかと思ったが、すぐにその光も消えてしまった。

「おかしいな……」
「反応が薄すぎる」
「噴水の水質を改善するほどの生活魔法を使えるのにか?」
「魔力に依存しない魔法……? いや、そんなバカな……」

 思った反応じゃなかったらしく、研究員たちがざわざわと騒ぎ始める。
 おかしいな……ガリ兄には、魔力量が多いって最初に言われた気がしたんだけど──。
「あ」
 思い出した。
 ガリ兄からもらった魔力制御腕輪を付けっぱなしだったのだ。
「そういえば、魔力制御腕輪を付けたままでした。すぐに外しますね」
「魔力制御腕輪……? どうして、そんな貴重なものを? どこで手に入れたんですか?」
「ある人からもらいました」
 ここでガリ兄のことを説明しても仕方がないと思い、曖昧に答える。
「それでは、あらためて──」
 魔力制御腕輪を外した状態で、水晶に手を当てる。
 瞬間──水晶が爆発するように光った。

 ゴオオオオオオオッ!

「う、うおっ、なんだこれは!?」
「こんな反応は初めてだぞ!」
「女王陛下! すぐに離れてください!」
 研究員たちが慌て出す。
 強烈な魔力の波動が研究室を揺らす。
 ちょ……なにこの反応!?
 なんか爆発しそうなんだけど!?
 このままじゃヤバい──そう思った私が咄嗟に手を離すと、水晶は爆発こそしなかったものの、パリンと音を立てて真っ二つに割れた。
「わ、割れた……?」
「そんなの有り得るのか?」
「いや……理論上は有り得るぞ。もっとも魔法使い百人──いや、千人分の魔力が必要になるがな」
 先ほどまでおろおろと慌てていた研究員たちは、研究の成果を前にこぞって目を輝かす。
「すごかった……ってことなんですかね?」
「すごいもなにも、すごすぎますわ!」
 クレア女王も嬉しそうに声を弾ませる。
「あなたほどの魔法使いは、なかなかいませんわ! まるでお兄様のよう──」
「お兄様?」
「……っ! なんでもありません!」
 視線を逸らすクレア女王。
 気になるけど、ここではあまり問いたださない方がよさそうだ。
 ……こうして私は少し疑問を残しつつも、またもや規格外の結果を出してしまったようであった。


 魔力測定が終わると、クレア女王に次は食堂に連れて行かれる。
「ユイは料理を作れますか?」
「はい。ですが、どうして私にそれを?」
「美味しい料理を作ることができる《調理》は、生活魔法の代表的な魔法ですから」
 どうやら、ただ食事をするために私を連れて来たわけではないらしい。
 それにしても……。
「クレア女王、先ほどから思っていましたが、魔法のことがお詳しいのですね?」
「ええ……そうかもしれませんわね」
 クレア女王は表情に少し憂いげを滲ませて。
「実は昔、勉強していたことがありますの。もっとも、私には魔法の才能がなかったみたいで、自分で使うことができないのですがね」
「そうだったんですね」
「まあまあ、そんなことはどうでもいいんじゃないですの」
 露骨に話を逸らすクレア女王。
「実は今、王都では平民たちが食べる美味しい料理が課題ですの。食卓の余り物で作れる料理などがあれば、助かるのですが……」
「食卓の余り物ですか……」
 すぐにはピンと思い付かない。しかし、やってみる前から諦めるのはいけない。

