はじけてなくなる恋じゃない


 それから、夏休みは本当にあっという間にやってきてしまった。駄菓子屋の前でアイスを食べたり、ファミレスに行ったり、たまにはカフェに行ってもみたりしながら日常を過ごしているうちにすぐに終業式まで終わってしまった。智樹達とどこかで遊ぼうという話もしてあるし、姉さんに頼まれたバイトもある。きっと夏休み自体もあっという間に過ぎていくんだろう。

 恵秀は早ければ九月に合否が決まるみたいだ。書類を出して面接があって、筆記試験はないらしい。学校で『友達の話』として先生に少し聞いたら、高校生活を真面目に過ごしていた子なら大丈夫だと思うよと当然のことみたいに言われてしまった。

 恵秀は見た目で言えば地毛が明るくて顔がいい分少し派手に見えるかもしれないけど、頭もよくて生活態度もいいタイプなのは一緒にいてよくわかる。
 そのせいか、高校の先生達に大学に行っておいても損はないんじゃないかと長く説得をされていたというのもこの前聞いた。ただ恵秀は将来を明確に見据えていて、この先別の道を志すことはまずないだろう。
 花屋も選択肢のひとつ、という見方なら大学に進学しておくべきかもしれないけど、花屋になると決めている人間にどれだけ言い募っても仕方ない。経営的な側面から言っても、親子三代その道で安定した収入を得てきた家の子供なわけで。なんなら高校卒業後すぐに仕事を始めたっておかしくないところを、家族と話し合って資格や実績作り、そして見聞を広めるために進学を選んだのだから、口を挟める余地はそもそもない。

 説得しても恵秀がまったく揺らぐ様子はなく、両親も恵秀の道をただ応援している状況を見て教師達は特段言えることもなかったのか、結局この春には残念そうに引き下がったんだそうだ。恵秀ならいい大学に進めるという確信から選択肢を広げてほしかったようだが、『皆が夏期講習に行っている時間の分も花に触れようと思う』とあの優しい顔で言われたら、先生が何も言えないのも仕方ない。

 だから夏休みになったからと言って、俺と恵秀が会う時間が特別増えるということはなかった。お父さんと一緒に市場に行ったり、店に置く小さなブーケや鉢花のラッピングを担当したり、時間があれば大きなアレンジメントの練習をしたりと、恵秀は忙しくしているらしい。

 最近は作ったものやラッピングしたものの写真を送ってきてくれるようになった。俺は詳しいことはわからないよと言ったけど、恵秀は『静の好みが知りたい』って。
 ……そんなこと言われたらさ……。
 それで結局俺は、どれが好きだとか、前のよりバランスがいい気がするだとか、感覚的にわかるような感想を返すようになった。恵秀のためになってる気はまったくしないけど、ときどき電話がかかってきて『今日のは静の好みだと思ったんだよね』なんて言うからずるい。

 そんな時間を繰り返す中で、今日みたいに日差しが落ち着いた夕方に、いつものように駄菓子屋で待ち合わせることもある。


 
「ねえ静、写真撮っていい?」
「え?」
「そのままでいいから」
「うん……?」
 
 俺がパッチバッチを取るのにしゃがんでいると、恵秀にいきなりスマホを向けられた。なんで写真?と思いはしたが、これでもわりと撮られ慣れているほうにはなるのでそのままじっとする。
 すると何回かシャッター音がして、恵秀は満足そうに頷いた。

「うん、いい感じ」
「そんな写真どうすんの?」
「眺める用。待ち受けにする予定もあるけどね」
「ふーん……」
「写真嫌がられなくてよかった。お姉さんのおかげかな」
「あ、来週バイト行ってくるから」
「そうなんだ、楽しみにしてる」

 いつもはどうせ見るのは母さんと姉さんと兄さんだけ、というつもりで撮られているけど、恵秀や恵秀の家族が見るんだなと思うと完全にモブ役なのにちょっと緊張してしまう気がする。
 動画に映るときぎこちなくならないように気をつけないと。

 撮影した写真や動画が載るのは事務所関係の媒体と姉さんのSNSくらいだ。そのどれもに撮影協力として俺の名前が載っていて、そこには(透の実弟)と丁寧に付け加えられている。俺自身はSNSなんてやってないから、ちょっとした感想みたいなのは姉さんを通じて教えてもらうことがほとんどだ。

