智樹は俺の話をほかの誰かに話すことはしなかった。別にいつも一緒にいるやつらなら誰に言われたって気にはしないのになと思ったけど、あいつは俺が自分から皆に話すのを楽しみにしてるのかもしれない。面白がってそうしてるんじゃなくて、智樹はちょっと保護者みたいな見守り方をしてるところがあるからきっとそうだと思う。
そうして悩んだ末に部活に行く前の智樹に「そのうち話すから」と小声で言うと、あいつはめちゃくちゃ嬉しそうに笑っていた。
俺はそのあと、教室で何人かと会話をしてからひとりで昇降口に向かった。自分のクラスの靴箱のほうに向かっているとき『校門のところにイケメンが立ってる』とかなんとか、誰かが騒いでいるのが耳に入る。
なんだろうなと思いながら靴を履きかえて外に出て校門のところに辿り着くと、すぐそばの壁に背中を預けて立つ見慣れた人物が視界に飛び込んできて、俺は驚いて立ち止まった。
「恵秀……?」
そこにいたのは間違いなく恵秀だった。
俺に名前を呼ばれた恵秀が弾かれたように顔を上げてこっちを見る。その瞬間ににこっと笑う表情が特別に思えて狼狽えた。俺の後ろ辺りにいた女の子達が色めき立つのもわかったけど、それを気にしている余裕もまったくないくらい自分がどきどきしていてどうしようもない。
実際、恵秀は格好いい。顔もスタイルもいいし、歩いていたら周囲からちらちら視線を浴びるくらいの美形だ。染めてはないのに目鼻立ちの整った顔によく似合う茶色がかった髪で、完全な黒髪の俺の隣にいるとより明るく見える色をしている。身長も高いし、ごつくはないけど細すぎない体格で脚が長い。おまけに性格も温厚。話し方も柔和で優しい。
つまり、モテないわけがない。北高でどんなふうに過ごしてるのかは知らないけど、間違いなくあちこちから言い寄られているはずだ。けれど本人はそういう声にあまり興味がなさそうで。
その証拠に明らかに自分が見られていても、恵秀はいつも気にする様子がなかった。現に今も、視界に入っているはずの俺以外の人達に反応していない。
「お疲れ静。入れ違いにならなくてよかった」
「なんでここに……」
そうしてこっちに向かって歩いてきた恵秀がびっくりして固まっている俺を見て「サプライズ成功だね」と嬉しそうに微笑んだ。
「ごめんね突然、でも早く会いたくて」
「……恵秀、それ言い慣れてる?」
「慣れてないよ、初めて言った」
おまけにこれだ。恵秀は言葉がストレートすぎるというかなんというか……。こっちが照れるようなこともわりと平気で口にする傾向にある。
早く会いたいというのが本気か冗談かはわからないけど、初めて話した日のナンパ発言から言って本人はわりと本気なのかもしれない。
そんな恵秀の言動をテキトーに受け流せない俺はいつもこんなふうにひとりどきまぎしていて格好悪かった。こういうことに慣れてなくて正解がわからない。今日一年生の子達に言ったみたいに「ありがとう」とでも返しておけばいいのに、恵秀相手だとそれができなくなってしまう。
そもそも恵秀も恵秀だ。友達からと言ったわりに特別扱いされているのはきっと俺の気のせいじゃない。
だってこれは、俺の知る友達の距離なんかじゃないから。でもそれが嫌だなんて思わないから余計に困る。もう少し一方的なほうが俺だってやりやすいのに、恵秀がそうはさせてくれなくて。
「もしかしてサボった?」
「サボらないよ。講演会の準備だとかで、授業早く終わったんだ。それで、こんなことなかなかできないよなぁと思ってさ」
「こんなことって」
「うん、こういうこと。静、俺が迎えに来るのやだった?」
道の隅に寄っていても、学校では目立ちがちな俺と北高の制服を着たイケメンのツーショットは注目の的だ。俺は複数の視線にとうとう耐えられなくなって、恵秀の腕を掴んで足早に歩き出す。
「静?」
「嫌じゃない」
「え」
「恵秀が来るの、嫌じゃないよ」
そもそも恵秀は俺が嫌だと言わないのをわかっていてやっている気がするけど、歩きながら少し大きめの声で言い直すと、恵秀がほっとしたように「よかった」と言うのが聞こえてきた。
そのまま暫く歩くと南高の生徒の姿がかなり少なくなって、俺は恵秀の手を放して歩く速度を緩める。恵秀は俺の半歩後ろくらいを歩いていた。