 私はクレア女王にしばらく待ってもらうように伝えてから、厨房に向かった。

「すみません! クレア女王に料理を作るように言われまして……食材を見させてください!」
「お前さんは……確か、エルフィノラからやってきたユイちゃんかな? もちろんだ、いくらでも見な」
 料理長が厨房にある食材を出してくれる。
 野菜や肉、小麦粉や卵。
 種類は多いが、全て高級なものではなく、どこのご家庭でもありそうなものばかりだ。
 ……よし。
「決めました」
「なにを作るんだい?」
「お好み焼きです」
 私がそう告げると、厨房の料理人たちは一様にきょとんとしていた。
 やっぱり……というか当然、お好み焼きは知らないみたいだね。
 そうと決まれば、話が早い。
 私はボウルの中に材料を集める。
「ええっと、まずは……《混合》!」
 ボウルの中で材料がふわっと混ざる。
 均一でふんわりとした生地が仕上がった。
「魔法でここまで均一に!?」
「早すぎる!」
 みんなが驚愕する。
 そのまま混ざった生地を熱した鉄板に流し込み、豚肉をのせる。
 じゅわぁぁぁ……。
 香ばしい匂いが厨房に広がった。
「いい匂い……!」
「匂いを嗅いでいるだけで、お腹が減ってきた!」
「まだまだ、これからです──それっ!」
 二本の鉄製のヘラを持って、お好み焼きを裏返す。
 ペタンッ!
 お好み焼きは見事、鉄板の上でキレイにひっくり返ってくれた。
「ほほお、なかなか見事じゃないか」
「ありがとうございます」
 前世ではよくお好み焼きのお店に行って、そこで仕事のストレスを発散してたからね。
 ……なーんて、言えるはずもないけど。
「そして仕上げは……中濃ソース!」
 中濃ソースはさすがに作ったことはない。だが、私には生活魔法がある。
 トマトやりんご、たまねぎなどの野菜。さらには砂糖や塩、香辛料を集めて私は手をかざした。
「《調合》!」
 光がぱああっと広がり、黒色の液体が完成する。
 その液体──ソースをお好み焼きに塗って、料理終わり!

《中濃ソースのお好み焼き》
 野菜や豚肉をふんだんに使ったお好み焼き。甘い中濃ソースが食欲をそそる。
・癒し効果・大
・気力回復・大

「できました!」
 お好み焼きをクレア女王が待つ食堂に持って行った。
 だが……。
「あれ? 人が増えましたね」
「ユイが料理を作ってくれると聞いて、私が集めたんですの。皆、ユイの料理を心待ちにしておりましたわ」
 ニコニコしながら答えるクレア女王。
 食堂にはクレア女王以外にも、騎士や使用人、さらにはアザゼル大臣の姿もあった。
 試食はたくさんの人にしてもらった方がいいと思うけど……プレッシャーがかかるんですけど!?
 だけど、臆するわけにはいかない。
 満を持して、クレア女王たちの前に中濃ソースのお好み焼きを披露する。
「これは……?」
「見たことがない料理だな」
「この甘い香りのソースはなんだ? 珍しい香りだ」
 みんなが不思議そうにお好み焼きを覗き込む。
「見た目は戸惑うかもしれませんが、絶対に美味しいです! どうかご賞味あれ」
 私がそう促すと、クレア女王は器用にナイフとフォークでお好み焼きを切り分け、口に運んだ。
 すると……。

「美味しいですわ!」

 ──クレア女王は目を輝かせ、絶賛してくれたのだ。
「全部がまとまって、美味しくなっていますわ! これほどの料理、どれだけの手間がかかりましたの!?」
「手間はあまりかかっていません。野菜や小麦粉をぐちゃぐちゃに混ぜ、鉄板の上で焼いただけですから」
「革命的ですわ!」
 いつもはおっとり落ち着いている様子のクレア女王であったが、さすがに興奮しているようだった。
「全てがぐちゃぐちゃに混ざっているのに美味しい!」
「ソースの香りも最高だ! こんな料理、今まで食べたことがない!」
「これは……人生の縮図だ……」
 他のみんなも次々にお好み焼きを食べていき、感想を述べる。
 中には『人生の縮図だ』って、ちょっとなに言ってるか分からない人もいた。
 お好み焼きを口にした者はみんな驚き、「おかわりは!?」「城全員分作れ!」「これなら庶民でも簡単に作れる!」と口々に言っていた。
 みんな、お好み焼きを絶賛してくれる。
 食堂は最早、お祭り騒ぎだ。
 だが、その中でアザゼル大臣は──。
「…………」
 食堂の隅の方で、静かにお好み焼きをじっと見つめていた。
 やがて彼は一口だけ食べ、
「……ふむ、悪くない」
 と一言だけ呟いた。
 その目は、なにかを計算しているような、不穏な光を帯びているように思えた。
 ……やっぱり私、あの人が苦手かも。
 そう思ったが言えるわけもなく、私は胸の中で小さな警戒心を抱くのであった。


