祠をこわしたぼくらが失った夏には

「あの岩だ」

 しばらく歩いたあとで、立花が小さく叫んだ。

 肩越しに見えた景色に見覚えがあった。

 霧は薄れ、淡い光が葉っぱの間から差し込んでくる。

 あたりがほの明るくなっても、不安はなくならなかった。

 ずっと胸騒ぎを感じているし、少しも落ちつかない。

 それでも、俺たちは岩へ近づいた。

「どこかにベーゴマが落ちてないかな」

 立花が言う。

「もう一回、同じことをすれば……」

「……探すの、大変そう」

 答えながら、俺は地面に目をこらした。

 水溜まりはまだ残っている。
 中心から水が湧き出て、四方八方へ流れができていた。

「あ!」

 立花が叫び、俺の手を引いた。

「いた、いた!」

「え、どこ?」

 強く引っ張られ、足がもつれる。

 でも、転ぶことはなかった。

 地面を踏んで、前へ進む。
 立花の身体越しに、藪が見えた。

「あっ!」

 俺も思わず叫んだ。

 藪から手が突き出ている。
 そして、顔も見えた。

 陽斗だ。
 陽斗が、肩から先を突き出すようにして倒れている。

 走り寄り、飛び出ている左腕を掴んだ。

 ずるずるっと引き出すことができたが、陽斗はまた全身びっしょり濡れていた。

「陽斗! 陽斗!」

 目を閉じている顔には、落ち葉がたくさんくっついている。
 それを手のひらで拭いながら、俺はもう泣いていた。

 顔が冷たい。
 呼吸も感じられない。

 死んだのかもしれなかった。

「……どいてろ」

 立花に押しのけられ、俺の身体から力が抜ける。

 仰向けに転がした陽斗の首筋に手を当て、鼻先へ顔を近づけた。

「息はしてる……」

 そういうなり、胸ぐらを掴んだ。
 持ち上げて揺さぶろうとしたのだろうが、陽斗の首は力が抜けて、だらんと後ろへ傾く。

 そのまま揺さぶれば首がもげそうだと立花も気づいたらしく、陽斗を地面へ戻した。

 今度は馬乗りになる。
 次の瞬間には、その頬を力任せに叩いた。

 眠りそうになった俺にしたのと変わらない、本気の平手打ちだ。

 激しい音が鳴る。

 二度、三度と繰り返し、立花は荒い息をつきながら陽斗を見下ろした。

 ふぅ、ふぅ、と、息を吐き出す声が聞こえてくる。

「陽斗! 寝るな! しっかりしろ!」

 立花が声をかけながら離れる。
 陽斗は身をよじり、咳き込んで泣きながら俺たちの方を見た。

「ひでぇ……。何発、殴ったんだよ……。立花のバカぁ……」

「感謝しろよ」

 地面に両手をつき、立花は肩で息をする。

 陽斗に這い寄った俺は、すぐに頬へ手を伸ばした。

 さっきとは違い、血の通った温かさがある。

「……戻ったぁ」

 安堵してうずくまると、下から陽斗が覗き込んできた。

「これ、何回目? 向こうにもいたよな」

「……あんまり考えるな。考えたら、バカになるよ」

 立花が笑いながら肩を叩き、ケガの有無を確認する。

「ケガはないけど、身体中が痛い。インフルのときみたい……」

 よろよろと起き上がる陽斗を横目に、俺は立花へ視線を向けた。

「次は、ケイだ」

 立花はうなずいてくれたが、陽斗は小さく首を振った。

「無理。しんどい……。歩けねぇよ」

「少し、休もうか」

「……おまえら、寝そうだから、ダメ」

 立花に断言され、俺と陽斗は顔を見合わせた。

「……寝たらダメなのか? ちょっとぐらい、寝てもいいと思うんだけど」

 陽斗が小声でぼやく。
 俺はさりげなくなだめた。

「怪談でも、よくないところでは眠たくなるって話あるからさ」

「あー、それはある。山の話なんだけどさ」

「……歩きながら、聞く」

 また始まった繰り返しの怪談に、今度は俺と立花が顔を見合わせる。

 目配せをして、うなずき、陽斗を両側から抱き支えた。

 服も身体もびっしょりと濡れていて、俺のシャツにも沁みてくる。
 それでも、気にしている場合じゃなかった。

「蒼真。どっち行く」

 立花に確認されて、俺が決める。

「こっち。そこをあがって行こう」

