すり鉢の中で、乾燥させた薬草をゆっくりとすり潰す。
「もう少し細かくしないと、効きが弱くなるよ」
奥から飛んできた声に、「はい」と返しながら手に力を込めた。
薬草の独特の香りが、鼻に抜ける。
この匂いにも、もうすっかり慣れてしまった。
青嶺国の都の外れにあるこの薬舗で働き始めて、気づけば2年が経っている。
……とはいえ、ついこの前まで日本で薬剤師として働いていたはずなのに、その頃のことが少しずつ遠く感じている。
交通事故に巻き込まれて、気がついたらこの店の中に立っていた。
それが、すべての始まりだった。
この世界では、異世界から来た人間が現れること自体はまれにあるらしい。
だからなのか、私の存在も驚くほどあっさり受け入れられた。
「手、止まってるよ」
「すみません」
杜明蘭に指摘されて、私は慌ててすり鉢に向き直る。
ここで働くことになったのは、本当に偶然の幸運だったと思う。
元の世界で薬剤師をしていたことを話したら、お師匠様が「ちょうどいい」と言って、ここに置いてくれたのだ。
後継者を探していたお師匠様と、行き場のなかった私。
条件が、うまく噛み合っただけの話。
……まあ、その“後継者”としてやっていけるかは、今のところ、かなり怪しいけど。
「それ、次は煎じる準備しておくれ」
「はい」
返事をしながら立ち上がる。
こうして調合の作業を手伝いながら、日々、薬草の知識を身につけている。
必要だからと、怪我人の手当についても習っている。
薬剤師という職業柄か、お師匠様から学べる薬の知識は純粋に楽しい。
ただ、漢方はもともと苦手だった分野で、覚えるのにはどうしても時間がかかる。
――こんなんじゃ、10年たっても後継者になれる気がしない。
私はちらりとお師匠様の方を見て、小さく息を吐いた。
先は、長そうだ。
——それでも、ここで生きていくしかない。
―――――――――――――――――――
数日後。
宮廷の一角にある薬の受け渡し場で、
「お師匠は元気~?」
と、いつも通りのハイテンションな声が飛んできた。
年齢不詳、さらに性別不明の白雲だ。
「はい、相変わらずです。これ、いつもの薬です」
そう言って、大きな袋ごと白雲へと手渡す。今日は宮廷に薬を卸しに来ていた。
白雲は女性とも男性ともつかない衣装をまとっているが、一応は男性らしい。本人も隠す様子はなく、そういう人だと公言している。
その中性的で整った容姿もあってか、文官や武官の中にも親しい関係の相手がいるらしい、という噂も耳にしたことがある。
「ありがとう、助かるわ。師匠の薬はやっぱり一番効くのよね。それにしても姫香は相変わらず小さいわね」
袋を受け取りながら、楽しそうに私の頭をぽんぽんと叩く。
「やめてくださいよ……」
思わず少しむっとする。
この世界の人たちは、女性でも平均で165cmほど、男性なら180cmはある。
その中で150cmしかない私は、どうしても年齢より幼く見られてしまう。
「白雲さん、おでかけ予定でした?」
薬が積まれているであろうワゴンが2台用意されているのに気づいて尋ねる。
「そうなのよ、ちょうどよかった。青嶺の森で武官たちが大規模な演習をしていたのよね~。そろそろ怪我人が運ばれてくる頃だから、姫香も手伝ってくれる? まあ演習だから、大した怪我人はいないと思うけど」
「はい」
内心でため息をつきつつ、私は頷いた。
この国の武官たちにとって、演習が大切なのはわかる。
けれど、演習で怪我人が出るなんて――やっぱり日本とは違うな、とつくづく思う。
青嶺国は中規模ながら、肥沃な土地と豊富な資源に恵まれた国だ。
東には小国の洛陽国、大国である玄武国、西には青嶺と同程度の規模を持つ鳳陽国がある。
玄武国の現皇帝は好戦的な性格で、隣国への侵略行為を繰り返していた。
5年前には青嶺・洛陽・鳳陽の3国連合と玄武国との間で大規模な戦があり、玄武国はそれなりの損害を受けたという。
その結果、現在は動きを潜めているらしいが――それでも、不穏さが消えたわけではない。
それを知ったとき、正直に思った。
――なんで、こんな世界に来ちゃったんだろうって。
元の世界では、戦争なんて現実感のないものだった。
早く戻れたらと、何度も願った。
……それが叶わないことも、分かっていたけど。
家族のことを思い出すと、胸の奥が少しだけ重くなる。
……だけど、今は目の前のことをやるしかない。
