はじけてなくなる恋じゃない

「なんでそんな恥ずかしい話に……」
「うーん、うち皆綺麗なものに目がなくて……」
「余計に恥ずかしいんだけど……?」
「はは。おばあちゃんが会いたいって言ってたよ。寿命が延びそうって」
「ええ?」

 恵秀の家に遊びに行かせてもらった数日後の今日、俺達は駄菓子屋の前にあるベンチに座っている。このベンチは駄菓子屋で買ったものを食べる専用だ。今日はふたりで瓶ラムネを買って、ほかにお客さんがいなくて百合さんに許可を得てベンチを占領している。

 俺がバイトのことや家族の仕事について話をしようとしたら、その前に恵秀から姉さんのSNSの写真を見せられた。どうやら恵秀んちのお花屋さんから姉さんのところへ配達をしたことがあって、矢上の名字に聞き覚えがあったらしい。
 確かにこの辺りに矢上はうちしかいないし、この近辺で言えばそれなりに有名人だ。むしろまったく知らなかった恵秀のほうが珍しいかもしれない。

 そうしたら、なんとあの日の夜、家族みんなで俺に似合う花の話で盛り上がった、なんて言われて。
 ……顔から火が出るかと思った。今まで綺麗とかイケメンとか言われたことはあっても、どの花が似合うかなんてそんな話はされたことがない。

「まぁ結局答えは出なかったけどね。なんでも似合うからこの話は終わらないってなっちゃって」
「……」
「ふ……静、耳赤い」
「恵秀んち、もう行けない」
「うそ。そんなこと言わないでよ」

 俺が腕で顔を隠したら、恵秀が身を乗り出した。お互いに持っているラムネの瓶が揺れて、中のビー玉が転がってからんと音を立てる。
 顔を覗き込もうとする恵秀はちょっと笑っていて、俺達の距離はこうやってどんどん縮まっていくんだなと実感した。からかったりからかわれたり、少し触ったり触られたりしながら、心がくっついていくみたいな。

 これを『好き』って呼ぶんだなと思った。明確に感情を言葉にするのはもう少し先であるべきだと何度も思っても、やっぱりそのたびに恵秀だけがほかの人とはくっきり違う色で塗り分けられていく気がした。
 この前思い切って気持ちを確かめ合っておいてよかったと思う。言葉にできないでいても、どうしたってほかの人に恵秀をとられたくない。
『好き』だけが言えないこの時間は、きっとこの先の俺達を支えてくれるはずだ。



「静」
「なに?」
「もうすぐ夏休みだよね」
「うん?」
「会いたい。夏休みの間は一応受験に向けての準備期間だし家の手伝いもするんだけど、静に会えないと何も頑張れそうにないから」

 俺達は平日の夕方に会えるせいか、実はこれまで休みの日に会ったことがない。俺は恵秀の制服姿以外を見たことがないというわけだ。恵秀は『土日のほとんどはバイトしてる』と言っていたし、俺も見慣れた制服以外の格好で会うのは緊張するかもしれない。
 それに遊ぼうとかデートしようとかじゃなくて、ただ『会いたい』と言われるのは嬉しくもあり恥ずかしくもあって。

「静?」
「……俺も会いたい」
「うん。会おうね」

 嬉しそうに笑って頷く恵秀からの視線を誤魔化すようにラムネを飲んで、俺は自分もちゃんと話をしなければと恵秀の服の袖口をつまんで引っ張った。

「あのさ……俺、姉さんの事務所の声かけで、姉さんの彼氏役みたいな感じで写真とか動画とかに出るバイト、ときどきやってて」
「うん。ちょっと見ちゃった」
「そっか……。また、それやる予定あるんだ」

 恵秀はうんうんと静かに頷くと俺の言葉を待ってくれている。変に隠したりせずに素直に話そうと思えるのは、こういう恵秀の真摯な態度のおかげかもしれない。

「こういうのやってるといつ誰にどんなこと言われるかわからないし……恵秀にも迷惑かけないとも言い切れないから、伝えとこうと思って」
「こういうことやってるって自慢してくれてよかったのに」
「自慢って……すごいのは姉さんと兄さんで、俺は何も」 
「ね、静はそういう仕事には興味ないの?」