「今日パッチバッチ買いに行こうと思ってた」
「行こうよ。でもそのあとちょっと遊ぼう」
「遊ぶって?」
遊ぼう、という言葉と同時に、恵秀の長い脚がぐいっと前に踏み込んで肩が並んだ。
歩道をふたりで歩くとき、気づけばいつも恵秀が車道側にいる。今も自然と内側を歩くように促されていて、ちょっと恥ずかしい。
これを女扱いみたいに思う人もいるのかもしれないけど、俺はそうは思わなかった。俺も姉さんや母さんと歩くときはいつもそうする。それは相手が女の人だからという話じゃなくて、俺が守りたい人だからだ。
……別に恵秀もそうだって本人から聞いたわけじゃないけど。
照れくさい気持ちで返事を待っていると、車道側を歩く恵秀が一瞬の沈黙のあと口を開いた。
「俺の家来ない?」
「恵秀の?」
「うん。静がよければ」
「家の人とか……」
「うち皆出たり入ったりだから、それは気にしないで」
まさかの誘いに俺は何度か瞬きをした。こんなふうに家に呼ばれたことなんてあんまりなくて少し戸惑う。
本当にいいのかなと思ってちらっと恵秀を見ると、「この前言ってた漫画の最新刊、うちにあるよ」と言われた。
「……じゃあ、お邪魔します」
「はい」
ぎこちない反応をした俺がおかしかったのか、恵秀はくすくす笑っている。俺はその顔を横目に見て、この顔が見れるなら別に笑われるのも悪くないなと思った。
ずっと遠巻きに見ていた人が……気になる存在だった人が、こうして隣で笑っているのは正直まだ気恥ずかしいものがある。距離感が近いような気はしているけど、そもそも恵秀のパーソナルスペースが狭いのかもしれない。
そばにいるのを自然と許されるような感覚はなぜか心地よくて、名前を知ってからひと月が経つ間に、俺達はこれまでの時間を埋めるみたいにあっという間に仲良くなった。
「静」
「ん?」
「ううん、なんでも」
恵秀はこうしてよく俺の名前を呼ぶ。そろそろ慣れてきたはずなのに、名前を呼ばれるときくすぐったい。だから仕返しと言わんばかりに同じくらい「恵秀」と呼ぶと、この人はいつも嬉しそうに笑いかけてくる。
ほら、今も。
「静もなんでもないんでしょ?」
「なんでもあるかも」
「いいよ、なんでもなくてもあっても」
駅までの道を歩く中、俺達はずっとそんなどうしようもない会話を繰り返した。それぞれ違う高校の制服を着た俺達は多分ずっと目立っていたけど、恵秀はやっぱり気にしてないみたいだった。
半端な時間の電車はまだ空いていて、ふたり並んで座っていつもの駅へ向かった。俺達はこの最寄り駅からそれぞれ反対方向の高校に通っている。だからときどき朝駅で会うこともあったりして。『静、行ってらっしゃい』って、手を振る恵秀に手を振り返したときの不思議な気持ちとか。待ち合わせてもいないのに駄菓子屋の前で鉢合わせたとき、『静おかえり』なんて言われるその気恥ずかしい思いとか。
じわじわと膨らんでいく気持ちを、今はまだ胸なのか心臓なのか、そういうところの奥へ押し込めている。
電車の揺れがこのどきどきする思いを誤魔化すのにちょうどいい。触れ合った腕から気持ちが伝わらないように、俺は静かに窓の外に目をやった。
◇
「あれ? 兄ちゃん達今日一緒なんだ?」
俺達が歩いて駄菓子屋の前に着くと、よく会う小学生達がゲーム機の前に集まっていた。フーセンガムを転がして当たりのところに入れば二つ出てくるという仕組みの昔からある機械だ。
「うん。皆何してるの?」
「当たりに入ったのに一個しか出ないんだよこれ。おばちゃん今電話しててさ」
「うーん、でもこれ壊れてるなら業者呼ばないとすぐ直せないと思うよ」
恵秀と小学生達が困ったな、と首をひねっているのを見て、俺は財布を出して百円玉を機械に入れた。
「静?」
「詰まってるんじゃない?」
俺は機械のレバーを引いて、ころんと出てきたガムを転がしていく。レールの途中で下に落ちたり、最後の当たり出口の手前の穴に落ちたらアウトだ。アウトでもガムは一つ出てくるけど、百円で一個は結構せこい。
機械の仕様上店が勝手に安くすることもできないらしくて、百合さんはあんまり置きたくなさそうだった。それでも子供には人気で渋々置いてるんだろう。
