目を開けると、そこはゴミの山だった。
「え……ここは──」
「おい」
「ひいっ!」
急に後ろから声が聞こえ、振り向く。
すると、そこにはゾンビがいた。
えっ! なに!?
いつの間にか、ゾンビウィルスが世界に蔓延したの!?
「ゾ、ゾンビさん、私を食べないでください! 美味しくなんてないですよ!」
「ゾンビ……って、人聞きの悪いことを言うな。俺は正真正銘、人間だ」
ゾンビさんは不服そうに腕を組んだ。
むむむ……よく見ると、確かに人間っぽい。
ただし体はガリガリで、髪はボサボサ。目はどこか虚ろで、ゴミのような臭い全身から放たれている。
……いや、待て。
そんな人間は、周りを見ると彼(?)だけではない。
似たような人間が何人か地面に寝そべっており、見るに堪えない光景が広がっている。
至る所から「腹が減った……」「もう動きたくない……」という呻き声が聞こえ、それはさながらゾンビパニックの世界のようだった。
「なんで……──!?」
突然、頭痛がしてこれまでの記憶が蘇った。
──そう。
私は日本のブラック企業でOLをしていた。
歳は二十台。
毎日夜遅くまで残業し、休日は趣味のゲームをするばかりの日々。
つい最近も、同僚のひとりが心の病にかかって、退職してしまった。
退職寸前の彼女は、まるで生きることを諦めてしまったかのように、常にぼーっとしていた。私もああいう風になるかも……と思うと、怖くなった。
こんな環境では当然結婚もできず、極々一般的な1Rで私は一人暮らしをしていた。
今日も上司にどやされ、とぼとぼ帰宅していると……途中、信号無視をしたトラックが私に突っ込んできた。
避ける間もなく、トラックと衝突し──次の瞬間には、私の前にはハリウッド映画に出てきそうな超キレイな女の人が立っていた。
彼女は自分が女神であること。私が死んだこと。
そして、私の死はイレギュラーだったため異世界に転生させると告げた。
訳も分からないまま、彼女の言葉に耳を傾けていると、『お詫びに生活魔法を使えるようにしてあげましょう』と言われた気も……。
ろくに質問する時間もないまま、目の前が真っ白になると……ここにいたというわけだ。
「あの……ここはどこなんですか?」
「はあ? なにも知らないのか? ここは──」
ゾンビさん──通称ガリガリお兄さん……ガリ兄(にい)は訝しそうにしながらも、意外にも丁寧に説明してくれた。
ここは『ゴミ区』。
『エルフィノラ』という街の一角にある区画だ。
ここは、街の中でも『ゴミ』と『ゴミみたいな人間』が集められた場所らしい。
ここで暮らす人たちには、生きる希望なんてない。
お金を稼ぐ手段もなく、毎日ゴミ山から食料を漁って、なんとか生き凌いでいる。
……ということだった。
「そんなんだから、餓死したり病気で亡くなるヤツが毎日のようにいるんだがな」
「病院には行かないんですか?」
「病院? あんな金のかかるところに、ここにいる連中が行けると思うか?」
……行けないと思います。
「金があったとしても、面倒くさがって行きやしない。ここは、そういう生きることを諦めたくせに、死ぬ勇気もないろくでもなしが最後に流れ着く場所だ」
平和な日本にいた私からしてみれば、耳を疑うような酷い環境だ。
──なんで、いきなりこんな地獄みたいな場所からスタートするの!?
私の死はイレギュラーだったんでしょう!?
だったら、もう少し忖度とかなかったの!?
……と、私をここに転生させた女神に色々と文句を言ってやりたかったが、また彼女に会えるとは限らない。
だから、この怒りをぶつける相手もおらず、もやもやした気持ちを抱えたままになるのであった。
「全く……変なヤツだな」
ひとり憤慨している私を怪訝そうに見て、ガリ兄は震える手で徐にポケットから瓶を取り出す。
え、なに? あれ……薬?
疑問に思っていると、徐にガリ兄は瓶の中の薬らしきものを口に放り入れた。
「ふう……」
すると、ガリ兄の震えていた手が治った。
え、なに、怖い。
「それって薬ですか……?」
「ん? まあ、子どもが知らなくていいことだ」
誤魔化すようにガリ兄が言う。
気になるけど……聞かないでおこう。私も、そっち側に引き摺り込まれてしまいそうだし。
「そんなことよりも昨日まで見かけなかった顔だが、お前は親に捨てられたとかか?」
「た、多分……」
転生してきたと言っても信じてもらえないだろうし、素直に頷いておく。
「捨て子か……可哀想な目に遭ったな。名前は?」
「私は……」
考える。
……別になんでもいっか。
前世の名前と同じものにしておこう。
「ユイ──私の名前はユイと申します」
「ユイ……か。子どもにしては礼儀正しいな。こんな小さい子までゴミ区にいるとは……嘆かわしいことだ」
「え? 私、ちっちゃいんですか?」
「ん? なにを言ってるんだ。ほら……」
ガリ兄はゴミの山に手を突っ込み、中から割れた鏡を取り出した。
「これをやる」
「あ、ありがとうございます」
私は割れた鏡を手に入れた!
ちゃらら〜ん(脳内BGM)。
……と、無理やりテンションを上げてみたが、手に入れたのは割れた鏡である。格好がつかないのであった。
恐る恐る鏡で自分の姿を見る。
──そこには、五歳くらいの子どもの顔が写っていた。
ほっぺはもちもち。
銀色の髪は燻んでおり、服も薄汚れていた。
「汚い……」
思わず、そう声を零す。
「ゴミ区には、お風呂とかないんですか?」
「あると思うか?」
「……ないと思います」
ですよねー!
薄々気付いていました!
これから、どうすればいいんだろう……。
「…………」
途方に暮れていると、ガリ兄は急に黙って、私をじーっと見つめてきた。
「なんですか?」
「いや……お前から魔力を感じると思ってな。しかも、かなり量が多い。お前、魔法が使えるのか?」
「魔法──」
そうだ!
