はじけてなくなる恋じゃない


「恵秀ん家、お花屋さん……?」
「あれ? 言わなかったっけ?」
「聞いてない」

 俺は今恵秀の家の前でぽかんとしている。
 駄菓子屋で恵秀の反応にさんざん大笑いしたあと、結局自分で駄菓子を買ってから、言われるままに恵秀の家までやって来た。俺の家とは反対方向だけど、結構近いなと思いながら辿り着いた先にあったのは【笹沼生花店】の看板。
 お店の外観もお洒落で綺麗だし、雰囲気もいい。そういえばかなり前だけど、母さんが新しいお花屋さんができたって言ってたことを思い出した。
 どおりでアイコンが花なわけだ、とこのとき漸く合点がいく。
 
「俺が高校上がるときに隣街から引っ越してきたんだよね。弟がちょっと年離れてて、小学校からこっちに通えるタイミングだったから」
「それでこの二年で駄菓子屋でよくすれ違うようになったんだ」
「そう。静の制服変わったのみて、ひとつ下だって思ってた」

 店舗の隣には外観をそろえたお洒落な家があって、笹沼、という表札がある。
 その場で軽く話を聞くと、恵秀の家はひいおじいさんの代から花屋だったらしい。でもお父さんの代で店舗兼住宅だった建物の老朽化を考慮して思い切って引っ越したんだそうだ。

「ちょっと声かけてくるから、静ここで待ってて」
「あ、でも、俺も挨拶だけしていい?」
「ほんと? 静が嫌じゃないなら嬉しいけど」
「嫌なわけないだろ」

 店と家とが別の建物だとしても、ここまで来ているのに挨拶もしないで家に上がるのは気が引けた。
 じゃあお願いしようかな、なんて照れくさそうに言う恵秀の後ろをついて店の中に入ると、一気に花の香りがする。色とりどりの切り花に鉢花、観葉植物もたくさんあってかわいい。もう少し早く教えてくれれば、今年の母の日の贈り物を選びに来れたのに。

 店の奥のカウンターからは何か作業をしているらしい音が聞こえていて、俺はそのまま恵秀の背中を追った。 

「母さん」
「あら。おかえり恵秀」
「ただいま。友達来てるんだけど、上がってもらっていいよね?」
「もちろん! ジュースとかあったかしら?」
「大丈夫だよ、あ、それでさ」

 恵秀が声をかけたのは、『恵秀のお母さん』って感じの綺麗な女の人だった。なんて言っていいかわからないけど、細身で若々しくてお洒落だ。恵秀のお母さんは右手で花束を束ねていて、ほとんどが赤いバラの豪華なその花束を紐で結び終わると、恵秀の後ろにいる俺に気づいたみたいで。

「お仕事中にすみません。お邪魔します」

 恵秀が手招きしてくれて俺が前に出て頭を下げると、その瞬間に恵秀のお母さんが目を見開いた。花束を丁寧に作業台に置くと、カウンターからこっちへ出てくる。

「あら〜……!」
「あ、矢上静といいます」
「え〜〜! ちょっと恵秀……!」
「うん?」
「な、え! どこでこんな美人な子ナンパしたの!?」

 お母さんはそう言うと恵秀の腕をバシバシ音を立てて叩いた。俺はその瞬間に、親子だな、と思って笑ってしまう。恵秀は若干気まずそうに「ねえそれ母親が言うことじゃないでしょ」とツッコミを入れていた。

「恵秀の母ですはじめまして〜!」
「はじめまして。学校も違って、恵秀さんのひとつ下なんですけど良くしてもらってて……いつもお世話になってます」
「こちらこそ恵秀がお世話になってます。よろしくね静くん」

 そうやってにこにこと笑う顔が恵秀にそっくりで、俺はつい「恵秀、お母さん似?」と問いかけてしまった。

「あー、うん。俺は母さん似かな」
「そっくり。綺麗だし、雰囲気も」
「やだ〜ちょっと聞いた恵秀! 綺麗だって!」
「はいはい。父さん配達でしょ? 手が足りなかったら声かけて」

 俺がお世辞でもなんでもなく思ったままのことを言うと、お母さんはまた恵秀の腕を叩いて「痛いって」と恵秀に呆れられている。
 さっきから他に音もしないし、恵秀の言うとおり今は店内にお母さんひとりみたいだ。
 
「それなら香季に声かけてやってくれる? おばあちゃん急な用事で出かけててあの子ひとりなのよ。今スタッフの子達にも配達とか休憩とか行ってもらってるから」
「わかった」
「静くん、どうぞゆっくりして行ってね」
「ありがとうございます」
 
