薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

「……この内容は良くない。読まない方がいい」

 那岐から借りた化本を読めるようになりたいと申し出てすぐ。
 パラパラと内容を流し読みした磨徒は、バッサリとその要求を両断した。

「そんなぁ……どうしてですか? とっても面白そうですけど」

「偏見を助長する内容だ。お前には読ませたくない」

「…………はい」

 肩を落としてしょげるみつを前にして、磨徒はなんとも気まずそうに首もとをさする。
 そうしてゆっくりと言葉を選びながら、機嫌をとるように優しい声色で言葉を紡いだ。
  
「そういえば、まだ月鬼について詳しく聞いていなかったな。月鬼には何か目的があるのか?」

 並べて敷かれた布団の上に座り、二人は向かい合って言葉を交わしていた。
 双方寝間着姿であり、濃紺の長襦袢を身にまとっている。

「えっと……月鬼様は、人間を廃し物の怪だけが住む世を作ろうとなさっております。それが一族のためになると」

 昼間は、月鬼のことを思い浮かべるのと同時に磨徒の姿も脳裏によぎった。
 磨徒との関係についても少なからず頭を悩ませた後なので、どうにも月鬼の話をするのに気が引けてしまう。
 みつが遠慮がちに磨徒を見上げると、彼は真剣に月鬼の生態について考察しているようで、険しい顔でわずかに首をひねった。

「一族のため……か。しかしそやつらは人間を食らい生きているのだろう。人間が絶えると困るのではないか?」

「それは……うっ……何か他の食べ物を……」

「であれば最初から他のものを食らっていればいい。人間を好んで食らうのは美味いからだろう。好物は大切に少しずつ食らう方が一族のためではないか?」

 磨徒の言い分に、みつは肩をすぼめて縮こまる。大切にしてきた月鬼の信念を否定され、何と言葉を返したらいいのか分からない。

「……いや、しかしそれは本の中の話。野暮な口出しをするのは良くないな。すまなかった」

 言いすぎたと反省したのだろう、磨徒は軽く咳払いをして頭を下げる。

「謝らないでください。たしかに月鬼様は、後先考えないところがあります。でも、そんなところも素敵なんです」

「…………そうか。良いと思うぞ。俺は、そうやって眼を輝かせているお前が好きだ」

「えっ……あっ、はい!」

 みつの頬が紅く染まる。好きだという言葉の響きに、耳から火が出そうだ。低い囁き声を何度も頭の中で反芻しながら目が回る思いだった。
 続く言葉がうまく出てこずにうつむくみつを見て、磨徒はやわらかに口角を上げる。

「化本では大きく脚色されていたが、俺が知る初代当主の話なら聞かせることができる。今夜はそれで許してくれないか?」

「ぜひお聞きしたいです、お願いします!」

 みつは目を輝かせて身を乗り出す。くすりと笑みを見せた磨徒は、化本を枕元に置いて語りだした。


 
 翌朝の朝餉では、みつの膳の上に肉料理が乗せられた。牛の肉を焼き、たれを絡めたものだ。

「わぁ……いい香り!」

「ウシを食わせると約束していたのを思い出してな。遅くなってすまない」

「いえ、とっても嬉しいです! 月鬼様も食べたことあるかしら」

 箸を握ったままにこにこと湯気の上がる肉に鼻を近づけるみつは、少女のように声を弾ませる。

「月鬼も好きな味かもしれないな。冷めないうちに食うといい」

「はいっ! いただきます」

 手を合わせ命をいただくことに感謝しながら、みつは一口大に切られた牛肉を口に運ぶ。
 やわらかなそれを噛み締めればじゅわりと肉汁がわきだし、甘辛いたれと絡み合い、濃厚な風味が鼻を抜けていく。

「おいしいです! これがお肉!!」

 初めて口にする味に、みつは大興奮だ。
 白米と共に頬張り、一心不乱に堪能する。
 肉を食べると、心なしか体力気力がみなぎってくるような気がする。
 月鬼の好物(肉全般)を口にしているという高揚感もあり、みつは胸がいっぱいだった。

「うまそうに食うな」

「はいっ! おいしいです! お肉、好きになりました!」

「それは良かった。明日からはお前の分も肉料理を用意してもらおう」

「ありがとうございます! 私も毎日食べて、あやかしの皆さまのように体力をつけたいです」

 みつの箸は止まらず、あっという間に完食してしまった。
 磨徒の元へ嫁いでくるまで、食事に喜びを感じることなどなかった。ここに来て初めての感覚に、心身が満たされていく。


