祠をこわしたぼくらが失った夏には

 奥歯を噛みしめ続けていたことに気づいたのは、翌朝のことだ。

 アゴだけでなく、全身が極度に緊張していたらしい。
 猛烈な筋肉痛に襲われ、昼を過ぎても布団から出られなかった。
 外に出る気にもならず、ゴロゴロしながら携帯電話をいじり、グループチャットやゲームをして過ごす。

 それ以外にはなにも起こらない。
 普通の夏休みだ。

 変わったことと言えば、翌日のグループチャットでケイが暴言を書き込み、陽斗が怒ったことぐらいだ。
 そのまま個別チャットでケンカしたのか、グループチャットでは無言が続いた。
 それも珍しいことじゃない。

 篠宮が「あきれた」と発言したのは二日目のことで、三日目には肝試しをした記憶すら薄れていた。

 その日は放送部の活動日だったから、学校へ行けばいつも通りだと俺は簡単に考えた。

 制服に着替えて家を出る。
 自転車を漕いで油照りの道を行き、集落と集落の間にある木陰で篠宮を待った。

 学校の規則で部活動必須になっているから、俺たち五人は揃って放送部へ入っている。

 ケイだけがバレー部との掛け持ちで、早朝練習のあと、放送室の手前の小部屋で眠りこけている。

 そこが部室になっていて、上級生や下級生も交えてワイワイ騒ぎ、流行の曲をリストアップするだけの気楽な部活だ。

 俺は気に入っていたし、仲間内からも不満は出てこない。

「遅いな……」

 携帯電話で時間を確かめ、チャットアプリにメッセージがないかを確認する。
 なにも通知がなかったので、先にいくと連絡を入れた。

 真夏だから、日陰に入っていても暑くてしかたない。
 ジリジリとセミが鳴くのも、暑いぐらいだ。

「水遊びしたいなー」

 ひとりごとを言いながら自転車を漕ぐ。

 グランド脇にある水道を上へ向けて、めいっぱいに栓を解放する遊びだ。

 すべてを全力解放していくつもの水柱を作り出す。
 日差しが当たって虹ができると、それだけでテンションがダダ上がる。

 しばらく騒げば、教師の怒鳴り声が校舎から飛んできて、慌てて水道を閉めるのも楽しい。
 この前は、陽斗が足を滑らせて、濡れた制服を泥だらけにした。

 思い出すと笑いがこみあげてくる。

 勢いよくペダルを漕ぎながら立ちあがってスピードを出す。
 車もめったに通らない道を蛇行運転しながら、汗ばんだ身体に風を浴びる。

 夏の白い日差しが目に入るとまぶしくて、ただそれだけを避けて学校へ向かう。

 駐輪場に自転車を置き、空気がひんやりしている下足ホールで靴を履き替えた。
 荷物はなにも持っていない。

 二階の職員室で管理されている鍵は、最初に到着した部員が取りに行くことになっている。
 俺はすでに遅れていたから、職員室には寄らなかった。

 三階の廊下は静かで、セミの声は遠い。

 吹奏楽部の練習音が聞こえてこないのも珍しかった。

「遠征か……」

 つぶやきながら部室のドアを開けると、ガンガンに効いたクーラーの冷たい空気が漏れて出てくる。

「あ、サイコー」

 毎回、同じことを言ってしまう。
 それぐらい、部室は天国だ。

 でも、今日はいつもと違った。
 ドアを開けたのに、冷たい空気に音楽がついてこない。

 部員たちの話し声もなく、しんと静まっていた。
 まるで、活動日を間違えてしまったみたいだ。

「あれ?」

 部屋の暗さに首を傾げた瞬間、中央に置かれたテーブルに突っ伏す立花が見えた。

 驚いてあとずさった俺に向かって、手首から上がひょいと持ち上がる。
 それから、目元も見えた。

「おまえだけ?」

 声をかけながら、壁へ向かう。
 天井の照明をつけようとスイッチを押す。
 パチッと手応えはあったが、部屋は明るくならなかった。

「……壊れてんの?」

「そーみたい。部活の日、今日じゃなかったのかと思った」

 立花があくびをする。
 小さな部屋には窓がひとつあって、カーテンは引かれていない。

 目が慣れてしまえば、照明がつかなくても問題はなかった。

「ふたりして間違えたかもな」

 パイプイスを引いて、立花の斜め前に座る。

『そーみたい』がどっちの意味なのかをぼんやりと考えた。

『おまえだけ?』への返事なのか、それとも『壊れてんの?』への返事なのか。
 まだ自転車で爆走した熱が冷めず、手のひらをウチワ代わりにパタパタと動かしながら窓の外へ目を向ける。