 夜。
 私はひとり、自室のテーブルに向かっていた。
「えーっと、ミナちゃんの分は書いたから、次はフィリスさんに……」
 エルフィノラのみんなにお手紙を書いているのだ。
 特にミナちゃんからは、お手紙を強くせがまれていたからね。
 丁寧にひとつずつ、文章を綴っていく。
「よし……こんなものかな」
 最後の手紙を書き終え、ふと手を止めた。
「本当はガリ兄にもお手紙を出したいけど……」
 彼はゴミ区暮らし。住所もないし、手紙を送れない。
 ガリ兄は今どうしているだろうか?
 ゴミ区は決して安全な場所ではない。
 食べるのにも苦労するような場所だ。
 あそこでガリ兄はひとり、薬を飲み続けながら生きているのだろう。
「ちゃんとご飯、食べてるかな? あっ、そういえば仕事を始めるみたいなことを言ってたね。お金、貯まったかな」
 ……考えても仕方がない。
 私は封筒をそっと閉じ、部屋を出る。
 早くお手紙を届けたくて、郵便担当の人を探そうと思ったのだ。
 夜の王城は暗く、昼の時のような煌びやかさはなりを顰めていた。
 廊下をひとりで歩く私に、お城の警備をしてくれている兵士たちが首を傾げた。
 廊下を歩き続ける。
 すると月が差し込む廊下を抜けた先に、大きなバルコニーがあった。
 すぐに通り過ぎて、先を急ごうと思ったが……。

「はぁ……」

 バルコニーの方から微かな溜め息が聞こえ、足が止まる。
 よく目を凝らしてみると、そこには──クレア女王がいた。
「クレア女王?」
 呼びかけると、クレア女王は少し驚いたように振り返った。
 ──月明かりに照らされるクレア女王の姿は、この世のものとは思えないくらいに美しかった。
 まるで月からお姫様が迷い込んできたような──そんな印象を抱いた。
「ユイ、こんな時間にどうしましたの?」
 微笑みながら、クレア女王が言う。
「お手紙を出そうと思って……クレア女王こそ、どうしてこんなところにいるんですか?」
「私は……」
 言い淀むクレア女王。
 彼女はそっと欄干に寄りかかり、夜風に揺れる髪を軽く抑える。
 その姿は、昼間の王の威厳というより──。
 ひとりの若い女性の、疲れた横顔に見えた。
「もしかして、具合が悪いんですか?」
 ふと、そんな言葉が口から出る。
 クレア女王は少し意外そうに、私の顔を見た。
「どうして、そう思うんですの?」
「クレア女王、とても疲れているように見えましたから……」
「そう……私もまだまだですわね。ユイに見破られるくらいですから」
 諦めたように息を吐き、クレア女王は私を手招きする。
「ねえ、ユイ。少しお話をしません? あなたと話していれば、私の悩みも解消できるかもしれませんから」
「私で良ければ」
 クレア女王の隣に立ち、彼女と同じ風景を眺める。
「キレイな夜景ですね……」
「はい。今まで千年以上も連綿と受け継がれてきた、王都の街並みですわ。昔には戦争もあったみたいですが……王都は死にませんでした」
 とクレア女王は誇らしげに言い、夜景から目を離す。
「ユイ、あなたは国をまとめるって、どうしたらできると思いますか?」
「国をまとめる……ですか」
 考えたことすらない。
 今も──そして前世でも、私は身の回りのことだけで精一杯だった。
 政治にもあまり関心がなく、「誰が総理大臣になっても、それなりにやってくれるだろう」とどこか楽観視していた。
 若くして女王の座についたクレア女王に、アドバイスなんてできるはずがない。
 即答できずにいると、クレア女王は気にせず話し続ける。
「私は……若くして女王になりましたが、王都の全ての人が、私を歓迎したわけではありませんの」
 カレンさんも言っていた。
 若くして女王になったクレア女王に、反発する者も多いって。
 なんと答えたらいいか分からず、黙って彼女の話に耳を傾ける。
「私は庶民の生活をもっと良くしたいって考えていますわ。だけど、そんな私の存在が目障りだと思う人がいるんですの」
「…………」
「古い制度を守りたい人、貴族だけが楽をしたい人、民のための政治など不要だと言う人──そんな人たちが争い、お互いに足を引っ張り合っていますわ。それらは全て、私の統率力がないせいでしょうね」
「クレア女王は頑張っていると思います」
「ふふふ、ありがとうございます。でも、私に力がないのは事実ですわ。今の私は、女王でありながら城内にすら自分の居場所がなく、窮屈な思いをしている弱い女性です」
 弱音を吐くクレア女王。
 ──彼女は、完璧な人だと思っていた。
 若くして女王という重荷を背負った上に、私みたいな子どもにも優しく接する。
 だけど、完璧な人ではなかった。彼女は今も悩み苦しみながら、国をまとめようとしているのだ。
 そう考えると、彼女に親近感を覚えた気がした。

