はじけてなくなる恋じゃない


「静、アイテムアイテム!」
「えっボタンどれ?」
「後ろのやつ!」
「あっ無理無理落ちるっ」

 恵秀と香季と俺は、そのあと一時間くらい三人並んでずっと対戦ゲームをしていた。恵秀が出した脚が畳めるミニテーブルにゲーム機を置いて、三人で大騒ぎ。
 俺は不慣れなゲームに大苦戦で、隣に座ってる香季に甲斐甲斐しく説明してもらっても、結局一度も勝てないままだった。どれがどのボタンだかわからず、ジャンプしようとしたのに間違えて猛ダッシュして水の中に落ちていく俺に、恵秀と香季が同時に吹きだしたのはちょっと根に持ってる。

「あ、六時だ」

 そのとき、ゲーム画面に「時間です」という通知が表示された。恵秀の家だと十八時半が夕飯みたいで、香季のゲーム機もそれに合わせて終わるように時間が設定してあるらしい。

「じゃあ俺そろそろ」
「えっ、静帰るの?」

 コントローラーを置いて立ち上がった俺の手を引く香季の残念そうな顔に、思わず「もうちょっといようかな……」と言いそうになるのをなんとか堪える。
 
「こら香季。静にお礼言うんだよ」
「あ、……遊んでくれてありがとう」
「どういたしまして。香季、またやろうな」
「うん! いつでも来て!」

 恵秀に促されてお礼を言う香季の頭を撫でると、ぱっと表情が明るくなって嬉しそうに笑った。香季は恵秀の弟らしく、素直でいい子だ。
 香季はそのあとゲームを片付けに行き、俺は帰り支度をするために借りた漫画を鞄にしまう。恵秀とふたりだと少し緊張もあったし、香季のおかげで楽しく過ごせたな……なんて思っていると、不意に恵秀がそばに歩いてきた。

「静」
「ん? なに?」

 俺が手を止めて振り返ると、恵秀がそっと手を伸ばしてきて頬に触れられる。突然でびっくりして瞬きしたら、恵秀が目を細めて笑った。
 そうしたらそのまま、恵秀はおでこを俺の肩に乗せてくる。抱き締められるかと思って一瞬身構えた。

「……恵秀?」
「香季がごめんね。遊んでやってくれてありがとう」
「や、俺も楽しかったし……」
「いい子だね、静」
「……」

 恵秀の表情が見えなくてどういう気持ちなんだかよくわからない。どきどきする気持ちは確かにあったけど、それでも、早く離れてほしいとは思わなかった。
 俺は少し迷ったあと遠慮がちに恵秀の背中をぽんぽんと叩く。慰めると言うと少し違うけど、恵秀も感じているはずのこのもどかしい距離を少し埋められたらいいと思った。

「えっと……恵秀もいい子だよ」

 気の利いたセリフなんて出てこなくてそう言うと、恵秀は顔を上げて俺の顔を覗きこんでくる。
 
「……静、ぎゅってしていい?」

 言葉より視線のほうがよっぽど俺の心臓に悪くて困ってしまう。ねだるみたいに見つめられて抵抗なんてできそうになかった。そんなこと、わざわざ言わずに黙ってそうしてくれたらいいのに。
 でも、恵秀はこういう人だよな……と、文句を言う前に自分の頭の中で納得してしまった。
 
「そういえば前も……頭触るとき聞いてきたよな」
「うん。同意がないのに触るのは違うかなって」
「さっきほっぺた触ったじゃん。……俺が嫌がると思う?」

 我ながら意地の悪い質問ばかりしているなと思う。でもこの距離を許す人に抱き締められて嫌がるわけもない。俺は恵秀の背中を叩いた手でそのままシャツを握った。もうほとんどハグしている状態だったけど、多分恵秀が言いたいのはこういうことじゃないんだろうなと考える。

「思わない。……静に言葉で許されたいだけかも」
「……うん」

 握ったシャツがくしゃくしゃになってしまいそうなことがわかっていながら、思わず力を強めてしまった。それと一緒に頷いた俺の表情を確認した恵秀は、そのまま俺のことを抱き締める。
 抵抗はせず恵秀に擦り寄るようにしていると、体格のよさとか、やっぱり手が大きいとか、そういうことが意識しなくても自覚させられていく。隙間なくぎゅうっと抱き締められていて少し苦しかった。

