生活魔法しか使えないから諦めてたのに……あれ?私、最強だった 〜5歳の転生幼女、自由気ままに異世界を生き抜く〜

「ぐふふ……金の匂いがしよる」
 ──我が輩はモーリス。
 この国一番の大商人なのであ〜る。
 そんな我が輩なのだが、最近行き詰まりを感じていた。
 目ぼしいものがなく、儲けがいまいちだったことだ。
 もちろん、今のままでも王都の一等地に豪邸を何軒も建てられる。しかし、大商人の私はこんなもので満足しないのであ〜る。
 焦りとイライラが募り、つい最近も気に入らない部下をひとりクビにした。
 そんな時だ。
 エルフィノラという片田舎の街にいる、ひとりの“幼女”の噂を聞いたのは。
「生活魔法で聖剣級の武器を生み出し、調薬業界に革命をもたらした幼女。そんな幼女が手に入れば、我が輩はさらなる飛躍を遂げるのであ〜る」
 馬車に乗って、ようやくエルフィノラに辿り着いた。
 その地に足を踏み入れた瞬間、田舎特有の芋っぽい臭いが鼻をくすぐった。
 本来ならこんな場所、一刻も早く立ち去りたいところだが……そういうわけにはいかない。
 目的の幼女を手に入れるまではな。
「さて……確か、件の幼女の名はユイというらしいが……」
 まずは聞き込み調査を始めようとすると、前からひとりの幼女が歩いてきた。
 我が輩の大商人レーダーがびびびっ! と反応する。
「話を聞いてみるか」
 我が輩は柔和な笑みを浮かべて、幼女に近付く。
「そこのお嬢ちゃん、少し話はいいかな?」
「え?」
 声をかけると、幼女が振り返る。
「なあに、我が輩は怪しいものではない。この国一番の大商人なのであ〜る」
「大商人!」
 幼女が背筋を伸ばす。
 ぐふふ……どうやら、礼儀はなっているみたいだな。幼女にしては賢いではないか。
「実は……ひとりの子どもを探しているのだ。ユイという名前の子どもを知らないか? 生活魔法を使うと聞いている」
「ユイだったら私のことですが……!」
 ビンゴ!
 まさか第一田舎人が件の幼女だったとは!
 我が輩の大商人レーダーも捨てたものじゃないものだ。内心でほくそ笑む。
「ほお……なら、話が早いのであ〜る。我が輩はわざわざ王都から、君にいい話を持ってきた」
「なんでしょうか……?」
 問う幼女。
「実は、我が輩は君の力を高く買っておるのだ。我が輩と専属契約を結べ。専属契約の意味は分かるか?」
「おじさんのところでしか、働いちゃいけない……ってことですか?」
「うむ」
 やはり賢いではないか! こんなにもスムーズに話が進むとは。
 しかし、我が輩は容赦しない。
 金を儲けるためなら、相手がたとえ女子供老人であろうと、骨の髄まで搾りってやるのが信条だからであ〜る。
「大商人である我が輩の下で働けるのだ。光栄な話だろう? もちろん、賃金は払う。こんな田舎臭い場所で働くよりも、いい暮らしを約束しよう」
 嘘である。
 まともな賃金を払う気など、毛頭ないからであ〜る。
 この歳にしては聡明なようだが、所詮は幼女。
 どうせ少額の賃金でも満足するだろうし、たとえそうじゃなくても「今頑張ればお給料が上がるから」とのらりくらり躱わせば、騙されてくれるだろうから。
 まずいと思った時には、もう遅い。
 その頃には契約でガチガチに縛り、逃げられないようにしてやる。
 既に我が輩の目には、大儲けへの道筋しか見えていなかった。
 だが。
「……一度、話を持ち帰ります。お返事は後ほどでいいですか?」
 おや……?
 まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、一瞬思考が停止してしまう。
「も、持ち帰るなんて、とんでもない。あまり言いたくなかったが、我が輩と専属契約を結びたい人間はたくさんいてね。時間が経てば、定員をオーバーしてしまうかもしれないぞ?」
「それでも……です。上手い話には裏があると言いますから。ここで即答はできません」
 この餓鬼が……っ!
 怒りで顔を歪めてしまいそうになったが、寸前のところで我慢する。
「──そうだ。君にこの、我が輩の顔が印字されている飴ちゃんをあげよう。子どもはお菓子が、好きだろう?」
 念のために持ってきていた飴をポケットから取り出し、幼女に見せる。
 しかし、幼女は真っ黒い瞳をして、
「いらないです」
 と即答する。
「知らない人に物をもらっちゃいけないって、子どもの時から教えられていますから。しかも、なんかこの飴、気持ち悪いし……」
 子どもの時から……って、今でも十分子どもだろうが……!
 それに、我が輩印の飴を気持ち悪いだと!? 愚弄するにも程がある!
 我が輩の寛容な堪忍袋の緒も切れてしまった。
 幼女の右手を咄嗟に掴む。
「いいから、あっちでもっと詳しく話をするのであ〜る! 貴様には、{懇切丁寧に}説明する必要がありそうだからな」
「は、離してください! 大声を出しますよ!」
「大人の話をちゃんと聞け!」
 幼女の目に恐怖が宿る。
 ぐふふ……いくらこの年頃にしては賢いとはいえ、所詮は幼女だ。大人にすごまれたら、なにもできなくなるか。
 幼女の手を引っ張り、人目のつかない場所に連れて行こうとすると──。

「おい、そこでなにをしている」

 ◆ ◆

「おい、そこでなにをしている」
 大商人を名乗る不審者に私──ユイが連れていかれようとすると、後ろから女性の声が聞こえた。
「き、貴様は……!」
 不審者が目を見開く。
「大の大人が、子どもを誘拐しようとしてんのか? 見逃せねえな」
「カレンさん!」
 不審者の手を振り払い、彼女──カレンさんに駆け寄った。
「誘拐とは人聞きの悪い……我が輩はただ、その子どもと話したかっただけで……」
「その割には、随分と強引だったようだが?」
 カレンさんが威圧すると、不審者は一歩後ずさった。
「ちっ……! 邪魔が入った。まさかSランク冒険者のカレンを味方につけているとはな。また来る! 覚えていやがれであ〜る!」
 くるっと身を翻して、不審者は走り去ってしまった。
「ユイ、大丈夫か?」
「はい」
 気遣うカレンさんに、私は頷く。
「なにを聞かれた?」
「専属契約をしないか……って」
「やっぱりか……」
 私の言葉を聞くと、カレンさんは不機嫌そうに腕を組んだ。
「間違いねえ。ヤツは王都の大商人、モーリスだ」
「カレンさん、知ってるんですか?」
「ああ。昔、王都に行った時に顔を合わせたことがある。専属契約をしないかとかほざいてやがったが、アタイがあんなヤツの下で働くわけがねえ。断ってやった」
 そう言うカレンさんの表情は不審者ことモーリスへの嫌悪が滲み出ており、ぶるっと身震いするほどだった。
「もちろん、ユイも断ったんだよな?」
「はい。胡散臭すぎたので」
 前世でも、ああいう輩はよくいた。
 高額な商品を売りつけようとするセールスマン。儲かりもしない投資話を持ちかける詐欺師。なんの効果もない壺を神聖な品だと崇めさせる宗教家。
 そんな人間の言うことをほいほい聞いていたら、食いものにされるだけだ。
 モーリスは私のことを子どもだと侮っていたようだが、これでも中身は二十台OLなのである。
 あんな見え見えの罠に引っかかるわけがない。
 それに……。
「この街をバカにされたから……」
 ──『こんな田舎臭い場所で働くよりも、いい暮らしを約束しよう』
 あの時、モーリスはそう言った。
 私はこの街を気に入っている。
 なのに、あんなバカにするような発言をされて、腹を立てるなと言われても無理がある。
「ユイはしっかりしてるんだな。ますます、子どもとは思えねえ」
 とカレンさんは表情を柔らかくして、私の頭を撫でた。
「なんにせよ、あいつもこれでユイを諦めんだろ。もしまた変なことを言ってきても、断りやがれ」
「はい、分かりました」
 大商人……いや、悪徳商人のモーリス。
 あんな人は、どこにでもいるもんだ。
 しっかりと彼の顔と声を覚えるのであった。