「こんな時にお兄様がいれば……」

 不意に──。
 クレア女王がぼそっと声を零す。
「お兄様?」
 私が疑問を発すると、クレア女王は「しまった」と言わんばかりに口元に手を当てる。
「……いけませんわね。あなたの前だと、なんでも喋ってしまいますわ。ユイは不思議な人です」
「聞かれちゃいけなかったことですか?」
「いえ、そうではありません。ただ、もうお兄様に頼りっきりではいけないと思っていましたから……」
 クレア女王はしばらく夜空を見つめてから、ゆっくりと語り始めた。
「私には、リオネルというお兄様がいました。この国の第一王子で、王位継承一位。努力を怠らず、魔法の才能に溢れていました。私が魔法について並以上に知識を持っているのも、お兄様の影響でしょうね」
「そうだったんですね」
「はい。本来ならば、リオネルお兄様が王位を継ぐはずでしたが──ある日突然、お兄様は魔力欠乏症を発症してしまいました」
「魔力欠乏症?」
「魔力が尽きる病気ですわ。魔力に頼っていた体が、上手く動かなくなってしまいますの。そして当然──魔法を一切使えなくなります」
 え……。
 急な話の展開に、思わず言葉が詰まってしまう。
「さらに発作を抑える薬なしでは、日常生活を送ることも困難になりますの。原因も分からず、どんなに治療してもよくならなくて……お兄様は人生に絶望しましたわ」
「それほど、魔法が好きだったんですね」
「はい。そしてお兄様は、私たちの前から姿を消しました。もちろんお兄様の捜索は続けていますが、未だに見つからずにいます」
「……心中お察しします」
「あら、そんなに暗い顔をしなくてもいいですわ。お兄様がいなくなってもう一年以上は経ちますし、私も気持ちの整理がつきましたから」
 気丈に振る舞うクレア女王。
 彼女はそう言うけど……きっと嘘だ。
 何故なら、お兄さんのことを話している時のクレア女王は、どこか辛い表情をしていたのだから。
「それに、お兄様は常々言っていました。『自分の居場所は自分で作らなければならない』──と。こんなところで弱音を吐いている私を見られれば、お兄様に笑われてしまいますわ」
 そう言って、クレア女王は夜景に背を向ける。
「そろそろ、中に入りましょうか。風邪を引きますわ」
「はい」
 クレア女王と共に、中に戻る。
 ただの幼女と、一国の女王。
 そこには超えられない隔たりがあると思っていたが──今日の一夜を経て、彼女と深く心が交わったような気がしたのであった。

 ◆ ◆

 王城の地下。
 王国の内務大臣である私──アザゼルは、そこにいた。
「民のための政治など必要ない」
 呟く。
 私は元々、公爵家の長男として生まれた。公爵家を継ぐ選択肢もあったが、私はそれを捨て、国の内務大臣になった。
 何故か? 公爵になっても国を変えられないからだ。
 先代の王は愚かにも、民のための政治をやろうとした。
 税金は最小限。取ったとしても、民の暮らしに還元する。そのせいで、我ら貴族は我慢を強いられることになった。
 無論、今のままでも平民に比べれば贅沢な暮らしをしている。
 だが、まだ足りない。
 民など、貴族の人形であればいいのだ。人形は人形らしく、慎ましやかな生活を送っていればいい。
「それなのに、あの王子は……!」
 思い出すだけで腹が立つ。
 この国の第一王子──クレア女王の兄でもあるリオネルは、先代国王の政治を踏襲しようとした。
 だから──潰した。
 バレないように毒薬を飲ませ、じわじわと彼の魔力を弱らせたのだ。
 私の計算通り、リオネルは魔力欠乏症となり、魔法を使えなくなってしまった。
「魔力欠乏症と知った時のリオネルの表情は、今思い出しても笑いが止まらんわ! 民のための政治をやろうとするから悪いのだ!」
 そして人生に絶望したリオネルは王位継承権を辞退し、城を去った。
「ここまでは全てが計算通りだったのだ。だが……!」
 ドンッと机を勢いよく叩く。
 王城にひとりの幼女が現れた──ユイだ。
 ユイには規格外の魔法の才能が備わっていた。あの幼い体に秘められた力は、国の形を容易に変えてしまう。
 その上、クレアがユイを手中に収めればどうなるだろうか? クレアは王として確かな権力を得てしまい、先代王の悲願が大きく前進してしまうかもしれない。
 考えれば考えるほど、ユイは私の不安因子に成り得る。
「だが──そんなことは許さない。蕾が花を咲かせる前に、私が摘み取る」
 私は静かに呟き、目の前の水晶に手を伸ばした。

