【1】
夏の夜は、いつまでも終わらない気がする。
セミの声にカエルの大合唱が重なって、山に囲まれた田舎道がどこまでも続く。
薄明るい街灯も間延びして、月の光しか当たらない田んぼあたりと、見え方はたいして変わらない。
「なぁ、マジで行くの?」
切れかかってチカチカしている街灯の下で、一番チビの三崎恵一郎《みさきけいいちろう》こと『ケイ』が歩調をゆるめた。
と言っても、俺とは数センチしか違わないんだけど。
「いまさらビビってんのかよ」
軽い口調でからかうのは、ひょろひょろと背の高い藤野陽斗《ふじのはると》だ。
「そんなわけあるか!」
ケイが怒ったように答え、肩で一撃を食らわせた。
よろけた陽斗をそのままに、ずんずんと先を進んでいく。
巻き添えを食らいそうになった俺までよろける。
ガードレールへぶつかりそうになった瞬間、ひじあたりを引っ張られた。
「朝倉は、すーぐ当たり負けするなぁ」
篠宮信《しのみやまこと》が笑いながら言う。
からかい半分に肩を叩こうとした手は、俺の腕を引き戻した立花恒星の手とぶつかった。
「あ、ごめん」
篠宮が謝り、俺はふたりを交互に見た。
168センチの俺は気分的にかかとをあげてしまう。
篠宮が170センチで、立花が175センチ。
そのささやかな身長差が気に掛かる。
俺たちは思春期の真っ只中、高校二年生の五人組だ。
そして、保育園からの幼なじみでもある。
「おーい。早く来いよ!」
ケイに呼ばれ、篠宮が俺と立花を急かした。
集団の最後にはなりたくなくて、思わず小走りにその場を離れる。
篠宮と立花は、長い足を惜しみなく使って追いついてくる。
ちょっとばっかり身長が高いからって、本当にむかつくヤツらだ。
「けっこう、暗いな」
ケイの隣に立つ陽斗が、唯一の懐中電灯を切って夜道の暗さを確かめる。
俺もふたりの隣で足を止める。
目の前にあるのは、山の中へと続く石段だ。
満月の明かりが届くあたりは、足元にしげる夏草もはっきりと見えた。
その先にあるのは地元でも有名な心霊スポットだ。
学校や親が口を揃えて「ちかづくな」というところ。
噂はいろいろあるけど、真相は『手つかずで危険なだけ』だ。
昼間になら何度も来たことがある。
「虫がいそう」
うんざりした声で言ったケイが懐中電灯を奪った。
パッと光らせて、あたりを照らす。
「虫除けのスプレーはしてきたし、平気だろ」
背後から聞こえるのは、篠宮の声だ。
いつも通りに冷静だった。
「そうだよ。おまえは、いちいちうるさい」
陽斗が懐中電灯を奪い返す。
ふたりはしばらく不毛な争いを続け、篠宮に懐中電灯を取り上げられて非難の声をあげる。
「持たせて~、持たせて~」
「俺らが先に行くから~」
怖いもの知らずだ。
ゲラゲラ笑いながら懐中電灯を受け取ると「うっひょい!」と意味のわからない声を上げ、暗い階段を駆けていく。
その勢いに押されて、俺も一歩を踏み出した。
「イヤなら、一緒に戻ってもいいよ。蒼真?」
隣に並んでいた立花がひっそりと声をひそめる。
「べつにイヤじゃないよ」
怖がっていると思われたくなくて、俺は強がり半分で答えた。
篠宮を追って立花よりも先に階段をのぼる。
虫を警戒して長ズボンと長袖のカットソーに着替えてきたのは正解だ。
足元に生えた草に驚かされることもない。
「こんなに明るいと、肝試しにもならないなぁ」
先を行く陽斗の声が聞こえてくる。
「のんきだな」
被せるように言った立花の声はどこか硬い。
「もしかして、ビビってる?」
軽く肩をぶつけてからかうと、無言の視線が返ってきた。
「あんまり、そういう感情はないな」
マイペースな立花は精神的に大人だ。
俺たち五人組の中では、篠宮と張る冷静キャラでもある。
急に話が盛り上がった肝試しにもいい顔はしていなかった。