 ◆ ◆

「ちっ……あの幼女と冒険者め! 我が輩をコケにしおって!」
 ユイとカレンから逃げてきて。
 我が輩はエルフィノラの宿屋で、先ほどのことに腹を立てていた。
「この報い、必ず受けさせてやる……! 大人を甘く見るな! ああ──思い出しただけで腹が立つ!」
 そう叫び、部屋の壁に花瓶を投げつける。
 パリンと音が鳴って、花瓶が割れた。
「旦那ぁ、随分と大荒れのようですね」
 そんな我が輩に、近くで眺めていた男が質問する。
 この男は、我が輩の部下である。
 少々荒っぽい性格の上、バカな男ではあるが……それなりに重宝する部分もある。
「今度はオレも行きましょうかい? なあに、相手は幼女だ。少し脅せば、すぐに首を縦に振りますよ」
「いや……Sランク冒険者のカレンに目を付けられた。あまり荒っぽい真似はしたくない」
 それに暴力をちらつかせて強引に問題を解決するのは、我が輩の大商人美学に反する。
 あくまでスマートに──真綿で首を絞めるように相手を追い詰める、それが美しいのであ〜る。
 まあ……{例外}はあるが。
「しばらく様子を見る。よくよく考えれば、あの幼女の力もちゃんと確認していないしな」
 我が輩は答える。
「ちょっと唾を付けるつもりだったが……気が変わった。徹底的にあの幼女を追い詰めてやるのであ〜る」
「へへっ、あの幼女もさっさと頷いておけば、よかったのにさ。旦那に目を付けられたら、もう逃げられねえぞ」
 下品な笑みを張り付けた、部下の男。
 必ず仕留める──。
 我が輩はそう決意し、ひとまず相手の出方を探ることにした。

 ◆ ◆

 気持ち悪い飴を押し付けようとしてきた不審者と、ごたごたがあった翌日。
 私はカレンさんと一緒に魔の森に出かけた。
「最近、暑くなってきやがったな」
 服の襟をパタパタと扇ぎながら、カレンさんが言う。
「ですね。もう少しで夏なんでしたっけ?」
「そうだな。全く……鬱陶しいぜ。冬よりは好きだがな」
 苦い表情を作るカレンさん。
 しばらく暮らしてみて分かったが、この異世界にも四季は存在するらしい。
 暦の数え方は違っていたけど、前世の基準でいうと今は六月と七月の境目くらい。
 ここは森の中だからまだ日差しはマシだけど、じめじめとした蒸し暑さが不快だった。
「それより──ユイ、急に魔の森に来たいってどういうことだ? 詳しくは聞かなかったが、なにか考えがあるんだろ?」
「魔物から取れる素材に、スライムゼリーとフロストモフの粉っていうのがあるんでしょう? それが欲しくって」
 街の図書館。
 あそこで私は生活魔法の本と、魔物図鑑を借りた。
 その図鑑から私はスライムとフロストモフという魔物の存在を知ったが……その時からずっと、いつか試してみたいと思ったことがあるのだ。
「は? なんでそのふたつなんだ? スライムゼリーの方は比較的簡単に手に入るが、フロストモフの粉は割に合わないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。フロストモフの粉は、ちょっとひんやりするだけだからな。入手難度の割には、売っても大したお金にならねえ」
 不思議そうな顔をするカレンさんと一緒に歩いていると、
「む」
 彼女が不意に足を止める。
 前方に視線を移すと、草むらから青くてぷにぷにした生き物が飛び出してきた。
「可愛いっ!」
 思わず、声を上げてしまう。
「まあ……初めて見たら、そういう感想を抱くかもしれねえな。だが、あいつはスライム。れっきとした魔物だ」
 よっこらせ──とカレンさんが大剣を構える。
「ユイ、下がってな。すぐに片付ける」
「は、はい」
 ここはカレンさんに任せよう。
「いくぜ──はあ!」
 カレンさんはスライムに襲いかかったかと思うと──次の瞬間には、スライムは真っ二つに斬られていた。
「すごい!」
「こんなの、すごいもなにもねえよ。スライムくらい、アタイじゃなくても倒せる」
 なんでもなさそうに答えるカレンさん。
 そういえば……カレンさんが戦うのを見るのは、意外と初めてかもしれない。
 彼女は謙遜しているが、目にも止まらぬ早業だった。やっぱり、Sランク冒険者ってすごいんだな〜!
「ふふふ、ようやくユイにカッコいいところを見せられた。ネクロドラゴンは、ユイがワンパンしちまったし……」
 ぶつぶつと呟きながら、カレンさんはスライムから素材を採取する。
「よし、これがスライムゼリーだ。ユイがなんで欲しがってるかはよく分からねえが、この調子でフロストモフの方も探そうぜ」
「はい──」
 頷くと、その異変は起こった。
 突如、木々の影から白い霧がふわりと立ち込めたのだ。
「おっと、いきなりお出ましか」
 カレンさんの表情が緊張で引き締まる。
 やがて霧の中心で、青白い光の粒が舞い始めた。
 その中から、ひらり……ひらりと、巨大な蛾のような魔物が現れる。
 羽全体が凍気を帯びており、降り注ぐ粉が地面の草を一瞬で凍らせていく。
「フロストモフだ──」
 カレンさんがその名を告げ、再び大剣を構える。
「まあ、心配はいらねえ。フロストモフはそこそこ強い魔物だが、アタイの手にかかれば──」
「いえ、またカレンさんの手を煩わせるのは申し訳ないです。今度は私に任せてください」
 私は一歩前に出る。
「なにを言ってやがる。フロストモフはネクロドラゴンの時みたいに、《清浄》では倒せないぞ」
「分かっています。ですが先日、髪を乾かす時に新しい生活魔法を閃いて……」
「髪を乾かす時? そんなもんで──」
 カレンさんがそう言葉を続けようとするが、フロストモフが羽を動かし始める。
 冷風が発生し、私たちに攻撃を──。
「《温風(ウォームエア)》!」
 その瞬間。
 私は生活魔法を発動した。
 かざした両手から温かい風が発せられ、フロストモフが放つ、氷を含んだ冷風を溶かしていく。
 温風はそのまま完全に場を支配し、フロストモフの体を包んだ。
 そのまま、ふしゅるるる〜と音を立ててフロストモフが縮んでいき、討伐に成功したのであった。
「なっ……!」
 カレンさんが一瞬言葉を失う。
「ユイ! お前、今なにをした……?」
「《温風》で攻撃しただけですが」
「《温風》で魔物は倒せねえ!」
 そうなのかな?
 でも実際、倒せたのだから問題ない。
「今まで誰も、《温風》で魔物を倒そうとしなかったからですよ。発想の転換というやつです」
「発想の転換でどうにかなる問題じゃない!」
 声を荒らげるカレンさんであったが、すぐに深呼吸をして、
「はあっ、はあっ……すまねえ、ユイがすごすぎてまた取り乱しちまった。これでも冒険者稼業は長いつもりだが、ユイみたいな子ども……いや、冒険者は初めて見るよ。よくやったな」
 と表情を緩めた。
 カレンさんは何故か腑に落ちないところがあるみたいだが、私としては彼女が傍にいてくれるだけで大助かりだ。
 ひとりだけだと、モーリスに詰められた時のように、魔物を前にして咄嗟に体が動かなくなるかもしれないからね。
「──ほらよ。これがフロストモフの粉だ」
 カレンさんはネズミくらいに縮んだフロストモフから粉を採取する。
 フロストモフの粉は仄かに青色の光を含んでおり、近付くとひんやりと冷たい空気を感じた。
「こんなもんが本当に欲しかったのか?」
「はい! 私の想像通りの素材です!」
 フロストモフの粉を袋の中に入れて、私はそう声を上げる。
「そっか……だったらもう少し、粉を採取しておくか。魔の森にはまだフロストモフが棲息しているだろうし」
「お願いします!」
 そう言い、私たちはフロストモフ狩りを続けるのであった。