「もう、坂は嫌だ~~」

 陽斗の泣き言は聞かないふりだ。

 俺と立花はかまわずに歩いた。
 陽斗の腕を肩に回し、引きずるようにして進む。

 陽斗を取り戻したことでテンションがあがり、俺と立花の足取りはしっかりしていた。

「がんばれ、陽斗」

 俺が声をかけると、陽斗はグズグズと弱気な声でぼやいた。

「……もう、ダメだ。マジで疲れた。……なぁ、朝倉ぁ。立花ぁ。休もうよ、休ませてくれよぉ……」

 泣き言を繰り返す陽斗の声が森の中にこだまする。

 霧は薄れていたが、朝の清々しさはなかった。

 空気は淀み、ちょっとした物音にも警戒してしまう。

 誰かに見られているような気が、ずっとしていた。
 観察され、監視されている。

「陽斗、がんばれ」

「蒼真の言うとおりだ。止まるな、陽斗」

 足を止めれば、襲いかかってくるなにが潜んでいそうだ。
 気をゆるめたら、また陽斗を取られるかもしれない。

 頭が痛くなりそうな緊張感の中で、俺は歩いた。
 立花も歩く。

 ふたりで支えている陽斗を励まし、焚き火の跡にたどり着くことを祈る。

 思うよりも時間がかかり、次第に口数が減った。

 空気がざわついているみたいに思えて、後ろを振り向きたくなった。

「蒼真、前だけ向いてろ!」

 陽斗の向こうから緊張した立花の声が掛かる。

 俺は無言でうなずき、くちびるを引き結ぶ。

 立花のことを信じた。
 立花の言うことだから、信じる。

 薄闇をくぐり、代わり映えのしない山道を進む。

 陽斗を支えて登るのが困難な段差が出てきて、俺と立花が先に登って陽斗を引っ張り上げる。
 信じられないほど陽斗は重たかった。

 まるで、身体に重りがついているみたいだ。

 何人分か、わからない。
 そう考えた瞬間、ぞくっとする。

 思わず、手を離しそうになった。

「よぉし!」

 立花が叫び、俺が手を離す前に、陽斗が引き上がった。

 三人でその場に転がる。

「あ、焚き火だ……」

 陽斗が言った。
 むくりと起き上がる。

 視線の先に、焚き火の跡があった。

 そこだけ黒くなっていて、中心部分に消し炭のような物体がある。
 近くの木には、立花が付けた傷も確認できた。

「ベーゴマを探した方がいいのかな」

 俺が言うと、立花はあたりを見回した。

「水が湧いてたってことは、ここも完全に火が消えたわけじゃないと思う。枝を探そう。火種が中に残ってるかも」

 そう言われて、それぞれに小枝を探した。

「遠くに行くなよ!」

 立花の声がかかり、俺はとっさに陽斗のベルトを掴んだ。

「なに?」

「おまえが一番、やばい」

「そんなことない。おまえだよ……」

 そう言われても、離せなかった。
 陽斗も、離せとは言わない。

 小枝を数本見つけて戻ると、立花も戻ってきた。

「木を組んだり、する? 飯ごう炊さんしたとき、どうしたっけ」

 焚き火跡のそばに座り込んだ陽斗が言う。

 去年の初夏に行われた学校行事だ。
 ディキャンプをして、飯ごうで白飯を炊いた。

「そもそも、火をつけるものがないからな」

 答えた立花が手頃な枝で黒い固まりをつついた。
 先端がずぶずぶと沈み込んでいく。

 視線は向けず、立花はからかうような声で言った。

「陽斗。おまえ、ライターとか持ってないの」

「持ってるわけないだろ。タバコ、吸ってねぇし」

 ずっと不安そうだった陽斗が眉を跳ね上げて笑う。

 立花も笑い、黒い固まりを枝の先で掘り起こすように混ぜる。

「……火種が残ってるかも。乾いてそうな、小さい枝とかある?」

 うずくまった立花は、掘った穴を手で仰いだり、細く息を吹きかけたりした。

 その間に、俺が枝を選ぶ。

 火がつく確信はなかったが、爪楊枝よりも細い枝を集めて渡す。

 立花は注意深く枝を差し込んだ。

「……あ」

 横から覗いていた俺の目にも、小さな火が見えた。

 ちりちりと燃える音も聞こえてくる。

「立花!」

 うれしくて叫ぶ。
 パッと振り向くと、そこに立花の顔があった。

