「お邪魔します」
「はいどうぞ」
「あ、これ母さんから。多分お店の人の分くらいは足りると思うから後で渡して?」
「……ありがとう、いただきます」
「うん」
このやりとりで俺がしたかった話の内容を理解したらしい恵秀は、嬉しそうに頷いてシュークリームの入った箱を受け取ってくれた。
今日は夏休み最終日だ。
恵秀も丸一日休みをもらったらしく、俺は恵秀の家に遊びに来させてもらっている。家族ときちんと話せたことを伝えたくて連絡したら、遊びに来てって言ってくれて。確かにこの話は駄菓子屋のベンチやファミレスではちょっとしにくいかもしれなくて、察してくれた恵秀には感謝しかない。
今は香季もおばあちゃんも出かけていて、家には恵秀だけだった。俺が近くの洋菓子店で買ってきたシュークリームは、「今日恵秀んち行ってくる」と言ったときに母さんから差し出されたお小遣いで買わせてもらった。そのくらい自分で出せるよと言ったけど、「これからいくらでも自分で出したいときがあるんだからとっておいたら? お母さんにもいい格好させてよ」と言われたので有難く受け取った。
恵秀の部屋に案内されると、ぽんぽんと恵秀の隣を示されてすぐ横に座る。前みたいな緊張はないけど、やっぱりまだ少し慣れなかった。
「予想ついてるのはわかってるんだけど、一応報告する」
「うん。聞きます」
「……家族に話したよ」
「うん」
そうして黙って相槌を打ってくれる恵秀に、この前家族とどんな話をしたのかを説明していった。いきなり姉さんに核心を突かれてしまって勢いのまま話したこと、母さんが感じていたこと、兄さんが諭してくれたことを順を追って話していくと、恵秀はふーっと大きく息を吐いて胸を撫で下ろした。
「静のお姉さんもお兄さんも、優しいし格好いいね」
「まぁ、うん」
「静が傷つくようなことはきっとないと思ってたけど、やっぱり緊張した。……頑張ったね静」
「そんなことない。勝手に臆病になって母さんに余計な不安を抱かせたのは間違いないからさ。今はふたり暮らしなんだし、もっと考えるべきだった」
「そういうふうに静が考え込まないようにお兄さんは諭してくれたんでしょ? そうやって自分を責めちゃ駄目だって」
「……そっか、そうだな」
恵秀は俺の頭をそっと撫でて「いい子だね」と呟いた。もう何度も言われた言葉なのに少しくすぐったい。俺にとってはやっぱり、家族に伝えるのはそんなに簡単な話ではなかったんだなと改めて思う。
姉さんの思い切りのよさのおかげでこうして夏の間に解決できたけど、俺だけだったらもっと時間がかかっただろうし、感謝しないと。
「それにしても、あの人静のお母さんだったんだね」
「俺もびっくりした。世間って狭いんだな」
「ほんとにね。スタッフ皆ですごい美人だっていつも話題になってたみたいだけど、まさか静のお母さんだとは……言われてみればちょっと静と似てたかも」
そして俺達の話題は母さんが恵秀を知っていたことのほうにシフトした。恵秀とお父さん達は、いつも店と店長の名前で予約した花束を取りに来るから、母さんの名前を知っているわけじゃなかったらしい。
でも、俺が「母さんがネイリストやっててさ」と話すと合点がいったのか、すぐに店の名前を口に出して当たっていた。
「お客様にはいつも丁寧に対応してるつもりだけど、静のお母さんがいい印象持ってくれてたならよかった」
「むしろちょっと興奮しすぎなくらいだったけど」
「嬉しいよ。じゃあ今日から帰りは送っていけるね。お母さん帰り何時くらい?」
「いや、そんなすぐじゃなくても……」
「今日遊びに行くって言ってあるのに? この先静のこと俺ばっかりが独占するようになるんだから、お母さんにはちゃんと挨拶しなきゃ。ね?」
当たり前みたいにすぐ挨拶をしようと思える恵秀がすごい。普通はちょっとためらったりするんじゃないのかと思ったけど、一切迷いのない恵秀の態度に、俺はそれ以上何も言えなかった。……今日の帰りは俺のほうが緊張するだろう。
夏があっという間に進んでいくと同時に、俺達や俺達の周りの時間も動いている。この今のもどかしくて名前もないはずの関係も、周りのおかげかすごく意味のある期間だと思えた。
「あ、そうだ。静のおうち、花瓶ある? お母さんお花好きかな」
「え、あ、うん」
「ちょっとだけ花瓶用に束作るね。おもたせのお返しに」
静が帰る前に店のほう行かなきゃ、と言いだした恵秀にそんなことしなくていいよと慌てる。ただでさえ早々に会わせるような話をしてしまったのに、と思ったが、第一印象は大事だからと言って恵秀は引き下がってくれそうになかった。