 
 磨徒が政務で外出すると、みつは文机の前に腰を下ろした。
 質の良い和紙に、たどたどしく筆を走らせる。
 今朝、磨徒があやかし文字の手本を作っておいてくれたので、それを書き写しているところだ。
 磨徒は人間の文字も読めるため、分かりやすい解説が、みつにも読める字で添えられている。
 
(文字の種類はひとつなのね、これは覚えやすそう)

 あやかし言葉は表音文字であり、比較的覚えやすい。
 もともとあやかしの言葉は日本語とほぼ変わらないため、日常会話にはたいした支障もない。
 文字の音さえ覚えてしまえば後の読み書きは容易であると、磨徒も教えてくれた。

  
「おっはよーございまぁす!」

 弾むような声色とともに、勢い良く部屋の障子が開く。
 そのまま跳ねるようにしてみつの前に姿を現したのは、猫のような身体的特徴を持った少女だった。
 頭から生えているのはピンと立った獣の耳。長い尻尾もゆらゆらと揺れている。
 赤茶色の髪を耳の下で二つに結っており、丈の短い着物をまとっているため、胸元も足も無防備に露出している。
 みつの脳裏に浮かんだのは、江戸にいた頃に目にした、化け猫の絵だった。

「お客様……でしょうか?」

 急な来客に、みつは筆を置いて軽く会釈する。
 少女は不満げに口を尖らせ睨み付けてくる。

「あんたが磨徒にぃの嫁? あたしの方が可愛い」

「はい、確かに私は磨徒様の妻です。そしてあなたが可愛らしいことも事実です」

「だよね。あたし磨徒にぃの側室になるんだもん!」

「そう……なのですか?」

 側室と聞いて言葉につまる。
 磨徒が側室を持たぬと宣言したのは、つい昨日のことだ。
 目の前の少女は、一体どんな意図があってそのような発言をするのだろう。
 みつの心中がかすかにざわめく。

「あたしは、ちっちゃい頃からずっとずっと、磨徒にぃのこと好きなの! だからお嫁さんにしてもらうの!」

「えっと……まずはあなたのお名前を聞いても?」

「あたし、流花(るか)! 五家の累(るい)族の娘」

「五家……それで、旦那様と古い付き合いがあるのですね」

 五家の説明は嫁入り前にあらかじめ聞いていたため、話がすんなりと頭に入ってくる。
 嵬族と五家には密接な関わりがある。
 互いの家を行き来することも多く、個々との親交も深いと聞く。

「磨徒にぃはね、昔、流花のこと好きだって言ってくれたもん。だから側室になるの」

「はぁ…………それは、その、旦那様とよくお話しになってくださいませ」
 
「はぁ? なんか偉そうでむかつく。人間のくせに」

 間近に顔を近づけながら、ぐるりとみつの周囲を歩いてみせる流花は、憐れむような、嘲笑うような顔をしている。

「人間の嫁なんてさ、正室でも形だけ。嫌々押し付けられてるだけなんだから、愛されることなんて一生ない」

「……」

「代々そうだからねぇ! 疎まれ、蔑まれて散ってくの。あんたじゃ磨徒にぃと釣り合わないわ」

 …………釣り合わない。確かにそうかもしれない。
 昨日耳にした磨徒の言葉を信じる気持ちは揺らがない。
 しかし、流花は自分よりずっとまっすぐに磨徒を想っている。
 そのことに、ただただ後ろめたさを感じて胸が痛む。
 どちらが妻として相応しいかと問われたら、それは──……
 

「朝からキーキーうるせぇなァ」

 と、一瞬張りつめた空気で満たされた夫婦の居室に顔を見せたのは那岐だった。
 気だるそうにあくびをしながら敷居を跨ぐ。

「げっ、ナギ……何しにきたのよ、帰りなさいよ」

「こっちのセリフだガキ。ここは俺んちだぜ」

 睨み合う二人の間でみつは、おろおろと右往左往する。
 どうやら仲が悪いらしい二人は、今にも取っ組み合いの喧嘩をはじめそうだ。

(旦那様、はやく帰ってきてください……!)