 火のことなんて少しも気にしないで、俺を見ている。

 数秒間、確かに見つめ合って、俺はあわてて立ち上がった。

 心臓がドキドキと激しく音を立て、苦しくなってくる。

「け、けい……。ケイを……」

 足をもつれさせながら、あたりの藪を見渡した。

 疲れ果てて座り込んだ陽斗も首を伸ばす。

 焦げた匂いがあたりに漂う。
 藪がバリバリバリっと音を立て、大きな物体が転がり出てくる。

「あっつい、あつい! 火が! 火が!」

 叫びながら転がっているのはケイだ。
 元から焦げていたシャツやズボンのあちらこちらに火がついている。

 俺と立花は動けずに息を呑んだ。

 転がり回っているから、助けるために手を貸すこともできない。

 火が消えていくのを見守るだけだ。

「あっつ! また焦げたんだけど!」

 涙目のケイが叫ぶ。
 片手で髪をかき回すと、焦げた毛先がパラパラと散った。

「だいじょうぶか?」

 立花が近づき、立ち上がろうとするケイに手を貸した。

「ちょうどいいよ。陽斗がびしょ濡れだから、膝にでも入ってろ」

「え?」

「えぇ……」

 陽斗は目を丸くして驚き、ケイは心底から嫌そうに顔を歪めた。

 それでも、連れて行かれるままに従い、陽斗の膝の間へ収まった。
 バッグハグの格好だ。

「……あったけぇ」

 陽斗が生き返ったような声を出す。
 ケイは悔しそうに言った。

「ひんやりして、気持ちいいのが、むかつく……っ」

「おまえ、本当に、燃えてんじゃん。毛先がチリチリなんだけど」

「言わなくていいから! デリカシーがねぇな、陽斗!」

 プンプン怒っていても、声からは合流できた喜びが感じられる。

 でも、顔は笑っていなかった。
 相変わらず、表情筋がこわばっていて、声色と表情が一致しない。

 不安を覚えるようなズレだったが、俺は見て見ぬ振りをした。

「あとは、篠宮だな」

 立花に言われて、うなずく。

「ここじゃない第三の地点があると思うんだけど……」

「水溜まりと焚き火を行ったり来たりしてるからな。適当な中間地点でやってみるか」

 立花が、引き上げた肩をすとんと落として言う。
 俺は不機嫌に眉をひそめた。

「また、そんないい加減な……。今度こそ、ちゃんとルール通りにしてくれよ」

「……そのルールがはっきりしないだろ」

「でも、あるんだよ。ルールが」

「なぁ、朝倉。ちょっといい?」

 俺に声をかけてきたのはケイだ。

 陽斗の足の間から這い出てきて、肩を支えの代わりにして立ち上がる。
 歩き出すとよろめいたが、転ぶほどではなかった。

 陽斗のことを立花に頼み、俺を手招きする。

「……座っていい? すごく疲れてるから」

 そう言って、ふたりから離れた場所へ座り込んだ。

 俺も同じように座り、片膝を引き寄せた。

 疲れ果てた表情のケイが口を開く。

「あのさ。俺たちを助けにきたのって、立花に誘われたから?」

 うっすらとした笑みを浮かべて俺を見る。

「いや、俺が行くって言って、あいつは止めたけど……。おまえが行くならって、そんな感じ」

「へー、そうなんだ」

 感情のない声で言われ、俺は眉をひそめた。

 感情表現が、どうにもチグハグで心配になる。

「朝倉発だったんだ……。俺はてっきり、あいつが……。立花が作り出した、無限ループなんじゃないかって、疑ってたんだけど……」

「あぁ。それは俺も考えた。あいつは、こっち側の存在なのかなって」

「さすがに、そこまで疑わないけど……。おまえ、信じてないの。あいつのこと」

 ケイの声は少し笑っているように聞こえる。
 でも、表情は真剣だ。

 俺は答えられずにまばたきだけを繰り返す。

 ケイが小さく息を吐いた。
 俺に向かって言う。

「おまえは、あいつがいい加減なことばっかりするから、わけわかんないヤツに騙されてるかもって、思ったんだろ? 俺はさ、ここがあいつの願望の極みかと思ったんだよな。……ここで、永遠に俺たちを探してれば、あいつは……おまえと離れずに済むもんな」