 魔の森を後にし、私はカレンさんと別れて鍛治工房に向かった。
「ユイ、一体なんなんだ?」
「薬神様に呼ばれたら、いつでも来るけどね」
 事前に集まってもらったグレゴルさんとハドリーさんが、そう口にする。
 ってか、『至高の薬』もそうだけど……薬神様って一体なに!? 未だにちゃんとした理由を聞けないでいる。
 ……まあそんなことは、どうでもいいけど。
「実は新しいものを作りたいと思っていまして」
「なんと!」
「僕にも協力させてください!」
「もちろんです。そのためにお呼びしたんですから。それよりも……グレゴルさん、私が言ったものは作っていただけましたか?」
「おう。だが、あんなのどうやって使うんだか……」
 戸惑いの表情を浮かべて、グレゴルさんが奥から長方形の白い箱を取ってくる。
 ……よし。白い箱を確認したけど、外側にはいくつかのボタン。さらに中には物が入るスペースがある。
 試しにボタンを押してみると通風口から生温い風が流れた。
「これでいいんだろ?」
「はい! あとはこの中に入れるものを作ります!」
 そう言って、私はテーブルの上にふたつの材料を置く。
 それは先ほど取ってきた、スライムゼリーとフロストモフの粉だ。
「こんなもの、どう使うんだ?」
「まあまあ、見ててください」
 そう言って、私は作業を始める。
 ぶにょぶにょとしたスライムゼリー。
 その上からフロストモフの粉をかける。
「そして……《混合》!」
 ぐるぐる……。
 スライムゼリーとフロストモフの粉、ふたつの素材が均等に混ざり合っていく。
「もしかして、薬神様は──そうか! そういうことだったのか!」
 ハドリーさんがいち早く気付き、興奮の声を上げる。
「おい、ハドリー。ひとりで納得してるんじゃない」
 グレゴルさんからツッコミが入った。
「ユイはなにを作ろうとしてんだ? 俺にも分かるように説明しろよ」
「フロストモフの粉には、外の熱を奪う性質があるということは知っているかい?」
「まあ、それくらいはな」
「だけど、粉は粉。すぐに力を失ってしまう」
 ぐるぐる……。
 ハドリーさんとグレゴルさんが話している間にも、完成に近付いていく。
「本来、フロストモフの粉は他の素材と合わせて冷晶薬という薬を作ることができる。傷の患部を冷やす際に使われる薬だね」
「ほうほう」
「だけど、冷晶薬の効能は一度きり。フロストモフの粉が持っている性質を維持し続けることができないんだ」
「使い捨ての薬ってことか」
「そういうこと」
 さらにハドリーさんの話は続く。
「そこで薬神様は、フロストモフの粉とスライムゼリーを混ぜているんだ……! スライムゼリーは中のものの効果を、長い間維持し続けることができるからね。ふたつの性質を殺さず、混ぜ合わせることができるのなら──」
 ハドリーさんがそこまで言ったところで、目的のブツが完成する。
「……成功!」
 手を下ろす。
 現在、私の目の前にはぷるぷるした球状のものが置かれていた。
「グレゴルさん、持ってみて」
「おう──な、なんだ、こりゃ!」
 グレゴルさんが驚きで目を見開く。
「見た目はスライムゼリーだが……ひんやりとして気持ちいいぞ!」
「その通りです」
 フロストモフの粉が持つ、『外の熱を奪う性質』。
 それを、『中のものの効果を、長い間維持し続けることができる』スライムゼリーと混ぜた。
 これをグレゴルさんの作ってくれた、白い箱の中に入れれば……。
「最後にボタンを押してっと」
 サァァァァァァァ……。
 通風口から冷たい風が流れる。

「──冷房の完成です!」

 そう──。
 私がわざわざ、カレンさんと一緒に魔物の素材を取ってきたのは、冷房を作りたかったからだ。
 この世界には冷房がない。
 雷の魔石を用いる、扇風機のような機械──扇風魔導具はこの世界にも存在しているが、部屋全体を冷やす装置はなかった。
 とはいえ、本格的な冷房を作ろうにも、さすがに作り方は知らない。
 そこで私は生活魔法を駆使して、異世界バージョンの冷房を作ったのである。
「す、涼しい……」
「扇風魔導具とはまた違うね。あれは熱い風をかき混ぜているような感じだったけど、薬神様が開発したものは風自体が冷たい」
「そうか……! だから、フロストモフの粉を使ったのか! 冷たい風を出したかったんだな!」
 冷房から送られてくる風の前に立ち、グレゴルさんとハドリーさんが気持ちよさそうに目を細める。
「ふっふっふ、それだけじゃありませんよ。部屋の扉と窓を閉めて、三十分くらい待ってみてください」
「「……?」」

 三十分後……。

「お、おい、風の前に立たなくても、暑さを感じなくなったぜ? ハドリー、どうなってんだ?」
「わ、分からない。だけど、寒いくらいだね」
「私が開発した魔導具──冷房は冷たい風を送るだけではなく、部屋の熱気を吸収するんです」
 だからこその、『外の熱を奪う性質』があるフロストモフの粉。
 私が開発しようとしている冷房に応用できると思ったのだ。
「ですが……これだけではまだ完成とは言えません。外部との温度差によって生じる結露をなんとかする必要があります」
「そのためには、どうすればいい?」
「水滴を外に流す、排水ホースがいります。グレゴルさん、細長いチューブを作ってもらえますか? そうすれば水滴の問題も解決しますので」
「おう! 当ったり前だ! 腕が鳴るぜ!」
 腕まくりをし、グレゴルさんが力こぶを作る。
 一方のハドリーさんは冷房をじっと見つめ、
「せっかく、薬神様が作ってくれたんだ。僕たちだけで、その恩恵を得るのはもったいない気がするね」
 とぼそりと呟いた。
 ぴこーん!
 ハドリーさんの呟き声を聞いて、私はいいことを閃く。
「これを他の人に売るのはどうでしょうか?」
「冷房を商品化するということかい?」
「はい。これがあれば、暑さ問題を解決することができます。エルフィノラだけではなく、できれば隣の街や村……そしてさらにその隣へと広く売っていきたいです」
 売れるかどうかは分からない。
 しかし、せっかく開発したものだから、冷房がどれだけ世に広く受け入れられるか試してみたかった。
 失敗したとて、素材もさほど高価なものではないし、痛手にはならない。
 そして、好評だったらちょ〜っとだけお金を……。
 って、考えるのは俗物すぎたかな?
「それはいい考えだ! すぐにでも売り出そう!」
「おう! こんなのが発売されたら、開発者のユイは大儲けだぜ!」
 とハドリーさんとグレゴルさんも乗り気だった。
 ふたりから太鼓判を押されて、ほっと息を吐く。
 だけど、本当に売れるだろうか?
 私たちだけで勝手に盛り上がっているだけなんじゃ……。
 そう一抹の不安を感じたが、それはすぐに杞憂であることが分かるのであった。


 数日後。
 グレゴルさんの鍛治工房の前には、長蛇の列ができていた。

「早く俺にも冷房を売ってくれ!」
「いや、私にだ! あの冷房は世界に革命をもたらす!」
「契約金なら、いくらでも払う! だから、うちの商会とも契約を!」

 次から次へと客が押し寄せてきて、みんなが冷房を求める。
「どうして、こうなった!」
 売れるのはいいことだけど……ここまでとは思っていなかった!
「それほど、お前さんが作ったものはすごかったってこった。言っただろう? 冷房が発売されたら、大金持ちになるって」
 店先で大行列を眺める私の頭を、グレゴルさんは優しく撫でた。
「でも、グレゴルさんの力もなかったら、冷房は完成しなかったわけですし……」
「そう謙遜する必要はないよ。君のアイディア──そして、生活魔法の力がなければ実現しなかったことだ。もっと胸を張ろう」
 ハドリーさんも力強く頷いた。
 ……冷房を大々的に宣伝した翌日から、街中の人々が鍛治工房に押し寄せてきた。
 最初は半信半疑だった人たちも、冷房を前にして目の色を変えた。
 冷房の噂は瞬く間に広がり、今となっては他の街や村からも人がやって来る。
 さらにはただ買うだけではなく、一部の商会が『うちと契約してくれ!』と言ってきた。
 商会に頼んで広く売り込んでもらえれば、さらに多くの人に冷房が行き渡るだろう。
 そのおかげで、私の懐には多額の売り上げと、商会からの契約金が舞い込んだ。
 大儲けしたのはいいけど……現状は使う暇もないし、しばらくはかなり忙しくなりそうである。
「グレゴルさんも、すみません。私のせいで、最近ずっと働き詰めですよね?」
「なあに! 気にする必要はねえ! 鍛冶師としての血が騒ぐってもんだ。それに、ようやくユイに恩返しできるんだからな」
 疲れているはずのグレゴルさんはそんな様子を一切見せずに、ニカッと爽やかな笑みを浮かべる。
 予想以上の結果だった。
 だけど、私が作ったものでみんなを笑顔にできたと思ったら、嬉しい気持ちで一杯になる。
「そんなことより、薬神様。商会が持ってくる契約書に、目を通さないといけないよ。僕たちも手伝うけど、あくまで君が冷房の開発者なんだから」
「そうだ。契約書が山のように積み重なっているぜ。全く……これなら、うちも鍛治工房を廃業して、冷房工房になってみっか? ガハハ!」
 グレゴルさんが高笑いを上げる。