「つまんないなぁ、おまえ。……篠宮はこわいだろ?」
前を歩く背中に声をかける。
「こわがってるように見える?」
肩越しに振り向いた顔は笑っている。
「見えないな」
答えた篠宮が、俺に対して言う。
「朝倉さぁ、あいつらの勢いに流されただけなんじゃないの?」
「え?」
「無理することないから。……戻れば?」
階段をのぼりながらチラチラと向けられた視線が、最終的には立花へ向く。
「ふたりを行かせてさ、俺たちは帰るか」
「……それはあいつら、怒るよ」
立花の返事を待たずに、俺はふたりの会話へ口を挟む。
肝試しをしようと言い出したのはケイと陽斗だったけど、決行は五人で決めたことだ。
階段をのぼりきった先にある小さなお社の前でふたりきりにされたと気づいたら、夏休み中どころか新学期になっても怒っていそうだ。
無視するならマシで、きっとトゲトゲして手の付けようもない。
俺たち三人は無言で顔を見合わせ、小さくうなずいた。
とりあえずは、階段をのぼりきるのがいい。
あとはなんだかんだと言いくるめて、帰るだけだ。
ケイと陽斗の笑い声を追い、篠宮のあとに立花と並んで続く。
「足元、気をつけろよ」
ときどき、立花が声をかけてくる。
月明かりで歩く俺は必死で、返事にもならないくぐもった声を返すだけだ。
「……なんか、長くない?」
篠宮がぼそりと言う。
「そんなことない、すぐだ」
立花がはっきりと言い返す。
でも、俺も篠宮と同じ気分だ。
長いと思い始めていた。
昼間と違って暗いから、左右の景色に変化がない。
だから、のぼってものぼっても、たどり着かない気がしてくる。
風もなくて、汗がじんわりとカットソーを湿らせ、それも不快だった。
顔を上げると、懐中電灯の光がぐるぐる回っているのが見え、ケイと陽斗はもう一番上まで到着したのだとわかった。
一歩ごとに笑い声が近づき、左右に広がる森からは昼も夜もないセミの声が絶えず聞こえる。
階段をのぼりきった篠宮に続き、俺も足を速めた。
恐怖はほとんどなく、最後にはなりたくないだけだ。
追いついたと思った瞬間、篠宮だけがすたすたとその場を離れた。
「やめろよ」
先行していたふたりに声を掛けている。
篠宮の向こうにいるケイと陽斗は、ゲラゲラ笑いながら、石を拾っている。
かと思うと、それを小さな祠に向かって投げ始めた。
「ちょっ、なに、してんの!?」
驚いて駆け寄ろうとした。
でも、立花に腕を掴まれて、つんのめった。
「あー、つかれた」
「疲れたじゃないんだよ」
冷たく言い放って、自分の腕を引き戻す。
「蒼真」
呼び止める立花の声を無視して、篠宮に続く。
ケイと陽斗は悪ノリを止めず、小石を投げ続けている。
どちらがたくさんぶつけられるかの勝負をしているらしい。
階段を上がった先は平たく整地され、昔は敷かれていたのだろう石畳が少しだけ残っている。
鳥居もなく、夏草の中に、小さな木造りのお社が、ぽつんと置かれているだけだ。
屋根はボロボロで、全体もナナメに傾いでいる。
格子の扉には細長い札が何枚も貼られているはずだが、いまは夜の闇にまぎれてよく見えない。
昼でも不気味な場所だから、目をこらして見る気にはならなかった。
ケイと陽斗のどちらかが持っている懐中電灯が、あたりを不規則に照らし、森の木々はセミの声をさせるだけだ。
あたりは相変わらず無風で、湿った暑さを感じる。
「やめとけって」
篠宮に咎められ、ケイが笑いながら振り向いた。
「大丈夫だって。祟りなんかあるわけないし」
「なーんも感じないじゃん」
ふたりは顔を見合わせ笑い、また小石を拾う。
篠宮がケイの腕を掴み、俺は陽斗の肩を掴んだ。
「シャレになんないって、言ってんだよ」
強い口調で責める。
その瞬間、ふっと空気が止まった。
