薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 みつが回復したのは、事件から三日後のことだった。
 日常が戻ると同時に、磨徒はみつを伴い、家中のすべてのあやかしを広間へと集めた。
 そして、みつに対して無礼を働いた者には処罰を与えると厳重に注意を促した。
 
 あやかしに嫁いだ人間が、これまでいかにひどい扱いを受けてきたか、磨徒は語る。
 みつもあらかじめ嵬族と人間の嫁が歩んできた歴史については聞いていたが、ここで磨徒が語り聞かせてくれた話は、ほとんどが初耳だった。
 まず人間の嫁は嫁いだその日から離れに幽閉され、外に出ることは許されないのが当たり前。
 夫となるあやかしにも人間に対する差別意識が根付いているため、ほとんどの夫婦は顔をあわせることなく生活していたそうだ。
 
 ただ、あやかしと人間の夫婦は、子を成すという一点のみ通過せねばならなかった。
 人間側からの使者に表向き「円満である」と示すためにも、子が必要だ。そこにはひとかけらの情もなかった。
 そういった経緯もあり、嵬族の歴代頭領は、馴染みのあるあやかしの女を側室として迎えてきたそうだ。
 世継ぎに正室の子を選ぶか、側室の子を選ぶかは、頭領の一存で決まるとのこと。
 幕府に恩を売りたい者は人間の血をひいた子を世継ぎにし、あやかしの血が薄まることを危惧する者は、あやかしの血が色濃く流れる子を世継ぎにする。
 人間に対する恩讐によってはかられるところであろう。

 
「磨徒様は、側室に関してはどうお考えですか?」

 正室であるみつにはばかる事もなく、お滝が尋ねる。
 いたたまれなくなって、みつはわずかに俯いた。一連の話を聞く限り、磨徒もまた側室を迎えるのだろう。

「俺は側室は持たん」

 即答する磨徒の言葉に、みつはもちろん、その場に集まっていた全員が息をのんだ。
 かすかなどよめきが起こり、みつの心臓もばくばくと壊れそうなほどに高鳴った。
 お滝は眉を寄せ、呆れた様子でため息をつく。

「しかしそれでは人間の奥方との間にしか、子が生まれませぬ。あやかしの血が薄まりますゆえ、ここ何代かは忌避されておりますよ」

「構わん。俺の代からはそうするのだ」

「食事に関しても、磨徒様のなさっていることは嵬族の慣習に逆らうものです。代々頭領は、人間の奥方とは別室で食事をとるもの。お立場に恥じぬ行動をなされませ」

 嵬族はしきたりと慣習を重んじる一族だと、みつも話には聞いていた。
 こうすべきだという生き方が、あらかじめ定められている。
 しかし磨徒は、顔色を変えることなく信念を貫こうとしている。
 そんな彼の決意を目の当たりにして、みつの胸奥はぎゅっと締め付けられるように疼くのだった。

「これからは俺が、新しき世を作っていくのだ。慣習など忘れろ。変えるべきものは変えていく。お滝も、皆も、力を貸してくれ」

「……ですが、磨徒様──!」

 声を張り上げて呼び止めるお滝の声には耳を貸さず、磨徒はみつの手をとって、ずかずかと廊下を歩いていく。


「…………不快な思いをさせてしまったな、すまない」

 やがて誰の目も届かない廊下の先まで歩いてくると、磨徒はみつの手をそっと離して、困ったように微笑んでみせた。

「とんでもございません……! 私は身勝手な想いを抱えて嫁いで参りました。旦那様が側室を迎えるご決断をされても、受け入れなければ公平ではありません」

「お前の心が月鬼にあろうと、俺の心は揺らがない。俺の妻はお前だけだ」

「…………っ……旦那さま…………」

「お前と過ごす時間が好きなのだ。そばに居させてくれ」

 くしゃりと優しくみつの頭を撫でると、磨徒はそのままきびすを返して、玄関の方へと歩いていった。
 その背を黙って見送りながら、みつは顔を真っ赤にして、ただただ立ち尽くしていた──。

(旦那様はいつも優しくて、私のことを大切にしてくださる…………私は、このままでいいのかしら?)
 

  
 磨徒が外出し、手持ち無沙汰となったみつは、磨徒から借りた書物を手に、縁側に腰かけていた。
 あやかしの書物はあやかし言葉で綴られており、みつには読むことができない。
 挿し絵のひとつもない本なので、ただただ理解できぬままぼーっと文字を眺めていた。

「つまんねーだろ、それ」

 心地よいまどろみに片足をつっこもうとしていたその時、隣に現れたのは那岐であった。
 あくびをしながら、どかりと立て膝で腰をかける。
 
「那岐様、おはようございます。私はあやかし文字を読めませんが、内容も難しそうで……」

「読めねぇのに見てんのかよ。どんだけヒマなんだ」

「ええと、何をしたらいいのか分からなくて……家事を手伝うこともダメみたいですし」

「そりゃそーだろ。人間の嫁は隠して表に出すな、家中のことにでしゃばらせるなってな。代々そんなもんだ」

 那岐の顔や腕は、もうつるりとして火傷痕もまるで目につかない。
 あの温厚な磨徒があそこまで怒りをあらわにするなどみつには信じられなかったが、人間への対応を重視し事を進めている磨徒にとって、那岐の行動は許しがたいものだったのだろうと推察する。
 