 ──こうして私は、いつの間にか大金持ちになったのであった。

 ◆ ◆

「暑い暑い暑い! なんとかならんのか!」
 宿屋の一室。
 そこで、大商人である我が輩──モーリスは猛烈に怒っていた。
 蒸し暑さを感じる季節だというのに、宿屋に備え付けられている扇風魔導機は旧式のもので、涼を取るには心許ない。
 窓を全開にし、なんとかこの暑さを凌ごうとしたが、限界がある。
「だからこんな田舎に来るのは嫌だったんだ! あの幼女のことがなければ、今すぐにでも王都に帰るものの……」
「旦那ぁ」
 怒鳴り散らしていると、部下が部屋に入ってきた。
「なんだ! ただでさえ暑いというのに、貴様のむさ苦しい顔を見ているとさらに暑くなる! くだらないことを言うつもりだったら、即刻クビにしてやるからな!」
「へっへ、くだらないことなんて言わないですよ。今この街で、冷房っていう商品がブームになっていることは知っていますか?」
「ああ、もちろんだ。だが、たかが田舎の一商品だぞ? 王都に比べたら田舎臭いものであろうし、高貴な大商人である我が輩には似合わないのであ〜る」
「まあまあ、そんなことを言わないでくださいってば。実は昨日、街の酒場に行ってみたんですが……そこに冷房が取り付けられてさあ、あまりの涼しさにたまげたんです」
「なに?」
 部下の言葉に眉を動かす。
 どうせ子ども騙しだと思って、歯牙にもかけなかったが……まさか、そこまでだったとは。
「今すぐ買ってこい! この蒸し暑さが凌げるなら、なんでもいい!」
「そう言うと思って──」
 部下がパチンと指を鳴らす。
 廊下から、他の何人かの部下たちが大きな箱を運んできた。
「これが噂の冷房っす。旦那に試してもらおうと思って、事前に用意しておりました」
「でかした!」
 こいつ……! 意外と気が利くではないか!
 部下たちに冷房を取り付けさせる。
 冷房のスイッチが入れられ──。
「おお……!」
 思わず、感動の声を漏らしてしまう。
 箱型の機械から、冷たい風が吹く。それだけではなく、しばらく経つと、部屋の中が冷たい空気で満たされた。
「こんな商品は王都にもないぞ……! どこで売っていた!?」
「街の鍛治工房っす。それで……ひとつ気になることが」
「なぬ?」
 我が輩の大商人レーダーが久しぶりにびびびっ! と反応する。
 その部下から話を聞くと、どうやらこの冷房とやらは、件の幼女──ユイが発明したということだった。
「ほお……」
 ニヤリと笑う。
 ようやく尻尾を出しおったか、あの幼女め。
「すぐに、この冷房を開発した幼女と契約を結ぶ。もちろん、冷房の儲けの九割九分は我が輩の懐に入るようにな! 限界まで搾り取ってやる!」
「大丈夫ですかあ? さすがにそんな契約書にサインしないんじゃ……」
「貴様は、我が輩をバカだと思っているのか? 正攻法でいくわけがない。最近王都で買ったペンを使って……」
 あの幼女を罠に嵌めるため、我が輩はバッグから紙とペンを取り出し、契約書を作り始めた──。

 ◆ ◆

 冷房を開発してからというもの、私は忙しい日々を過ごしていた。
「えーっと、次の契約書は……」
 冒険者ギルドの一室で、契約書と睨めっこする。
 もちろん、冷房に関するものだ。
 あれから色々な商会から契約の話が舞い込み、最近の私はその対応に追われることとなった。
 孤児院だといまいち集中できないので、こうしてギルドの一室を貸してもらっている。
「ユイちゃん、また契約書が来たわよ〜」
「めえ〜」
 契約書を読み進めていると、フィリスさんと子ヤギのココが入ってきた。
 フィリスさんは契約書の山を、ドンっと机の上に置く。
 お、多い……。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。それにしてもユイちゃん、本当に大丈夫なの? 他の大人にも頼めば……」
 心配そうな顔をして、フィリスさんが頬に手を当てる。
「いいんです。私が冷房の開発者なんですから」
 それに、グレゴルさんだって最近では大忙しだ。
 ハドリーさんも調薬研究所の仕事があるのに、私にばっかり構ってられないだろう。
 元はといえば、私から言い出したことなんだし、極力他の人の力は借りたくない。
 そう思いながら、次の契約書に目を通すと、
「ん……」
 違和感に気付き、手を止める。
「ここ……不自然な余白がある」
「あら、本当ね。でも、気にしすぎなんじゃないかしら?」
 フィリスさんも隣から覗き込んできて、そう口にする。
 契約書の内容はいたってシンプルなものだ。
『冷房をうちの商会でも扱いたい』『売れれば売れただけ、マージンを払う』『その他、別途で権利料も払う』といったもの……。
 なんならマージンの割合も多く、普通ならすぐにサインをする内容である。
「あれ……余白にうっすらと筆跡が残っている? これってもしかして……」
 勘が働き、契約書を裏に向ける。
 なんとなく嫌な予感がして、裏から《温風》で軽く余白部分を温めてみた。
 すると……。
「わっ! 文字が浮かび上がったわ!」
 フィリスさんが驚きの声が上がる。
 なにも書かれていないと思っていた余白。その部分を温めることによって、新たな文章が現れたのだ。
 細かく読んでいくと、『上記の内容は全て破棄する』『売り上げの99%を商会が独占する』『他の商会に冷房を売ってはいけない』と、明らかに私にとって不利な条項が書かれていた。
「酷すぎる!」
 思わず、怒りで立ち上がる。
「こんな契約を……しかも罠を仕掛けているなんて。すぐにサインしなくてよかったです」
「本当ね。相当、悪質よ。よく気付いたわね?」
 前世でも、たまにこういう契約書は存在した。
 確か、『有印私文書変造罪』っていう罪になったと思う。
 もっとも、この異世界が前世と同じ法律だという保証はなく、そうだとするならサインをしてしまえば完全に泣き寝入りしていただろう。
「不自然に余白がある契約書には注意する、って大人の人に教えてもらっていましたから」
 契約書の怖さは、私もよーく知っている。
「一体誰がこんな契約書を……あれ?」
 最後に記されている文章に気が付く。
「モーリス? これって確か……」
 数日前に現れた、不審者のおじさんの名前だ。
『これで終わると思うなよ!』と捨て台詞を吐いて、逃げていったが……まさかまだ諦めていなかったとは。
「めえ〜」
 唖然としていると、ココがうずうずした様子で契約書を覗き込んできた。
「ココ? 一体なにを……って、え!?」
 問いかけようとすると、なんとココはその契約書を口で咥え、そのままむしゃむしゃと咀嚼しだした。
「食べちゃった……」
「いいんじゃない? どうせ捨てるもんだったし」
 口元に手を当てて、くすくすと笑うフィリスさん。
 食べ終わったココは『ごちそうさま』と言わんばかりに、私に向かって一礼した。
「……まあ、別にいっか」
 それにしても、私が子どもだからといって、こんな杜撰な罠を仕掛けてくるとは……。
 とはいえ、私が気を付ければ済む話だ。
 そう自分に言い聞かせ、私は別の契約書に目を通すのであった。


 ──翌日。
「──ということなんです。契約書にそんな罠を忍び込ませてくるなんて……酷いですよね!? ガリ兄!」
 私はパンを持ってガリ兄のところへ行き、昨日の愚痴を零していた。
「…………」
 ガリ兄は私の話を聞き、意味深に黙った。
「ガリ兄? どうされましたか? 私の話、つまらなかったですか?」
「いや、そうじゃないんだ」
 ちょっと喋りすぎたかな……と反省していると、ガリ兄はすぐさま否定する。
「モーリスという名が気になってな」
「モーリスが?」
「ああ。昔、そのモーリスという名を聞いたことがある。その際に悪い噂を聞いて……」
「悪い噂? まあ、あんな詐欺まがいの契約書を作ってくるくらいですから、他に悪いことをしていてもおかしくないけど……ってか、ガリ兄って意外と物知りですよね?」
「……っ! 俺のことはどうでもいいじゃないか」
 誤魔化すように言って、ガリ兄は私と真剣に目を合わす。
「ユイ、モーリスには気を付けろ。嫌な予感がする」
「は、はい……」
 頷く。
 とはいえ、契約書の一件が空振りだったし、もういい加減私のことを諦めてくれると思うけど……。
「それにしても、今日のパンも旨かった。こうしてまともな食事ができるのも、ユイのおかげだ。本当にありがとうな、ユイ」
「ガリ兄が喜んでくれて、嬉しいです!」
 頬を綻ばすガリ兄に、私はそう答えるのであった。