「そんなことしてどんどんハードル上げてくつもり?」
「大事な人の家族にはよく思われたいでしょ」
「……長く続くって確信してないとしないだろ」
ついそうやって意地悪な言い方をしたら、じっと俺の顔を見つめた恵秀が真剣な眼差しでこう言った。
「絶対放さないって言ったよね? あとね静。あんまりそういうこと言うと、秋以降はちゅーして塞いじゃうからそのつもりで」
その瞬間、真っ赤になった俺の顔を見てくすくす笑った恵秀は「はやく受験終わんないかなぁ」と言いながら俺の頭を引き寄せてそっと撫でた。
◇
「はじめまして、矢上静といいま」
「実物のほうが美人なの!?」
「父さんうるさいって……」
つい最近見たような反応の再来に思わず笑いそうになるのを俺はひとりで必死に堪えた。恵秀も言ってたけど、恵秀のお父さんとお母さんは似た者夫婦らしい。反応が同じだ。
「お母さんにはいつもご贔屓にして頂いてたみたいで、よろしく伝えてください。シュークリームもありがとう、皆大好物だよ」
「よかったです。こちらこそ恵秀さんにはいつもよくしてもらってます。母もお世話になって」
「いやいやこちらこそ。恵秀、この春から予想以上に頑張ってるからどうしたのかと思ったけど……。君のおかげだったんだね。優しいばっかりでちょっと刺激足りないかもしれないけども、うちの息子、いい子だから。どうぞ末長くよろしくお願いします」
「ちょっと父さん……」
どうやら恵秀はお父さんの血を濃く継いでるらしい。恵秀はまだ付き合えてないんだよってこそっと言いながらお父さんに軽い膝蹴りを食らわせている。
でも、どこまでも優しくてまっすぐな恵秀を育てたご両親の言葉は、俺にとっても大事な言葉だなとそう思った。
「これまで出会った誰より、素敵な人だと思ってます。……俺のほうこそあんまりいいところないですけど、長くそばにいてもらえるように頑張ります」
俺が今出てくる精一杯の言葉でそう言って会釈をすると、恵秀とお父さんが目の前で固まった。
え、俺変なこと口走った……?
「恵秀、お前ばあちゃんに赤飯頼んだら……?」
「……父さん」
「よかったなぁお前……俺お母さんに電話しよっかな……」
「父さんちょっとほんと黙って……」
耳がじんわり赤く染まった恵秀と、嬉しそうにエプロンのポケットからスマホを取り出すお父さんの様子を見て、どうやらいい意味の反応らしいと思って安心した。
確かに恥ずかしいことを言ってる自覚はあるけど、それくらいの気持ちはちゃんと持って挨拶しようとお店までついてきたんだし。
たまたまお客さんは誰もいなかったけど、話してるうちにバックヤードの扉からスタッフさんが顔を出してるのは見えている。俺がそっちに少し目をやって会釈すると、向こうも慌てて会釈を返してくれた。
「えっと、静くん」
「あ、呼び方なんてなんでも大丈夫なので」
「じゃあ静って呼んじゃおっかなぁ、もう息子もどうぜ……俺にこんな綺麗な息子が……?」
「静、そのオッサンもう放っといていいから……こっち来て、お母さん何色が好き?」
「え、あ、意外とかわいい色好きかな……」
俺は恵秀にぐいぐい押されて、カウンターから切花用の冷蔵ショーケースの前へ連れて行かれる。恵秀のお父さんは何やら物思いにふけっていて、バックヤードから出てきたスタッフさんに「店長しっかりして」とツッコミを入れられていた。
そのあと恵秀は選んだ花をカウンターに持っていき、お父さんに会計を頼んでいた。スタッフ割引プラス静割引してやる、と値引きをして「バイト代から引くぞ」と話している。俺がいろんな意味を込めてすみませんと言うと、お父さんは「ご挨拶の花くらいは自分で払わないと格好つかないからな」とウインクをした。
恵秀は俺が家にある花瓶の大体の形と大きさを話すと、それに見合ったボリュームの花をすいすいと選んでいた。右手に一本一本バランスを見ながら花を加えて持ち、あっという間にかわいい花束を仕上げていく恵秀はすごく格好いい。センスのない俺にはまるで魔法みたいだ。
「ラッピングまですると少し大袈裟かな……今日はクラフト紙で巻いておくね」
「うん。恵秀すごい」
「ほんと? よかった」
これから専門学校に行くというけれど、これ以上学ぶ必要があるのか、と思うくらいの手際のよさだった。横でちらりと恵秀の手元に視線をやったお父さんも、結局何も言わずに別の作業をしている。
「じゃあ父さん、静送ってくるから」