 くだらないことを言うなと、言い返すことができない。

 俺は言葉に詰まり、視線を宙にさまよわせた。

 そして、気づく。
 ケイは、立花の気持ちを知っている。

「おまえだけだよ、朝倉。気づいてないの……。鈍感だよな」

「なに、言って……」

「だって、おまえのことを蒼真って呼ぶの、立花だけだ。それって、昔からじゃないだろ。小学校の低学年ぐらいまでは、みんな、下の名前で呼び合ってた。篠宮も、立花も、あの頃は『まこと』に『こうせい』だった。呼ばなくなったのは、おまえのことを『そうま』って呼んだら、立花がめちゃくちゃ嫌そうな顔をするようになったからだ。……篠宮は最後まで『知るか』って言ってたけど……。立花の粘り勝ちだった」

「覚えてない」

「だと思うよ。どうでもいいことだもん。いまになればさ、俺と陽斗だけだ。下の名前で呼ばれてんの。それでも、俺たちの仲は変わってないし、まぁ、いいかって思ってた。けど、な……」

「なに?」

「おまえさ、あいつが、どうしてそんなことにこだわると思う?」

「……俺が、あいつの特別だから? 特別中の特別な、親友……?」

 言いながら、俺は立花の言葉を思い出した。

 友達なんかじゃなと言われたことだ。

「親友か」

 ケイが小さく笑う。

 俺は戸惑いを隠しながら、くちびるを尖らせた。

「嫌味なこと、するなよ。言いたいことがあるならさ、はっきり言えばいいじゃん」

「さっき、おまえらを見て思ったんだよな。……雰囲気、違うなって」

「はぁ?」

「やっと気づいたんだろ? それって、あいつに言われたから?」

「なにも言われてないよ。……おまえ、知ってたんだろ? 陽斗も? 篠宮も?」

 俺の質問に、ケイはゆっくりとうなずいた。

「気づかないわけないんだよ」

「なんでだよ、無理だろ。あいつ、男だし、友達だし。考えたこともない」

「そりゃそうだ。……あいつは男だし、俺たちはみんな、幼なじみだし。……でも、あいつはおまえを特別だと思ってる。それが、どういう意味かは、俺たちもよくわからない。恋愛なのかもって噂したこともあるけど、それならもうちょっと欲が出てもいいような気がするし」

「じゃあ、なに」

「俺に聞くなよ。……あのな、おまえは俺たちみんな、平等に友達だって言うけど。その口で、だれのことも特別じゃないって言うんだよ。それってさ、トモダチなんてひとりもいないってことなるんだよな」