 ◆ ◆

 大商人である我が輩──モーリスは、件の幼女のことを考えて、怒っていた。
「どうして、契約書が返ってこない! 我が輩の策は完璧だったというのに! 仕事が遅すぎるぞ!」
 おかげで冷房をガンガンに効かせている部屋にいるというのに、体中が熱い!
 先日──我が輩は罠を張った。
 王都で買った『消えるペン』を使って、契約書にある内容を記したのだ。
 幼女はなにも知らず、契約書にサインをする。
 しかし、そうなってしまってからでは遅い。
 返ってきた契約書を火で軽く温め、真の契約条項を浮かび上がらせる……。
 契約を盾にされた幼女は、我が輩に格安で冷房を売ることしかできない。そうなったら、我が輩は大儲けだ。我が輩の策に隙はない。
 ……はずだった。
「旦那ぁ!」
 慌てた様子で、部下の男が部屋に入ってくる。
「じ、実は冒険者ギルドであの幼女の話を聞きまして!」
「すぐに話せ!」
「はい! あの幼女、どうやら旦那の契約書にサインしなかったようです。しかも、その契約書はヤギに食べさせて、のほほんとしております」
「ヤ、ヤ、ヤ、ヤギ……」
 どうしてヤギなのかは分からないが、バカらしすぎて肩の力が抜けるのと同時、怒りが最高潮に達する。
 我が輩の崇高な契約書をヤギに食べさせるとは!
 バカにするにも程がある!
「あいつは……我が輩を本気で怒らせた」
 勢いよく椅子から立ち上がる。
「おい! すぐに若い衆を集めろ! 強行策に打って出る!」
「強行策というと……いつもの{あれ}ですかい?」
「そうだ。あの幼女には、社会の怖さを教えてやる必要があるようだからな」
 ニヤリと口角を吊り上げる。
 相手はたかが幼女だからと、今まで優しい手段を取っていた。
 しかし、もう我慢の限界だ。
 我が輩をバカにした報い、必ず受けさせてやる!
「へっへ、ようやくですね。オレ、久しぶりに血が騒ぐっす! すぐに他の若い衆に声をかけてきます!」
 嬉しそうな顔をして、部下の男が部屋から出ていく。
 我が輩の一億分の一の知恵もない彼は、こういったことの方が好みなのだ。
「幼女め……必ず我が輩のものにしてみせる!」
 今まで我が輩は全ての勝負に勝ってきた。
 そして、それはこれからも例外ではない。
 {ある目的}を達成するために、今以上の金も必要なわけだし……ここで退くわけにはいかない!
「待っていろよ、幼女。後悔しても、今更もう遅いのであ〜る!」

 ◆ ◆

 怒涛の契約書ラッシュも落ち着いてきた、ある日。
 私は久しぶりに孤児院でのんびりした時間を過ごしていた。
「ユイ! 今日はなにをして遊ぶ?」
「うーん、いい天気だし、お外でボール遊びでもしよっか。最近してなかったし」
「ボール遊びね! 分かったわ!」
 ミナちゃんが表情を明るくする。
 最近では働き詰めだったせいで、ミナちゃんとほとんど一緒の時間を過ごせていなかった。
 だけど、今日は丸一日休みにすると決めたのだ。
 ミナちゃんの遊びに付き合う!
「あれ? これって……」
 ボールを取りに行ったミナちゃんの手には、代わりに紙包の箱が持たれていた。
「玄関に置かれていたわ。これ、なんなのかしら」
「ミナちゃん、勝手に開けちゃ──」
 止めようとするが、もう遅い。ミナちゃんは紙包をビリビリと破って、箱を開けた。
 そこには、
「あっ! クッキーだわ!」
 黄金色のクッキーが入っていた。
「しかも、王都の有名店のクッキーじゃない! 私、食べたかったのよね〜」
「どうして、そんなものが孤児院にあったんだろう? 院長先生が買ってきたのかな──ん?」
 疑問に思っていると、私はクッキーと共に入っていた紙切れに気が付く。
「えーっと、なになに……『孤児院の子どもたちで召し上がってください』か」
「きっと、私たちへの寄付よ! 食べていいんじゃない?」
 そう言うミナちゃんは、ボール遊びのことも忘れて、今にもクッキーに齧り付きそうであった。
 こうして孤児院に、寄付が贈られてくるのは珍しくない。
 このクッキーも寄付の一環なのだろう。
 だけど、どうして玄関に無造作に置かれていたのだろうか? 院長先生がしまうのを忘れていたとか?
 不思議に思うが、ミナちゃんはクッキーを早く食べたそうである。
「そうだね。せっかくの寄付品なんだし、ふたりで食べちゃおっか。院長先生も今はいないしね」
「分かったわ!」
 待ってましたと言わんばかりに、ミナちゃんがクッキーに手を伸ばす。
 私も彼女に続いて、クッキーを口にする。
 うん……美味しい! 砂糖の甘みが口に広がる。
 だけど、ちょっと薬品臭いような……? こんなものなのかな?
 そう違和感を覚えていると、続けて頭がくらっとする。
「(え……)」
 声にならない。
 急激に眠気が襲ってきた。そのまま立っていられなくなって、床に寝そべる。

「──上手くいった! おい、誰かに見られる前に早く攫っちまえ!」
「慌てるんじゃねえぞ。失敗したら、モーリスの旦那に叱られちまう」
「もうひとりの幼女はどうする?」
「そっちに用はねえ。放っておきな」

 続けて聞こえてきたのは何人かの足音と、荒っぽい男たちの声。
 一体なにが……そう思ったのも束の間、私はそのまま意識を失ってしまうのであった。

 ◆ ◆

(ガリ兄 side)

 ゴミ区でユイと話してから、俺はずっと胸騒ぎがしていた。
「モーリス……気になる」
 モーリスの名は、王都で聞いたことがある。
 いわく、強引な手法で事業を広げていった。
 いわく、中には詐欺まがいの手口によって、被害者が泣き寝入りするケースも少なくない。
 そして──時には人を攫い、自らの思うがままに働く奴隷にするという噂。
「もっとも、あくまで疑惑に留まっているがな。モーリスに嫉妬した者が、わざと彼への風評被害を流している可能性もある。俺の杞憂だったらいいんだが……」
 しかし、胸騒ぎは治らない。
 ゆえに俺はゴミ区を出て、ユイにこのことを伝えにいくことにした。
 ゴミ区を出るのは、久しぶりのことだ。{今飲んでいる}薬だって、ゴミ区の闇商人から仕入れているからな。
 活気に満ちた明るい街の空気を吸っているだけで、呼吸が苦しくなる。
 俺にとって──ここの光景は眩しすぎるのだから。
「ユイは……冒険者ギルドか? 俺みたいな浮浪者が行っても、果たして話を聞いてくれるだろうか? まずは行ってみて──ん?」
 歩いていると前方から女の子が走ってきた。
 女の子の顔は泣き腫らしており、只事でないことがはっきりと分かる。