 桜の枝が景色を遮り、床に伸びた影がチラチラ揺れる。

 机から身体を起こした立花が、伸びを取りながら口を開いた。

「篠宮、来なかったのか。いつも、落ち合ってから来るだろ?」

 沈黙が続いているのを気にしたふうではなかった。
 こいつはいつも、こんな感じだ。

 ケイとは違う意味でマイペース。

「あぁ、うん。待ってはみたんだけど」

 答えながら携帯電話を取り出した。
 アプリを確認したが、返事は届いていない。

「いつも蒼真が待ってんの?」

「そうでもない。あいつはいつも時間通りだよ」

「そっか。……篠宮は県外の大学に行くってさ。知ってる?」

「うん。聞いた。あいつ、頭がいいから。東京も狙えるんじゃないかな」

「蒼真はどうすんの」

「うん……。家から通えるところかな」

 それでも通学には一時間半かかる。

「ひとり暮らししたい、って言ってなかった?」

「それは野望。そこそこの学校じゃないと許してもらえない気がする。……まだ二年だし、話もしてない」

「ひとりっ子だもんな。親は寂しいかも」

「そんなことはないだろ。やっぱり、ここってさ、どっか田舎なんだよ。家を継ぐとか継がないとか……。そんなのさ、いまどき、どーでもいいのに」

「どーでも、ね」

 立花が笑って同意する。
 俺は少しだけ言いよどんでから、口を開いた。

「おまえも、県外?」

「うん? 興味ある?」

「え? 興味なかったらダメ?」

「……うん。興味ないなら、答えても意味ないじゃん」

「なに、それ……。こんなの雑談中の雑談だろ。みんな、普通に話してるじゃん」

 頬杖をついた立花は、俺をちらっとだけ見て頬のあたりを動かした。
 ときどきして見せる、皮肉げな笑みだ。

 バカにされているのかと思うこともある。
 でも、なにも言えなかった。

 この場が丸く収まるなら、人間関係に波風を立てたくない。

「静かだな」

 立花が言う。
 俺の子供っぽさを見抜いているみたいに、大人びた口調だ。

「なぁ、蒼真。世界にふたりきりみたいじゃない?」

「な、なんだよ。それ」

 思いきり眉をひそめて答える。
 視線を向けてきた立花は肩を揺すって笑った。

 俺は素直にムッとして、パイプイスから腰を上げる。

 変にふたりの間が悪くて、狭い部屋にいるのがイヤになる。

「もう帰んの?」

 笑いをこらえた声で言われ、俺は立花を冷たく見下ろした。

「おまえとふたりきりなんてイヤだから。……もう、だれも来ないだろ。駄菓子屋にでも寄って帰ろうぜ」

「うん、それは名案」

 立花も立ち上がった。

 セミの声が窓の外から聞こえ、俺の脳裏に肝試しをした夜のことがかすめていく。

 風のない熱帯夜だった。
 セミはずっと鳴いていて、ケイも陽斗もよく笑った。
 篠宮はいつも通り冷静で、立花は……。

 祠を壊した張本人だと思い出す。
 あれから、なにが起こったわけでもない。

 良くないことをしたという自覚はあった。
 だから、冗談にしてしまうのも気が引ける。

 放送室の鍵をかけた立花が先に歩き出す。
 その手が鍵を投げては掴むたび、ちゃりん、ちゃりんと小さな音が鳴る。

 いつも耳にしていた吹奏楽部の練習が、頭の中だけで幻のように重なり、俺の足取りは重くなる。

 この三日間、考えずにいたことが脳裏をよぎる。

 どうして、立花はあんなことをしたのか。

 いまも、どうして平気でいられるのか。

 常識的でいたい俺にとっては、信じられないことだ。
 もちろん、小石を投げたケイと陽斗にも腹が立っている。

 立花が職員室へ入っていき、俺は廊下で待った。

 保育園からの付き合いだから、気に食わないことだってある。
 あれがイヤだ、許せないと、それぞれがぶつかり、それなりのケンカもしてきた。

 でも、仲のいい五人組だ。

 肝試しでの悪ふざけぐらいでは、決定的に嫌いになったりはしない。

 廊下の床を小さく蹴っていると、ドアの開く音がした。
 退出の挨拶をしながら立花が出てくる。

 アイコンタクトを交わして、下足ホールへ向かう。
 校舎の中は静かで、壁を隔てて遠くからセミの声が聞こえてくる。

 階段の踊り場にさしかかったところで、顧問の声がした。

 どうやらひとつ上の階から声を張り上げているらしい。

 俺と立花の名前が呼ばれた。
 なにかを聞こうとしていることはわかるが、要領を得ない。

 焦っている気配を感じ、駆けおりてくるだろうかと待ったが、顧問の姿は見えなかった。