 恵秀の仕草は閉じ込めるみたいな抱き締め方だ。どこにも行かないでって言われてるみたいで何も言えなくなる。そんなに怖がらなくていいのになと思っても、返し方がわからなくて俺もその背中を抱き締めるしかできずにいた。

 このままでいたら香季が戻ってくるかもしれないと思うのにどうしても離れがたい。すると恵秀が少し腕を緩めて、こつっと額同士を合わせてきた。近いなと思ったけどあんまり驚かなかったのは、心が少し近づいたせいか、そうされたかったからなのかはわからない。
 あの日、パッチバッチを持ってしゃがんでいる俺の顔を覗いた恵秀に『近い』と思ったときとは、もう何もかもが違っていた。

「静、ずるいこと言っていい?」
「……内容によるけど」
「はは、うん。だよね」

 少し笑う恵秀の声がいつもより固く聞こえるのはきっと気のせいじゃないだろう。ずるいことってなんだろうと少し考えてはみても検討はつかなくて。俺は真剣な眼差しがじっと見つめてくるのを待っていた。

「ほかの誰にもさせないでほしい」

 その瞬間、息が詰まった。
 俺達は言葉を交わすようになって暫く経つ。ときどきお互い確かめるような言葉を向けることもあったけど、こんなに強く感情をぶつけられたのは初めてだった。
 さっきえろいこと、なんて言っていたときと温度が違っていて、一呼吸おいてから真剣に恵秀を見つめ返す。

「……頭触るとか……抱き締めるとか、そういうこと?」
「うん」
「そんなの、誰もしないよ」
「それならいいけど、でも静が許す人が俺以外にもいるのは嫌だよ」
「……ほんとに、ずるいこと言う」

 それが独占欲や嫉妬と呼ばれる感情だということくらい俺だってわかる。真正面からその気持ちをぶつけられて悪い気がしないどころか嬉しく思うなんて俺もよっぽどだ。
 俺達は今少しずつお互いを知っている最中で、自分だけじゃない周りのことまで考えながら、そっと歩み寄っている。もちろんもっと簡単に考えることはできるし、今の逸る感情だけで動くことだって、高校生の俺達にはできるはずだ。

 でもできなかった。俺も恵秀も、たぶんそういう人間だからだ。
 勢いとか流れとか、そういうのに任せられるならきっともう伝えていることがあって、友達じゃない関係に早々になっていてもおかしくない。でもお互いの気持ちを確かめて探りながら、時間や想いを共有しようとしている。

 俺はそのもどかしさの伝え方を知らなくて、恵秀の頬にそっと触れてみることにした。このもどかしさごと、今の思いが恵秀に伝わるように。

「どう言ったら恵秀が安心するかとかわからないけど……」
「うん」
「俺、恵秀以外にどきどきしたりしないよ。こんなふうに触れようと思うの、恵秀しかいない」

 俺の言葉を聞いた恵秀はぐっと唇を噛んだように見えた。それからもう一度腕の中に閉じ込められる。伝わったかなと思って俺もそっと身を寄せた。

「ありがとう静」

 喉まで出かかっている『好き』という言葉をただ音にするだけなら多分簡単だ。俺は恵秀を恋とか抜きにしたって人として好きだし、こんな気持ちにならなくたってきっと友達になったと思う。
 頭を撫でられなくても、抱き締められなくても、それでも俺は絶対恵秀が好きだ。今伝えない理由は多分俺にも恵秀にもそれぞれあって、それでもほかの誰かにとられたくないという独占欲で触れ合っている気がする。

「……お互いバレバレなのに、馬鹿みたいって思う?」

 俺が恵秀の服を掴んで呟いた言葉は、恵秀にしっかり聞こえていたらしい。喉を鳴らして笑うのが聞こえてきて、余計なことを言ったなと思った。

「難儀な性格してるよね、俺も静も」
 
 恵秀の台詞は本当にそのとおりすぎてつい頷いてしまった。気持ちを言葉にするほうが大変なんだとばかり思っていて、恵秀に会うまではこんなふうに悩むなんて考えもしなかった。
 
俺は自分がゲイだということを家族に言ったことはない。学校でのことは親の耳に入っていないし、多分色恋に興味がないと思われてるはずだ。彼女作れとか、恋愛がどうとか、そんな話は家族からされたこともない。俺がゲイだと知ったところで、困ったり悩んだりするような家族じゃないことはわかってる。でもきっと心配はされるだろう。この先俺が苦しまないかを、心配するだろうと思う。