「誰か──誰か助けて! ユイが……」

「ユイだと?」
 俺はいてもたってもいられず、彼女に声をかける。
「どうして、泣いているんだ? それにユイのことだって……詳しく話を聞かせてくれ」
「おじさん、ユイのことを知ってるの?」
「ああ、友達だ」
 頷く。
 すると女の子は「ガリガリ……ゾンビみたいな見た目……」と呟き、パンと手を叩く。
「もしかして! あなたがユイの言ってたガリ兄かしら! ほら、ゴミ区にいるゾンビみたいな大人!」
 ゾンビみたいな……?
 ユイはこの子に、俺のことをなんて説明をしているんだ?
 ……っと、今はそんなこと、どうでもいいか。
「そうだな、ユイからはそう呼ばれている」
「だったら、私の話を聞いて!」
 切羽詰まった表情で、女の子が続ける。
「私はミナ。ユイと同じ孤児院に住んでるんだけど……今日、クッキーの箱が置かれていたの。孤児院への寄付だと思って、院長には悪いけど、ユイと一緒に黙って食べちゃった」
「ふむふむ、それで?」
「そしたら、急に眠くなって──寝る寸前に乱暴な男たちが部屋に入ってきたのが見えたの。男たちはそのままユイに近付いて、私が目を覚ました時には誰もいなくって……きっとあいつら、ユイを誘拐したのよ!」
「──っ!」
 ミナと名乗った女の子からの話を聞き、俺は胸が詰まった思いになる。
 なんということだ。まさかユイが攫われ……。
「それ以外に、男たちがなにを言っていたか覚えているか? 誰かの名前とか出てないか?」
「え、えーっと……確か、『モーリスの旦那』とか言ってた気がするけど……」
 やはりだ!
 不幸なことに、俺の悪い予感が当たってしまった。
 モーリスという名を聞き、怒りが込み上げてくる。
「だから……ユイを助けて! このままじゃ、ユイが殺されちゃうかもしれないわ!」
「ああ、もちろんだ」
 ミナの頭にポンと手を置く。
 今から、モーリスとユイを探して……いや待て。俺だけじゃ、どこにいるかも見当が付かない。
 しかも、相手は少女を攫うようなゲスだ。用意周到に事を進めるだろうし、間違いなく武器も持っているだろう。
 俺だけでヤツらの元へ向かうのは、無謀だ。
「とりあえず、冒険者ギルドに行こう。そこで今の話を、もう一度してやってくれ」
「うん!」
 力強く頷くミナ。
 ユイのことが心配なのだろう。だが、既に泣くのを我慢して、瞳に込める力を強いものとしている。
 ユイ──無事であってくれ。
 なんとか冷静に努めようとしながら、俺はミナと共に冒険者ギルドへ向かうのであった。

 ◆ ◆

「ん……」
 目を開けて、上半身を起こす。
 確か……私は孤児院でミナちゃんと一緒に、クッキーを食べていたはずだ。
 すると急に眠気が襲ってきて、男たちの不穏な声が聞こえ……意識を失った。
 辺りを見渡すと、倉庫の中のような場所であることが分かる。
 無造作に大量の箱が置かれ、場には陰湿な空気が漂っていた。

『──ははは! 貴様ら、よくやった! これで我が輩は大金持ちなのであ〜る!』
『へっへ、女の子ひとりを攫うくらいお手のものですよ、旦那。そのために睡眠薬も仕込んだんですからね』
『そんなことより、報酬はたんまりと払ってくれるんですよね? こっちも、そこそこ危ない橋を渡ったんっすよ』
『当然だ。貴様らには多額の報酬を約束するのであ〜る!』

 ──扉の外から、男たちの声が聞こえる。
 中には私が眠りに落ちてしまう前、聞こえてきた声も混じっていた。
 さらには──モーリス。
 特徴的な語尾。横柄な態度。
 声を聞くだけで、彼だということがすぐに分かった。
「もしかして……私、誘拐されちゃったってことなの!?」
 愕然とする。
 なんということだ……まさかこんなドストレートな誘拐をかますとは。
 今思えば、孤児院に置かれていたクッキーも、彼らの仕業であろう。
 クッキーの中に睡眠薬を入れ、私を眠らせたということか。
「ミナちゃんは大丈夫かな? ここにいないってことは、無事だと思うんだけど……」
 それに、眠りに落ちる前にもうひとりの幼女──ミナちゃんのことだろう──の扱いについて話す声も聞こえたが、すぐに興味を失ったようにその話題は打ち切られていた。
 決めつけるのは早いけど、ミナちゃんは攫われていないと思ってよさそう。
『旦那ぁ、今からどうするおつもりで?』
『街の外に出る馬車を用意している。夜になったら幼女も連れて、すぐにエルフィノラを出るぞ』
『そして……王都に帰ったら、あの幼女を奴隷のように働かせるわけですね?』
『当たり前だ! だからこそ、このような最終手段を取ったのだからな! 我が輩のために、死ぬまで生活魔法を使わせてやる! そうすれば我が輩はさらに大金持ちなのであ〜る』
 酷い!
 どうやら、モーリスの目的は私の生活魔法にあるらしい。
 子どもの誘拐は犯罪の中でも、人として最低の行為のひとつだ。
 それなのに罪悪感をこれっぽっちも感じていなさそうなモーリスたちに、嫌悪で吐き気がした。
「このまま連れて行かれるわけにはいかないよね」
 決意する。
 王都に連れて行かれれば、簡単に彼らから逃げることができるとは思えない。
 だから、仕掛けるなら街の外に連れて行かれる前。
 タイミングを見計らって仕掛ける。
 ミナちゃんが私に気付いて、助けを呼びに行っている可能性もあるが……待っているだけにもいかない。
 いつ助けが来るのかも分からないからだ。
「おとなしく捕まっていると思っているなら、大間違いなんだから」

 ◆ ◆

(ガリ兄 side)

「誰か──誰かユイを助けて!」
 冒険者ギルドに入り、ミナが大きな声を発した。
 そのおかげで、ギルド内の人間の注目がこちらに集まる。
「あなたは……孤児院のミナちゃんだったわよね? どうしたの? それに隣の男性は……」
「今は、俺の自己紹介をしている場合じゃない」
 受付テーブルの前に立って、受付嬢らしき人間にこう話し始める。
「ユイが攫われた」
「え?」
「おそらく、商人のモーリスの仕業だ。今すぐにユイを救出しに──」
「──おい、待てよ。フィリスが混乱してるじゃねえか」
 後ろから声をかけられる。
 振り返ると、赤髪の女が立っていた。
「ひとつずつ説明しろ。このままじゃ訳が分からねえぞ。慌てる気持ちは分かるがな」
「……失礼した」
 頭を下げる。
 やれやれ……冷静なつもりであったが、ユイが攫われたと聞いて、俺も動揺していたみたいだな。
「ミナ、説明してくれていいか?」
「うん!」
 ミナが頷き、赤髪の女に事の詳細を説明する。
「そんなことが……」
 赤髪の女から怒気が発せられる。
「ヤツめ……一度ユイにちょっかいをかけてきたが、まさか誘拐するなんてな。許せねえ」
「モーリスの仕業だと決めつけるのは、まだ早いかもしれないがな。なんにせよ、ユイの捜索が先決だと思う」
 俺は彼女に、そう答えた。
「ユイちゃんはどこにいるんでしょうか?」
 受付嬢が顔に不安を滲ませて、質問する。
「……分からない。だが、昼間のうちはそう簡単にエルフィノラから出られないと思う。ユイが乗っていると気付かれれば、すぐにエルフィノラの門番が止めるはずだ」
「その通りだ。おそらく──夜。暗がりの中で密かに移動するはずだ。日が落ちるまで、どこかで待機しているんだろうな」
 俺も、赤髪の女の意見に同意だ。
 問題は、エルフィノラのどこにいるかということだが……残念ながら、俺もエルフィノラの地理にそこまで詳しいわけではない。
 しらみ潰しに探している間に、夜を迎えてしまう可能性がある。
「分かりました。では、いくつか候補を挙げますね」
 そう言って、受付嬢がテーブルに地図を広げる。
 いつの間にか、ギルドにいた他の冒険者たちも集まってきて、地図を覗き見る。
「街の至る所に、今は使われていない廃墟や倉庫があります。このどこかにユイちゃんはいるんじゃないでしょうか」
「川沿いの廃墟は有り得ねえんじゃねえか? あそこはモヤグロが出るぞ?」
「図書館近くの倉庫もなさそうだ。あそこは人通りが多く、身を潜ませるには向いていないからな」
 次から次へと、他の冒険者から意見が出てくる。
 皆、ユイのことを心配しているようだった。
 ……ユイはエルフィノラの人々に受け入れられているんだな。
 まるで自分のことのように嬉しくなった。
「……では、候補は五つに絞れましたね。時間は限られていますが、これらをしらみ潰しに探すしかないでしょう」
「俺も協力させてくれ!」
「そうだ、そうだ。あんな可愛いくて天使みたいな子を誘拐するなんて許せねえよ!」
 ひとり──またひとりと、冒険者たちが手を挙げる。
 ……助かる。
 俺ひとりなら、ユイを見つけられなかっただろう。冒険者ギルドに来たことは間違いじゃなかったようだ。
「よし──アタイは一番可能性が高そうな、街外れの倉庫に行くか。心配ねえ。必ずユイを助け出してや──」
「待ってくれ」
 すぐにギルドを飛び出していこうとする赤髪の女を、俺は呼び止める。
「俺も連れて行ってくれないか?」
「なに?」
 彼女は眉を顰める。
「言っておくが、安全だとは限らねえぞ? 相手は幼女を誘拐するような連中だ。武器を所持している可能性もある」
「無論だ。だが、ユイには俺も恩義がある。俺だけここで待っているというのは我慢ならない。頼む……!」
 彼女の目を真っ直ぐ見て、俺は懇願する。
「お前……その内に秘めている魔力──もしかして……」
 彼女はなにかに気付いたのか、
「──分かった。連れて行ってやる。足手纏いにはならなそうだからな」
 頷いてニカッと笑った。
「わ、私はどうすればいいのかな……?」
「ミナはここで待っていてくれ。ユイが帰る場所を守るのも、立派な仕事だ」
 俺がそう優しく微笑みかけると、ミナは「分かったわ」と首を縦に振った。
「そういや名乗り遅れたが、アタイはカレンだ。一応、Sランク冒険者をさせてもらっている」
「Sランク……大地割きのカレンか。名は聞いたことがある」
「お前は?」
「俺は……」
 一瞬躊躇する。
「……名は捨てた。今はゴミ区で暮らすガリ兄だ」
「ガリ兄? 変な呼び名だな。まあいい──行くぞ」
「ああ」
 頷きで応え、カレンと共に冒険者ギルドを出る。
 ……俺はもう終わった人間だと思っていた。
 他人に興味を抱かず、ただ死を待つだけの存在。
 しかし、そんな俺にもまだやるべきことが残っている。
 ユイの無事を祈って、俺は街中を駆けた──。