「おぉい! 聞いてるのか!」

 聞き慣れた声が、階段に響く。

「……なんか、あったのかな」

 俺が足を向けようとすると、立花が小さくため息をついた。

「呼び止められたら、面倒だ。行こう」

 腕を引っ張られる。

「え、もう呼んでんじゃん」

「返事しないで、さっさと行こう」

 下足ホールまで止まらずに連れて行かれる。

 俺は後ろ髪を引かれたが、立花は平気な顔だ。
 クラスが違うから、向かい側の下足箱から靴を取り出して履き替える。

「……さっき、あいつらの名前を言ってなかった?」

 藤野、三崎、篠宮。

 俺にはそう聞こえた。
 だとしたら、あの夜の肝試しがバレたのかもしれない。

「余計に面倒だろう」

 靴を履きかえた立花の手が、俺の下足箱へ伸びる。
 スニーカーを床に投げ置かれ、急かされた俺はのろのろと履き替える。

「……なぁ」

 立花を呼ぼうとした瞬間、下足箱の向こうから女子の話し声が聞こえた。

「ねぇ、あの三人」

「いなくなったんだってね」

「マジで?」

「山に食われたんじゃない?」

 きゃいきゃいと無責任な噂話だ。
 スニーカーを履いた俺は気を取られ、そのあいだにも立花が上靴を片付けてくれる。

 世話焼きはいつものことだ。
 視線だけ向けると、立花も下足箱越しの噂話にいい顔をしていなかった。

 俺の手をひっぱり、女子の顔を確かめる隙もないほど勢いよく外へ出る。
 足がもつれそうになって文句をつけ、立花の手を振り払う。

 駐輪場で互いの自転車をピックアップしているうちに、いくつかの疑問が重なってきた。

 返事のないグループチャット。

 待ち合わせに来なかった篠宮。

 そして、部活の顧問と女子の発言。

「……おまえ、なにか知ってんの?」

 俺の質問を聞くなり、立花はあからさまに面倒そうな表情でそっぽを向いた。

「なんだよ、その態度。なぁ、答えろよ。なぁ、立花。……立花、ってば……っ!」

 自転車には乗らず、押しながら声をかける。

 ガチ無視している立花の横顔は、スンッとして、整っているだけに腹立たしい。

「いなくなったって、どういうこと? ……そういえば、陽斗とケイからは二日か、三日、返事がない。……篠宮が来なかったのも」

 俺の焦った声を聞きながら、立花はずんずんと歩いて行く。

 田舎道に油照りの日差しが差して、汗が一気に噴き出してくる。
 かまわず俺は唸った。
 
ひとつの確信で、ぞっとする。

「……これって、完全に、因習ホラーの手順踏んでない!?」

 声がひっくり返ると、ついに立花が振り向いた。

 まっすぐな視線が俺を見る。

「あの祠を壊したせいだと思ってる?」

「だ、だって。あの、あの祠って」

「あんなの、いくつもある。だって、村中の祠の中身を抜いて、大きい神社にまとめたって言うんだから。あれもそのひとつに過ぎない」

 そんなことも知らないのかと、立花が目を細めた。
 テンパっている俺は、感情を逆撫でされる。

「知るかよ! じゃあ、なんで、お札なんか貼ってあったんだよ。それを、おまえ……あんなふうに壊して」

「あー……」

 立花はうっすら笑い、言いよどむ。
 その態度に腹が立って、立花の自転車越しにぐいっと顔を近づけた。

「祟りだよ。祟り。……おまえがあんなことをするから」

「べつに、なにも入ってなかったけど?」

「おまえ、霊が目に見えると思ってんのか??」

「……視えることも、あるだろ。なにを、そんなに怒ってるんだよ」

「はぁ? はぁっ?」

 声がみっともなくひっくり返ることなんて、もうどうでも良かった。

 この数日間、考えないようにしてきた怒りと罪悪感が止めどなく溢れてくる。

 両肩を引き上げながら立花を威嚇しているうちに、通学路の途中にある古い一軒家が見えた。
 うちの学校の生徒が何十年も続けて利用している、昔ながらの小さな商店だ。

 その脇に自転車を止めた立花は、店の前に立って手招きしてきた。

 この大変な事件を目の当たりにしても、まるで部外者の顔をして、のんきにアイスでも食べようと誘ってくるのだ。

 俺は足を踏み鳴らして、自転車を止めた。
 勢いよくやりすぎて、ふたり分の自転車がガチャガチャと音を立てながら倒れる。

「あーぁ。なにやってんの」

 立花に笑われ、俺は片足で地面を踏んだ。

「うっさい、うっさい、うっさい! アイス、おまえのおごり!」

「それは良いけど……。ばあちゃん、こんにちは。騒がしくて、ごめんね」

