「あれ!? 静くん帰っちゃったの!?」
俺と香季がふたりで夕飯を食べ始めたころ、ダイニングに顔を出した母さんの大声が響いた。静を玄関先で見送ったのは、もう三十分くらい前だ。
本当は途中まで送っていくつもりだったけど、「香季といてあげて」と静は優しく笑っていて。
俺はあの顔に弱い。綺麗でかわいくて、反論できなくなっちゃうから。
静を見送りに玄関まで出てきた香季も、帰り際に頭を撫でられてわかりやすく照れていた。静が手を振って玄関が閉まった瞬間、「恵兄、静、すっごい美人だね」と惚けたように言っていて、俺の弟だなぁ……と笑ってしまったのは内緒にしようと思う。
「少し前に帰ったよ」
自分のご飯をよそって香季の隣に座った母さんは、俺の返事を聞いて残念そうな顔をした。
「お夕飯一緒にって最初に誘えばよかったね……」
「急にそんなこと言ったら静も遠慮するでしょ」
「ねぇお母さん、静一緒にゲームしてくれたんだよ」
「えっそうなの? ごめんね恵秀、お母さん気づかなくて」
「ううん。静も楽しかったって」
「それならいいけど……よくお礼言っておいてね?」
母さんの言葉に頷いて「今日もご飯ありがとう」と言うと、母さんはにっこり笑った。
俺の家は、両親と祖母と弟と俺の五人家族だ。
親子三代花屋の家で、父さんは短期留学でパリやロンドンに行き、海外でもフラワーアレンジを学んできたらしい。長く続けた店の建て替えを検討していたけど、父さんの腕がそれなりに有名になって収入も良くなったことで、思い切ってもう少し立地のいい場所に店も家も新築することになった時は大変だった。
店長の父さんは出たり入ったりで忙しいので、母さんは店を手伝いつつ午後は香季の帰宅時間に合わせて家に戻り、夕飯の支度をしてくれる。どうしても店に人がいないときはそっちが優先だ。今日はたまたまいなかったおばあちゃんも、臨機応変に店と家事との手伝いをしてくれて、俺も実家でバイトをしながら、基本的には自由にさせてもらっている。
父さんは俺に店をどうしても継いでほしいとは思ってなかったみたいだ。でも、ここに引っ越したときに店を手伝いたいと言った俺に快く頷いてくれた。やるなら本気でやってほしいからとバイト代もくれて、俺も進路はこの道の専門学校を予定している。
でも今の俺の心情を言葉にするなら、『店を継ぎたい』というより、花に囲まれて育ったから、『この先もこうして生きていきたい』って感じかな。
俺は自分が家庭を持つ気がない、というか、どうやら好きになるのは同性みたいだというのを中学の頃には両親に打ち明けてる。ふたりは特別驚くでも怒るでも悲しむでもなく、声を揃えて「へぇー」と言った。
『でも絶対面食いだよな恵秀は』
『うん。とんでもなく綺麗な男の子とか連れてきそう』
『お前俺に似てイケメンだし、心配すんなよ。いい人見つかるよ』
『え? 恵秀は私似でしょ』
『俺だろぉ』
子供なりに意を決したのに、あの日は本当に拍子抜けだったな。取り繕ったわけでもなく本心でなんとも思ってないらしい両親の姿に、俺がどれだけほっとしたか。
そしてそんな父さんを育てたおばあちゃんも、『あらそうなの? 素敵な男の子と出会えるといいわねぇ』とにこにこしていた。
……まぁ、そんな俺が、百人いたら百人、誰が見たって『綺麗な人』って言うような静を連れてきたわけだから……。俺が静にどういう気持ちを抱いているか、母さんはきっと気づいただろう。
何か言われるだろうなと少し緊張しながら黙々とご飯を食べていたら、少しして母さんが口を開いた。
「ねえねえ、静くんのこと、恵秀も知ってるのよね?」
「静のこと?」
どういう意味だろうと思って聞き返すと、母さんは少し驚いた顔をした。
「何がって、矢上さんってあの矢上さんでしょう? お父さんが帰ってきたときに話してて思い出したの! 隣の学区に人気のモデルさんと若手の俳優さんの姉弟がいらっしゃって、うちも頼まれてお姉さんの出演するイベントにお花持っていったことがあるのよ」
「へぇ……それで、静が何?」
「静くん、そこの末っ子さんなの! 恵秀ったらそういうの興味ないものねぇ……ほら見てこれ、スタッフの子が教えてくれたの。静くんのお姉さんのSNS」
俺と静は家の話はお互いにあんまりしなかった。別に避けてるわけじゃなくて、自分達自身のことを知るのに忙しかったからだ。
静の家族を知る前に、俺は静のことをもっともっと知らなくちゃいけなくて。
静はいつも鞄に駄菓子を入れてる。あんな美人が安っぽいパッケージの昔ながらの駄菓子をつまむ姿は不釣り合いすぎていっそ新鮮だ。味はぶどうが一番好きだけど、コーラやソーダもよく食べてる。
飲み物は果汁百パーセントのジュースが好きで、コーヒーは飲めるけど苦味が強いのはちょっと苦手。夜は暗くなる前に家に帰る子で、俺達の年齢ではちょっと珍しいくらいだ。でも俺もそれには大賛成で、薄暗くなる頃には家の近くまで送るようにしてる。だって、このご時世何があるかわからないし。