 恵秀はそのあとお母さんが作っている花束を指さして「注文?」と聞いていた。どうやらプロポーズ用の花束の注文らしく、赤いバラ指定だそうだ。お花屋さんって、いろんな人達の大事な瞬間に文字通り花を添える仕事なんだなと改めて思った。

 それから俺は恵秀のお母さんにもう一度会釈して、店の隣にある家に上がらせてもらった。
 さすが花屋経営のお家、めちゃくちゃお洒落だ。お店に置いてあったのと同じような観葉植物やアンティークの小物で雑貨屋みたいな雰囲気もあるし、あちこちに花の生けた花瓶が置いてある。
 恵秀の部屋は2階の奥の部屋だった。初めて来る人の家ってやっぱり少し緊張する。

「俺の部屋ここね、飲み物とってくるからちょっと待ってて」
「ありがとう」
 
 恵秀の部屋に通してもらった俺は、どこに座ったらいいかわからなくてぐるりと周囲を見渡した。
 全体の雰囲気的に、高校生男子らしくない部屋な気がする。恵秀もやっぱり植物が好きみたいで、あちこちに小さな鉢の観葉植物があって緑が多い。ダークブラウンのフローリングに合わせた家具選びで、落ち着いた色合いだ。
 勉強用の机、ベッド、本棚、ちょっとした収納、床にラグが敷いてあって、お洒落なスタンドライトがある。少し散らかっているとか、もっと物が少ないとか、恵秀の部屋についていろいろ想像していたけど、想像以上に綺麗な部屋としか言いようがない。
 綺麗過ぎて腰を落ち着ける場所がわからず、どこに座らせてもらったらいいのかな……と悩んでいるうちに恵秀が戻ってきてしまった。
 所在なげに立ち尽くしていたところをグラスを乗せたトレーを持って扉を開けた恵秀に見られて完全に視線がかち合うと、俺の状況を察したらしい恵秀が肩を震わせる。

「だ、だって!」

 俺は恥ずかしくなって思わず声を荒らげた。でもそれ以上言葉は続かない。どう言ったって情けない状況なことには変わりないし……。
 
「ベッドでもどこでも座っていいのに」
「いや、気にするかなって……」
「俺は気にしないけど、静が気になるなら椅子使って」
「……じゃあ、そうする」

 そうして結局勉強机のところにある椅子を引いて座らせてもらった。キャスターつきの椅子をぐるりと回して恵秀を見ると、机にトレーを置いてグラスを俺の前に置いてくれる。
 
「静オレンジ好きだったよね?」
「好き。ありがとう」
「うん」

 俺は果汁百パーセントのジュースがなんでも好きで、ふたりで公園に行く前にコンビニに寄るといつもオレンジジュースを選んでいる。
 いただきますと小さく囁いてかわいいグラスからジュースを飲んでいると、俺のそばから離れてベッドに腰かけた恵秀から視線を感じた。
  
「……なに?」
「静が俺の部屋にいるなぁと思って」
「いや、恵秀が誘ったんだろ……?」
「うん。嬉しい」

 ベッドの縁に座っていた恵秀がそのまま後ろにぼすんと転がった。それから天井のほうを見つめたまま「緊張するかも……」と呟くのが聞こえてくる。

「緊張? 恵秀が?」
「部屋汚いって思われてないかとかさ……」
「めちゃくちゃ綺麗だけど……?」

 この部屋を見てどこの誰が汚いと思うんだともう一度見渡していると、恵秀は一瞬黙ってまた口を開いた。
 
「急に家に連れ込んで、引かれてないかとか」
「連れ込むって……嫌だったら来ないから」
「……うん。そうだね」

 恵秀はふう、と息を吐いて勢いよく起き上がった。緊張する、なんて部屋の主に言われるとこっちが余計に緊張するからやめてほしい。おまけにそのままじっと見つめられたから、何を言われるのかと思わず身構えた。

「変なこととかしないから」

 俺がじっと見つめ返した瞬間に両手を上げた恵秀がそう宣言するので呆気にとられた。突然何を言ってるんだこの人は、と意味を深読みしてしまいいたたまれなくなって恵秀に背を向ける。

「急に何言ってんだよ、ばか」
「いや、安全性の保証、的な……」
「なに。恵秀、ほんとは安全じゃないわけ」
「……ごく一般的な高校生男子の思考を持ち合わせていて……」

 ごく一般的な高校生男子に当てはまる項目がほとんどない恵秀からそう言われてもまったく説得力はない。でももし本当に本人の言うとおりの思考なのだとしたら、それって確かに少し安全とは言い難い部分があるかも……。