 俺に対するのとは打って変わり、愛想良く店内へ入っていく。

「あの自転車、おまえが元に戻せよ! ばあちゃん、こんちは。……聞いてんのかよ、立花!」

 あとへ続くと、照明の弱い店内ではセミの声が遠のいた。

 五人で入れば、ぎっしりと埋まってしまうぐらいの空間だ。

 小さな駄菓子がぎゅうぎゅうに並んでいる。
 食べ物はどれも最近のものだが、壁にかかったくじ引きは年代物だ。

「元気だねぇ」

 店番をしているおばあちゃんは、番台にもたれるようにして座っていた。
 背中が曲がり、置物のようにちんまりとした格好で、耳はかなり遠い。

「アイス、アイス」

 小さな冷凍ケースのふたを開ける。
 中に入っているのは、果汁を凍らせた素朴なアイスキャンディーだ。

「俺は、グレープにして」

 小銭を支払っている立花に言われ、俺はオレンジとグレープを探し出した。

「……なぁ、祠に謝りに行けばいいんじゃない?」

 思いついて振り向くと、視線の先にいる立花はぴたりと動きを止めた。
 手を伸ばせば届く距離だ。

「とんでもないことをしたんだねぇ」

 いつもはニコニコ笑っているだけのおばあちゃんが口を開いた。

 俺は驚いたが、立花は怪しみもせずに小首を傾げる。

 やっぱり、自分のしたことをまるで理解していない態度だ。

 また憤りが湧き、わからせてやろうと一歩を踏み出す。
 その瞬間、おばあちゃんの手が動いた。

「三人なら、みっつだね」

 番台の上に、古い箱が並ぶ。
 声はいつものようにもぞもぞと小さく、言葉も不明瞭だ。

 俺と立花は、固唾を呑んで見守る。

「ひとつめは、川を作って防ぐ。ふたつめは火の海だ。みっつめは、山の壁。ひとつこなせば、ひとり戻る」

「おばあちゃん、それって……」

 俺が身を乗り出した横で、立花がぼそりと言う。

「三回もやり直せるじゃん」

「は? ひとりにひとつだって、言ってんじゃん」

「……呪いは一個だよ」

「無責任なこと言うな。……ばあちゃん、これで行方不明になった友達を取り戻せる?」

 声を張り上げて尋ねたが、帰ってきたのはあっけない返事だ。

「へぇ?」

 耳のあたりに手を立て、よく聞こえないときの身ぶりをされる。

「なんでもいい」

 俺はなかばムキなって手を伸ばした。

 箱を掴もうとした瞬間、立花の財布に阻まれる。

「……真に受けてんの」

 間近から見つめられ、とっさにたじろいでしまう。

 それはその通りだ。

 なにかが、少しずつおかしい。

 あの夜、家へ逃げ帰って、布団の中へ飛び込んだ。
 考えないようにした二日間。
 俺は誰にも会っていない。

 両親の声はした。
 食事はテーブルの上にあった。
 でも、食べた記憶もない。

 そして、今日だ。
 携帯電話のアラームで起きて、当たり前のように家を出た。

 こんな田舎だけど、昼間はひとりふたりと出歩く人を見かける。
 部活へ向かう学生や保育園児の散歩に出くわすことだってあった。

 でも、今日に限って、立花と、そして駄菓子屋のばあちゃんしか人を見ていない。

 顧問は階段をおりてこなかった。

 女子の声も靴箱越しだ。

「……しばらく様子を見てもいいんじゃないか」

 立花の冷静な眼差しは、どこかラムネのビー玉みたいだ。
 光にかざせばキラキラと輝くのに、そこにはなにも入っていない。

「おまえが、やったことなんだぞ」

 まっすぐに見据えて、手探りに箱を掴む。

 立花はたじろぎもせずに財布を引いた。

「じゃあ、支払いは俺が……」

「そういうことじゃねぇだろ!」

 片手にアイスキャンディーを掴んだまま、声を振り絞る。

 まるで頼りにならない男と、あの山に入らなければいけない。
 それだけは、はっきりとわかっていた。

 なぜなら、五人組のうち、残されたのは、俺たちふたりだからだ。

 携帯電話が震えて、俺は慌てて画面を見る。

「うわっ……」

 沈黙が続いていたチャット画面に無数の文字が表示されていく。


 たすけてたすけてたすけてたすけてそたすけてたすけてうたすけてたすけてたすけてたすけてまたすけてたすけてたすけてそたすけてたすけてたすけてうたすけてたすけてまたすけてこたすけてたすけていたすけてこたすけていたすけてたすけてそたすけてたすけてたすけてうたすけてたすけてまたすけてたすけて


 携帯電話を土間の床へ取り落とした。
 驚きで心臓が早鐘を打つ。

 俺の態度に驚きもしない立花は、身を屈めて携帯電話を拾い上げ、画面が割れていないかを確認した。