「はいはい、優等生。こんなの、ノリじゃん」
陽斗の軽口はいつものことだ。
なのに、今夜に限ってはトゲを感じた。
俺がたじろぐと、止まったように感じた空気が崩れた。
風は吹いていないのに、汗がすっと冷えたのがわかる。
「ウケるんだけど」
ケイがケラケラッと笑う。
同時に陽斗の舌打ちが聞こえた。
「まぁ、いいじゃん」
そう言って、動けなくなった俺の顔を、立花が覗き込んで来た。
「なにが?」
俺は苛立った。
こいつにはこういうところがある。
いい加減なことを言って切り抜ける、悪いところだ。
「当たってないし」
「当たってるよ!?」
小石は絶えず、古い祠にぶつかり、乾いた音を立てている。
どこをどう見たって、都合のいい解釈はできない状態だ。
以前、昼間に探検したときだって、こんなことはしなかった。
みんなで遠巻きに見て、こわいこわいと叫びながら階段を駆けおりただけだ。
「立花は黙ってろ」
苛立ちを隠さず押しのける。
そのままの勢いで、陽斗とケイの腕を同時に掴んだ。
「やめよう。陽斗。……なぁ、ケイ」
「そうだよ、こんなこと……」
ふたりの向こうにいる篠宮が一歩前へ出た。
身を屈めたかと思うと、雑草の中に落ちている小石をひとつ拾う。
「篠宮?」
俺は思わず駆け寄り、その腕を掴んだ。
勢いづいて足が滑る。
放置された大きめの石を踏みそこねたらしい。
身体が傾いで、くさむらの中へ片足を突っ込む。
そのとき、立花の指先が服をかすめたような気がした。
引き戻そうとしてくれたのに、間に合わない。
「う、わっ」
大転倒しそうだと直感した次の瞬間、腰に腕が回され、強く引き戻される。
ガラッと石の崩れる音がして、カーンとなにかの音が山に響いた。
俺の横で、篠宮がびくっと身をすくませる。
ケイと陽斗も飛び上がった。
「……立花ッ」
ハッと息を呑んだのは、ケイだったのか、陽斗だったのか。
どちらにしても、ふたりの声はぴったりと重なって聞こえた。
転びそうになった俺を抱き戻したはずの立花の背中が目の前にある。
足はくさむらを蹴散らして進む。
その腕が、祠の扉を掴んだ。
「なに、して……っ」
バキッと小さな音がして、扉が開く。
「マジかよ……!」
ケイが篠宮に飛びつき、陽斗はよろめいて後ずさる。
扉は開いたのではなく、はずされていた。
ぐらりと揺れて、地面へ落ちていく。
「なにも、入ってない」
祠を壊した立花は平然と振り向いた。
女子がひそかにキャーキャー言っている顔立ちが、疲労感たっぷりにためいきをつく。
「シラけた。帰ろう」
そう言って、俺たちのところまで戻ってくる。
扉のはずれた祠はそのままだ。
俺はどぎまぎと視線を揺らして顔を伏せた。
怖くないと言えば嘘になる。
山の祠に手を出せば呪われる。
そんな噂が脳裏を駆け巡る。
「信じらんねぇ」
陽斗のつぶやきが聞こえ、ハッとする。
明るい笑い声で、沈んでいた気分が持ち直す。
「怖いもの知らずだと思ってたけど、ここまでとは……」
「おまえほどじゃないよ。行こう」
戻ってきた立花が陽斗の腰を叩く。
そして、唖然としているケイと篠宮の腰も叩いた。
「蒼真をこわがらせんなって、言っただろ?」
小さくつぶやいた声がくぐもって聞こえ、俺は思わず問い返した。
「なんて?」
振り向いたのは俺以外の四人だ。
俺へ向けられた視線が、それぞれに、すっと逸れていく。
「なんでもない、なんでもない」
陽斗が階段へ向かいながら言い、ケイも慌ててあとを追う。
「やば、やば……。なー。陽斗、聞こえた?」
「気のせいだよ、気のせい。……って、おまえも?」
わいわいぎゃあぎゃあと騒がしいふたりが階段をおりていく。
俺は動けず、視線を左右上下にさまよわせた。
ケイと陽斗を追いたい。
でも、壊された祠が気になって仕方ない。
「行こう、朝倉」