「わ、私! 生活魔法ってのが使えるらしいんです! これでなんとかなりませんか!?」
「よく分かっていないのか? 自分のことなのに、ますます変なヤツだ。魔法を使った経験は?」
「ありません」
「だったら……」
ガリ兄が手をかざすポーズを取る。
その手は小刻みに震えていた。
「ほら、同じようにやってみろ。内側の力をぐーっと外に引っ張り出してくるイメージだ。そして、自分がキレイになる姿を想像してみろ」
「こ、こうですか?」
同じように手をかざす。
……すると不思議なことに、頭の中にいくつかの単語が浮かんできた。
私はその中から、一番今の状況を解決できそうな単語を口にする。
「清浄(ピュリファイ)」
次の瞬間──。
体が眩い光に包まれる。
光が収まると、ついさっきお風呂に入ったかのように体がさっぱりしていた。
「成功だ──基礎的な生活魔法とはいえ、まさか初めてで成功させるとは……お前、才能あるぞ」
感心したように言うガリ兄。
「今の私、どんな感じですか?」
「服の汚れも取れて、こざっぱりしてる感じだ。自分でも鏡を見てみろ」
ガリ兄にそう促され、先ほどもらった割れた鏡を顔の前に持っていくと、先ほどよりも幾分かマシな自分の姿が映っていた。
だけど服はボロボロなままだし、みすぼらしい。
こんなんじゃ、まだ胸を張って人前に出ることもできないよね。
「ガリ兄、ありがとうございました」
「ガリ兄? 俺のことか?」
「ダメですか?」
「別にどうでもいい、好きに呼べ。それにしても魔法が使える子どもを、どうして親は捨て──って、おい! ユイ!?」
「え?」
手を伸ばすガリ兄の姿が朧げに映った。
あれ……どうして急に眩暈が? しかも私の体、なんだか傾いて……。
「おい──しっかり──大丈夫か──」
ガリ兄の声も途切れ途切れに聞こえてくる。
そのまま意識が遠くなっていく。なんとか踏みとどまろうとするが、体は自分の意思とは反して倒れ──。
最後に。
柔らかい感触に包まれ、私は意識を失った。
…………。
「はっ!」
目が覚める。
夢オチを期待していたが──目を開けても、やっぱり元の場所のままだった。
「起きたか?」
視線を隣に向けるとゾンビさん……じゃなかった、ガリ兄。
右膝を立てて座り、私を心配そうに眺めていた。
「私はどうなったんですか?」
「魔法を使ったら、意識を失った。まあ魔法を初めて使うと、よくあることだから気にしなくていい。一晩中、ここで寝てたぞ」
そんなことが……。
魔法のこともよく分からず、いきなり使ってしまったのは反省だ。今度からもっと慎重になろう。
ただでさえ、今の私は子ども。こんな場所で一晩中寝ていたら、いつ襲われてもおかしくないのだから。
……あれ?
「一晩中……ってことは、ずっとここで私を見守ってくれてたんですか? 素性も知れない他人のために?」
「……っ!」
問いかけると、ガリ兄は気まずそうに顔を逸らした。
「……いきなり、子どもが倒れたんだ。心配になって見守るのは普通だろう。このまま行き倒れても、後味が悪いしな」
辿々しくガリ兄は言う。
この人……いい人だ!
最初はゾンビだなんて思ってごめん!
ぶっきらぼうな口ぶりだが、意外と子どもが好きなのかもしれない。
「ありがとうございます。それでゴミ区は──」
ぐうぅ〜。
ゴミ区のことをもっと詳しく聞こうとすると、不意にお腹が鳴った。
「お腹、減った……」
そういえば転生してから、なにも食べ物を口にした記憶がない。
「腹が減ったのか? だったら……」
ごそごそとガリ兄は近くの木箱に手を突っ込み、{パンのようなもの}を取り出す。
「これでも食え。カビは生えているが、そこそこ食えるはずだ」
え……それ、食べるの?
そのパンに付いてる黒い斑点みたいなのって、カビなんじゃ……。
臭いもきつく、思わず「うっ」と顔を逸らしてしまうほどだった。
「い、いえいえ! パンをもらうなんて、申し訳ありません! 自分で食べるものは、自分で探してきますー!」
「お、おい! ちょっと待て。ゴミ区にはまともな食料なんかないぞ! それに生活魔法が使えるなら──」
ガリ兄はなにかを言いかけていたが、私は逃げるようにその場から離れる。
……ふう、危なかった。
よくよく考えてみれば、かなり失礼なことをしてしまった気がする。
だが、現代日本でのうのうと暮らしてきた私にとっては、カビの生えたパンはそこそこインパクトがあったのだ。
それに、一応考えがなかったわけではない。
「私の生活魔法……」
ゴミ区を彷徨いながら呟く。
昨日、生活魔法を使った時に、頭の中にいくつかの単語が浮かんでいた。
・《清浄》
・《調理(クッキング)》
・《洗濯(クリーン)》
・《乾燥(ドライ)》
・《分別(ソート)》
この五つだ。
なんで、この五つだけが頭に浮かんだんだろう? そう疑問に思うが、異世界転生の初回特典というやつかもしれない。
子どもの体で……しかもスタートがゴミ区だったことには色々思うところもあるが、生活魔法に関してだけは女神に感謝だ。
「《調理》があれば、まともなものが食べられるかも?」
現状、私の武器と言えるのは生活魔法だけだ。
ならば、生活魔法のことをもっと詳しく知る。そして、たくましく生き抜いていくのだ……!
彷徨い歩くと、やがてゴミ山に捨てられていた透明な袋を見つけた。
中には人参や玉ねぎ、キャベツの切れ端が入っている。
「くんくん。見てくれは悪いけど、まだ腐ってはないみたいだね」
捨てられたばかりだったとか?
だったら、運がいい。
昨日の感覚を思い出しながら、野菜の切れ端たちに手をかざした。
「《調理》!」
ボンッ!
そんな音が立って、野菜の切れ端たちが煙に包まれた。
やがて煙がすうっと引いていき、子どもでも持てるくらいの長方形のバーに変わっていた。
『ゴミスティックバー』
野菜の切れ端を固めて、作られた栄養食。派手さはないが、噛むほどにじんわりと野菜の甘みが広がる。栄養補給には最適。
・癒し効果・小
・栄養補給・中
「これ……」
カロ●ーメイトみたいなやつだ!
しかし──見てくれはそこそこ良くなったとはいえ、ちゃんと食べられるだろうか……。
……ええい! ままよ!
