どうせ届かないのに、それでも好きになった——宮廷武官と薬師の恋

——私の人生に、あんな出会いがあるなんて思っていなかった。

「ふう……」

客足が途絶えたところで、ひと息つく。

「お師匠様、お疲れさまです。どうでした?」

声をかけた先では、小太りの六十代ほどの女性が首を回していた。

「やれやれ、なんとか間に合ったよ」

そう言って、調合した薬を包んだ袋をこちらへ渡してくる。

「よかったですね」

私は時計を見ながら言葉を返す。

「その受け渡しが終わったら店じまいだね。先に上がっているよ」

お師匠様はそう言って、店の奥にある階段から居住スペースへと消えていった。

それからまもなくして、店の扉が開く。

私はいつもの受け取り主が来たのだと思い、振り返りながら声をかける。

「お待ちしていました」

――と、思った瞬間。

……うわ、なにこの人。

めちゃくちゃ私好みの顔立ちなんだけど。

あっさりと整った顔立ちに、無駄のない体つき。ほどよく日に焼けた肌に、艶のある黒髪を後ろで束ねている。

切れ長の目は鋭さがあるのに、どこかやわらかくて、目が合うと逸らしたくなるのに、もう少しだけ見ていたくなる。

長衣の裾からのぞく動きやすそうな装いと、帯に収められた刀。

それだけで、武官なのだとすぐに分かった。

つい見とれてしまって、言葉が止まる。

当然のように、相手は怪訝そうな顔をした。

――やばい。

私は慌ててひとつ息を整える。

「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか?」

内心は心臓がうるさいくらいに鳴っているけれど、なんとかいつもの店頭対応を始める。

本当、男の人に免疫がなさすぎる。

好みの人を見ると、どうしても動揺してしまう。

「いや、段 恒一(ダン・コウイツ)の代わりに、段 雪(ダン・セツ)の薬を受け取りに来ました」

そう言って差し出された引き換え札を受け取る。

「あぁ、すみませんでした。こちらですね。雪さんの様子はどうですか?」

「あぁ、落ち着いていると聞いている」

「そうですか。ええと、二百五十文になります。段さんにお大事にとお伝えください」

お金を受け取りながら、ふと気づく。

――左腕。

不自然に巻かれた布。その隙間から、血が滲んでいる。

「左腕、大丈夫ですか? 怪我をされているようですけど」

私の問いに、彼はちらりと自分の腕を見てから答えた。

「あぁ、大した怪我じゃないから」

そのまま出て行こうとするのを、慌てて引き止める。

「お待ちください。少しだけ手当てをさせてもらえませんか。怪我をしている方をそのまま帰したら、お師匠様に叱られてしまうので」

うちのお師匠様は、怪我人や病人を見れば相手が誰であろうと放っておかない。半ば押し売りのようにでも治療する人だ。

「本当に大したことはない」

面倒そうに返されるけれど、ここで引くわけにはいかない。

「すぐ終わりますから」

私は返事を聞く前に椅子を用意して、軽く叩く。

「座ってください」

彼は小さくため息をついたあと、諦めたように腰を下ろした。

「……すまない、では頼む」

「失礼します。布、外しますね」

許可を得て、止血していた布を外す。

――思わず息を呑みそうになる。

なんとか声には出さなかったけれど、かなり深い。

刀で裂かれたような傷。

……大丈夫。お師匠様の言われた通りするしかない。

傷口をよく見て、慌てずに処置すること。

まずは出血を止める。それから、汚れを落として、薬を使う。

日本にいた頃は、こんな処置を自分がするなんて思いもしなかったけれど――

私は小さく息を吐いて、次の手順に移った。

それにしても、この傷を“大したことない”と言えるあたり、やっぱり武官ってこういうのが日常なのかもしれない。

私は一度離れて、化膿止めの薬草入りの軟膏と、傷口を覆うための布、消毒用の湯を用意して戻る。

そのときだった。

「どうしたんだい?」

階段の上から、お師匠様が降りてくる。

「あ、はい――」

私が答えようとしたところで、お師匠様が彼に目を向ける。

「おや、凌越(リン・ユエ)じゃないか」

私は驚いて二人の顔を見比べる。

――ああ、そうか。

お師匠様は3年前まで宮廷付きの薬師をしていた。知り合いでもおかしくない。

「お久しぶりです、明蘭(めいらん)様」

彼――凌越は立ち上がり、軽く礼をした。

「相変わらず怪我が絶えないようだね」

お師匠様はため息まじりに言う。

「まあ、そういう仕事ですから」

「特にあんたのところはね。少しは自分の体も労わりな。そんな扱いじゃ体が可哀想だよ」

説教のようでいて、どこか気遣うような言い方だった。

凌越は柔らかな笑みを浮かべる。

「ありがとうございます。善処します」

――やっぱり、かっこいい。

いや、ほんと、イケメンが笑うと破壊力すごい。

「姫香、ぼーっとしてないで手当てをしておあげ」

お師匠様の声で我に返る。

「は、はい」

慌てて治療に戻る。

お師匠様は凌越に、宮廷の知り合いの近況などを楽しそうに話しかけている。

それにしても、この人すごい。

絶対痛いはずなのに、顔色ひとつ変えない。この薬、結構しみるのに。

包帯を巻き終えて、ようやく治療が終わる。

十分に距離が取れたことに、内心ほっとしながら声をかける。

「どうですか? 腕、動かしづらくないですか?」

「いや、大丈夫だ。ありがとう、助かった」

軽く礼をして、またあの笑みを見せる。

「いえ、よかったです」

「段に、近いうちに雪の様子を診に行きたいと伝えておくれ」

お師匠様がそう言う。

「はい、わかりました」

「では」

凌越はそう言って店を出ていった。

その背中を見送りながら、私は完全に撃沈していた。

片づけをしていると、お師匠様が楽しそうに声をかけてくる。

「姫香、ああいうのが好みなのかい?」

一気に顔が熱くなる。

「その……好みというか、っていうか、誰が見てもかっこいいじゃないですか」

「まあね。越は宮廷でも結構もててたよ。本人が真面目だから、女性関係は派手じゃないけど」

お師匠様は愉快そうに笑う。

「本当、もったいないね。私があの顔だったら遊びまくるよ」

「お師匠様……」

呆れつつも、私は肩をすくめる。

「ご心配なく。私にはそういうのは無縁の話ですから。」

我ながらむなしい現実を口にする。

平凡より少し下くらいの地味な顔立ちに、特別明るい性格でもない。二十七年間、そういう縁はまったくなかった。

――これから先も、きっとない。

さらに、この世界に来てから二年。

異世界転移なんて最初は少し甘い期待したけれど、現実はそんなに甘くない。

そういう恩恵は若くて、可愛い女の子限定なのだろう。

結局、元の世界と同じ。

生きていくために、薬師として修行する日々が続いているだけだった。

……そう思っていたはずなのに。

さっき見た、あの柔らかな笑みが、どうしても頭から離れなかった。

——たった一度会っただけなのに。