「兄ちゃん上手い!」
「はえ〜のに落ちてないじゃん!」
小学生の歓声を浴びながら、俺は慣れた手つきでガムをゴールまで運んで勢いよくレバーを傾ける。ガムはそのまま、ころんと当たりの出口に転がりこんでいった。
機械の下側にあるガムの取り出し口を確認すると、やっぱり三個のガムが並んでいる。
機械の中で引っかかったか詰まったかして出てこなかったんだろう。
包装されていない大きな丸いフーセンガムを、手洗いもしてない状態で触って渡すわけにいかなくて、取り出し口のカバーを指差して小学生達に取るように促した。
「ほら」
「え〜兄ちゃんありがとう!」
「今日三人? 残りも一個ずつ持っていったら」
「え! くれんの!」
期待した眼差して見上げられてつい笑ってしまった。嬉しそうな三人の頭を順番にぽんぽん撫でていくと、三人ともくすぐったそうに肩を竦める。
「機械ガタガタ揺らしたりしなかったんだろ。電話中の百合さん静かに待ってたし、偉いじゃん。ご褒美」
「ありがとう!」
「喉詰めるから、歩きながら食べるなよ」
「はーい」
そうして、見知った顔の三人組は手を振って帰っていった。駄菓子はすでに会計済みで、別の友達が公園で待っているらしい。
俺がその背中を見送ってから恵秀のほうを見ると、微笑んだ彼に「優しいね」と言われた。
「……や、べつに……」
「格好よかった」
「……恵秀が言うと嫌味に聞こえる」
「ひどくない……?」
俺達がそう言ってお互いに吹き出して笑っていると、やっと電話から解放された百合さんが慌てて表に出てきた。ガムのゲーム機が詰まりやすいのかもしれないという話を一応してから、いつものようにパッチバッチの売り場にしゃがみ込む。
「静、奢ってあげたのに言わなくていいの?」
「俺が勝手にやったんだからいいよ」
「じゃあ、いい子の静にはお兄さんが奢ってあげる」
「……ふーん。じゃああっちの一番高いやつにしようかな」
「ねぇなんで集るときだけ容赦ないの?」
拗ねたような言い方をする恵秀が面白くて俺はまた笑ってしまった。もちろん冗談だったから、恵秀が持ってる小さいかごに、パッチバッチのコーラを多めに入れていく。
「あれ、コーラでいいの?」
「友達がコーラ好きだから」
「そっか」
いつもぶどうばかりの俺がコーラを多くした理由に納得した恵秀に向かって、今度はソーダのパッチバッチを持ち上げる。
「恵秀は? パッチバッチいる?」
「静にもらう予定だった」
「じゃあこれも。……奢らなくていいから」
「なんで?」
「恵秀が買ったら俺があげることにはならないだろ」
パッチバッチのぶどうが二個、コーラが三個で、ソーダが二個。全部で七個。恵秀の持つかごの中は俺の選んだパッチバッチが大半を占めている。
「奢ってもらうために恵秀と来たいんじゃない」
「わかってるよ」
「……ほんとに?」
初めて話したとき奢ってもらったから、それがデフォルトみたいになるのは嫌だった。たった数百円でもそれは関係ない。
こんなことで対等だのなんだのを語るのもおかしかったけど、それでもこれは譲れないことだった。
……でも。
「俺だって嫌だよそんなパパ活みたいなの」
恵秀がそう言った瞬間に、俺は盛大に吹きだしてしまった。俺は真面目に言ってるんだぞと言おうとしたけど、目の前の恵秀の態度が至極真面目だったせいで余計におかしい。
あはは、と大きな声で笑ってしまって、向こうから百合さんがひょっこり顔を出したのが見える。うるさくしてごめんなさい。
でもこれは完全に恵秀が悪い。駄菓子奢ってもらうパパ活ってなんだよ。
「あ、でも最初のあれはナシね。きっかけが欲しかったからしたことで、お菓子でつろうしたわけじゃ………いやでもそれじゃパパ活じゃなくてほぼ誘拐……?」
「ふ、もう、恵秀さっきから何言ってんの……? ふ、まじ、意味わかんね」
「ほらまたそうやってかわいく笑う〜、誘拐されますよ静さん」
笑いが止まらなくなった俺をさらに笑わせようとしてくる恵秀はなんだかひどく楽しそうで。俺は恵秀の肩におでこを乗せて、百合さんに迷惑をかけないように笑いを押し込めた。