そう思いながら、私は顔を上げた。
「もう少し細かくしないと、効きが弱くなるよ」
奥から飛んできた声に、「はい」と返しながら手に力を込めた。
薬草の独特の香りが、鼻に抜ける。
この匂いにも、もうすっかり慣れてしまった。
青嶺国の都の外れにあるこの薬舗で働き始めて、気づけば2年が経っている。
……とはいえ、ついこの前まで日本で薬剤師として働いていたはずなのに、その頃のことが少しずつ遠く感じている。
交通事故に巻き込まれて、気がついたらこの店の中に立っていた。
それが、すべての始まりだった。
この世界では、異世界から来た人間が現れること自体はまれにあるらしい。
だからなのか、私の存在も驚くほどあっさり受け入れられた。
「手、止まってるよ」
「すみません」
杜明蘭に指摘されて、私は慌ててすり鉢に向き直る。
ここで働くことになったのは、本当に偶然の幸運だったと思う。
元の世界で薬剤師をしていたことを話したら、お師匠様が「ちょうどいい」と言って、ここに置いてくれたのだ。
後継者を探していたお師匠様と、行き場のなかった私。
条件が、うまく噛み合っただけの話。
……まあ、その“後継者”としてやっていけるかは、今のところ、かなり怪しいけど。
「それ、次は煎じる準備しておくれ」
「はい」
返事をしながら立ち上がる。
こうして調合の作業を手伝いながら、日々、薬草の知識を身につけている。
必要だからと、怪我人の手当についても習っている。
薬剤師という職業柄か、お師匠様から学べる薬の知識は純粋に楽しい。
ただ、漢方はもともと苦手だった分野で、覚えるのにはどうしても時間がかかる。
――こんなんじゃ、10年たっても後継者になれる気がしない。
私はちらりとお師匠様の方を見て、小さく息を吐いた。
先は、長そうだ。
——それでも、ここで生きていくしかない。
―――――――――――――――――――
数日後。
宮廷の一角にある薬の受け渡し場で、
「お師匠は元気~?」
と、いつも通りのハイテンションな声が飛んできた。
年齢不詳、さらに性別不明の白雲だ。
「はい、相変わらずです。これ、いつもの薬です」
そう言って、大きな袋ごと白雲へと手渡す。今日は宮廷に薬を卸しに来ていた。
白雲は女性とも男性ともつかない衣装をまとっているが、一応は男性らしい。本人も隠す様子はなく、そういう人だと公言している。
その中性的で整った容姿もあってか、文官や武官の中にも親しい関係の相手がいるらしい、という噂も耳にしたことがある。
「ありがとう、助かるわ。師匠の薬はやっぱり一番効くのよね。それにしても姫香は相変わらず小さいわね」
袋を受け取りながら、楽しそうに私の頭をぽんぽんと叩く。
「やめてくださいよ……」
思わず少しむっとする。
この世界の人たちは、女性でも平均で165cmほど、男性なら180cmはある。
その中で150cmしかない私は、どうしても年齢より幼く見られてしまう。
「白雲さん、おでかけ予定でした?」
薬が積まれているであろうワゴンが2台用意されているのに気づいて尋ねる。
「そうなのよ、ちょうどよかった。青嶺の森で武官たちが大規模な演習をしていたのよね~。そろそろ怪我人が運ばれてくる頃だから、姫香も手伝ってくれる? まあ演習だから、大した怪我人はいないと思うけど」
「はい」
内心でため息をつきつつ、私は頷いた。
この国の武官たちにとって、演習が大切なのはわかる。
けれど、演習で怪我人が出るなんて――やっぱり日本とは違うな、とつくづく思う。
青嶺国は中規模ながら、肥沃な土地と豊富な資源に恵まれた国だ。
東には小国の洛陽国、大国である玄武国、西には青嶺と同程度の規模を持つ鳳陽国がある。
玄武国の現皇帝は好戦的な性格で、隣国への侵略行為を繰り返していた。
5年前には青嶺・洛陽・鳳陽の3国連合と玄武国との間で大規模な戦があり、玄武国はそれなりの損害を受けたという。
その結果、現在は動きを潜めているらしいが――それでも、不穏さが消えたわけではない。
それを知ったとき、正直に思った。
――なんで、こんな世界に来ちゃったんだろうって。
元の世界では、戦争なんて現実感のないものだった。
早く戻れたらと、何度も願った。
……それが叶わないことも、分かっていたけど。
家族のことを思い出すと、胸の奥が少しだけ重くなる。
……だけど、今は目の前のことをやるしかない。
そう思いながら、私は顔を上げた。