「いただきます!」
意を決して、ぱくりとゴミスティックバーを口にする。
すると。
「……! 意外と美味しい!」
転生して初めての食事に感動する。
……うん。やっぱり素材があれば、《調理》はそれなりに食べられるものが作れる魔法っぽい。
問題は魔法を使っても、これくらいしかできなかったことだが……元は野菜の切れ端なのである。
ちゃんとした食材ならもっと別の料理ができてたかもしれないし、今は贅沢を言わないでおこう。
「そうだ……! ガリ兄にも!」
「俺がなんだ?」
「わっ!」
先ほどの場所に戻ろうとすると、いつの間にか後ろにはガリ兄が立っていた。
仏頂面である。
「い、いつから、そこにいたんですか?」
「ついさっきだ。俺も腹が減ったからな。パン以外に、なにか食えるものを探しにきたんだ」
淡々と答えるガリ兄。
それにしても、グッドタイミングすぎる気もするが……。
ともあれ、ガリ兄に渡したいものがある。
「ガリ兄! これ!」
「ん?」
野菜の切れ端が入った袋を掲げる。
ガリ兄は感心したように目を見張り。
「……クズ野菜か。しかもまだ腐っていない。こんなもんでも、ここでは上等なもんだ。よく見つけたな」
「でしょう? でも、それだけじゃなくって……」
先ほどと同じように《調理》でゴミスティックバーをパパッと作る。
「ほお……《調理》も使えるのか。やはり、ユイは魔法の天才かもしれないな」
「私の使った魔法、《調理》って分かるんですか?」
「ん……まあ、それくらいはな。生活魔法はあまり詳しくないから、期待されても困るが」
なにかを誤魔化すようなガリ兄の口調。
異世界の人は、こんなものなのかな……? 少し違和感が生じたが、考え始めたらきりがない。
私はゴミスティックバーをガリ兄に渡す。
「ガリ兄にあげます」
「俺にか?」
「はい。昨日、助けてもらったお礼です」
カビの生えたパンを前にして、逃げ出してしまった詫びも兼ねているが。
「子どもに施しを受けるほど、俺も腐っちゃいない。それはユイが食べろ」
「私は、もう自分の分を食べました。それに、ガリ兄にも味見して欲しいんです。私だけが美味しいって思ってる可能性もありますし」
「……はあ、分かった。そこまで言うなら──」
溜め息を吐きつつ、ガリ兄は私からゴミスティックバーを手に取り、口の中に入れる。
「……悪くない」
ゴミスティクバーを噛み締め、
「こんなまともなものを食べたのは、久しぶりかもしれない。ユイ、礼を言うぞ」
と柔らかく笑った。
この人、笑ったら意外とイケメンだ。身なりを整えたら、もっとマシになるかもしれない。
「もらってばかりでは、やはり悪いな……そうだ。ほら、ユイ。代わりに俺のパンをやる」
「それ、カビが生えてますよね? 贅沢を言うなって思われそうですが、少し抵抗があるといいますか……」
「さっきは最後まで言えなかったが、《清浄》が使えるなら、カビを浄化してしまえばいいだけだろう? そうすれば、カビの生えていないまっさらなパンになる」
「あっ……」
その手があったか……!
さっきは早とちりしてしまっていたのだ。
私はガリ兄からカビの生えたパンを手に取り、《清浄》をかけてみる。
すると、パンの表面に染み付いていた黒い斑点が消え、キレイなパンとして生まれ変わった。
「では、遠慮せず……美味しいー!」
ただのパンでも、お腹が空いてたらすごく美味しく感じるよ!
人の話を最後までちゃんと聞けばよかった!
「それはよかった」
パンを食べる私を、ガリ兄は微笑ましそうに眺めていた。
「金があったら、もっと上等なものを食べさせてあげられるんだがな」
「働いて、お金を稼ごうと思わないんですか?」
「ゴミ区にいるような人間を、まともに働かせてくれる場所なんて、ありはしない。あったとしても、奴隷同然として働かされるだけだ。だが、ユイなら……」
顎に手を当て、ガリ兄は真剣な顔で口を動かす。
「冒険者になれば、まともな仕事がもらえるかもしれないな」
「冒険者?」
「ああ。冒険者は出自が不明でも、実力さえあれば成り上がることができる。なんの取り柄もない俺や他の連中は無理だが、ユイには生活魔法がある。それなりに生活できるはずだ」
冒険者……。
まさに{異世界もの}のテンプレみたいな単語が出てきたね。
私が前世で読んだ、異世界ものの小説と同じなら、冒険者は魔物を倒したりする職業だ。
でも、そういった荒事だけではなく、仕事の中には掃除や薬草採取といった平和的な依頼もあるはず。
ずっとゴミ区で暮らしていくわけにもいかないし、冒険者になってみるのもいいかもしれない。
「冒険者になるには、どうすればいいんですか?」
「冒険者ギルドに行けばいい。まあいくら冒険者ギルドが誰にでも門戸を開いているとはいえ、限度があるがな。せめて、もうちょっとまともな格好じゃないと、ちゃんと話を聞いてくれないかもしれないぞ」
むむむ……まともな格好か。
確かに、今の私はみすぼらしい姿だ。
このままだったら浮浪者だと思われて、門前払いされるのが目に見えている。
「次はまともな服を手に入れることがミッションか……」
そう呟き。
「私、服を探してきます。ゴミ山の中にも、なにかあるかもしれませんから」
「おい、待て──」
走り出そうとすると、ガリ兄に呼び止められる。
「どうしましたか?」
「いや……」
少し考える素振りを見せてから、ガリ兄はぼそぼと呟く。
「……他人のことなんか、どうでもいいはずじゃないか。それなのに、どうして俺はこいつに構う? 子どもなのは気の毒だが、俺には関係のない話だ。確かに昔の{あいつ}に似てはいるが……」
「ガリ兄、なにを言ってるんですか?」
「な、なんでもない」
表情をキリッとさせて、ガリ兄は言う。
「……あまり遅くなるなよ。それだけ分かれば、勝手に行け」
「はい!」
頷き、私はまともな服を探すため、再びゴミ区を冒険することにした。
「うーん……ないなあ」
ガリ兄と別れた後。
私は先ほどから少し離れた場所で、ゴミ山を漁っていた。
「やっぱり、簡単には見つからないのかな? そもそも食べものだって、野菜の切れ端しかなかったし……こんなところじゃあ──」
諦めかけていた時、あるものが目に入った。
「これ……!」
ゴミ山から一着の服を引っ張り出す。
子ども用の服だ。
しかし皺くちゃで、薄汚れている。このまま着ても、ボロ雑巾が歩いているみたいにしかならないだろう。
使い古したから、誰かが捨てたのかな?
だけど布地はしっかりしているし、十分使えそう。
「《清浄》!」
私は生活魔法をかける。
もう慣れてきたんだろうか。魔法を使っても、徐々に疲れを感じなくなってきた。
「よし……まあまあキレイになった」
でも、このままじゃダメだ。
所々にある黒ずんだ汚れは取れていないし、全体的にみすぼらしい。
だけど、私の生活魔法はこれだけじゃない。
「よし、次の魔法……《洗濯》!」
服がひとりでに水濡れになり、石鹸のいい匂いが立ち込めてくる。
もこもことした泡に包まれ、服の汚れがいつの間にか消えていた。
「そして仕上げは……《乾燥》!」
水浸しの服が、一気に乾燥される。
──完成!
うん、着てもおかしくない程度にはなったんじゃないだろうか?
現代日本の服屋に並んでいても、違和感がないくらいだ。
「早速、着てみよう」
私は人目のつかない角で、コソコソと新しい服に袖を通す。
「ふう。キレイな服に着替えたら、さっぱりするね」
割れた手鏡で、自分の姿を見つめる。
最初に見た私よりも、随分とこざっぱりしている自分が映っていた。ゴミ区の中では浮くようなタイプだ。
これならゴミ区を出ても、変な視線は向けられないはず。
「あとは冒険者ギルドに行って……って、冒険者ギルドはどこにあるんだろう? まあ、誰かに聞けば分か……」
「おい──」
またガリ兄?