 ◆ ◆

 多くの冒険者たちが、エルフィノラ中を駆け回っている頃。
 私、ユイは──。
「反撃開始です」
 扉の前に立って、気合を入れる。
 鍵は……よし。かかってないか。とことん私をただの幼女だと侮っているのだろう。
 意を決して、扉を開けた。
「ん……なんだ、もう目が覚めちまったのかよ。そういや、鍵をかけるのを忘れていたな」
 扉から出てきた私に気付き、男のひとりが緊張感のない声で言う。
「子どもはまだ寝る時間でちゅよ〜。おとなしくしなちゃ〜い」
「ガハハ! お前、バカにしてんだろ!」
 ……うん、全員で三人か。いや、後ろの方で偉そうにふんぞり返っているモーリスを含めれば四人。
 これならやれる。
「おい! 巫山戯てないで、さっさとその幼女を捕えろ! 騒がれても面倒だから、今度は口縄をして部屋に閉じ込めておけ!」
 モーリスから怒声が飛ぶ。
 しかし、その表情には余裕の色が浮かんでいた。
 たかが幼女ひとりでは、なにもできないと思っているのだろう。
 でも、残念。
 私はただの幼女ではない。
 最近、{新しく覚えた}生活魔法も試してみたいと思ってたし、丁度いい機会だ。
「《清浄》!」
 駆け寄ろうとしてくる男たちを視界に捉えながら、私はまずは《清浄》で床をピカピカにする。
「うおっ! なんだ、この滑る床は!」
「ち、近付けねえ……」
「く、くそっ!」
 男たちはつるつると滑り、その場から前に進めない。
 中には転けて尻餅をつく男も。
 このままでは埒が明かないと思ったのか、男のひとりが近くの壺を持って、私に投げつけた。
 しかし、無駄な抵抗だ。
「《換気(フロー)》!」
《換気》──空気の流れを変える、最近覚えた生活魔法だ。
 ぐんぐんと迫り来る壺。
 しかし、壺は《換気》によって生じた風に押し流され、狙いを外して近くの壁に当たった。
「なんだ……? 当たらねえ!」
「おいおい、そんなに離れてねえんだぜ? なんで外しやがる!」
「オレだって聞きてえよ!」
 混乱に陥る男たち。
 大の大人が、私ひとりに手も足も出ないでいる。
「ネクロドラゴンやフロストモフに比べたら、余裕です」
 カレンさんと一緒に、魔の森に出かけてよかった。
 魔物と対峙する経験がなければ、大人の男が迫ってくる恐怖に負けて、ろくに動けなかったかもしれないからね。
「ええい! なにをしている! いい加減にしろ! これ以上、くだらないものを見せるつもりだったら、報酬を減額するぞ!」
 モーリスが地団駄を踏む。
 明らかな緊急事態だというのに、彼自身が私を捕らえようとはしない。あくまで部下の男に任せているようだった。
 滑る床──そして不規則な気流──。
 それらに奔流されていた男たちだが、やがて滑る床にも慣れてきたのか、徐々に私と距離を詰める。
 ──今だ!
「《手洗(ウォッシュ)》!」
 手をかざすと、そこから勢いよく水が発射された。
 激しい水のビームは、男たちに直撃。「ぐあああああ!」と悲鳴を上げ吹き飛ばされ、全員床に倒れ伏せた。
「なっ、なっ、なっ……!」
 あっという間にやられてしまった男たちを見て、モーリスが言葉を失う。
「お、おい、幼女! なんだ、その魔法は!?」
「生活魔法ですが?」
「生活魔法でこんなことはできない!」
 ツッコミを入れるモーリスではあったが、やがて「すーはー、すーはー」と深呼吸をして気を落ち着かせる。
「……まあいい。我が輩の仲間は、ここにいる連中だけではない。倉庫の外には、見張りの連中もいる。そいつらが束になってかかれば、さすがに貴様でも──」

「いや──もうチェックメイトだ」

 倉庫の扉が開かれる。
 逆光に照らされながら現れたのは、カレンさん──そして何故か、ガリ兄のふたりであった。


「カレンさん……? それにガリ兄も……どうしてここに?」
 突然現れたふたりを前にして理解が追いつかず、私はそう首をひねる。
「決まってんだろ、お前を助けにきたんだ」
 男前な笑顔を見せて、カレンさんが答える。
 一方、ガリ兄はじっと前だけを見つめ、モーリスに殺意を向けていた。
「き、き、貴様ら……どうして、この場所が分かった!?」
「この街の冒険者を舐めるんじゃねえよ。それに、随分とでっかい声を出してたじゃねえか。外まで丸聞こえだったぜ」
 そう言って、カレンさんが一歩前に踏み出す。
「くっ……!」
 モーリスは即座に逃走を図ろうとする。
 しかし、シュッ──とカレンさんの姿が消えたかと思うと、次の瞬間にはモーリスを床に組み伏せていた。
「き、汚い冒険者が我が輩に触るな! 我が輩は大商人モーリスであ〜るぞ! それに貴様らはなにか誤解をしている! 我が輩はその幼女と話そうとしただけで──」
「はいはい。話なら冒険者ギルドで聞いてやるよ。たーっぷり──とな」
 ニヤリと口角を吊り上げるカレンさん。
 こ、怖〜。
 こんな怒っているカレンさんを見るのは初めてだったから、鳥肌が立っちゃったよ!
「ユイ、大丈夫か?」
「う、うん」
 カレンさんがモーリスを組み伏せている間に、ガリ兄が私の体を気遣ってくれる。
「生活魔法でみんな、やっつけたから……あっ、外にも見張りがいるってモーリスは言ってたけど、どうなったの?」
「そっちのカレンが全部やってしまったよ。さすがSランク冒険者だ。たかがゴロツキでは相手にならん」
 答えるガリ兄。
 これで一件落着……かな?
 だけど、みんなに迷惑をかけてしまった。元はといえば、私が孤児院にあった怪しいクッキーを食べなければ済んだ話だ。
 冒険者ギルドに戻ったら、みんなに謝らなくっちゃ──そう思った時であった。
「こ、これで終わらすか!」
 モーリスの声が聞こえたかと思うと、彼は組み伏せられながらなにかを取り出した。
 その右手には黒い塊──いや、あれは拳銃……?
「最後にその幼女だけは殺す! 我が輩をここまでバカにしてくれたのだ。しっかりとその報いを受けさせてやる!」
「ちっ……!」
 カレンさんが慌てて、モーリスの持つ拳銃を奪おうとする。
 しかし遅い。
 寸前の差で拳銃の激鉄が落とされ、弾丸が私に向かって発射される──。

 あっ、死ぬ──。

 そう直感したが、
「させんっ!」
 カキンッ──!
 ガリ兄の声が聞こえたかと思うと、ほぼ同時に甲高い金属音が倉庫内に響いた。
 コロコロと弾丸の残骸が地面に転がる。
「け、結界魔法だと……っ!?」
 モーリスの顔が歪む。
 次の言葉を発する前に、カレンさんがモーリスの顔面を床に叩きつける。
「ぐはっ!」
 短い悲鳴を上げて、モーリスは気を失った。
「くそっ……! 油断した! こいつ、拳銃を隠し持ってやがったのか!」
 カレンさんが自分の不甲斐なさを悔いるように、顔を歪める。
「今の魔法って……もしかして、ガリ兄のおかげ?」
「……そんなところだな」
 気まずそうに頬を掻くガリ兄。

 ──ガリ兄が結界魔法を使えた!?