 俺は不意に投げかけられた質問にどう答えていいかわからなかった。姉さんや兄さん、それに恵秀だって目標を立てて頑張ってるのに、中途半端なのは俺だけだ。
 
「……本気でモデルやらないかとは言ってもらってるけど……じゃあ仕事にしたいとかまでは、まだ思えなくて」
「そっか」

 姉さんがどれだけ本気でモデルの仕事に向き合ってるか知ってる。本当は海外で勝負もしたかったらしいけど、姉さんは身長的にも相手にされないだろうっていうので事務所の許可もでなかったと聞いた。
 悔しいなぁと言いながら、それでも自分のいる世界で戦ってる姉さんは格好いい。あの雑誌に出たい、表紙に載りたい、あのブランドに呼ばれたい、あのカメラマンに撮られたい、そんな目標をひとつひとつ着実に叶える姿を見ると、俺みたいにぼんやりしたまま『やってみようかな』なんて言うやつはお門違いだろう。

「正直なりたいもの、まだわからないんだ。探してる途中で」
「うーん……何かにならなくても、別にいいけどね。もう少し勉強したいと思うなら学生の道も続いてるし、自分に合うと思う仕事を探してみてもいい。別にバイトだっていいんだし。急ぐことないよ」
「はは、恵秀、母さんと同じこと言ってる」
「そうなの? じゃあ大丈夫だよ。お母さんも味方なんだから」

 絶対に進学しろとも言われない。だからと言って現実的な就職先について説き伏せるようなこともされない。
 母さん自身は趣味が高じて資格をとったネイリストの仕事を今も続けていて、俺にもやりがいを持って生きていってほしいと思ってくれてる。
 姉さんは高校生のときにモデルの道に進むって決めたし、兄さんも俳優になるって決めつつ大学に通いながらオーディションをたくさん受けて今がある。恵秀だって俺より早いときから将来のことを考えていて、進路もほぼ定まった状態だ。
 俺だけがなんにも決まってないまま立ち尽くしている感じがして、二年になってすぐにあった進路希望調査も、俺の学力で目指せる範囲の大学を選んでそれっぽく埋めることしかできなかった。考えてる最中だから現時点で思いつくのを書いたと素直に話したら、担任はそれでも納得はしてくれていたけど。

 そうして俺がしばらく黙ったままでいると、恵秀が不意に何か思いついたように「そうだ!」と言った。

「じゃあまず、静が何かにならなくても一緒に生きていけるように、俺が頑張ればいいよね?」

 まったく予想しなかった発言に俺は呆気にとられた。まさかそんなことを言われるなんて思わなかったし、まるっきり未来の約束をあっけらかんと言い放つ恵秀の度量に驚くしかない。でもそれをどういう意味で言ったのか聞き返すわけにもいかず、「そんなこと言って甘やかすなよ」と答えになっていない返しをするしかなかった。
 すると恵秀はじっと俺の顔を見つめて小さく首を左右に振る。その様子から考えても、恵秀が本当にそのままの意味でさっきの言葉を口にしたのは明白だった。
 
「大事な子のこと甘やかさないほうが難しいでしょ? じゃあさ、もし静が何も見つけられなかったときは、将来俺のこと手伝ってくれるっていうのはどう?」

 優しく、それでも真面目な顔をして言う恵秀は、『冗談なんかじゃない』と正しく伝えてようとしてくれている気がして素直に嬉しかった。
 
「……じゃあ俺も花のこと勉強しないと」
「俺が教えてあげる」

 だから大丈夫だよ。
 
 そう言う恵秀の声を聞いているうちに、今の今まで迷子みたいだった気分が少し落ち着いた。
 これまではどんなに優しく言葉をかけてもらってもいまいち腑に落ちずにいた。例えば俺が本当にニートになったって、家族は今と変わらず俺を大事にしてくれるだろうし、俺が働かなくても生活に困るようなことにならないのもわかってる。それでもやっぱり、何かにならなくちゃと焦る気持ちは心の奥底にずっとくすぶっていた。
 それが恵秀の言葉で霧が晴れるような気持ちになる。今まさに将来のために頑張っている恵秀がこうやってそばにいてくれる。それならもし何か失敗したって、もし何か間違えたって、俺も一緒に頑張ればいいんだってそう思えるから。

