はじけてなくなる恋じゃない

「矢上先輩こんにちは!」
「こんにちは」
「あのっ、今日も綺麗ですねっ……!」
「ありがとう……?」

 昼休みに廊下ですれ違った女の子達に声をかけられて返事をしたら、驚いた様子で何やら言い合いながら廊下の向こうへバタバタ走っていってしまった。交流もないので顔も名前も知らなかったけど、先輩と呼ばれたということはあの子達は一年生のはずだ。いつの間に新入生にまで顔と名前が知れ渡ったのかと不思議に思いつつ、その背中を見送ってはたと気づく。
 いつももう少し愛想がない対応をしているのに、今日はどうしてお礼の言葉が出たんだろう。
 
「……めちゃくちゃ影響されてるな……」
 
 頭の中で朗らかに笑うのはやっぱりあの人で、俺は一瞬のうちにできてしまった答え合わせに苦笑いするしかなかった。別にあんなふうになりたい、みたいな気持ちがあるわけじゃないのに、影響されまくっている自覚だけは確かにあって言い訳もできない。
 そしてそのとき、不意にポケットの中のスマホが振動した。廊下の隅に寄って画面を確認すると、メッセージの通知がある。

【今日放課後予定ある?】

 たった今思い浮かべたばかりの相手からのメッセージに動揺して唇を引き結んだ。
 あの日から暫く経った今、俺はなぜか毎日恵秀と連絡を取り合っている。

 元々待ち合わせてなくても駄菓子屋ですれ違っていたわけで、その習慣は変わらない。その上今は駄菓子を買ったあとそのままふらっと公園とかファミレスに行ったりもしていて、もうすっかり『友達』の関係になっている……と、思う。
 そもそも友達も多くなく、もっぱら家族とのやりとりに使われていたメッセージアプリの一番上はほとんどいつも彼の名前が鎮座するようになった。話題なんて別に大したものじゃなくて、今何してるかとか、勉強の捗り具合とか、明日駄菓子屋に行くかとか、そんな会話ばかりだ。でもそのアイコンを見慣れてしまうくらいには日々のやり取りを続けている。

 恵秀のアイコンは、なぜか花だった。男子高校生のアイコンが花……?とかなり不思議には思ったが、好きなのかもしれないしわざわざ理由なんて聞いてはない。
 そもそも俺のアイコンは姉さんが飼ってる犬だし、こだわりゼロの俺に人のことをどうこう言う資格はなかった。
 それよりも、恵秀がまめで返事が速いほうが驚いた。あと変なスタンプを使う。ものすごくゆるいキャラクターがぬるっと動くそのスタンプは、いつも俺の口角を引き上げた。

『このスタンプなんなの?』
『ゆるきゅんアニマル?』
『……なんでこれ?』
『うちの家族内では流行ってるんだよ』
『ふ、かわいい家族……』

 つい最近、そんな会話をファミレスでしたばかりだ。ふたりで頼んだフライドポテト、恵秀は甘いのも食べたいと言ってミニパフェを頼んで、俺はドリンクバーのメロンソーダを飲んでいた。

『静、そういうときめいちゃうこと言うのずるいよね』
『は?』
『なんでもない。それ一口ちょうだい』
『ん』

 そのとき初めて知ったことは、恵秀はきつい炭酸が苦手ってこと。ソーダ味が好きなくせに?と驚く俺に、「ソーダ味のやつって大体しゅわしゅわしないでしょ」と恵秀は拗ねたように言った。
 言われてみれば確かに、駄菓子やアイスのソーダ味に炭酸のしゅわしゅわする感じがあるものは少ないし、あの駄菓子屋にある瓶ラムネも子供が飲みやすいように微炭酸だ。

『これ炭酸きっつい』
『強炭酸ってほどでもないけど』
『うわ、静のべろ緑色』

 メロンソーダを一口飲んだあと眉をしかめた恵秀は子供っぽくて、ちょっとかわいく思えた。俺の舌に驚くその反応もなんだか幼い。

『体に悪そー』

 そしてどちらからともなく発した言葉がまるきり同じタイミングで重なって、俺達は目を見合わせて暫く笑っていた。

 
 
 そんな数日前の記憶に思い出し笑いをしそうになって口元を手で隠しながら、俺は恵秀の問いかけに【ない】という返事を送信する。
 恵秀と違って、自分の返すメッセージがどれほど愛想がないか自覚はあった。でも絵文字も顔文字もスタンプも、いまいちどれが適切なのかわからない。
 この言葉がもし間違って伝わると嫌だなと思うと、俺はその瞬間に通話ボタンを押してしまうタイプだ。