 ──儀式は既に終盤だ。

 リオネルは愚かな王子であったが、唯一役に立つ部分があった。
 彼は密かに、{とある魔法}をずっと研究していたのだ。
 かつて、『暴君』と呼ばれた王が遺した魔法。
 リオネルはその魔法の対抗策を考えるために研究を続けていたようだが、それは道半ばにして折られた。
 その研究内容を私が奪い、今──魔法が発動しようとしている。
 水晶が低くうねり始める。
 まるで生き物の生物のように、脈打つ光。
 床に刻まれた魔法陣が一斉に反応し、紋様が青白く浮かび上がった。
「ここに至るまで、どれほどの時間を費やしただろうか」
 金も人手も、情報も必要だった。
 そのため、商人のモーリスと手を組み、資金を集めたが……ヤツは予想以上に愚かだった。幼女誘拐がバレたとなれば、私に捜査の手が及んでもおかしくない。
 ゆえに始末したわけだが、彼のような人間はひとりだけじゃない。
 計画に邪魔になろう者がいたら、私は躊躇なく始末した。
 それらは全て、『貴族による貴族のための政治』を実現するため──。
 青白い光が収まり、水晶から灰色の霧が立ち上る。
 霧は天井を突き破り、王都中へと広がっていった。
「“虚の霧”」
 それが、この霧の名。