またもやグッドタイミング……と思って振り返ると、そこにはガリ兄とは違う、知らない男が立っていた。
「だ、誰ですか?」
問いかける声も、自然と震えたものになる。
男はニタアッと笑みを浮かべ、
「お前……薬、持ってねえか? さっきから手の震えが止まらねえんだよ。へへっ……そんな上等な服を持ってるんだ。ゴミ区に迷い込んできたお貴族様の子どもか? だったら、金でもいい。金を出せ」
とねっとりした声で言った。
鳥肌が立つ。
「く、薬もお金も持っていないです! 他をあたってください!」
「なんだ……しけてやがんな。だったら、俺と楽しいことをしようぜえ? 俺は女なら子どもでも構わないんだ。いや……そんな可愛い顔をしてんだ。なんなら、大人の女を相手にするより楽しめるかもしれねえ」
男が手を伸ばす。
こいつ……真正の幼児愛好者(ロリコン)だ。
私の異世界転生、なんでこんなことばっかり起こるの!?
魔物とかならまだ諦めが付くが(いや、それも嫌だが)、幼児愛好者に襲われるなんて聞いてないよ!
「ひっ……」
短い悲鳴が漏れ、反射的に後ずさった。
しかし、足元がもつれ、地面に尻餅を付いてしまう。
男はそんな私に容赦なく、ジリジリ──ジリジリと距離を詰めてきた。
しかし、その時。
「──その子に手を出すな」
救世主が現れた。
「てめえはなに……い、痛ぇっ!」
いつの間にか──男の後ろにはガリ兄がいて、彼の手を捻り上げていた。
「子どもに手を出すとは、ろくでもないヤツだな。ちょっとはプライドがないのか」
「なんだよ……こんな場所にいるという時点で、お前も俺と似たような人種だろうが」
「そうだな、それは否定しない。だが──」
ガリ兄は男を睨みつける。
「俺は小さな子どもに手を出すほど、腐っちゃいない。たとえゴミみたいな人間だとしても、最低限やっちゃいけないことがある」
「なにを偉そうなことを……」
「お前と問答するつもりはない。さっさと俺の視界から消えろ。それとも……痛い目に遭いたいのか? こんなところだ。暴力を振るわれても、法は助けてくれないと知っているだろう?」
「ち、ちくしょう!」
男は強引にガリ兄の手を振り払って、そそくさと退散してしまった。
逃げていく男の後ろ姿が、やけに情けなく見えた。
「ガリ兄!」
「…………」
ガリ兄に駆け寄ると、彼は私をじっと見つめた。
「……全く、お前からは目が離せないな。お前には危機感がないのか?」
「ご、ごめん……」
「謝る必要はない。これから徐々に知っていけばいいだけだ」
とガリ兄は私の頭を撫でる。
温かい……。
ガリ兄に頭を撫でられていると、さっきまでの恐怖がすうっと消えていった。
「私のことを見守ってくれてたんですよね?」
「ん……まあ、そうだな。だが、気にしなくていい。俺もこっちに用があって、たまたま場面に立ち会っただけだ」
とガリ兄はポリポリと頬を掻く。
心なしか、照れているようにも見えた。
こっちに用があっただなんて……嘘だ。
思えば、ゴミスティックバーの時も、ガリ兄は私を心配してわざわざ見にきてくれたんだろう。
心から感謝した。
「それにしても……服を見つけたか。生活魔法でキレイにしたのか? 随分と見れるようになった」
顎に手を当てて、感心したように言うガリ兄。
「ガリ兄。私、これから冒険者ギルドに行こうと思うんです」
「まあ、それがいいだろう。ユイは、俺やここにいる連中とは違う。もっとお日様の当たるところで暮らすべきだ」
ガリ兄も私の背中を押してくれる。
彼の言葉を聞いていると、自然と勇気が湧いてきた。
「最後に……ひとつだけ忠告しておく」
一転。
真剣な顔になって、ガリ兄は諭すような口調で続ける。
「もう分かっただろう? このゴミ区は、まともじゃない。もうみんな、まともに生きることを諦めているんだ。そして一度この環境に慣れてしまったら、もう二度と元の場所に戻ろうとも思わなくなる」
「生きることを……諦めて……」
「さっきのヤツだって、危ない薬に手を染めてしまって、まともに思考が働かないんだ。それに薬って言うなら、俺の方だって……」
そう言って、ガリ兄は自分の手のひらを見つめる。
その手は、やっぱり小刻みに震えていた。
もしかして……ガリ兄も同じなんだろうか?
じゃあ、一度ガリ兄が飲んでいたのも危ない薬?
だけど、先ほどの男とガリ兄はなんか違う気がした。
「だから、もうここに戻ってくるんじゃない。俺や、ここにいる連中みたいになるな」
「え……ここに戻ってくるなということは、ガリ兄に会いに来たらダメなんですか?」
「ああ、ダメだ。本来、俺とユイは交わらなかったふたりだ。俺のことは忘れて、好きに生きろ」
「でも……」
「でも──じゃない。もし戻ってきたとしても、追い払うぞ」
少し眉間に皺を寄せて、ガリ兄は言う。
……今は、素直に言うことを聞いた方がよさそうだ。
それに退路を断つくらいの気持ちじゃなきゃ、この世界でまともな生活基盤も築くこともできないだろう。
ガリ兄に会いにくるのは、せめてまともに働けるようになってからでも遅くはない。
「わ、分かりました」
「いい子だ。なら……」
表情を柔らかくして、ガリ兄はぽいっと私になにかを放り投げてくる。
それは銀の腕輪だった。
「これは……?」
「魔力制御腕輪(マナリミッター)というものだ。それを腕に嵌めてろ。外からは魔力量を少なく誤魔化すことができる」
「どうして、私にこれを?」
「気付いてないかもしれないが、ユイには膨大な魔力が眠っている。見る人が見たら、ユイの価値に気付いて、利用してくるかもしれない。肌身離さず付けていろ」
「そうだったんですね……ありがとうございます。でも、本当にもらっていいんですか? これ、売ったらそこそこお金になるんじゃ?」
「ん……まあ、そうかもしれないな。だが、お前の服みたいに、魔力制御腕輪もゴミ山から拾ったんだ。俺には{もう}不要なものだし、気にしなくていい」
気を遣ってくれているのか、ガリ兄がそっけなく答える。
私に魔法の使い方を教えてくれるだけじゃなく、後のことも気にかけてくれるなんて……。
絶対にいつか、ガリ兄に恩返ししないと。
「じゃあな。元気にやれよ」
「は、はい! お世話になりました!」
頭を下げると、ガリ兄は背を向けて去っていく。
私は彼のカッコいい背中を、目に焼きつけるのであった。
「え……ここは──」
「おい」
「ひいっ!」
急に後ろから声が聞こえ、振り向く。
すると、そこにはゾンビがいた。
えっ! なに!?