 ケイの言い分に、俺は眉をひそめた。
 わかるようでわからない。

 言いがかりだとさえ思う。

「なんで、そうなるんだよ」

「だって、おまえの平等は、自分の中の特別を消すためなんだもん。なぁ、鈍感くん」

 肩にポンと手を乗せられる。
 俺は目の前のケイを凝視した。

「からかうな」

「からかってない。ただ、こういう状況になって……。なんか、立花に同情してる」

「なんで、あいつの肩を持つんだよ。俺だって、苦労して、おまえらを探して……。あいつなんか、ルールを破ってるだけだ。いい加減なんだぞ!」

「俺、あっち行ったり、こっち行ったりしてる間に、なんとなくだけど、悟りを開いちゃった気がしてるんだよな」

「うっせぇよ。気がおかしくなってるだけだ」

「なに、その言い方。おまえこそ、うっせぇんだよ」

 笑いながら、俺に突っかかってくる。

 俺たちは、うっせぇ、うっせぇの応酬をひとしきり繰り返した。
 肩を小突き合い、悪態をつく。

 しばらくすると、立花から制止の声がかかった。

「おい、揉めるなよ!」

「はいはーい」

 肩をすくめたケイが、声をひそめる。

「……気づいたならさ。朝倉。ちゃんと答えてやるべきだよ。イヤならイヤで、ちゃんと。じゃないと、あいつ……。卒業してからがつらいよ」

 まくし立てるように言い切ったところへ、立花が合流する。

「ケンカしてんの?」

「ちがーう。ちょっとふざけてただけ」

 ケイは明るく答えた。
 俺たちのそばにしゃがんだ立花の肩へ拳をぶつけて、俺をチラリと見る。

「こいつ、マジでおまえのモンペじゃん?」

 からかわれても、反応が返せない。
 怒るのも、あきれるのも違う気がして、俺はくちびるを引き結んだ。

 代わりに、ケイからの言葉が胸に刺さる。

『おまえの平等は、自分の中の特別を消すため』

 もしも、ここへ迷い込む前に言われていたら、気づけなかった。

 否定して、打ち消して、違うと言い張ったはずだ。

 でも、いまはもう、そう言えない。

 五人でいるのが、本当に好きだった。

 楽しかったし、心地よかったし、高校を出て、進路がバラバラになっても、集まったときにはまったく同じ空気感でいられると思った。

 だから、五人横並びで、特別なんていないと自分に言い聞かせた。

 もしも、一番を作ったら、五人でいられない気がした。

「蒼真。平気か」

 立花に顔を覗き込まれ、いつものようにふるまえない。
 なにげない言葉のそこかしこにちりばめられた、特別な優しさに気づいてしまう。

 それを当然のように受け止めてきたことにも気づく。

 恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。

「ケイ、なにを言ったんだよ。おまえ、ちょっと来い」

「いやだ、いやだ。立花がこわい」

 けらけらっと笑ったケイは、やっぱり顔だけをこわばらせて逃げる。
 力なく座り込んでいる陽斗のそばへ戻った。

 俺は立花と向き合い、背が高い相手を見上げた。

「……今度こそ、俺の言う通りにしてくれ。ルールを、守って」

 ふたりの間に、微妙な空気が流れる。
 立花はやっぱり従いたくないのだ。

 俺は納得するふりで手を差し出す。

「わかった。それなら、俺がやる」

 立花が持っている最後のアイテムを渡すように要求する。

「正しく使えば、全員助かる」

 俺は初めから、そう思っていた。

 山へ足を踏み入れ、あの祠へ続く階段をのぼった時から。

 それが、どうしてなのかはわからない。

 きっと、理由はあるのだろう。

 あの夜、俺たちは肝試しなんてするべきじゃなかった。

「それさ。俺が、いらなくなるじゃん」

 立花はさりげなく身体の向きを変えた。
 陽斗やケイから、俺を見えなくする。

 ほんの少し身を屈め、困ったときの表情で俺の目を覗き込んだ。

「ひとりでやること、ないんだって。……甘えろ、俺に」

 声は真剣そのものだ。

 でも、優しく聞こえる。

 俺だけ特別。
 俺にだけ特別。

 立花の好意は、まっすぐだ。

 見つめてくる視線に熱っぽさを感じ、俺はぎこちなく視線を揺らした。

 嫌悪感はない。
 イヤだとか、気持ち悪いとか、そんなことは、思わない。