落ち着きをなくした篠宮が早口で促してくる。
「え、あぁ……うん」
階段を降り始めると、ケイの騒がしい声がまた聞こえてくる。
「あれ、何の声? なんて言ってた?」
「知るか、知るか!」
「うぇー。こぇぇぇ。ほんもの~ッ!」
叫びは想像よりもあたりに響かなかった。
森の静けさに呑まれたように、一瞬の沈黙が流れる。
急に居ても立っても居られなくなり、ケイと陽斗よりも近くにいる篠宮と立花を振り向いた。
ふたりはのんびりとした足取りでおりてくる。
「こういうときって、焦らない方がいいんだっけ……」
篠宮がぼそりと言い、不安そうに背後を振り向く。
そこには立花が続いている。
平然とした表情に苛立ちが募り、キッと睨みつける。
立花は、篠宮越しに俺を見た。
悪びれない態度を怒鳴りつけたかったが、ぐっとこらえて問いかける。
「……立花。おまえ、あの祠、壊したの?」
それがなにを意味するのかは、考えたくもなかった。
俺は信心深くもないし、ホラーも階段も嫌いじゃない。
でも、こわいものはこわい。
呪いも祟りも否定しきれないたちだ。
「なんてことない」
気安く答える声が山のざわめきで遠くなる。
急に風が出てきて、階段の左右の枝が激しく揺れた。
「……どうなるんだっけ」
いつも冷静な篠宮が、ぼそりと言う。
「あの祠を壊したら、どうなるんだった?」
その声を聞きながら、俺は前へ向き直った。
話をしたくなくて、階段を駆けおりていく。
いまはただ、祠から離れたい。
その一心だ。
すぐに篠宮と立花が追いつき、三人で団子になって階段をおりる。
焦った俺は、階段を何度も踏みはずしそうになった。
風はさらに強くなり、セミの声が途切れては繰り返され、篠宮は何度も同じことを繰り返す。
ケイと陽斗も、同じ話を続ける。
歩道と街灯が見えたとき、握りしめていた拳の内側がびっしょり濡れていることに気がついた。
夏の夜は、いつまでも終わらない気がする。
セミの声にカエルの大合唱が重なって、山に囲まれた田舎道がどこまでも続く。
薄明るい街灯も間延びして、月の光しか当たらない田んぼあたりと、見え方はたいして変わらない。
「なぁ、マジで行くの?」
切れかかってチカチカしている街灯の下で、一番チビの三崎恵一郎《みさきけいいちろう》こと『ケイ』が歩調をゆるめた。
と言っても、俺とは数センチしか違わないんだけど。
「いまさらビビってんのかよ」
軽い口調でからかうのは、ひょろひょろと背の高い藤野陽斗《ふじのはると》だ。
「そんなわけあるか!」
ケイが怒ったように答え、肩で一撃を食らわせた。
よろけた陽斗をそのままに、ずんずんと先を進んでいく。
巻き添えを食らいそうになった俺までよろける。
ガードレールへぶつかりそうになった瞬間、ひじあたりを引っ張られた。
「朝倉は、すーぐ当たり負けするなぁ」
篠宮信《しのみやまこと》が笑いながら言う。
からかい半分に肩を叩こうとした手は、俺の腕を引き戻した立花恒星の手とぶつかった。
「あ、ごめん」
篠宮が謝り、俺はふたりを交互に見た。
168センチの俺は気分的にかかとをあげてしまう。
篠宮が170センチで、立花が175センチ。
そのささやかな身長差が気に掛かる。
俺たちは思春期の真っ只中、高校二年生の五人組だ。
そして、保育園からの幼なじみでもある。
「おーい。早く来いよ!」
ケイに呼ばれ、篠宮が俺と立花を急かした。
集団の最後にはなりたくなくて、思わず小走りにその場を離れる。
篠宮と立花は、長い足を惜しみなく使って追いついてくる。
ちょっとばっかり身長が高いからって、本当にむかつくヤツらだ。
「けっこう、暗いな」
ケイの隣に立つ陽斗が、唯一の懐中電灯を切って夜道の暗さを確かめる。
俺もふたりの隣で足を止める。
目の前にあるのは、山の中へと続く石段だ。