 ガリ兄は元魔法研究所勤めだから、魔法には詳しかった。
 だけど、自分では魔法を使えないと言っていたはずじゃ……?
「助かったぜ。お前がいなけりゃ、ユイが大怪我を負っていたかもしれねえ」
「いい。今はそんなことより、床に倒れている男どもを拘束しよう。先ほどのようなことがあっては、いけないからな」
 ガリ兄の言葉に、カレンさんは深く頷いたのだった。


 その後、私が冒険者ギルドに戻ると、盛大に出迎えられた。
「ユイちゃん! 本当に無事でよかったわ!」
「めえ〜!」
 フィリスさんは瞳にうっすらと涙を浮かべ、ココはいつもより一際嬉しそうに鳴いた。
「全くだぜ。お前さんが誘拐されたと聞いて、肝を冷やしちまった」
「怪我がなくて、本当によかったよ」
 グレゴルさんとハドリーさんも、そう言ってくれる。
 冒険者ギルド内では、私の無事を祝う会が開かれていた。
 みんな、これにかこつけて飲みたいだけなんじゃ……と思わないでもなかったが、私のために宴会を開いてくれて嬉しい。
「ほら、ユイも食べろって。まだまだ残ってるぞ?」
「はい」
 カレンさんの言ったことに、私は頷く。
 目の前の長机には、所狭しと料理が並べられている。
 まず、色とりどりのお菓子の詰め合わせ。疲労回復に効く香辛料がかけられたミートボール。山椒の香りがふわっと立つハンバーグ。中央には、真っ白なバタークリームをたっぷりまとったケーキも鎮座している。
 ……完全に、子どもを喜ばせるために全力で集めた布陣だね。
 どれも本当に美味しい。
 美味しい、んだけど……さすがにお腹が一杯になってきたかも?
 でも、私のために作ってくれたものだから、残すだなんて言い出せなかった。
「ユイ〜、ごめんねえ。私がクッキーを食べようなんか言い出したから……ひっく」
「ミナちゃんは悪くないよ」
 顔を涙で泣き腫らしたミナちゃんは、私が帰ってきてから頻りに謝っている。
 実際、彼女は悪くないのだ。
 なんなら、彼女を止められなかった私の責任でもある。
 だけど、一番悪いのはモーリスたちで──。
 ガリ兄がいなければ、モーリスに殺されていたかもしれないと考えると、ぞっとした。
「ガリ兄も来ればよかったのに」
 ぼそりと呟く。
 この会にガリ兄の姿はない。
 モーリスとその部下たちを拘束した後、『俺の役目は終わった』とゴミ区に帰って行ってしまったのだ。
 結界魔法のことについても聞きたかったが……なによりも、ガリ兄に感謝を十分に伝えきれていないので、寂しく思った。
「どうした? ユイ、暗い顔をしてるが」
「い、いえ、なんでもありません」
 不思議そうに首を傾げるカレンさんに、慌ててそう返事をする。
「あっ、そうです。モーリスはこれからどうなるんですか?」
「ああ、そのことだが……」
 カレンさんは露骨に忌々しげな表情を浮かべて、こう続ける。
「ヤツは今頃、王都に搬送されている」
「王都に……ですか? この街で起こした犯罪なのに?」
「腐った男だが、あれでも大商人だ。簡単に裁くことはできないし、下手にこっちで手を出したら王都から役人が飛んでくる可能性がある。泣く泣く王都に引き渡すことになったが……果たして、適切な罪状になるかは謎だな」
 そうなんだ……。
 この異世界はそこまで、法律も整備されていない。
 お金持ちだからって、刑が軽くなることも有り得る。
 それだけは歯痒い気がした。
 とはいえ。
「あれだけ痛い目にあえば、さすがにモーリスも私にもう手を出さないでしょ! みんな無事だったし、ノープロブレムです!」
「ユイは人間ができてんな。アタイも見習わないと」
 カレンさんはふっと笑いかけて、私の頭を優しく撫でた。
 それにしても……。
「……モーリスみたいな人が、また現れるかもしれない」
 私の生活魔法はなかなかに優れているもののようなのである。
 そのおかげで、異世界生活も順調だが……反面、この力に目を付ける者がこれからも現れても変じゃない。
 私だけが困るなら、まだいい。
 だけど今回は、周りのみんなに迷惑をかけてしまった。
 そうなる前に、エルフィノラから離れるべきなんじゃ──。
「ユイちゃん! ユイちゃん!」
 考えていたら、フィリスさんが焦った感じで駆け寄ってきた。
「どうされましたか?」
「さっき、通信用の魔導具で、王都から連絡があったの。そこで──」
 フィリスさんの物々しい雰囲気に周りも騒ぐのをやめ、私に注目する。
 彼女は一度大きく息を吸ってから、こう続けた。

「──王族の人たちが、ユイを保護したいって言ってるのよ!」

 ──私の異世界生活は、新たな舞台へ移ろうとしていた。

 ◆ ◆
 
「くそっ、くそっ! どうして我が輩が!」
 ──王都の地下牢。
 大商人である我が輩は、床に何度も拳を打ちつけては、恨み言を口にしていた。
「こうなったのも、全部あの幼女のせいだ! あいつが言うことを聞いていれば、こんな狭苦しい場所に閉じ込められることもなかった! 絶対に許さないのであ〜る!」
 思い出せば思い出すほど、腹が立つ。

 ──幼女誘拐計画に失敗した我が輩は、こうして王都の地下牢に入れられた。

 地下牢はじめじめしていて、気が滅入る。
 鼻にこびりつくようなカビ臭さも不愉快であった。
「……まあいい。どうせ、すぐにここから出してもらえるだろう。何故なら我が輩は、大商人だからであ〜る」
 この世は金が全てだ。
 金があれば、人も法も思い通りになる。
 実際、今まで何度か危ない橋を渡り、地下牢に入れられたことがある。だが、その度に役人どもに袖の下を通して、無罪を勝ち取ってきた。
 我が輩はこんなところで終わる人間ではない!
 何故なら、{あのお方}の計画も進んでいるのだから!
 少し足止めをくらう形とはなったが……なあに、ここから出れば、いくらでも金を稼ぐことができる。
「ぐふふ……見ていろよ、幼女。これで我が輩が諦めるとは──」

 ──カツン、カツン。

 その時。
 乾いた足音が響いた。
 足音は徐々に大きくなっていき、その主は私の牢屋の前で足を止めた。
「あ、あなた様は……!」
 私は床に膝を突く。
「ア、アザゼル様!?」
「久しぶりだな」
 彼──アザゼル様は冷めた目で私を見る。
「お願いします! 今すぐ、我が輩をここから出してください! あなたの計画には、我が輩の資金力が必要不可欠なのでしょう!?」
「…………」
 必死に懇願するが、アザゼル様は口を閉じたまま。
「え……?」
「貴様にはほとほと呆れ果てた」
 そう言いながら、彼は懐からなにかを取り出す。
 それは──真っ黒な拳銃。
 銃口が私に向けられる。
「今まで何度、似たようなミスをしたつもりだ? もう握り潰してやるのも限界だ。それに、計画に必要なための金なら十分集まった。貴様はもう用済みなのだよ」
「ま、待ってください! 我が輩を消すつもりですか!? そんなまさか──」
「あの世で悔いろ」
 パァンッ──。
 炸裂する銃声。
 全身の力が一気に抜けていくような感覚。
 最後に──白くなっていく世界の中で見たのは、アザゼル様の邪悪な笑みであった。