 視線に晒されているのが恥ずかしくて、身体中が火照ってくる。

 身体の脇で拳を握りしめ、くちびるを尖らせた。

「本当に、正しく使えばいいと思ってるのか」

 立花が、諭すように言ってくる。

「このベーゴマ。別に、意味はないと思う。あの駄菓子屋で、なにをもらったってよかったんだ。必要なのは、おまえが山に入ることだけだろ」

「……どういうこと」

「あいつらだって、俺だって……おまけみたいなもんだ。たぶん、そうだ。この山は、おまえを欲しがってる。だから、俺は絶対に、おまえにコレを使わせない」

「……っ、おまえっ……」

 ぐっと込み上げてきたのは、怒りを通り越した呆れだ。

 正直に、バカじゃないかと思う。

「心霊現象にまで、嫉妬すんなよ! 信じらんない! あきれる! あきれた!」

 わめきながらあとずさる。

「あきれたっていいよ!」

 立花が叫ぶ。
 伸ばした手は、確実に俺の手首を掴んだ。

「……振り向くな」

 真剣な声で言われ、暗闇へ向かっていた俺はごくりと息を呑んだ。

 背後に、なにかの気配がある。

 動物じゃない。
 もっと体温がなくて、生きている感じのしないものだ。

 たぶん、姿もない。
 息もしてない。

 でも、確かに、俺の背後に迫っている。

「立花……、いまさらだけど。おまえ、霊感……」

 あるの、とまで聞けなかった。

 立花の両手が、俺の両頬を挟む。
 パチンと小さな音がして、少し痛かった。

 でも、背後に迫ってくる、得体の知れない存在を意識するよりはよっぽどいい。

「蒼真」

 俺を呼ぶ立花の声が、耳に水が入ったときみたいに、ぼわぼわと揺らぐ。

 なにが起こっているのか、わからない。

 足元から絡まりついてくるような恐怖だけがリアルだ。
 指先が冷たくなって、胃がぎゅうっと締めつけられる。

 こわい、こわい、こわい……。

 頭の中が、ひとつの考えに占領されて、冷静じゃないことすら気づかない。

 叫び出す寸前だった。

 立花を押しのけて、走り出したい。

 ここにいたら、俺は……。
 死ぬ。

「蒼真!」

 目の前で叫んでいる立花の声がいっそう遠い。

 薄皮一枚を隔てて、ぞわぞわとしたものが俺に絡みつこうとしている。

 持って行かれる。
 身体が、心が、なにもかもが。

「蒼真!」

 俺の頬を包んだ立花が必死に声を張り上げる。

「おまえの願いは、俺が全部叶える! あいつらを取り戻すことも! ここから逃げることも! そういうことになってるんだから! 俺を、信じてくれ!」

 立花の声が、スローモーションで再生するみたいに間延びした。
 低い音になり、訴えかけられていることの半分も聞き取れない。

「蒼真!」

 もう一度、呼ばれる。

 同時に、頬をひっぱたかれた。

 バチッと音がして、俺は震え上がった。
 引き戻される感覚がしたからだ。

 そこにいる立花が見える。

 目の周りを真っ赤にして、涙を浮かべている。

 こいつだって、こわいはずだ。

 霊感があるなら、なおさら、俺の後ろにいるものにも気づいている。

「……陽斗! ケイ! 逃げるぞ! 立って、走れ! まっすぐだ!」

 叫びきった立花は、俺の手を掴んで身をよじる。
 機敏に背負い、動き出す。

 そのときには、あたりに風が巻いていた。

 びゅびゅうと音が鳴る。


 そう、ま、そう、ま───

 声は、篠宮のものだ。
 でも、絶対に本人じゃない。

 風のように吹きつけてくる声は数え切れなかった。

 何十人もの篠宮が、風のような早さで俺たちのまわりを吹き抜けていく。

 俺を背負った立花は走れない。
 それでも前へ進む。

 その先には、陽斗とケイがいた。

 力尽きた陽斗を支えたケイはよろめき、目の前に現れた藪へ突っ込んでいく。

「ケイ! そっちじゃない!」

 立花の声はふたりに届かない。

 バキバキと枝の折れる音をさせながら、陽斗を連れたケイが藪へ入って行く。

「ケイ! 陽斗!」

 立花の肩越しに声を張り上げた俺は、もがくようにして、地面へおりた。

 走り寄ろうとしたが、立花に止められる。

「なんでだよ!」

 俺は必死になって振り向く。

 視界が涙でかすんで、立花の顔もわからない。