いつの間にか、ゾンビウィルスが世界に蔓延したの!?
「ゾ、ゾンビさん、私を食べないでください! 美味しくなんてないですよ!」
「ゾンビ……って、人聞きの悪いことを言うな。俺は正真正銘、人間だ」
ゾンビさんは不服そうに腕を組んだ。
むむむ……よく見ると、確かに人間っぽい。
ただし体はガリガリで、髪はボサボサ。目はどこか虚ろで、ゴミのような臭い全身から放たれている。
……いや、待て。
そんな人間は、周りを見ると彼(?)だけではない。
似たような人間が何人か地面に寝そべっており、見るに堪えない光景が広がっている。
至る所から「腹が減った……」「もう動きたくない……」という呻き声が聞こえ、それはさながらゾンビパニックの世界のようだった。
「なんで……──!?」
突然、頭痛がしてこれまでの記憶が蘇った。
──そう。
私は日本のブラック企業でOLをしていた。
歳は二十台。
毎日夜遅くまで残業し、休日は趣味のゲームをするばかりの日々。
つい最近も、同僚のひとりが心の病にかかって、退職してしまった。
退職寸前の彼女は、まるで生きることを諦めてしまったかのように、常にぼーっとしていた。私もああいう風になるかも……と思うと、怖くなった。
こんな環境では当然結婚もできず、極々一般的な1Rで私は一人暮らしをしていた。
今日も上司にどやされ、とぼとぼ帰宅していると……途中、信号無視をしたトラックが私に突っ込んできた。
避ける間もなく、トラックと衝突し──次の瞬間には、私の前にはハリウッド映画に出てきそうな超キレイな女の人が立っていた。
彼女は自分が女神であること。私が死んだこと。
そして、私の死はイレギュラーだったため異世界に転生させると告げた。
訳も分からないまま、彼女の言葉に耳を傾けていると、『お詫びに生活魔法を使えるようにしてあげましょう』と言われた気も……。
ろくに質問する時間もないまま、目の前が真っ白になると……ここにいたというわけだ。
「あの……ここはどこなんですか?」
「はあ? なにも知らないのか? ここは──」
ゾンビさん──通称ガリガリお兄さん……ガリ兄(にい)は訝しそうにしながらも、意外にも丁寧に説明してくれた。
ここは『ゴミ区』。
『エルフィノラ』という街の一角にある区画だ。
ここは、街の中でも『ゴミ』と『ゴミみたいな人間』が集められた場所らしい。
ここで暮らす人たちには、生きる希望なんてない。
お金を稼ぐ手段もなく、毎日ゴミ山から食料を漁って、なんとか生き凌いでいる。
……ということだった。
「そんなんだから、餓死したり病気で亡くなるヤツが毎日のようにいるんだがな」
「病院には行かないんですか?」
「病院? あんな金のかかるところに、ここにいる連中が行けると思うか?」
……行けないと思います。
「金があったとしても、面倒くさがって行きやしない。ここは、そういう生きることを諦めたくせに、死ぬ勇気もないろくでもなしが最後に流れ着く場所だ」
平和な日本にいた私からしてみれば、耳を疑うような酷い環境だ。
──なんで、いきなりこんな地獄みたいな場所からスタートするの!?
私の死はイレギュラーだったんでしょう!?
だったら、もう少し忖度とかなかったの!?
……と、私をここに転生させた女神に色々と文句を言ってやりたかったが、また彼女に会えるとは限らない。
だから、この怒りをぶつける相手もおらず、もやもやした気持ちを抱えたままになるのであった。
「全く……変なヤツだな」
ひとり憤慨している私を怪訝そうに見て、ガリ兄は震える手で徐にポケットから瓶を取り出す。
え、なに? あれ……薬?
疑問に思っていると、徐にガリ兄は瓶の中の薬らしきものを口に放り入れた。
「ふう……」
すると、ガリ兄の震えていた手が治った。
え、なに、怖い。
「それって薬ですか……?」
「ん? まあ、子どもが知らなくていいことだ」
誤魔化すようにガリ兄が言う。
気になるけど……聞かないでおこう。私も、そっち側に引き摺り込まれてしまいそうだし。
「そんなことよりも昨日まで見かけなかった顔だが、お前は親に捨てられたとかか?」
「た、多分……」
転生してきたと言っても信じてもらえないだろうし、素直に頷いておく。
「捨て子か……可哀想な目に遭ったな。名前は?」
「私は……」
考える。
……別になんでもいっか。
前世の名前と同じものにしておこう。
「ユイ──私の名前はユイと申します」
「ユイ……か。子どもにしては礼儀正しいな。こんな小さい子までゴミ区にいるとは……嘆かわしいことだ」
「え? 私、ちっちゃいんですか?」
「ん? なにを言ってるんだ。ほら……」
ガリ兄はゴミの山に手を突っ込み、中から割れた鏡を取り出した。
「これをやる」
「あ、ありがとうございます」
私は割れた鏡を手に入れた!
ちゃらら〜ん(脳内BGM)。
……と、無理やりテンションを上げてみたが、手に入れたのは割れた鏡である。格好がつかないのであった。
恐る恐る鏡で自分の姿を見る。
──そこには、五歳くらいの子どもの顔が写っていた。
ほっぺはもちもち。
銀色の髪は燻んでおり、服も薄汚れていた。
「汚い……」
思わず、そう声を零す。
「ゴミ区には、お風呂とかないんですか?」
「あると思うか?」
「……ないと思います」
ですよねー!
薄々気付いていました!
これから、どうすればいいんだろう……。
「…………」
途方に暮れていると、ガリ兄は急に黙って、私をじーっと見つめてきた。
「なんですか?」
「いや……お前から魔力を感じると思ってな。しかも、かなり量が多い。お前、魔法が使えるのか?」
「魔法──」
そうだ!