  
「静待たせた〜、行こうぜー」
「うん」

 そうして俺がスマホの画面を見つめていると、すぐ近くのトイレから友達が戻ってきた。一緒に自動販売機に飲み物を買いに行っていた久辺智樹(くべともき)は、俺の数少ない友達の中でも、一番遠慮なくなんでも話せる相手だ。
 智樹は俺がスマホをポケットにしまうのをちらっと目で追って、並んで歩き出すのと同時に「なぁ静」と声をかけてくる。

「なに?」 
「いや、ずっと聞こうと思ってたんだけどさ。先月くらいからお前妙にスマホ見ない?」
「……そうかも」

 そうかもも何も実際そうでしかないんだけど、俺はぎくりとしながら曖昧な返事をした。
 智樹は俺の反応を見てすぐに目を輝かせて立ち止まり、辺りを見回して小声で会話を続けてくる。

「なに!? 静、もしかして彼氏!?」
「違うけど」
「なんだよ違うんかよ……」

 あからさまにがっかりしたように肩を落とすのが面白くて笑いながら、この無遠慮さが智樹のいいところだよなと改めて思う。
 
「遠慮なく彼氏とか聞いてくるの、智樹くらいだよ」
「え、遠慮したほうがいい?」
「ううん。いいよ」
「そ? じゃあ聞く」

 もちろん見知らぬ相手にずけずけと立ち入った質問をされるのは御免だが、智樹達になら別に構わなかった。

「俺にそういう相手ができて、その人と歩いてるところにたまたますれ違ったらさ、智樹どうする?」

 そして俺は周りに人がいないのをいいことに、なんとなく気になった質問を智樹に投げかけてみた。すぐ隣を歩く智樹はちっとも考える素振りを見せずに、間髪を入れず「声かけるよ」と答える。
 
「なんて言うつもり?」
「静やっほーその人恋人?」
「直球」
「静が見て見ぬふりしてほしいってんならそうするけど、そうしてほしい相手と街中なんか歩かないだろ、お前」

 そう言ってけらけらと笑い飛ばされて、予想外の答えに俺のほうが拍子抜けしてしまった。でも確かに、自分が知られたくないような相手と並んで歩くなんてしないなと思うと納得するしかない。

「相手を紹介したいかしたくないかは静の自由だから静が決めれば? お前が恋人と歩いてようが家族と歩いてようが、全然知らん人と歩いてようが、俺は静には声かける。それだけ」
「……そっか」
「そう。不満?」
「ぜんぜん」
「ならよし」

 満足げに頷いた智樹は頼もしくて、俺はこいつが友達としてそばにいてくれてよかったなと不覚にも噛み締めてしまった。 
  
 俺がゲイだというのは、誰かに率先して話してはいない。女の子からそれなりに告白や誘いを受けることがあるのを断るのが面倒になった去年の秋頃、「ごめん。俺女の子好きにならない」と言ったその瞬間に学校中で噂になっただけだ。

 自覚したのは中学の頃だった。
 誰が付き合っただの、童貞卒業したやつがいるだの、そんな話を周りが始めた頃。
 女の子に告白されてもまったくそれに返す気持ちが湧いてこなくて、誰かを好きだと思うこともなくて。俺は誰も好きにならない人間なのか、もしかしたら男が好きなのかも。そんなふうに考え始めていた。
 そしてある日、同性に告白されてどきっとした。その相手を好きなわけじゃなかったけど、気持ちが揺れたのはあれが初めてだった。

『俺……矢上のこと、好きで……』
 
『ごめん。言うつもりなかったけど、言わないと後悔すると思って……矢上が困るのに、ほんとごめん』

 あの短い会話の中で、相手がどれだけ謝ったかを思い出すと少し悲しくなる。答えられないと、俺はそのとき思ったままを口にした。相手をよく知らなかった。好きでも嫌いでもなく。
 向こうは頷いて忘れてほしいと言った。嫌だったよな、ごめんって。

『忘れない。ありがとう』

 俺がどうにかそれだけ言うと、相手は驚いた顔をした。

 そんなことがあった中学の頃の話を、俺は友達にも家族にも誰にも話していない。だから同じ中学から南高に進学した同級生にも、誰にも知られていなかった。
 そして南高で回った噂話がどうなったかと言うと、いつのまにか『矢上静はゲイのふりをしている』というものに差し代わっていた。
 
 クラスメイトや友達や先生の恋愛対象が同性か異性かなんて俺は興味がないけど、皆随分暇なんだなと思ったのを覚えている。今思えばあれは、少なからず傷ついた自分の防衛本能だったのかもしれない。 

『矢上ってほんとにゲイなの?』
『そんなの嘘に決まってるじゃん! 釣り合う女子がいないからそう言って寄ってこないようにしてんだって!』
『え、でもゲイだとしたら俺達そういう目で見られてるってこと!?』
『お前キモいこと言ってんなよ〜』

