どうせ届かないのに、それでも好きになった——宮廷武官と薬師の恋

冬季祭の日。城下町は朝からどこか浮き立つ空気に包まれていた。

通りには色とりどりの布や灯りが飾られ、普段は店内で商いをしている店も、今日は店先に屋台を出している。人の声と笑い声が絶えず響き、いつもの街とはまるで別の場所のようだ。

もっとも、お師匠様の店は祭りとは無縁で、こういう日はきっちり休みにしている。

私はお師匠様と分担している家事を終わらせてから、しばらく部屋で本を読んだり、ぼんやり過ごしていた。

今日の夕食は各自で済ませることになっているし、お師匠様は実行委員の人たちとの懇談に出かけていった。

――さて、何を食べようかな。

そう思いながら、夕方になってから城下町へと足を運ぶ。

並ぶ屋台を眺めていると、ふと日本の祭りを思い出した。

綿菓子とか、ミルクせんべいとか、食べてたなあ。味噌汁とか、魚の煮つけもずっと食べてないかも。

軽くため息をついてから、私は目の前の屋台へと視線を戻す。

……まあ、ないものねだりしても仕方ない。

気を取り直して、食べ歩きをしながら店を見て回る。

いくつかの屋台を回ったあと、ふと目に入った装飾品の店で足を止めた。

小さな髪留めが並んでいる。

「……かわいいなあ」

思わず小さくつぶやく。

そういえば、この世界に来てから、おしゃれなんてほとんどしていない。

前の世界でもおしゃれとはほぼ無縁だったけど、それでも髪飾りくらいは時々買っていたし、仕事に行くときは化粧だってしていた。

こっちに来てからは、宮廷診療所に行くときくらいしか、まともに身だしなみを整えていない気がする。

……女として、ちょっとどうなんだろう。

そんなことを考えながら、一番気に入った髪留めを手に取る。

――でも、結構するなあ。

見習いの給料では、少し痛い金額だ。

しばらく眺めてから、そっと元に戻そうとした、そのとき。

「それ、気に入っているのか」

突然、聞き覚えのある声がして、思わず肩が跳ねた。

「……っ、あ」

振り返ると、そこにいたのは凌越だった。

「悪い、驚かせたか」

「あ、いえ、大丈夫。ちょっとぼーっとしてただけで」

慌てて言い訳をする。

「そうか」

短く答えたあと、彼は軽く周囲を見回した。

「越さんは、お休み?」

「いや。これから夜勤だ。その前に腹ごしらえしようと」

そう言って、手にしていた串焼きを軽く掲げる。

「大変ですね」

私がそう言ったところで、店主が声をかけてきた。

「それ、買うのかい?」

「あ、いえ、すみません」

慌てて髪留めを戻そうとした瞬間、横から手が伸びる。

「これをもらえるか」

凌越が、私の手から離れた髪留めを店主に差し出していた。

「え、あの……」

私が状況についていけないまま、会計はあっさりと済まされる。

そのまま、髪留めが差し出された。

「ほら」

「え、えと……?」

戸惑って受け取れずにいると、わずかに眉を寄せた顔になる。

「この間の傷の手当の礼だ」

半ば押し付けるように手渡される。

「あ、ありがとうございます……でも、本当にもらっていいの? 送ってもらったりもしているので、十分というか……」

「しつこい」

短く言い切られて、言葉が止まる。

「返されても困る。迷惑だったか?」

少しだけ困ったような顔で言われて、慌てて首を振った。

「いえ、そんなことないです。これ、本当は欲しくて、あの、ありがとう」

思わず本音が出る。

「越さんも、何か欲しいものがあったら言って下さいね。あんまり高いものは無理だけど……」

「いや」

そこで言葉を切ってから、少しだけ考えるような間があった。

「だったら、夕飯がてら、少し付き合ってもらえるか」

「え?」

一瞬、言葉の意味が理解できずに固まる。

「あ、はい……えと、ぜひ」

慌てて頷く。

「でも、それだと御礼になってない気が……」

言いながら、顔がじわじわと熱くなるのが分かる。

凌越は特に気にした様子もなく、歩き出した。

その後を、少し遅れて追いかける。

――こんなふうに、家族以外の男性と祭りを回るなんて、初めてだ。

しかも、よりによって――好きな人、だし……

内心でそう認めてしまって、余計に落ち着かなくなる。

並ぶ屋台を見ながら、二人でゆっくりと歩く。

時折、言葉を交わしながら、店を覗いていく。

その時間は思っていたよりずっと自然で、気づけば緊張も少しだけ和らいでいた。

それにしても、ふと、横を歩く彼を見上げる。

――恋人とか、いないのかな

考え始めると、気になってしまう。

きっといるんだろうな。あんなに整った顔立ちだし、宮廷でも人気があるってお師匠様も言っていた。

どんな人なんだろう。綺麗な人なのかな。

見てみたい気もするけど、見たくない気もする。

そんなことを考えているうちに、つい口をついて出た。

「そういえば、越さんの恋人って……やっぱり綺麗な人ですか?」

その瞬間。

「――っ」

凌越が飲み物を喉に引っかけたのか、軽く咳き込む。

「わっ、大丈夫ですか?」

思わず身を乗り出すと、少ししてから息を整えた。

「……悪い。もう大丈夫だ」

それから、怪訝そうにこちらを見る。

「急に何だ」

「あ、えと……なんとなく、です」

自分でも何を言っているのか分からなくなりながら、言葉を探す。

「その……どうなのかなって……」

言い切れずにいると、

「今はいない」

と、遮るように言われた。

「あ……そうなんですね」

思わず気の抜けた返事になる。

「お前はどうなんだ」

「ない、ない。もちろん、いないです、そんな人――」

両手をぶんぶん横に振って、慌てて答える。

「そもそも、この世界に来てからはそれどころじゃなかったし」

最後は少しだけ力の抜けた笑いになる。

凌越は少しだけ視線を落とした。

「異世界に馴染むのは大変だったのだろうな」

その声音は、さっきよりもわずかにやわらかい。

「いえ……まあ」

少し迷ってから、言葉を続ける。

「お師匠様には本当によくしてもらってるので、本当に恵まれてると思うんですけど」

それでも、と小さく息を吐く。

「この国の人って、みんな彫りが深くて背も高くて……最近は慣れてきましたけど、いまだにちょっと現実味がないというか」

自分でもうまく言えないまま、言葉を重ねてしまう。

「二年以上も経つのに、変ですよね……すみません、こんな話」

少し気まずくなって視線を落とす。

しばらくの沈黙のあと、

「いや」

短い声が返ってきた。

それ以上は何も言われなかったけれど――

それが、不思議と嬉しくて。

……こんなふうに、一緒にいられる時間が、もう少しだけ続けばいいのにと、

願ってしまった。