「俺もSNSやろうと思ってるんだ」
「え、恵秀が?」
「うん。静のお姉さんのアカウントフォローしてもいいかな」
「それは別に……」
「静の写真が見たくてお姉さんのことフォローするのって失礼かな……?」

 駄菓子をいくつか手に持った恵秀が、不意にそんなことを言って悩み出すので俺は少し笑った。
 
「そんなこと誰も気にしないと思うけど。でもフォローしなくたって見れるだろ?」
「だって遡って静の写真とか見たいし、フォローさせてもらったほうが早いでしょ」
「じゃあ姉さんと、あと兄さんのもフォローしてやってよ。フォロワー数は大事だしさ」

 恵秀は俺の話にすぐに頷いて、このあと時間があるというので近くのファミレスで姉さん達のアカウントを教えることにした。
 それから俺達は選んだ駄菓子をかごに入れてレジに向かう。
 
 夏休みになって私服で会うようになると、制服とはまた少し印象が違って新鮮だ。恵秀は会うたびに格好いいね、かわいいね、と俺の頭を撫でる。……普通に照れてしまうのでもう少し控えてほしい。
 恵秀はさすがセンスがよくて、いつもシンプルな服装なのにすごく格好いい。こんな花屋の店員はずるいだろ、と思ったら声に出てたみたいで、嬉しそうに笑った恵秀にお礼を言われてしまった。

「ふたりとも制服着てないとますますお兄さんに見えるわねぇ」
「そう?」
「うちの店に似合わなくておかしくて、ふふ、いつもありがとうね」
「そんなこと言ったら百合さんが一番駄菓子屋似合わないと思う。この前初めて来た小さい子連れのお母さん、百合さん見てびっくりしてたよ」
「あら残念ね、駄菓子屋の似合うおばあちゃんになるのが私の子供の頃からの夢なのに」
 
 会計をしているときに百合さんとそんな話をして笑い合う。百合さんはすっかり俺達がふたりでいるのを見慣れたみたいで、最近ではひとりでいると「今日は恵ちゃんは?」と聞いてくる。恵秀もひとりだと「静ちゃんは?」って聞かれるみたいで、この前香季と来たときもそう言われたらしい。そうしたら香季が「いつも静と来てるの!? ずるい!」とごねたって聞いた。ちょっと、いや、かなり嬉しい。
 
 そのあと百合さんに手を振って店を出ると、ほんの少しだけ和らいだとは言えまだきつい日差しに目を細めることになった。俺は夏はあんまり好きじゃない。暑すぎる。

「静」
「わ、」
「帽子ちゃんとかぶって」

 そういえば駄菓子屋について一度脱いだキャップを、恵秀が持ってくれてたんだった。ぐいっと被せられて恵秀を見ると、そのままぽんぽんと頭を撫でられる。

「今度から日傘持って歩こっか」
「確かに……体感温度変わるって言うしなぁ」
「ね」

 最近は男の人も日傘をさすようになってきて、メンズ用とかユニセックスなデザインも増えてきたから選び代も多いだろう。そもそもこの殺人級の気温じゃ見た目なんか気にしてる場合でもないし。
 それに日傘なら使いやすいものを探して恵秀にもプレゼントできそうだ。実は春生まれだったことを最近知って、俺は誕生日を祝い損ねたことを根に持ってる。
 
「じゃあバイト代入ったら二本買うから、恵秀もらって」
「え! 俺も払うよ」
「今日のファミレス奢ってもらうから」
「お腹いっぱい食べても金額釣り合わないでしょ……」
「別にこの先いくらでも釣り合うようにできるじゃん。日傘は壊れるまで使えるし」

 誕生日プレゼントだと言ったら冬生まれの俺の誕生日を祝ってないことを持ち出されると思って口にしなかった。二月生まれの俺と四月生まれの恵秀は、五月に初めて会話した時点で今年の誕生日をすでに終えていた。

「そんなめちゃくちゃ高いやつなんか買えないんだし、こういうのは黙って受け取るほうが格好いいと思う」
「その言い方ずるいよ静」
「はいはい、いいから行こ。暑くて俺達が溶ける」
「……ありがとう」
「ん」