満月の明かりが届くあたりは、足元にしげる夏草もはっきりと見えた。
その先にあるのは地元でも有名な心霊スポットだ。
学校や親が口を揃えて「ちかづくな」というところ。
噂はいろいろあるけど、真相は『手つかずで危険なだけ』だ。
昼間になら何度も来たことがある。
「虫がいそう」
うんざりした声で言ったケイが懐中電灯を奪った。
パッと光らせて、あたりを照らす。
「虫除けのスプレーはしてきたし、平気だろ」
背後から聞こえるのは、篠宮の声だ。
いつも通りに冷静だった。
「そうだよ。おまえは、いちいちうるさい」
陽斗が懐中電灯を奪い返す。
ふたりはしばらく不毛な争いを続け、篠宮に懐中電灯を取り上げられて非難の声をあげる。
「持たせて~、持たせて~」
「俺らが先に行くから~」
怖いもの知らずだ。
ゲラゲラ笑いながら懐中電灯を受け取ると「うっひょい!」と意味のわからない声を上げ、暗い階段を駆けていく。
その勢いに押されて、俺も一歩を踏み出した。
「イヤなら、一緒に戻ってもいいよ。蒼真?」
隣に並んでいた立花がひっそりと声をひそめる。
「べつにイヤじゃないよ」
怖がっていると思われたくなくて、俺は強がり半分で答えた。
篠宮を追って立花よりも先に階段をのぼる。
虫を警戒して長ズボンと長袖のカットソーに着替えてきたのは正解だ。
足元に生えた草に驚かされることもない。
「こんなに明るいと、肝試しにもならないなぁ」
先を行く陽斗の声が聞こえてくる。
「のんきだな」
被せるように言った立花の声はどこか硬い。
「もしかして、ビビってる?」
軽く肩をぶつけてからかうと、無言の視線が返ってきた。
「あんまり、そういう感情はないな」
マイペースな立花は精神的に大人だ。
俺たち五人組の中では、篠宮と張る冷静キャラでもある。
急に話が盛り上がった肝試しにもいい顔はしていなかった。
「つまんないなぁ、おまえ。……篠宮はこわいだろ?」
前を歩く背中に声をかける。
「こわがってるように見える?」
肩越しに振り向いた顔は笑っている。
「見えないな」
答えた篠宮が、俺に対して言う。
「朝倉さぁ、あいつらの勢いに流されただけなんじゃないの?」
「え?」
「無理することないから。……戻れば?」
階段をのぼりながらチラチラと向けられた視線が、最終的には立花へ向く。
「ふたりを行かせてさ、俺たちは帰るか」
「……それはあいつら、怒るよ」
立花の返事を待たずに、俺はふたりの会話へ口を挟む。
肝試しをしようと言い出したのはケイと陽斗だったけど、決行は五人で決めたことだ。
階段をのぼりきった先にある小さなお社の前でふたりきりにされたと気づいたら、夏休み中どころか新学期になっても怒っていそうだ。
無視するならマシで、きっとトゲトゲして手の付けようもない。
俺たち三人は無言で顔を見合わせ、小さくうなずいた。
とりあえずは、階段をのぼりきるのがいい。
あとはなんだかんだと言いくるめて、帰るだけだ。
ケイと陽斗の笑い声を追い、篠宮のあとに立花と並んで続く。
「足元、気をつけろよ」
ときどき、立花が声をかけてくる。
月明かりで歩く俺は必死で、返事にもならないくぐもった声を返すだけだ。
「……なんか、長くない?」
篠宮がぼそりと言う。
「そんなことない、すぐだ」
立花がはっきりと言い返す。
でも、俺も篠宮と同じ気分だ。
長いと思い始めていた。
昼間と違って暗いから、左右の景色に変化がない。
だから、のぼってものぼっても、たどり着かない気がしてくる。
風もなくて、汗がじんわりとカットソーを湿らせ、それも不快だった。
顔を上げると、懐中電灯の光がぐるぐる回っているのが見え、ケイと陽斗はもう一番上まで到着したのだとわかった。
一歩ごとに笑い声が近づき、左右に広がる森からは昼も夜もないセミの声が絶えず聞こえる。