 家に誘われたのを下心だなんて思ってなかった。ただこの距離を少しずつ詰めていく過程で、テリトリーに入れてくれたというか、そういう気持ちでここまで来たわけで。
 むしろ俺ばっかりが意識している気がして、絶対そんな空気になるわけないと思っていた。だからこそこんな突然意識させられると困ってしまう。

「恵秀が急に何かしてくるとか思わないし」
「そうだけど……」
「じゃあ聞くけど、恵秀は何かしたいの、……その、俺に……」

 この質問は、恵秀に背を向けたままだからこそ言えた気がする。正直こんなこと言ってドン引きされたらどうしようと思ってるのは俺のほうだぞ。

「静」
「なに」
「それ、絶対俺以外の誰かに言わないって約束して」
「言うわけないだろ……」

 ベッドを降りた恵秀がすぐ後ろまで歩いてくる気配がした。どきっとして縮こまりそうになるのを必死に我慢する。
 
「頭撫でてもいいかなとかずっと思ってる」
「……」
「顔ちっちゃいから片手で掴めそうとか」
「はぁ?」
「……あのさ、素直に全部言えると思う?」
「……」
「えろいこと想像しないように、友達の気持ちでいようとしてる。わかってよ」

 俺達はお互いにめちゃくちゃ探り合っていて、一か八かみたいな質問をぶつけ合って黙り込んだ。 

 そもそも俺も恵秀も、お互いの気持ちを裏切るようなことはしないという自信だけはなぜか強くあると思う。恵秀に裏切られるとか傷つけられるようなことってなんだろうと考えてみても何も思いつかないし。
 もし今俺が傷つくとしたら、突然何もなかったことにされることくらいだろう。

 この気持ちは友達なんかじゃ片付かない。そんなのとっくに気づいてる。
 
「えろいこと考えたことあるんだ」
「しーずーか……」
「ふ、」
「意地悪だなもう……」

 今言えるのは、俺は嫌じゃないよって、それだけだ。

 恵秀はそのあと話を変えようとしたのか、「そうだ漫画」と言ってついこの前話した少年漫画の最新刊を本棚からとって渡してくれた。

「読んで帰ってもいいし、持って帰ってもいいし」
「じゃあ、借りる。すぐ返す」
「いつでもいいよ」

 俺は受け取った漫画をパラパラ捲ってすぐに閉じた。今ここで読んだって内容が頭に入る気がしない。
 
「あ、恵秀、弟に声かけた?」
「うん。宿題はすんだって」
「そっか」

 それから机の端に漫画を置いて恵秀と前の巻の話をしていると、不意に扉をノックする音が聞こえてくる。

「恵兄、入っていい?」

 恵秀が確認するようにこっちを見て、俺はすぐに頷いた。聞こえてきたのは少し高い声だった。恵秀の弟だろう。
 
「いいけど、どうかした?」

 返事をしてすぐに扉が開くと、こっちを覗く小さい男の子がいた。目元が恵秀と恵秀のお母さんによく似ている。

「ゲームできない……?」
「友達来てるって言ったのに」
「わかってるけど」

 恵秀の弟はまだ小学二年生らしい。そりゃあ誰もいなければ寂しくもなるだろうと思って、俺は弟に向かって手招きをした。少し緊張気味に近づいてきた彼に、なるべく優しく声をかける。

「はじめまして」
「うん、はじめまして」
「名前は? 俺は静」
香季(こうき)だよ」

 俺はあんまり愛想がいいタイプではないけど、怖がられないようになるべく優しい声色を心がけた。香季の手にはゲーム機があって、たぶんいつも恵秀と遊んでるんだろう。

「じゃあ香季さ、俺にゲーム教えてくれる?」

 俺の問いかけに驚いた顔をした香季が「えっ」と言って俺と恵秀とを交互に見た。

「ゲームセンターのクレーンゲームとかは好きなんだけど、そっちのゲームあんまりやらなくて。教えてくれる?」
「い、いいよ!」
「静、そんな気遣わなくても」
「いいじゃん。恵秀もやろ」

 俺が困った様子の恵秀を宥めると、香季は目を輝かせて、「コントローラーもう一個とってくる!」とバタバタ部屋を出ていった。

「……静、弟か妹いたっけ?」
「いない。姉さんと兄さんがいる」
「それにしては末っ子っぽくないよね、面倒見いいっていうか……」
「大事にされてるから、大事にしたいなとは思うだけ」

 姉さんと兄さんに大事にされてる自覚が俺にはある。だから年下には優しくするっていうのは感覚的にずっとあって。それに恵秀にも、大事にされてる……と思う。それなら俺も、大事にしたいだけだ。

「……ほんと、敵わないな」

 恵秀が呟いた言葉はどこかむず痒くて、俺は聞こえないふりをした。