「行かなきゃ……。助けなきゃ……。あいつらは、石を投げたから」

「石を投げたからじゃねぇよ! あんなの、なんの数に入るんだよ!」

「行く。行かなきゃ。……立花、いいよ……もう、いいよ」

 最後の方は、俺の声じゃなかった。

 喉が潰れたようなかすれ声だ。

 さすがの立花も怯んだが、俺の腕を離すことはなかった。

「……俺は、自分の選んだことを、絶対に悔やまない」

 立花が言う。

「この世の中で、俺だけが、正しいんだ」

 自分に言い聞かせるような立花の声がうわずる。

 俺には俺の瀬戸際があり、立花には立花の極限状態がある。

 その端境で、立花が俺を引き寄せた。

「……好きだよ。覚えてろ。……なにが、あっても」

 くちびるが当たって、押し付けられ、離れていく。

 それは、キスだ。

 わかっていたけど、認識できなかった。

 ただくちびる同士が当たって、立花が一生懸命、なにかを言っている。

「いま、の……なに?」

 俺は困惑した。
 記憶をたどろうとしても、まともに考えられない。

 それに苛立ちながらも、足は藪へ入って行く。

 立花が俺のために、細い枝を腕で払った。

 それでも、互いの腕には小さな切り傷が無数にできる。
 痛みはあったが、声をあげる余裕もない。

「ぎゃぁーッ!」

 びくっとするほど悲痛な叫び声はケイだ。

 藪を抜けた先は、狭い空間になっていて、岩もなければ水溜まりもない。
 そして、焚き火跡もなかった。

 でも、第三の場所へたどりついたと喜ぶこともできない。

 先を行こうとした俺の身体に、立花が抱きついてくる。
 引き戻され、足元がざらっと崩れていく。

「た、助けっ……ッ! 立花ぁ! 朝倉ぁ!」

 地面はすり鉢状に崩れ、ケイは、その中心にいた。
 身体はもう、半分近く埋まっている。

 陽斗はすでに呑み込まれてしまったのだろう。

 姿もなければ、声さえ聞こえない。

「なんか……っ、なんか、いる……っ! 気持ち悪い!」

 ケイが泣き叫び、砂をのぼろうともがく。

「……なんだっけ、これ」

 俺が震える声で尋ねると、立花が困惑した声で答える。

「蟻地獄だろ……。えぐい」

「……陽斗は、食われたってこと?」

「考えなくていい。……なんでもありなんだよ」

「えぇっ、アリだけに?」

 パニックになって口走ると、俺をバックハグしている立花が耳元で笑う。

「なに、それ。おまえもえぐいな」

 好きだなんだと言っても、こういうときは全然、甘やかしてくれない。
 男子グループの流儀だ。

「これが、最後だ」

 立花が耳元で言う。

 俺にぴったりと寄り添ったまま、腕の下から手を伸ばす。
 片手にベーゴマ、もう片方には白いひもを持っている。

 まごつく俺の身体の前で手早く巻きつけ、立花はひと息ついた。

「……蒼真。最後はおまえがしろ」

「え?」

「俺は、おまえを守りたくて、ここまで使わせないようにしてきた。おまえさえ助かれば良かったから、いい加減にもした。だから……。おまえが使うのが、一番正しい」

 立花が巻いたばかりのひもをほどこうとする。

 とっさに、手で押さえ、俺はまぶたを閉じた。
 強く、強く、閉じる。

 一回目、二回目。

 確かに、立花はルールを守らなかった。

 でも。
 陽斗とケイは助かった。

 もしかしたら、ズレていたことがよかったのかもしれない。

 そうでなかったら、俺は、もっと早くに、あの空虚な空気に呑まれていた。

 その可能性だってゼロじゃない。

 立花が言う。

「どうする?」

 俺の気持ちだけを最優先する声だ。

 目の前の友達のことも、消えた友達のことも、立花は少しも気にしていない。

 たぶん、俺と引き換えに死んでしまうことだって、こいつは受け入れてしまうんだろう。

「……使え」

 俺ははっきりと答えた。

「正しくなんて、なくていい。いつも通りに……おまえがやれ」

「了解」

 立花の声が、耳の近くで聞こえる。

 同時に、空気が揺らいだ。


 ぎぎぎ───

 気味の悪い声が、どこからともなく響いてきて、ケイが悲鳴をあげる。


 正しく───
 ただ、しくぅ───
 ぎぎぎ───
 正しく、やれぇ───

 声は怒っていた。