 噂話は表面上落ち着いたように見えても、そうやって影でクラスメイトが話しているのをたまたま聞いたことはある。
 俺は聞いてないふりをしたし、そのあと噂を否定も肯定もしなかった。そういう目ってどういう目だよと突っかかることもしなかった。

 でもその話をしていたクラスメイトには二度と声をかけなかったし、向こうから声をかけられたときも多分冷たく当たったと思う。子供っぽくて自分自身に少し呆れたけど、そうされることで相手が不安に駆られればいいと考えた。
 あの下劣な噂話を本人に聞かれていたのかもしれないと不安に思えばいい。二度と誰かにそんなことをしないように。

 同性に好かれるのは気持ち悪いと考えるのは本人の勝手だが、他人の気持ちを勝手に推し量り、勝手に妄想し、勝手に笑うのは失礼なことだと、そう言い返すことができなかった自分の狭量な態度がそうさせたと思う。
 教師は「困っていることはないか」と一度だけ尋ねてきたが、俺はありませんと答えた。二年になるとそいつらとクラスは別になっていて、気を遣わせたのは悪いなと少し思っている。
 
 それにあの噂話は、結局真実かどうかなんてほとんどの人間にとってはどうでもいいはずだ。未だに面識がなくても声をかけられることは多々あって、俺が本当にゲイかどうかなんて皆はわりとどうでもよくて、マスコット的な扱いをされているんだろうなと思う。
 俺みたいな愛想のないのをマスコットにするのはどうかと思うが、俺が駄菓子が好きだと聞きつけた人達が差し入れをくれることも多く、恩恵を受けているので文句もない。
 
 とはいえ俺が今特に不便なく学校生活を送れているのには、智樹達の存在が大きい。一年のときから同じクラスの彼らは、噂についてすぐには聞いてこなかった。
 でも仲良くしていたうちのひとりに彼女ができて何気なく恋愛話になったとき、あえてその話題に真正面から触れてきてくれた。

『俺も彼女ほし〜』
『そういや静はさ、男と女どっちがいいの?』

 俺はそのとき一瞬迷って、でも嘘を言う気もなく結局素直に「男」と答えた。
 
『そうなん? お前に見合う男かぁ〜、そんな簡単には見つかんねぇわ』
『言えてる! 静の横並んでもお似合いな男ってなかなかいないよな!』
『え、そもそも静はイケメンが好みなわけ?』

 俺はその普通の会話に救われた。もしかしたら俺のいないところで話し合ってリアクションを考えてたかもしれないし、何も考えてなかったかもしれない。でも知らないふりを続けることだってできたはずの智樹達は、あの日俺のためにわざわざ言わせて、肯定してくれたんだろうと思う。
 高校生が話す普通の恋愛話として当たり前に受け入れてくれたあの空気が、俺はいつか誰かを好きになれるなと思わせてくれた気がする。

  
「智樹」
「んー?」
「ありがと」

 教室に向かって歩いてる途中だった。突然俺が過去を振り返ってお礼なんて言うから、何も知らない智樹は不思議そうに首を傾げる。
 
「何急に。俺なんかしたっけ? まぁわかんないけど感謝してくれるなら今度遊んだとき飯奢って」
「いや、……そこまでの感謝じゃないかも」
「ええ? ささやか系? しゃあないから静のパッチバッチでいいよ、俺コーラ」
「今コーラないかも」
「補充しといて」

 そのあと智樹は「静の鞄にいつも駄菓子入ってんの、ちょっとずつ浸透してるよなぁ」と言って笑った。
 俺の智樹達への感謝はささやかなんてもんじゃない。本当はそんなんじゃ足りないくらい、すごく感謝してた。
 いつか思っているまま感謝を伝えられたらいいなと思うけど今は言わないでいる。多分智樹達は、俺にこんなことで感謝されたくなさそうだから。

「なぁ静」
「ん?」
「もしまじでいい人いんなら、俺応援してるからな」
「……ん」

 おまけにこいつは今もこうやって、当たり前に背中を押してくれるし。
 俺が頷いたのを見て笑った智樹は、どうやら何か察したようだった。
 
「相手さぁ、イケメン?」
「……まぁ、かなり……?」

 もう誤魔化すのもなんだかくすぐったくて白状すると、智樹は嬉しそうに俺の背中をバシバシ叩いてきた。吹けもしないのに口笛みたいに「ヒューヒュー!」と言って茶化してくるので、言わなきゃよかったとちょっと思う。

「静にとうとう春がきた!」
「智樹は?」
「お前今それ言う……? 俺フラレてまだ一か月なんだけど……?」
「……そうだった」
「ちくしょ〜」

 その後暫く根掘り葉掘り聞き出そうとしてきた智樹は正直うざかったけど、こいつをフった女の子はもったいないことをした……ような気がする。

 お前はいいやつだから大丈夫だよと出かかったその言葉は、俺は照れくさくて結局言えなかった。