階段をのぼりきった篠宮に続き、俺も足を速めた。
恐怖はほとんどなく、最後にはなりたくないだけだ。
追いついたと思った瞬間、篠宮だけがすたすたとその場を離れた。
「やめろよ」
先行していたふたりに声を掛けている。
篠宮の向こうにいるケイと陽斗は、ゲラゲラ笑いながら、石を拾っている。
かと思うと、それを小さな祠に向かって投げ始めた。
「ちょっ、なに、してんの!?」
驚いて駆け寄ろうとした。
でも、立花に腕を掴まれて、つんのめった。
「あー、つかれた」
「疲れたじゃないんだよ」
冷たく言い放って、自分の腕を引き戻す。
「蒼真」
呼び止める立花の声を無視して、篠宮に続く。
ケイと陽斗は悪ノリを止めず、小石を投げ続けている。
どちらがたくさんぶつけられるかの勝負をしているらしい。
階段を上がった先は平たく整地され、昔は敷かれていたのだろう石畳が少しだけ残っている。
鳥居もなく、夏草の中に、小さな木造りのお社が、ぽつんと置かれているだけだ。
屋根はボロボロで、全体もナナメに傾いでいる。
格子の扉には細長い札が何枚も貼られているはずだが、いまは夜の闇にまぎれてよく見えない。
昼でも不気味な場所だから、目をこらして見る気にはならなかった。
ケイと陽斗のどちらかが持っている懐中電灯が、あたりを不規則に照らし、森の木々はセミの声をさせるだけだ。
あたりは相変わらず無風で、湿った暑さを感じる。
「やめとけって」
篠宮に咎められ、ケイが笑いながら振り向いた。
「大丈夫だって。祟りなんかあるわけないし」
「なーんも感じないじゃん」
ふたりは顔を見合わせ笑い、また小石を拾う。
篠宮がケイの腕を掴み、俺は陽斗の肩を掴んだ。
「シャレになんないって、言ってんだよ」
強い口調で責める。
その瞬間、ふっと空気が止まった。
「はいはい、優等生。こんなの、ノリじゃん」
陽斗の軽口はいつものことだ。
なのに、今夜に限ってはトゲを感じた。
俺がたじろぐと、止まったように感じた空気が崩れた。
風は吹いていないのに、汗がすっと冷えたのがわかる。
「ウケるんだけど」
ケイがケラケラッと笑う。
同時に陽斗の舌打ちが聞こえた。
「まぁ、いいじゃん」
そう言って、動けなくなった俺の顔を、立花が覗き込んで来た。
「なにが?」
俺は苛立った。
こいつにはこういうところがある。
いい加減なことを言って切り抜ける、悪いところだ。
「当たってないし」
「当たってるよ!?」
小石は絶えず、古い祠にぶつかり、乾いた音を立てている。
どこをどう見たって、都合のいい解釈はできない状態だ。
以前、昼間に探検したときだって、こんなことはしなかった。
みんなで遠巻きに見て、こわいこわいと叫びながら階段を駆けおりただけだ。
「立花は黙ってろ」
苛立ちを隠さず押しのける。
そのままの勢いで、陽斗とケイの腕を同時に掴んだ。
「やめよう。陽斗。……なぁ、ケイ」
「そうだよ、こんなこと……」
ふたりの向こうにいる篠宮が一歩前へ出た。
身を屈めたかと思うと、雑草の中に落ちている小石をひとつ拾う。
「篠宮?」
俺は思わず駆け寄り、その腕を掴んだ。
勢いづいて足が滑る。
放置された大きめの石を踏みそこねたらしい。
身体が傾いで、くさむらの中へ片足を突っ込む。
そのとき、立花の指先が服をかすめたような気がした。
引き戻そうとしてくれたのに、間に合わない。
「う、わっ」
大転倒しそうだと直感した次の瞬間、腰に腕が回され、強く引き戻される。
ガラッと石の崩れる音がして、カーンとなにかの音が山に響いた。
俺の横で、篠宮がびくっと身をすくませる。
ケイと陽斗も飛び上がった。
「……立花ッ」
ハッと息を呑んだのは、ケイだったのか、陽斗だったのか。