 空気もビリビリ震えて不快だ。

 でも、立花は怯まない。

 俺を片腕に抱いて、ベーゴマを振りかぶった。

 小さなコマが飛び出して行く。

 ケイを呑み込んだ蟻地獄の、すり鉢状の中心が盛り上がってくる。
 地面より高くなると、ケイが転がり出た。
 そして、陽斗が続く。

 ごろごろと激しく回転して、木の根元にぶつかって止まった。

 ひとつの影がふたつに分かれ、俺と立花は硬直した。

 篠宮だ。
 陽斗と一緒に土から吐き出されたのは、篠宮だった。


 びぃやぁ、うぅぅぎゃぁっっ───

 盛り土がぐらぐらと揺れて、中央からどす黒い煙が噴き上がる。


 祠をこわした───
 こわした代償だ───
 いけにえ、いけにえ───
 祠のにえ───
 どこだ、どこだぁ、ぎぎぎ───
 ぎぃぎぎぃ───

 耳を塞ぎたくなる不快音だ。

 四方八方に置かれた黒板を一気に引っかいているような音に、俺たちは耳を塞いだ。

 ただひとり、俺を両手で抱きしめている立花だけが例外だった。

「うっせぇ!」

 俺の背後で、立花が叫ぶ。

「精神体が、デカい顔してんじゃねぇぞ!」

 鋭い啖呵だ。
 でも、こんなときに叫ぶ内容じゃない。

 こいつは、本当に、空気を読まないヤツだ。

「うわっ!」

 いきなり地面が波打ち、俺は叫んだ。
 ぐらぐら揺れて立っていられなくなったが、立花の腕は、俺の胴回りに絡んだままだ。

「なんだよ! これ!」

 篠宮の叫び声を聞きながら、俺は立花の腕に手を重ねた。
 指が食い込むほど強く、握り絞める。

 足元が崩れた。

 横にあった木がスライドするように動き、根の切れる音がぶちぶち聞こえてくる。

 地滑りだ。
 山全体が雪崩のように滑っている。

 俺は最後のひと息を吸った。
 身体が土に巻かれていく。

 目を閉じる前に聞いたのは、立花の声だ。

「勝った」

 そう聞こえた。

 落ち着き払った、場違いな声。

 最後までズレていていい加減な、立花の声だ。

 そして、俺たちは揉みくちゃになった。

 轟音の響く土の中で、上も下もなく回転して、意識が遠のいた。



 解放は、突然だった。

 まるで吐き出されるように、地面の上へどしゃっと落ちた。

 大量の土。
 しかも、湿った泥だ。

 俺は咳き込み、地面へ手をつく。

「ここ……」

 目に入らないように、泥を拭う。

 セミの声がうるさいぐらいに聞こえ、木立の影がゆらゆらと揺れている。

 見上げると、空が見えた。
 真っ青な夏の空だ。

「なんだよ、これ!」

 陽斗の声が聞こえ、別の場所でケイが叫ぶ。

「ドロドロなんだけど!」

「土、食った……」

 篠宮の声もする。

「戻った、みたいだな」

 地面へついたはずの俺の手が押し上げられる。
 ちょうどそこに立花が転がっていた。

 息をするたびに、胸が上下する。

 立花も、泥まみれだった。

 転がったまま、手で顔を拭い、乾いた笑いをこぼす。

 俺はあきれてため息をついた。

「お前、なんで毎回、適当なんだよ。さっきの啖呵も」

 思い出すと笑えてきた。
 立花は身体を起こしながら答えた。

「だってさ。帰れないと、おまえが泣くだろ」

「え?」

「俺たちは五人でひとつ、だろ?」

「……そう、だけど。……なんで、帰れたんだ。あんな、適当なやり方で……。いや、待てよ。別に、俺は泣いたりしないし」

「そう?」

 泥まみれの手を立て膝に投げ、立花は別の方向へ視線を向けた。

 そこに、あの祠がある。

 立花が扉を開け、お札を剥いだ祠だ。

「弱いんだよ。おまえのそういうところに。……やっぱり、惚れた男の涙には」

 立花の言葉が頭を素通りする。

 祠の扉は閉まっていた。
 お札も貼られている。

 そして、手前に置かれた石と石の間に、細い縄が渡されていた。

「……元に、戻ってる」

 俺は心底から驚いて唖然とした。

 現状を理解しようと思ったが、疲労した身体はどっしりと重くて動けない。

 やがて、複数の大人が階段を駆け上がってくる。

 土砂崩れを見に来た消防団の人たちだ。
 その中には顔見知りもいた。

 怒鳴る声、泣く声、喜ぶ声。

 いろんな声が混じり合い、セミが絶え間なく鳴き続けている。