「わ、私! 生活魔法ってのが使えるらしいんです! これでなんとかなりませんか!?」
「よく分かっていないのか? 自分のことなのに、ますます変なヤツだ。魔法を使った経験は?」
「ありません」
「だったら……」
ガリ兄が手をかざすポーズを取る。
その手は小刻みに震えていた。
「ほら、同じようにやってみろ。内側の力をぐーっと外に引っ張り出してくるイメージだ。そして、自分がキレイになる姿を想像してみろ」
「こ、こうですか?」
同じように手をかざす。
……すると不思議なことに、頭の中にいくつかの単語が浮かんできた。
私はその中から、一番今の状況を解決できそうな単語を口にする。
「清浄(ピュリファイ)」
次の瞬間──。
体が眩い光に包まれる。
光が収まると、ついさっきお風呂に入ったかのように体がさっぱりしていた。
「成功だ──基礎的な生活魔法とはいえ、まさか初めてで成功させるとは……お前、才能あるぞ」
感心したように言うガリ兄。
「今の私、どんな感じですか?」
「服の汚れも取れて、こざっぱりしてる感じだ。自分でも鏡を見てみろ」
ガリ兄にそう促され、先ほどもらった割れた鏡を顔の前に持っていくと、先ほどよりも幾分かマシな自分の姿が映っていた。
だけど服はボロボロなままだし、みすぼらしい。
こんなんじゃ、まだ胸を張って人前に出ることもできないよね。
「ガリ兄、ありがとうございました」
「ガリ兄? 俺のことか?」
「ダメですか?」
「別にどうでもいい、好きに呼べ。それにしても魔法が使える子どもを、どうして親は捨て──って、おい! ユイ!?」
「え?」
手を伸ばすガリ兄の姿が朧げに映った。
あれ……どうして急に眩暈が? しかも私の体、なんだか傾いて……。
「おい──しっかり──大丈夫か──」
ガリ兄の声も途切れ途切れに聞こえてくる。
そのまま意識が遠くなっていく。なんとか踏みとどまろうとするが、体は自分の意思とは反して倒れ──。
最後に。
柔らかい感触に包まれ、私は意識を失った。
…………。
「はっ!」
目が覚める。
夢オチを期待していたが──目を開けても、やっぱり元の場所のままだった。
「起きたか?」
視線を隣に向けるとゾンビさん……じゃなかった、ガリ兄。
右膝を立てて座り、私を心配そうに眺めていた。
「私はどうなったんですか?」
「魔法を使ったら、意識を失った。まあ魔法を初めて使うと、よくあることだから気にしなくていい。一晩中、ここで寝てたぞ」
そんなことが……。
魔法のこともよく分からず、いきなり使ってしまったのは反省だ。今度からもっと慎重になろう。
ただでさえ、今の私は子ども。こんな場所で一晩中寝ていたら、いつ襲われてもおかしくないのだから。
……あれ?
「一晩中……ってことは、ずっとここで私を見守ってくれてたんですか? 素性も知れない他人のために?」
「……っ!」
問いかけると、ガリ兄は気まずそうに顔を逸らした。
「……いきなり、子どもが倒れたんだ。心配になって見守るのは普通だろう。このまま行き倒れても、後味が悪いしな」
辿々しくガリ兄は言う。
この人……いい人だ!
最初はゾンビだなんて思ってごめん!
ぶっきらぼうな口ぶりだが、意外と子どもが好きなのかもしれない。
「ありがとうございます。それでゴミ区は──」
ぐうぅ〜。
ゴミ区のことをもっと詳しく聞こうとすると、不意にお腹が鳴った。
「お腹、減った……」
そういえば転生してから、なにも食べ物を口にした記憶がない。
「腹が減ったのか? だったら……」
ごそごそとガリ兄は近くの木箱に手を突っ込み、{パンのようなもの}を取り出す。
「これでも食え。カビは生えているが、そこそこ食えるはずだ」
え……それ、食べるの?
そのパンに付いてる黒い斑点みたいなのって、カビなんじゃ……。
臭いもきつく、思わず「うっ」と顔を逸らしてしまうほどだった。
「い、いえいえ! パンをもらうなんて、申し訳ありません! 自分で食べるものは、自分で探してきますー!」
「お、おい! ちょっと待て。ゴミ区にはまともな食料なんかないぞ! それに生活魔法が使えるなら──」
ガリ兄はなにかを言いかけていたが、私は逃げるようにその場から離れる。
……ふう、危なかった。
よくよく考えてみれば、かなり失礼なことをしてしまった気がする。
だが、現代日本でのうのうと暮らしてきた私にとっては、カビの生えたパンはそこそこインパクトがあったのだ。
それに、一応考えがなかったわけではない。
「私の生活魔法……」
ゴミ区を彷徨いながら呟く。
昨日、生活魔法を使った時に、頭の中にいくつかの単語が浮かんでいた。
・《清浄》
・《調理(クッキング)》
・《洗濯(クリーン)》
・《乾燥(ドライ)》
・《分別(ソート)》
この五つだ。
なんで、この五つだけが頭に浮かんだんだろう? そう疑問に思うが、異世界転生の初回特典というやつかもしれない。
子どもの体で……しかもスタートがゴミ区だったことには色々思うところもあるが、生活魔法に関してだけは女神に感謝だ。
「《調理》があれば、まともなものが食べられるかも?」
現状、私の武器と言えるのは生活魔法だけだ。
ならば、生活魔法のことをもっと詳しく知る。そして、たくましく生き抜いていくのだ……!
彷徨い歩くと、やがてゴミ山に捨てられていた透明な袋を見つけた。
中には人参や玉ねぎ、キャベツの切れ端が入っている。
「くんくん。見てくれは悪いけど、まだ腐ってはないみたいだね」
捨てられたばかりだったとか?
だったら、運がいい。
昨日の感覚を思い出しながら、野菜の切れ端たちに手をかざした。
「《調理》!」
ボンッ!
そんな音が立って、野菜の切れ端たちが煙に包まれた。
やがて煙がすうっと引いていき、子どもでも持てるくらいの長方形のバーに変わっていた。
『ゴミスティックバー』
野菜の切れ端を固めて、作られた栄養食。派手さはないが、噛むほどにじんわりと野菜の甘みが広がる。栄養補給には最適。
・癒し効果・小
・栄養補給・中
「これ……」
カロ●ーメイトみたいなやつだ!
しかし──見てくれはそこそこ良くなったとはいえ、ちゃんと食べられるだろうか……。
……ええい! ままよ!