「でしゃばる気はありませんが、皆さんと仲良くしたいです」

「仲良くっつうのは、相手もそう思って初めて成り立つんじゃねぇのか?」

「そう……ですよね。私は、那岐様とも仲良くしたいのでがんばります!」

「……まァ、また血ィ吸わせてくれたらちょっと仲よくしてやってもいいぜ」

 と、那岐は牙を見せつけるように口を開く。
 しばし考えた後、みつは意を決したように腕を差し出した。

「少しだけなら……大丈夫です」

 みつはただまっすぐに那岐をとらえ、小さく頷いてみせる。

「……冗談だよバァカ。てめぇのまずい血なんぞいらねーよ」

 那岐は大きくため息をついて、顔をしかめた。
 みつの目には、那岐は常に不機嫌そうにうつる。
 何か気に入らないことがあるのだろうかと、彼の心中を気にかける。
 義弟という近しい立場の相手だ。できるだけ仲良くなりたい。
 
「そういえば那岐様は先日、あやかしの都にも架空の出来事を記した書物があると仰っておりましたね」

「ああ、化本な。歴史譚とか怪異譚とか……あとはバカな男が女に溺れて破滅する話とかな、いろいろある」

「わああ! すてき! とっても面白そうです!」

 人間の世にもよくある題材となんら変わりない豊富な品揃えに、みつは胸をふるわせる。

「まァでもてめぇ、読み書きできねーんだろ?」

「そうなんです。夜に旦那様に相談してみますね」

「あいつ、てめぇにゃやたら甘ぇから教えてくれんじゃねーの?」

「……そうですか? 皆様にお優しいのかと」

 みつから見て磨徒は、人間の血さえ飲まなければどこまでも優しく寛容な存在だ。
 当然誰に対してもそうあるのだろうと思っている。

「皆にってわけじゃねぇよ。変わりもんだからよ、人間に友好的なぶん、あやかしにはけっこう厳しいぜ」

「そうなのですか? 意外です……」

「あいつが家督を継いでまずやったことは、人間の扱いをめぐる取り決めの厳罰化だ。人間に手を出した奴は容赦なく処罰する。傷をつけるような真似をしたら基本的に死罪だな。俺が生かしてもらってんのは奇跡としか思えねぇ」

「そうだったのですね。そこまで人間のことを……」

 磨徒があやかしと人間の和を保つことに専心していることは知っていたが、その目的にかける思いの強さを改めて実感する。
 そこまで徹底して人間を尊重してくれるからこそ、みつに対しても優しい眼差しを向けてくれるのだろう。
 
 ──そう考えると、やはり婚礼の儀での磨徒は普通ではなかった。

「あの、あやかしの皆様は、人間の血を飲むとどうなるのですか?」

「人間を虐げたい、蹂躙したいっつう気持ちで満たされるな。肉を裂きたい衝動で頭どうかなっちまうんだわ。気のすむまで吸い尽くして、そのあとは食らう。俺もあの時、邪魔が入らなきゃてめぇを食ってただろうよ」

「そうだったのですね。では、血を飲んだ後そういった衝動をおさえるのは……」

「鋼の精神がねぇとムリだな。磨徒でも耐えられねぇだろう」

 那岐の言葉通り、事実磨徒は血がもたらす衝動に抗えなかった。
 とはいえ頭を踏みつけるにとどまり、みつを切り裂き血をすするようなことはなかった。
 あやかしにとって暴走する本能を抑え込むことは、想像を絶する苦痛だろう。
 そんな中、妻を気遣い己を律した磨徒は、桁違いの胆力の持ち主だとみつは感心する。

(旦那様……ご自身を責めてらっしゃったけれど、お辛かっただろうな)

 そう思うと同時に、ある疑問にたどり着く。

(確か、誰かに血を飲まされたと仰っていたな……一体誰が、どんな目的で?)

 考えてみれば恐ろしい話だ。誰かしらが何らかの企みの元、婚礼を台無しにしようとしたのではないか。
 みつは一人深刻な顔で黙り込む。

「あー、なんか怖がらせちまったな。まァ、磨徒は無闇にてめぇを襲ったりしねぇだろうから心配いらねーんじゃねぇの?」

「あ、はい……それはもちろん、信頼しておりますので大丈夫です」

「そうかよ。んじゃ、とりあえず化本一冊貸してやるよ。夜に磨徒と読みな」

「ありがとうございます!」

 那岐なりに気を遣ってくれている。それが痛いほど伝わってきて、みつは頭のなかに浮かんだ暗い考えを払拭する。
 磨徒のことだ。すでに何かしら手は回していることだろう。


 借りた化本を抱えて、みつはそっと夫婦の居室に戻った。
 本には挿絵もあると聞いて、さっそく広げてみる。
 紙面を大きく埋める絵は、力強い線で描かれたおどろおどろしい武者だ。
 化け物じみた描写をされてはいるが、恐らく人間を描いたものだろう。

「わぁ……すごい迫力」

 借りたのは歴史譚。嵬族初代当主の活躍を描いたものだそうだ。当然あやかしが英雄で、人間が悪逆非道な行いをする。

(月鬼様も、物の怪から見たら英雄なんだよね。敵である人間を討伐しているんだから)

 さすが月鬼様、と称えながら彼の姿を想い描こうとするが──ふいに、脳裏に磨徒の姿がよぎった。
 鼓動が高鳴り、目の前の景色がいびつにぼやける。
 心の奥が苦しい。朝方の磨徒の言葉が頭の中で繰り返し鳴り響く。

(わたし…………ひどい妻なのかもしれない…………)

 手にしていた化本を閉じて、歪んだ表情のまま畳を見つめる。
 磨徒の掲げる共生の理念に、みつも賛同した。彼の夢や目標を支えたいと思った。
 その気持ちに偽りはない。磨徒の片腕でありたい。
 しかし己の身勝手のせいで、磨徒とは真の夫婦にはなり得ない奇妙な関係にある。
 
 月鬼のことは大好きだ。
 けれど、なぜだか以前のように空想の世界に没頭できない。
 この気持ちは、一体何なのだろう。