「民のための政治などいらない──私の野望が叶えられるなら、どのような代償を払っても惜しくはない」

 ◆ ◆

 王城暮らしが始まって、そろそろ一ヶ月が経とうとした。
 私はこのまま王城で暮らすか、エルフィノラに戻るか──まだ決めかねている。
「そろそろ結論を出さないといけないよね」
 ずっと中途半端な気持ちのままだったら、クレア女王にも迷惑がかかるだろうし。
 とはいえ、特にすることもなく、自分の部屋でまったり過ごしていたが、久しぶりに今日はカレンさんが遊びに来てくれた。
 今はカレンさんとお菓子を食べながら、他愛もない話に花を咲かせている。
「ユイ、王城暮らしはどうだ?」
「快適です。私なんかには、もったいないくらいの暮らしです」
「それはよかった」
 マカロンを放り込むように口に入れて、笑顔を作るカレンさん。
 そう──なにも不便なことはない。
 元々、私の異世界生活がゴミ区からスタートしたことを思えば、破格の待遇だろう。
 しかし──やっぱり、どこか心が満たされない感覚は残ったままだ。
 居心地の悪さ、って言ったらいいのかな?
 その感情の正体を、私はまだ知らない。
「失礼……します……」
 カレンさんと話していると、メイドが突然ノックもなしに部屋に入ってきた。
「あの……これ、紅茶です…………どうぞ」
「ありがとうございます」
 メイドから紅茶を受け取り、一口飲む私とカレンさん。
 しかし。
「ま、不味(まじ)ぃ!」
 カレンさんが大きな声を出して、叩くように紅茶が入ったティーカップをテーブルに置いた。
「なんてものを飲ませやがる! まるで泥水のようだったぜ! ユイの方はどうだ?」
「私も一緒かも……しれません」
 いつも出されている紅茶に比べて、格段と味が落ちている。
 たまたま、不味い紅茶に当たってしまっただけかもしれないけど……それにしても限度がある気がした。
「てめえ、なんのつもりだ? 紅茶だけじゃねえ。この部屋に入ってくる時も、ノックすらなかったよな。やる気も感じられねえし、一体どういう……」
「ああ……」
 カレンさんが怒気を放っても、メイドは顔色ひとつ変えない。
「すみません……でも、私なんてどうでもいい人間なんです。なんなら窓から飛び降りて、死にたい……でも死ぬのも面倒くさい……」
「てめえ、なにを言ってやがる?」
「失礼します……お怒りならメイド長に……」
 最後まで暗い表情のまま、とぼとぼとした足取りでメイドは部屋から出ていってしまった。
「ユイ、さっきのどう思う?」
「異常ですね」
 以前まではああじゃなかったはずだ。
 いつも明るくてやる気に満ちている、いいメイドだった。
 なのに、不味い紅茶を出して……しかも『死にたい』と口走るなんて……。
「気になります。カレンさん、彼女を尾けてみましょう。原因が分かるかもしれませんので」
「だな」
 頷き合い、私たちは部屋を出る。
 幸い、メイドはまだあまり遠くまで行っていなかった。
 牛が歩くような遅さでどこかに向かっていくメイドに気付かれないように、私たちは彼女を尾行する。
 やがて、彼女はメイド棟の中に入っていった。
 ここのメイドは基本、住み込みで働いている。そんな彼女たちのために、城内の敷地内に与えられた建物がメイド棟だ。
「自分の部屋に戻るつもりなのか? アタイたちも行くぞ」
「はい」
 私たちもメイドに続いて、メイド棟の中に入る。
 尾行を続けると──彼女はある部屋の前で立ち止まる。そのまま中に入って行き、しばらく出てこない。私はカレンさんと視線で合図をしてから、部屋に突撃した。
「失礼するぜ──って、うおっ! なんだ、この汚部屋(おべや)は!」
 そこは足の踏み場も見当たらないくらい、ゴミが散乱した部屋であった。
 どんよりとした空気が部屋に漂っており、ここにいるだけでも気分が落ち込んでくるようである。
「酷いな、こりゃ……」
「ですね……」
 カレンさんと目を合わせて、そう呟いた。
 一方、メイドはこの惨状の中、部屋の片隅で膝を抱えており、ぶつぶつと呟いている。
「私に生きる価値なんてない……もうどうでもいい……私なんか、いなくなった方がいい……」
「おい!」
 カレンさんがメイドの肩を揺さぶる。
「どうなっちまったっていうんだ!? しかもお前、臭うぞ。風呂には入ってんのか?」
「いいんです、私は……なにもしたくない……」
 いくらカレンさんが呼びかけても、メイドの目は虚ろで、焦点がどこを向いているか分からなかった。
「こりゃあ無気力病だな……ちくしょう、城のメイドもかかりやがるなんて……」
「無気力病?」
 私は首を傾げる。
「ユイは知らなかったのか? いいか、無気力病っていうのは──」
 カレンさんが訥々と説明を始めた。
 最近、死んだような目をした人間が、街中を闊歩している。
 それはまるで、生きる力を失ってしまったかのようだという。
 彼・彼女らは無気力でろくに働きもしない。そのおかげで街の暮らしが少しずつ不便になり始めている。
 それらの人々を、誰かが『無気力病』と名付けた。
 急に無気力病の患者が現れた理由は分からない。
 しかし、徐々に増えていく無気力病患者に、みんなは頭を抱えている──とのことだった。
「し、知らなかったです……」
「まあ、ユイは基本お城に引き篭ってるもんな。あの女王もユイに心配をかけたくなくて、言わなかったんじゃねえか?」
 とカレンさんは肩をすくめる。
「治す手段はないんですか?」
「現状は見つかっていない。一度、無気力病にかかってしまえば二度と元に戻らないとも言われているよ」
 さすがのカレンさんのお手上げなのか、投げやりに答えた。
 ……とりあえず、この部屋をなんとかしよう。
 私は手をかざす。
「まずは……《分別》!」
 ゴミとそうじゃないものが分別される。
 ゴミがひとりでに動き、一箇所に集まる。
 よし、あとはこれをゴミ捨て場に持って行けばいいだけだ。部屋が随分と片付いた。
 だけど、部屋全体に漂う不潔感は残ったままだ。
「だったら、仕上げは……《清浄》!」
 光が広がり、部屋を優しく包んでいく。
 黒ずんでいたカーテンは新品同様に。
 カビが生えている床もキレイになった。
 あっという間に、部屋が元通りであろう状況に戻る。
 すると……。