「いただきます!」
意を決して、ぱくりとゴミスティックバーを口にする。
すると。
「……! 意外と美味しい!」
転生して初めての食事に感動する。
……うん。やっぱり素材があれば、《調理》はそれなりに食べられるものが作れる魔法っぽい。
問題は魔法を使っても、これくらいしかできなかったことだが……元は野菜の切れ端なのである。
ちゃんとした食材ならもっと別の料理ができてたかもしれないし、今は贅沢を言わないでおこう。
「そうだ……! ガリ兄にも!」
「俺がなんだ?」
「わっ!」
先ほどの場所に戻ろうとすると、いつの間にか後ろにはガリ兄が立っていた。
仏頂面である。
「い、いつから、そこにいたんですか?」
「ついさっきだ。俺も腹が減ったからな。パン以外に、なにか食えるものを探しにきたんだ」
淡々と答えるガリ兄。
それにしても、グッドタイミングすぎる気もするが……。
ともあれ、ガリ兄に渡したいものがある。
「ガリ兄! これ!」
「ん?」
野菜の切れ端が入った袋を掲げる。
ガリ兄は感心したように目を見張り。
「……クズ野菜か。しかもまだ腐っていない。こんなもんでも、ここでは上等なもんだ。よく見つけたな」
「でしょう? でも、それだけじゃなくって……」
先ほどと同じように《調理》でゴミスティックバーをパパッと作る。
「ほお……《調理》も使えるのか。やはり、ユイは魔法の天才かもしれないな」
「私の使った魔法、《調理》って分かるんですか?」
「ん……まあ、それくらいはな。生活魔法はあまり詳しくないから、期待されても困るが」
なにかを誤魔化すようなガリ兄の口調。
異世界の人は、こんなものなのかな……? 少し違和感が生じたが、考え始めたらきりがない。
私はゴミスティックバーをガリ兄に渡す。
「ガリ兄にあげます」
「俺にか?」
「はい。昨日、助けてもらったお礼です」
カビの生えたパンを前にして、逃げ出してしまった詫びも兼ねているが。
「子どもに施しを受けるほど、俺も腐っちゃいない。それはユイが食べろ」
「私は、もう自分の分を食べました。それに、ガリ兄にも味見して欲しいんです。私だけが美味しいって思ってる可能性もありますし」
「……はあ、分かった。そこまで言うなら──」
溜め息を吐きつつ、ガリ兄は私からゴミスティックバーを手に取り、口の中に入れる。
「……悪くない」
ゴミスティクバーを噛み締め、
「こんなまともなものを食べたのは、久しぶりかもしれない。ユイ、礼を言うぞ」
と柔らかく笑った。
この人、笑ったら意外とイケメンだ。身なりを整えたら、もっとマシになるかもしれない。
「もらってばかりでは、やはり悪いな……そうだ。ほら、ユイ。代わりに俺のパンをやる」
「それ、カビが生えてますよね? 贅沢を言うなって思われそうですが、少し抵抗があるといいますか……」
「さっきは最後まで言えなかったが、《清浄》が使えるなら、カビを浄化してしまえばいいだけだろう? そうすれば、カビの生えていないまっさらなパンになる」
「あっ……」
その手があったか……!
さっきは早とちりしてしまっていたのだ。
私はガリ兄からカビの生えたパンを手に取り、《清浄》をかけてみる。
すると、パンの表面に染み付いていた黒い斑点が消え、キレイなパンとして生まれ変わった。
「では、遠慮せず……美味しいー!」
ただのパンでも、お腹が空いてたらすごく美味しく感じるよ!
人の話を最後までちゃんと聞けばよかった!
「それはよかった」
パンを食べる私を、ガリ兄は微笑ましそうに眺めていた。
「金があったら、もっと上等なものを食べさせてあげられるんだがな」
「働いて、お金を稼ごうと思わないんですか?」
「ゴミ区にいるような人間を、まともに働かせてくれる場所なんて、ありはしない。あったとしても、奴隷同然として働かされるだけだ。だが、ユイなら……」
顎に手を当て、ガリ兄は真剣な顔で口を動かす。
「冒険者になれば、まともな仕事がもらえるかもしれないな」
「冒険者?」
「ああ。冒険者は出自が不明でも、実力さえあれば成り上がることができる。なんの取り柄もない俺や他の連中は無理だが、ユイには生活魔法がある。それなりに生活できるはずだ」
冒険者……。
まさに{異世界もの}のテンプレみたいな単語が出てきたね。
私が前世で読んだ、異世界ものの小説と同じなら、冒険者は魔物を倒したりする職業だ。
でも、そういった荒事だけではなく、仕事の中には掃除や薬草採取といった平和的な依頼もあるはず。
ずっとゴミ区で暮らしていくわけにもいかないし、冒険者になってみるのもいいかもしれない。
「冒険者になるには、どうすればいいんですか?」
「冒険者ギルドに行けばいい。まあいくら冒険者ギルドが誰にでも門戸を開いているとはいえ、限度があるがな。せめて、もうちょっとまともな格好じゃないと、ちゃんと話を聞いてくれないかもしれないぞ」
むむむ……まともな格好か。
確かに、今の私はみすぼらしい姿だ。
このままだったら浮浪者だと思われて、門前払いされるのが目に見えている。
「次はまともな服を手に入れることがミッションか……」
そう呟き。
「私、服を探してきます。ゴミ山の中にも、なにかあるかもしれませんから」
「おい、待て──」
走り出そうとすると、ガリ兄に呼び止められる。
「どうしましたか?」
「いや……」
少し考える素振りを見せてから、ガリ兄はぼそぼと呟く。
「……他人のことなんか、どうでもいいはずじゃないか。それなのに、どうして俺はこいつに構う? 子どもなのは気の毒だが、俺には関係のない話だ。確かに昔の{あいつ}に似てはいるが……」
「ガリ兄、なにを言ってるんですか?」
「な、なんでもない」
表情をキリッとさせて、ガリ兄は言う。
「……あまり遅くなるなよ。それだけ分かれば、勝手に行け」
「はい!」
頷き、私はまともな服を探すため、再びゴミ区を冒険することにした。
「うーん……ないなあ」
ガリ兄と別れた後。
私は先ほどから少し離れた場所で、ゴミ山を漁っていた。
「やっぱり、簡単には見つからないのかな? そもそも食べものだって、野菜の切れ端しかなかったし……こんなところじゃあ──」
諦めかけていた時、あるものが目に入った。
「これ……!」
ゴミ山から一着の服を引っ張り出す。
子ども用の服だ。
しかし皺くちゃで、薄汚れている。このまま着ても、ボロ雑巾が歩いているみたいにしかならないだろう。
使い古したから、誰かが捨てたのかな?
だけど布地はしっかりしているし、十分使えそう。
「《清浄》!」
私は生活魔法をかける。
もう慣れてきたんだろうか。魔法を使っても、徐々に疲れを感じなくなってきた。
「よし……まあまあキレイになった」
でも、このままじゃダメだ。
所々にある黒ずんだ汚れは取れていないし、全体的にみすぼらしい。
だけど、私の生活魔法はこれだけじゃない。
「よし、次の魔法……《洗濯》!」
服がひとりでに水濡れになり、石鹸のいい匂いが立ち込めてくる。
もこもことした泡に包まれ、服の汚れがいつの間にか消えていた。
「そして仕上げは……《乾燥》!」
水浸しの服が、一気に乾燥される。
──完成!
うん、着てもおかしくない程度にはなったんじゃないだろうか?
現代日本の服屋に並んでいても、違和感がないくらいだ。
「早速、着てみよう」
私は人目のつかない角で、コソコソと新しい服に袖を通す。
「ふう。キレイな服に着替えたら、さっぱりするね」
割れた手鏡で、自分の姿を見つめる。
最初に見た私よりも、随分とこざっぱりしている自分が映っていた。ゴミ区の中では浮くようなタイプだ。
これならゴミ区を出ても、変な視線は向けられないはず。
「あとは冒険者ギルドに行って……って、冒険者ギルドはどこにあるんだろう? まあ、誰かに聞けば分か……」
「おい──」
またガリ兄?