いつかそのまま静に伝えたら『母さんと同じこと言ってる』と笑われた。そりゃああんなに綺麗な息子がいたらお母さんもそう言わざるを得ないだろう。なのに静は自分の容姿に無頓着で屈託なく笑うから心臓に悪いし、本当に心配だ。
バイトもしていない、というか、できないだろう。接客なんてやっていたら絶対にストーカーみたいな悪い人に狙われる。
だから静の家族が芸能人だって言うならむしろ納得だ。あの綺麗な静と血が繋がってる人が何人もいるのに、全員一般人なんて逆に信じられないし。
「お姉さんとお兄さんがいるのは聞いてるよ」
「……もしかして静くん、知られたくなかったとかあるかしら。お母さん余計なこと……」
「多分気にしないと思うよ。言う必要がないから言わなかっただけじゃないかな。芸能人の家族がいたって、静は静だし」
母さんに見せられたスマホの画面には、美男美女三人の写真が表示されている。真ん中にいるのは間違いなく静だ。ヘアメイクをされているのか、キラキラしてる。
俺は画面の中の静も綺麗だなぁ、家族と仲良しなんだな、とただそれだけの感想を抱いて、今度静に写真を撮らせてもらおうと思った。
キラキラの静も綺麗で素敵だけど、駄菓子屋でしゃがんでパッチバッチを持って、俺に向かって小さく笑う静が、俺は一番好き。
「かわいいね、静」
「あら」
「……なに?」
「ふふふ、ううん〜なんでも。上手くいくといいわね〜恵秀」
「もう……。母さん、今度静と会っても余計なこと言わないでよ?」
「言わないわよ」
母さんはそれからずっと嬉しそう……というかほとんどずっとにやついている状態で、俺は呆れてしまった。それでもどれだけ取り繕っても母親には敵わない。
……理解があって助かるけど、息子の恋を変に応援するのもどうかと思うよ。
「春ねぇ……」
「もう夏だよ」
「気持ちの問題なの」
「店にはヒマワリが並んでるのに」
「静くんはヒマワリも似合いそうねぇ」
「……静はなんでも似合うよ」
静の話をし続ける母さんに対して、俺はひとつの結論に達した。さすが俺の母親だ。香季もそうだけど、あまりにも好みが似すぎてるんだ。
脳裏に浮かべたヒマワリの束を抱えた静はやっぱりすごく綺麗で、こればっかりは反論の余地もない。
静の染めてない黒髪は細くてさらさらしてて、風になびいてかきあげた時の表情にどきっとしたことがある。肌が白くて、これからの時期は日焼け対策が大変そうだ。赤くなるから焼けないようにしてると言っていたけど、近頃は気温も高くて日差しもきついから心配してる。
それに顔なんてほんとにちっちゃくて、美しさと相まって人形みたいだ。少し前に『静の顔これだけしかない』って親指と人差し指を二センチくらいの幅に広げて見せたら『そんな豆粒みたいなんじゃない』と呆れたように笑っていたけど。
それから身長は俺より低いけど脚が長い。それも『静なんてほとんど脚』と言ったら『バランス悪いってこと?』と返ってきたのでバランスが取れすぎていることを力説することになった。
目も鼻も口も神様が丁寧に造った、みたいな整い方だと思う。静は『恵秀は俺を贔屓しすぎてる』と言うけど、自分の好みのど真ん中の綺麗な人が自分の前で笑ってくれて、贔屓しない人間がいるなら教えてほしい。
「静くんも将来は芸能のお仕事するのかしら」
「どうかな、なんでもできそうだけどね」
「お姉さんと同じモデルさんかしらねぇ……絶対お花と写真撮ってほしいわ」
「まぁ、似合うけど」
俺もさすがに静を想って花をどうこう……なんて実際にはやらないけど、入荷した花の水揚げを手伝うときに、この花は静に似合うな、くらいは考える。
でも今思えば、静には似合わない、そう思う花がなかったな。
「華やかで涼しげな美人だものね、カサブランカ一本抱えてるだけで雑誌の表紙が飾れそう……」
「それ母さんの趣味でしょ」
「ええそうよ、恵秀はグリーンでしょ? ミモザ、ユーカリ、ユキヤナギ、コデマリ!」
「好きだけど……」
羅列された葉物の名前はまさに俺の好みのラインナップで言い淀んでいると、不意に香季が会話に入ってきた。
「俺は静はカスミソウが似合うと思うな〜」
「ああ〜……」
「お父さんの好きな白いラッピングしたやつね、カスミソウも色つきじゃなくて絶対白いやつ」
「センスいいわ香季」
「将来有望」
「後でお父さんとおばあちゃんにも聞いてみよ〜」
こうして俺の家ではその夜、静に似合う花選手権が開催されることになった。
店の片付け作業を手伝って父さんと家に戻ると、帰って早々話を聞いたらしいおばあちゃんがさっき母さんが見せてくれた静の写真をじっくり眺めて「綺麗な子ね〜〜〜」とびっくりしているところに遭遇してしまった。父さんはなんだなんだとその会話に乱入していき、静の写真と俺とを見比べて「ふーーーーん」と言った。
夫婦は似てくるなんて聞いたことがあるけど、その父さんの反応が母さんにそっくりでちょっと笑ってしまう。
「父さんも母さんも、お願いだからそれ以上詮索しないでね」
「しないよ!」
「……ふーん?」
こうして静の存在は、すっかり俺の家族の知るところになってしまったというわけだ。