どちらにしても、ふたりの声はぴったりと重なって聞こえた。
転びそうになった俺を抱き戻したはずの立花の背中が目の前にある。
足はくさむらを蹴散らして進む。
その腕が、祠の扉を掴んだ。
「なに、して……っ」
バキッと小さな音がして、扉が開く。
「マジかよ……!」
ケイが篠宮に飛びつき、陽斗はよろめいて後ずさる。
扉は開いたのではなく、はずされていた。
ぐらりと揺れて、地面へ落ちていく。
「なにも、入ってない」
祠を壊した立花は平然と振り向いた。
女子がひそかにキャーキャー言っている顔立ちが、疲労感たっぷりにためいきをつく。
「シラけた。帰ろう」
そう言って、俺たちのところまで戻ってくる。
扉のはずれた祠はそのままだ。
俺はどぎまぎと視線を揺らして顔を伏せた。
怖くないと言えば嘘になる。
山の祠に手を出せば呪われる。
そんな噂が脳裏を駆け巡る。
「信じらんねぇ」
陽斗のつぶやきが聞こえ、ハッとする。
明るい笑い声で、沈んでいた気分が持ち直す。
「怖いもの知らずだと思ってたけど、ここまでとは……」
「おまえほどじゃないよ。行こう」
戻ってきた立花が陽斗の腰を叩く。
そして、唖然としているケイと篠宮の腰も叩いた。
「蒼真をこわがらせんなって、言っただろ?」
小さくつぶやいた声がくぐもって聞こえ、俺は思わず問い返した。
「なんて?」
振り向いたのは俺以外の四人だ。
俺へ向けられた視線が、それぞれに、すっと逸れていく。
「なんでもない、なんでもない」
陽斗が階段へ向かいながら言い、ケイも慌ててあとを追う。
「やば、やば……。なー。陽斗、聞こえた?」
「気のせいだよ、気のせい。……って、おまえも?」
わいわいぎゃあぎゃあと騒がしいふたりが階段をおりていく。
俺は動けず、視線を左右上下にさまよわせた。
ケイと陽斗を追いたい。
でも、壊された祠が気になって仕方ない。
「行こう、朝倉」
落ち着きをなくした篠宮が早口で促してくる。
「え、あぁ……うん」
階段を降り始めると、ケイの騒がしい声がまた聞こえてくる。
「あれ、何の声? なんて言ってた?」
「知るか、知るか!」
「うぇー。こぇぇぇ。ほんもの~ッ!」
叫びは想像よりもあたりに響かなかった。
森の静けさに呑まれたように、一瞬の沈黙が流れる。
急に居ても立っても居られなくなり、ケイと陽斗よりも近くにいる篠宮と立花を振り向いた。
ふたりはのんびりとした足取りでおりてくる。
「こういうときって、焦らない方がいいんだっけ……」
篠宮がぼそりと言い、不安そうに背後を振り向く。
そこには立花が続いている。
平然とした表情に苛立ちが募り、キッと睨みつける。
立花は、篠宮越しに俺を見た。
悪びれない態度を怒鳴りつけたかったが、ぐっとこらえて問いかける。
「……立花。おまえ、あの祠、壊したの?」
それがなにを意味するのかは、考えたくもなかった。
俺は信心深くもないし、ホラーも階段も嫌いじゃない。
でも、こわいものはこわい。
呪いも祟りも否定しきれないたちだ。
「なんてことない」
気安く答える声が山のざわめきで遠くなる。
急に風が出てきて、階段の左右の枝が激しく揺れた。
「……どうなるんだっけ」
いつも冷静な篠宮が、ぼそりと言う。
「あの祠を壊したら、どうなるんだった?」
その声を聞きながら、俺は前へ向き直った。
話をしたくなくて、階段を駆けおりていく。
いまはただ、祠から離れたい。
その一心だ。
すぐに篠宮と立花が追いつき、三人で団子になって階段をおりる。
焦った俺は、階段を何度も踏みはずしそうになった。
風はさらに強くなり、セミの声が途切れては繰り返され、篠宮は何度も同じことを繰り返す。
ケイと陽斗も、同じ話を続ける。
歩道と街灯が見えたとき、握りしめていた拳の内側がびっしょり濡れていることに気がついた。