またもやグッドタイミング……と思って振り返ると、そこにはガリ兄とは違う、知らない男が立っていた。
「だ、誰ですか?」
問いかける声も、自然と震えたものになる。
男はニタアッと笑みを浮かべ、
「お前……薬、持ってねえか? さっきから手の震えが止まらねえんだよ。へへっ……そんな上等な服を持ってるんだ。ゴミ区に迷い込んできたお貴族様の子どもか? だったら、金でもいい。金を出せ」
とねっとりした声で言った。
鳥肌が立つ。
「く、薬もお金も持っていないです! 他をあたってください!」
「なんだ……しけてやがんな。だったら、俺と楽しいことをしようぜえ? 俺は女なら子どもでも構わないんだ。いや……そんな可愛い顔をしてんだ。なんなら、大人の女を相手にするより楽しめるかもしれねえ」
男が手を伸ばす。
こいつ……真正の幼児愛好者(ロリコン)だ。
私の異世界転生、なんでこんなことばっかり起こるの!?
魔物とかならまだ諦めが付くが(いや、それも嫌だが)、幼児愛好者に襲われるなんて聞いてないよ!
「ひっ……」
短い悲鳴が漏れ、反射的に後ずさった。
しかし、足元がもつれ、地面に尻餅を付いてしまう。
男はそんな私に容赦なく、ジリジリ──ジリジリと距離を詰めてきた。
しかし、その時。
「──その子に手を出すな」
救世主が現れた。
「てめえはなに……い、痛ぇっ!」
いつの間にか──男の後ろにはガリ兄がいて、彼の手を捻り上げていた。
「子どもに手を出すとは、ろくでもないヤツだな。ちょっとはプライドがないのか」
「なんだよ……こんな場所にいるという時点で、お前も俺と似たような人種だろうが」
「そうだな、それは否定しない。だが──」
ガリ兄は男を睨みつける。
「俺は小さな子どもに手を出すほど、腐っちゃいない。たとえゴミみたいな人間だとしても、最低限やっちゃいけないことがある」
「なにを偉そうなことを……」
「お前と問答するつもりはない。さっさと俺の視界から消えろ。それとも……痛い目に遭いたいのか? こんなところだ。暴力を振るわれても、法は助けてくれないと知っているだろう?」
「ち、ちくしょう!」
男は強引にガリ兄の手を振り払って、そそくさと退散してしまった。
逃げていく男の後ろ姿が、やけに情けなく見えた。
「ガリ兄!」
「…………」
ガリ兄に駆け寄ると、彼は私をじっと見つめた。
「……全く、お前からは目が離せないな。お前には危機感がないのか?」
「ご、ごめん……」
「謝る必要はない。これから徐々に知っていけばいいだけだ」
とガリ兄は私の頭を撫でる。
温かい……。
ガリ兄に頭を撫でられていると、さっきまでの恐怖がすうっと消えていった。
「私のことを見守ってくれてたんですよね?」
「ん……まあ、そうだな。だが、気にしなくていい。俺もこっちに用があって、たまたま場面に立ち会っただけだ」
とガリ兄はポリポリと頬を掻く。
心なしか、照れているようにも見えた。
こっちに用があっただなんて……嘘だ。
思えば、ゴミスティックバーの時も、ガリ兄は私を心配してわざわざ見にきてくれたんだろう。
心から感謝した。
「それにしても……服を見つけたか。生活魔法でキレイにしたのか? 随分と見れるようになった」
顎に手を当てて、感心したように言うガリ兄。
「ガリ兄。私、これから冒険者ギルドに行こうと思うんです」
「まあ、それがいいだろう。ユイは、俺やここにいる連中とは違う。もっとお日様の当たるところで暮らすべきだ」
ガリ兄も私の背中を押してくれる。
彼の言葉を聞いていると、自然と勇気が湧いてきた。
「最後に……ひとつだけ忠告しておく」
一転。
真剣な顔になって、ガリ兄は諭すような口調で続ける。
「もう分かっただろう? このゴミ区は、まともじゃない。もうみんな、まともに生きることを諦めているんだ。そして一度この環境に慣れてしまったら、もう二度と元の場所に戻ろうとも思わなくなる」
「生きることを……諦めて……」
「さっきのヤツだって、危ない薬に手を染めてしまって、まともに思考が働かないんだ。それに薬って言うなら、俺の方だって……」
そう言って、ガリ兄は自分の手のひらを見つめる。
その手は、やっぱり小刻みに震えていた。
もしかして……ガリ兄も同じなんだろうか?
じゃあ、一度ガリ兄が飲んでいたのも危ない薬?
だけど、先ほどの男とガリ兄はなんか違う気がした。
「だから、もうここに戻ってくるんじゃない。俺や、ここにいる連中みたいになるな」
「え……ここに戻ってくるなということは、ガリ兄に会いに来たらダメなんですか?」
「ああ、ダメだ。本来、俺とユイは交わらなかったふたりだ。俺のことは忘れて、好きに生きろ」
「でも……」
「でも──じゃない。もし戻ってきたとしても、追い払うぞ」
少し眉間に皺を寄せて、ガリ兄は言う。
……今は、素直に言うことを聞いた方がよさそうだ。
それに退路を断つくらいの気持ちじゃなきゃ、この世界でまともな生活基盤も築くこともできないだろう。
ガリ兄に会いにくるのは、せめてまともに働けるようになってからでも遅くはない。
「わ、分かりました」
「いい子だ。なら……」
表情を柔らかくして、ガリ兄はぽいっと私になにかを放り投げてくる。
それは銀の腕輪だった。
「これは……?」
「魔力制御腕輪(マナリミッター)というものだ。それを腕に嵌めてろ。外からは魔力量を少なく誤魔化すことができる」
「どうして、私にこれを?」
「気付いてないかもしれないが、ユイには膨大な魔力が眠っている。見る人が見たら、ユイの価値に気付いて、利用してくるかもしれない。肌身離さず付けていろ」
「そうだったんですね……ありがとうございます。でも、本当にもらっていいんですか? これ、売ったらそこそこお金になるんじゃ?」
「ん……まあ、そうかもしれないな。だが、お前の服みたいに、魔力制御腕輪もゴミ山から拾ったんだ。俺には{もう}不要なものだし、気にしなくていい」
気を遣ってくれているのか、ガリ兄がそっけなく答える。
私に魔法の使い方を教えてくれるだけじゃなく、後のことも気にかけてくれるなんて……。
絶対にいつか、ガリ兄に恩返ししないと。
「じゃあな。元気にやれよ」
「は、はい! お世話になりました!」
頭を下げると、ガリ兄は背を向けて去っていく。
私は彼のカッコいい背中を、目に焼きつけるのであった。