「あれ……? 私はなにを……」

 急に意識を取り戻したかのように。
 メイドの目に生気が宿った。
「あれ? ユイ様、それにあなたは……護衛のカレン様でしたか?」
「お前、自分がどうなってたか覚えてないのかよ」
「え?」
「無気力病にかかっていたんだぞ」
「む、無気力病!? それは本当ですか!?」
「ああ、今はユイの力で片付いたが、この部屋も散々だった。ゴミが散乱し、足の踏み場もなかったぜ。ほら、そこにゴミが集まってんだろ?」
「そんな……私、実は潔癖症なんです。いくら疲れていても、部屋がそんな状態になるまで放置するとは考えにくいんですが……」
 メイドはなにがどうなっているのか分からないのか、顔に戸惑いの色を浮かべるのみである。
「カレンさん、これって……」
「ああ、ユイの生活魔法で部屋を片付けたら、無気力病が治ったみたいだな」
 カレンさんが答える。

 無気力病を治す手段は、生活を整えること……?

 つい先ほどまでの荒んだ部屋にいたら、心も沈んでいくだろう。
 そのせいで無気力病の症状が進行してしまったと考えられる。
「カレンさん、聞いてください」
「ん? なんだ?」
 カレンさんが目を丸くして、聞き返してくる。
 私はすーっと息を吸い込んで、こう告げた。

「私だったら、無気力病の問題を解決することができるかもしれません」

 ◆ ◆

 ──王城の会議室。
 場は重苦しい雰囲気に包まれていました。
 会議の出席者たちを、私──クレアは黙ってじっと見据えます。
「無気力病患者は増加の一途を辿っています」
 ひとりの大臣の発言を皮切りに、他の人たちも騒ぎ始めます。

「災害じゃ……王都は終わりじゃ……」
「原因は分からないのか?」
「分からぬ。既知の毒ではなさそうだ。死んだような目をしたゾンビのような連中が、今も街中を闊歩している」

 彼らの口から出るのは、後ろ向きな言葉ばかり。
 最初は僅かな変化でした。
 無気力な人が増え、働くことを拒否している、と。
 楽観視していた大臣たちも、日に日に増えていく無気力病患者に頭を抱えることになりました。
 患者数は増加の一途を辿り、今となっては歯止めが利かない状態となっています。
 このままでは都市機能の維持もままなりません。
「どうして……」
 私の口からぽつりと声が漏れます。
 民は国の宝。
 我々王族や貴族も、民がいるからこそ平穏無事に暮らせるのです。
 ゆえに、我々王族や貴族はそんな彼・彼女らの生活を守り、国を維持していく義務があります。
 そのような考えは、先代国王である父上から受け継がれてきた考えです。
 民のための政治を。
 それは行方不明のお兄様も同じだったし、私も父上の考えを踏襲するつもりでした。
 しかし、上手くいきません。
 若くして女王の座についた私では、民はおろか大臣たちの心すらひとつに纏めることができないのですから。
「もう限界ですな……」
 同じく、皆からの発言に耳を傾けていた、内務大臣のアザゼルが口を開きます。
「怠け者の平民に、自由はまだ早かった。陛下、今こそ王族や貴族による政治を強固にするべきです。民を強制的に働かせ、国を維持するべきです」
 アザゼルがじっと私の目を見つめます。
 他の大臣たちも、アザゼルの意見に反対しませんでした。多かれ少なかれ、彼と同意見ということでしょう。

 お兄様──。

 こんな時、お兄様だったらどうされますか?
 アザゼルや他の大臣たちを説き伏せていましたか?
 もちろん、私だってそうしたいです。
 しかし、このままではアザゼルたちに押し切られ、自分は排除されてしまうでしょう。
 私がいなくなれば、アザゼルたちによる強硬的な政治がさらに加速します。それだけは避けなければなりません。
「……分かりました」
 私は苦渋の決断を下します。
「アザゼルの言う通りにしますわ。今すぐ民を強固な統制化に置き、街の秩序を取り戻──」
「待ってください!」
 その時、幼い女の子の声が聞こえると同時、会議室の扉が開け放たれます。
 ここにいる皆が一斉に扉の方を向くと──ふたりの人物。
 ひとりはSランク冒険者のカレン。
 もうひとりは小さな女の子、ユイでした。
「私に任せてください! 私が無気力病患者を治してみせます!」
 ユイの放った一言に、皆は目を丸くするのでした。