「おう。しっかりやれよ! 静、また来てな」
「はい。失礼します」
そうして恵秀と一緒に店を出ると、丁度お母さんが買い物から帰ったところに出会した。
「あら〜静くん!」
「こんにちは」
「帰るところ? 送っていく?」
「いいよ、歩くから」
「そう? 静くん、今度はお夕飯食べて帰ってね!」
「ありがとうございます、ぜひ」
お母さんに手を振って暫く歩くと、恵秀が「はぁ」と大きなため息をついた。
「ごめんねうちの親あんな感じで……馴れ馴れしすぎっていうかさ……」
「ううん、嬉しかった。あと、うちの母さんの反応もあんまり気にしないでほしい……。どういうテンションかちょっと読めないけど、絶対反対したりしないから、安心して」
「うん。そのうちお姉さんとお兄さんにも挨拶させてね」
「ん、ありがと」
恵秀の家からうちまではそんなに遠くない。ふたりで話しながらもくもくと歩を進めると、あっという間に家の前の通りに差し掛かった。いつもはここで恵秀と別れていたけど、今日は一緒に歩いていく。
「静の家って大きいから目立つね。矢上さんちって言ったら皆わかるタイプのおうちだ」
「母さんとふたりだと広すぎなんだよ。まぁ、いつか姉さんは帰るつもりだって言ってたけど」
「そっか。俺が静のこと連れてっちゃったら、お母さん寂しいかな」
「……そ、んなことも、ない、かも」
そうして家の前に辿り着いて、インターホンを鳴らすのもどうかと思い母さんにメッセージを送る。すると、バタバタと慌ただしい音がして母さんが玄関を開けた。
「おかえり静」
「ただいま母さん」
「はいはい、ふたりともとりあえず入って〜暑いから! お茶飲みましょっ」
「すみませんお邪魔します」
玄関先で帰るつもりだったろう恵秀が少し緊張した顔をしたのがわかった。ぽんぽんとその背を叩いて中に促す。来客用のスリッパがすでに揃えてあって、母さんがはじめから中に入れるつもりでいたのが丸わかりだった。
「麦茶でいい?」
「あ、はい。あの、すみません今日はシュークリームありがとございました、これよかったら」
「あらかわいい〜! 嬉しい、ありがとうね。えっと、恵秀くん、て呼んでいいかしら」
「もちろんです」
ぎこちない様子の恵秀が新鮮で、俺は少し笑いつつ恵秀を座らせる。母さんはすぐにお茶をいれてくれて、花瓶に花を生けると俺達の向かいに座った。
「母さん、恵秀ご飯の時間あるから」
「そうよねごめん、変に緊張しちゃってすぐ帰せなかったの!」
「大丈夫です、俺こそ妙なタイミングで挨拶に伺ってすみません……」
母さんは頭を下げる恵秀を見てくすくす笑った。さっき生けたばかりの花と俺とを眺めて、それから恵秀の顔を見つめる。
「静の好きな人が真面目な子で、お母さん安心だわ」
「余計なこと言わなくていいから……」
「大事なことです〜。……ねえ恵秀くん」
「はい」
「この子綺麗でしょう」
「それはもう」
「恵秀」
そんなことを言う母さんも母さんだけど、即答する恵秀も恵秀だ。俺が肘で恵秀を小突いても本人はめちゃくちゃ真面目な顔をしている。
「うちの大事な末っ子なの。誰かを好きになったりする気配これまでなかったけど、あなたと親しくなって毎日楽しそう。ありがとうね」
「そんな、こちらこそ」
「何か困ったことがあれば、私もこの子の父親も、それからお姉ちゃんやお兄ちゃん達も皆ふたりの味方だから。それだけ知っていてちょうだい」
「はい、ありがとございます」
母さんは終始優しい口調で話していて俺もほっとした。一緒に話を聞きながら、お互いの家族の理解を得られたことに安堵する気持ちがわいてくる。
同意や理解がなければ一緒にいられないわけじゃないけど、あるのとないのとじゃまったく話が変わってくる。この先そばにいるために、これは俺達には必要なことだった。
「ふふ、ごめんね。まだ正式に付き合ってるんじゃないって聞いてはいるんだけど、もう口約束していないだけでしょう?」
「俺の都合で待ってもらってるので……」
「あなた達が家族をちゃんと納得させて将来まで考える子達で本当に偉いと思うわ。だから反対する理由もない。あなた達の未来だから、一緒に乗り越えていって」
母さんはそのあと、「それにしてもやっぱりハンサムだわ」と言い出して、さっきまでの少し固い空気はあっという間に消え去った。
時間もあるからとなんとか母さんの話を遮ると、「恵秀くん、今度一緒にごはんに行こっか。お姉ちゃん達も呼ぼうね」と言っていたので、姉さん達と恵秀が会う日もきっと近いだろう。
