どうせ届かないのに、それでも好きになった——宮廷武官と薬師の恋

あれ、凌越さんだ。

遠くから近づいてくる姿をとらえた瞬間、心臓が大きく跳ねた。

ど、どうしよう。

そう思ったところで、どうにもならない状況なのは分かっている。

とにかく気持ちを落ち着かせて、話しかける言葉を頭の中で探す。

よかったのは、段さんも一緒だということだ。

一人じゃないだけで、少しだけ気が楽になる。

私は、話しかけられる距離まで近づいてから、小さく息を整えた。

「こんにちは」

「あぁ、こんにちは。薬を卸に来たのかい?」

段が気さくに声をかけてくる。

「いえ、それもあるんですけど、二週間ほど前から白雲さんのお手伝いに時々来てるんです。薬師が一人産休に入っていて、忙しいみたいで」

「そうか」

軽く頷いてから、段は続ける。

「帰るところ?」

「あ、はい。もうそろそろ夕刻の便が出るので」

そう答えると、

「あぁ、なら俺が送っていこうか。ちょうど帰るところだし」

凌越の言葉に、思わず固まる。

「え、えと……ありがとうございます。でも、馬車があるので」

慌てて断りながら、顔が一気に熱くなるのが分かる。

「遠慮しないで送ってもらったら。その方が早いよ」

段が余計な一言を添えてくる。

「でも……」

言いかけたところで、

「いつも遠慮ばかりだな」

呆れたように凌越が言った。

そのまま、段の方へ視線を向ける。

「じゃあ、帰る」

「あぁ、じゃあな。姫香、またな」

段は楽しそうに笑みを浮かべて、その場を離れていった。

残されたのは、私と凌越の二人。

「じゃあ、行くか?」

問いかけというより、ほとんど決定のような言い方だった。

「あ、はい……あの、ありがとうございます」

ぺこぺこと頭を下げながら、後をついていく。

そんなやり取りをしているうちに、馬小屋へとたどり着いた。

前回と同じように馬へと乗せられ、そのあとに凌越も騎乗する。

……やっぱり、この体勢はどうにかならないのだろうか。

顔の熱も、心臓の音も、前よりひどくなっている気がする。

なんでこんなことになっているんだろう。

そう思わずにはいられなかった。

「そういえば、その言葉遣い」

城を出たところで、凌越が声をかけてくる。

「あ、は、はい」

動揺がそのまま声に出る。

それに、ふっと小さく笑ってから続けた。

「敬語、話しづらくないか。俺の方が年下なんだし、普通に話してくれた方が助かる」

「え、でも……」

言いかけて、少し迷う。

でも、せっかく言ってくれているのだから。

「えと……じゃあ」

ぎこちないまま、言葉を選ぶ。

「越さんの家って、ここから近いの?」

「あぁ、城の近くに実家があって、そこから通っている」

「家族と暮らしてるんですね。じゃあ、お父さんも武官?」

「まあ、そうだったが」

少しだけ間を置いてから、

「父も母も、もういない」

淡々とした声だった。

「あ……ごめんなさい。えと……」

どう返せばいいのか分からなくなる。

「別にいい」

軽く言ってから、少しだけ苦笑する。

「母は俺が生まれてすぐだし、父も亡くなってから五年は経つ」

五年、という言葉に引っかかる。

「あの、五年前って……戦争が」

最後まで言い切る前に、

「あぁ、まあな。武官だからな……」

低くつぶやくような声が落ちる。

その一言に、体がぞくっと震えた。

戦争。

私にとっては、ほとんど現実感のない言葉だ。

人を殺すことも、殺されることも――怖いとしか思えない。

「姫香?」

私の様子に気づいたのか、少しだけ声がやわらぐ。

「あ、いえ……ただ、私の国はずっと戦争とは無縁で」

うまく言葉にできず、口ごもる。

「姫香の国は平和だったんだな」

そう言ってから、少しだけ間を置く。

「この国の皇帝は無駄な戦を好まない。それに、俺たち武官もいる」

「……そう、ですね」

少し迷ってから、言葉を続ける。

「でも、やっぱり……怪我してるのを見るのも、怖くて」

自分でも情けないと思いながら、それでも言葉が止まらない。

「人が傷つくのは、あまり見たくないなって……」

「……そうか」

小さく返したあと、視線を前に戻す。

「この国が戦火に包まれるようなことがあれば、他国へ逃れることも考えた方がいい」

その声は思っていた以上に真剣で、少しだけ怖かった。

でも、それ以上に――胸が痛む。

前は、この国の人だと言ってくれたのに。

「そういうわけには……お師匠様もいるし」

思ったより、はっきり声が出た。

「それに、私……これでも一応、薬師だから」

「……そうか」

ぽつりとした返事だった。

それ以上、その話は続かなかった。

その後は、気まずくならない程度に、ぽつぽつと会話を交わす。

やがて、お師匠様の家へと着いた。

「じゃあ」

馬を降りるとき、手を貸してくれる。

「あの!」

思わず声をかける。

「……それでも、私、ここにいますから」

言ってから、自分でも何を伝えたかったのか分からなくなる。

慌てて言葉を探そうとしたとき、

「言葉遣い、また戻ってる」

苦笑しながら、そう言った。

私の言葉にはそれ以上触れず、そのまま背を向ける。

そして、何事もなかったかのように去っていった。