 でもそれなら余計に、この宙ぶらりんの俺をそばに置く恵秀はそれでいいんだろうか。後悔しないのか。
 
「でも恵秀さ……俺が将来のこと定まらないまま恵秀とどうにかなるのはいいの? 恵秀は進路定まってからって言ってるのに、俺だけ甘えるのは違う気がするんだけど……」

 家族にちゃんと話をすることだって俺にとっては大きな一歩だけど、迷ってばかりの俺の進路のほうが恵秀に比べて余程不鮮明だ。
 そんな俺の言葉を黙って聞いていた恵秀は、だんだん難しい顔になって「それは……」と吃りながら口を開いた。
 
「静の進路が確定するまであと一年半とかでしょ……? 待って、それはだって、もう俺が待てないからどうにか頷いてほしいっていうか……いや静が嫌なら無理強いする気は、でもそんな、いやでもな……」

 頼もしい雰囲気を出していたはずの恵秀が一瞬でおろおろと考え始める様を見て、俺は堪らず吹きだしてしまった。あんなことを言える心の広さはあるのに、そっちは待てないんだと思うと笑ってしまう。

 でも正直、恵秀がそう言ってくれてよかったと心から思った。我儘でしかないけど俺だってそれまでなんて多分待てない。それに恵秀がそばにいてくれることで、自分の未来がもう少しはっきり見えてくる気がした。

「ごめん恵秀。俺もそれまで待つの無理だから、大丈夫」
「ほんとに……? 無理してない……?」
「どっちかっていうと今のほうが無理してるよ。それに、恵秀が専門学校行っていろんな新しい繋がりができて、俺なんかどうでもよくなったら嫌だしな」

 自分でそう言葉にすると、なんだか胸のあたりがぐるぐるするような嫌な気持ちになってしまい自分に呆れる。
 高校生と専門学校生じゃ関わる世界も違う。年下で頼りない俺なんかより、もっと恵秀に相応しい人がいくらでも出てくるだろう。
 そうなったとき俺に勝ち目なんかないと思うとどうしたって不安になる。

「……俺が静のことどうでもよくなる日がくると思ってるの?」

 そのとき、恵秀が信じられないものを見るような目で俺を見てこっちがびっくりしてしまった。
 え、そんな顔するほど……?

「や、だってもっと素敵な人とか」
「俺にとっての『素敵』を詰め込んだのが静だから」
「た、頼もしい人、」
「静にとって頼もしい相手に俺がなるの」
「将来設計……とか……」
「いつか一緒に住みたいけど、店のこともあるし一緒に考えてほしいな。もちろんそのとき静がどういう環境にあるかもちゃんと考えるからね」

 恵秀はしどろもどろな俺に間髪を入れず一瞬で答えを出していった。なんだそのプロポーズみたいな言葉の羅列は……とじわじわ赤くなる顔を咄嗟に瓶ラムネで隠す。

「……そんなぐいぐいくるタイプなんだ、恵秀」
「知らなかった?」

 恵秀はにっと口角を上げると、空いている手で俺の片手に指を滑らせて手を繋いでくる。どきっと心臓が跳ねて勢いで手を引こうとしたけど、恵秀に握り込まれてどこにも逃げられなかった。

「絶対放さない」

 瓶越しに見える恵秀の目がゆらりと揺れて見えた。強い言葉がしっかり耳に届いて、好きって言われるより強烈なことを言われていることだけは理解する。
 過去の恋愛についてなんて一度も聞いてないけど、ずっとこんなふうに相手に接してきたんだろうかと思うとほんの少し胸がざわついた。

「恵秀どこでそんなの覚えてくんの……?」
「ええ? べつに何からも習ってないよ、こう、静がそうさせるっていうか」
「俺関係ないし」
「静しか関係ないのに?」
「〜っ、恵秀、ちょっと黙って」

 握られた手も解けず、瓶だって置くところがない。困った俺が瓶を持ったまま器用に人差し指を立てて「シー!」と静かにしろというジェスチャーを見せると、恵秀は途端に破顔してデレデレした顔をした。
 ……綺麗な顔がもったいないぞ……。

「かわいい」
「恵秀うるさい」
「絶対俺のになってね」
「っ、だからうるさいってば」
「静」
「……わかったから……」
「うん」

 恋愛ってこわい。こんな甘ったるいどうしようもない会話がこんなに嬉しいなんて、俺はこのとき初めて知った。