 だから俺は、恵秀への気持ちが簡単にはじけてなくなるような恋なら先には進めない。いくつか嫌なことがあって、少し喧嘩したりして、それだけで嫌になるようならきっと後悔する。
 もちろん今からそんな覚悟のいる恋愛をする必要はない。軽く考えてお試しに付き合ってみるのだって悪いことじゃないし、好きだと言ってしまえばある程度安心できることだってあるはずだ。
 でも俺は、恵秀とこの一瞬で終わるような関係になりたいんじゃない。今だけ楽しみたいなら、きっととっくに声をかけて名前を聞いていただろう。
 不思議とこれが運命的なものだと信じられるから、だから足が重くなる。確かめるようなことを言いながら先に進まないでいる。
 
 もう少しだけ時間が欲しかった。街中を並んで歩けるように。恋人だと誰にだって紹介できるように俺が踏み出せるまで、もう少しだけ。

「でも、……恵秀がいい。恵秀とじゃないと、嫌だ」

 だからこそこれだけ葛藤するなら、その相手は絶対恵秀がいい。そう思える人はきっとほかにはいないから、それだけどうしても恵秀にわかっていてほしかった。

「……すっごい殺し文句だなぁ」

 俺の言葉にもどかしいような顔をした恵秀がそう言って笑う。こんなこと言っても嬉しそうにしてくれるから余計にもう逃げられない。

「俺も待ってほしいし、静のことも待てるよ。……でも抱き締めるのを許してくれる子に、いつまで言わないで我慢できるかわからないのが俺の悩みかなぁ」

 確かに『好き』と言っていないだけで、態度はほぼ言っているようなものだと自覚があるし、今日の恵秀を見てそれは俺だけの一方的な気持ちじゃないとちゃんとわかった。
 俺は恵秀の頬に触っていた手を下ろして恵秀の手を握った。俺より大きい手と指先を擦り合わせる。

「恵秀はなんで言わないでいるか、聞いていい?」
「進路がちゃんと決まってからじゃないと、静のことばっか考えて駄目になりそうだから」

 恵秀の返事は確かになと納得がいく理由だったけど、一秒たりとも間を置かないで即答されてちょっとだけ驚く。それ以外の理由なんかない、とはっきりした態度を示してくれてほっとする気持ちもあって、この反応が恵秀の気持ちを疑う余地もないことを示してくれていた。
 
「……うん、大事なことだもんな」
「お金出してくれる親にも申し訳ないし、俺が万が一躓いたら静にも悪いし」

 手を握り返した恵秀が苦笑したのを見て、聞いてもいいのかなと思いながらも「進路、どうするの?」と問いかけた。
 
「将来は店を継ごうと思ってる。花屋って学歴関係あるわけじゃないけど、父さん以外の人の作るものも見るべきだと思うし、取れる資格やコンテストなんかも個人より学校単位のほうが動きやすいから、いろいろ話し合って専門学校に行くことにした。推薦でまず間違いなく合格できるはず……って言ってもらってる」
「そうなんだ。……間違いなく合格できるって言われてるのになんでそんな自信なさそうなの?」
「うーん、合格通知見るまでは絶対じゃないし……それに、俺絶対受験失敗しないから今すぐ……なんてそんなやつに静のこと任せられるわけないよ」

 恵秀がまるでほかの誰かを責めるみたいに言うから思わず笑ってしまった。恵秀らしい考え方だと思ったし、俺に対してまっすぐ誠実でいようとしてくれる気持ちが嬉しい。
 
「自分のことなのに、変な言い方」
「自分だからこそだよ。……だから少し待ってほしい。お願いだから、ほかの人のところでこんな無防備になったりしないでね」
「わかったってば。……俺も、これまで機会なかったから家族にちゃんと自分のこと話そうと思ってる。理解してくれる家族だってわかってるけど、心配かけたくないから」

 恵秀は俺の言葉にそっと頷いて、それから少し言いにくそうに言葉を続けた。
 
「そっか……あの、静を追い詰めたり急かしたりしてるんじゃないってことは先に言っておくけど、俺は自分のこともう親に話してあるんだ。だからうちの家族に対して変に後ろめたく思ったりしなくていいからね」
「ん、わかった」
「そのかわり、多分俺の態度で静がどういう相手なのかはバレると思うけど……」

 じゃあだめじゃん、と言って恵秀を小突くと、「だって静がかわいいから」とふにゃりと気の抜ける柔らかな顔で微笑まれてしまい、俺はじわりと熱くなる頬を手で扇いだ。