 恵秀の腕を掴んで歩き出すと、「静には敵わないなぁ」と小さく呟く声が聞こえた。俺だって恵秀に対して同じことを思ってるけど言わないでおく。
 
そのまま暫く掴んだままだった腕は歩いているうちにそっと放そうとしたけど、放した瞬間に恵秀に指先を掴まれた。

「恵秀……手繋がないよ」
「だめ?」
「だから、その……暑いだろ」
「暑がりだよね静」

 名残惜しむような触れられ方に、恵秀がちゃっかり手を繋いでこようとしているのはなんとなくわかった。気恥ずかしいのはもちろん、繋いだ手に汗をかくのも嫌でやんわり解くと、恵秀は特に気にしてない様子で俺の隣を歩き始める。

「じゃあ冬になったら繋いでもらおっかな」
「……そういう問題?」
「そういう問題でしょ? 静、嫌って言わなかったし」
「そう、だけど……」

 言い淀む俺に対して恵秀はこっちの感情なんてお見通しなのか、くすくすと楽しげに笑っている。
 冬にはきっと俺達の関係は進展しているはずだ。少しばかりの羞恥と手汗が気になって今は繋げなかった手も繋げる……かもしれない。実際手を繋いで歩くってかなりハードルが高いし、恵秀みたいに堂々とできる気はしないけど……。

「俺、静としたいことがたくさんあるんだよね」

 すると、恵秀は俺の少し前へ進み出てくるりと振り返りながらそんなことを言い始めた。

「したいこと?」
「うん。まずは遠慮なく静に触ろうと思う」

 下心とかそういうのが感じられない恵秀の口調に俺は口元が緩んだ。
 それ、満面の笑みで言うことじゃないだろ。

 部屋に行ったときは一般的な高校生男子の思考を持ち合わせてる、なんて言ってたくせに、目の前のこの人はどうしたっていつも爽やかで優しい。

「……恵秀と手繋いで歩いたら目立つだろうな」
「目立つだろうねぇ。まぁ静はいつも目立ってるし、手繋いでるかどうかはそんなに重要じゃない気もするけど」
「帽子深めに被ってると、俺はわりと視線は気にならない」
「だから目元見えづらいくらい俯いてるの? そのほうが快適なのはわかるけど……危ないから気をつけてね」

 恵秀はさっき俺に被せたキャップのつばを少し持ち上げて心配そうに言った。俺が小さく頷くと、「でも顔があんまり見えなくても雰囲気で綺麗なことが滲み出てる」と至極真面目な顔で言い放ってくる。

「ほんとにびっくりするほど俺好みの造形。生まれてきてくれてありがとう」
「ふ、それ、顔だけが好みみたいに聞こえるけど?」
「これで中身までいい子だから心配なんだよ……女王様みたいな性格に育ってればもう少し安心できたかも」

 これまで何度か、優しいところが好き、という告白をされたことがあるけど、性別とかを抜きにしても正直まったく響かなかった。俺がこの見た目じゃなくても同じように言われたとは到底思えなかったから。
 別に俺は、俺の内面を好きになってくれて、どんな見た目だったとしても俺を好きになった、と言ってくれるような相手と出会いたいわけじゃない。
 大好きな家族と似ているこの容姿も含めて俺だ。俺自身は自分より家族や恵秀の容姿を好ましいと思うけど、皆が褒めてくれるこの見た目を否定する気もない。
 それに俺も恵秀の見た目が好きだし。全然違う顔や声の恵秀を何年も目で追いかけたかと言われたら、答えはノーだ。

「実は女王様みたいな性格かもしれないだろ?」
「俺の知らないところで?」
「うん。我儘ばっかりで、全部恵秀に押し付けるかも」
「そんな静も悪くない気がする」
「ばか」

 真面目な顔の恵秀を小突くと、「ほんとなのに」と言いながら笑い始める。
 ……こんな話を続けてたら、いつまで経ってもファミレスには着きそうになかった。

「……早く行こ、恵秀が俺に甘いのはもうわかった」
「大事な子は甘やかす主義だったみたい。自分のことなのに初めて知った」
「……恵秀うるさい、お口チャック」
「え、何そのかわいい言い方、待って静顔見せて、今絶対かわいい顔してるでしょ」
 
 俺は全力で顔を背けながら、振り返ろうとする恵秀の背中を押して歩きはじめた。
 いい加減、ほんとに暑い。