薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 みつと磨徒が華奴を捕縛したというしらせは、すぐさま江戸中に広まった。
 敵兵は、華奴の妖術である「魅了」により意思を奪われ、操られていた者が大半だったようだ。
 華奴の意識が断たれ妖力を維持できなくなったことにより、皆が正気を取り戻し、幕府方に投降した。
 事態はすぐさま収束し、その後の始末は幕府が先導して行うということで、各地で奮闘していたあやかしの面々は、一旦啓巌寺に集められた。


「磨徒ーっ! みつ殿! 怪我もなさそうで本当によかった!」

 馬に乗って風のように啓巌寺まで到着した凍城は、涙ぐみながら二人に駆け寄り、あたたかな手で肩を叩いた。

「大和も無事で良かった……それとな、母はあやかしの都にて投獄したいと思っている。連れ帰っても問題ないか?」

 磨徒が尋ねると、凍城は深く頷いてみせた。

「ああ。磨徒の考えに従うよ。お上にも話は通しておく…………辛いだろ、お前も」

「俺は大丈夫だ。みつがいてくれるし、頼れる親友も、自慢の弟もいるからな」

「っはは、強いな磨徒は。たしかにお前の味方は多いよ。皆、その心根が好きで支えたいと思ってるんだ。俺だってそうだぜ。お前がいい奴だから、爺さんになるまで仲良くつるんでいたいと思うよ」

「末永くよろしく頼む。歳を取っても、大和は女に振り回されていそうだな」

「おう、死ぬまで女の尻を追いかけていくさ」

 磨徒と凍城は、声をあげて朗らかに笑い合った。
 瓦礫が積み重なり、焼け落ちた家屋も多い惨憺(さんたん)たる有り様だが、そこに生きる者まで肩を落としていては始まらないと、周囲を鼓舞する力強い声色だった。


「みつ、さっきはすごかったな……お前もあやかしの術が使えるのか?」

 みつの傍らに歩み寄ってきた菊太郎は、汗にまみれた顔面を手拭いでぬぐいながら、感心したように声をあげた。
 見たところ深い傷もなさそうだ。

「兄さま……えっと、私もいくつか術を覚えてね。何か少しでもお役に立てたらって……」

 ただただ無我夢中で走り抜けたひとときだったため、自分は出しゃばりすぎてはいなかったかと、みつは控えめにはにかんでみせる。
 そんな彼女の背に飛び付くようにして体を密着させてきたのは、流花である。

「なーに言ってんの! みつ本当にすごかったって聞いたよ! あたしの命の恩人でもあるしね、ありがと!」

「流花ちゃん……! ありがとうございます。流花ちゃんが無事で本当に良かった!」

「怪我もないから安心して! で、このひと誰? みつの知り合い? 超かっこいいじゃん」

 と、流花が目を輝かせながら見上げるのは、菊太郎だ。
 みつはぱっと笑顔になり、はずむ声で両者を紹介する。

「こちらは私の兄、菊太郎です──それと兄さま、こちらの可愛らしい女の子は、流花ちゃんっていうの。私の大切なお友達よ」

 みつが傍らに立ち、菊太郎と流花は向かい合う。
 そうして菊太郎が柔和な笑みを浮かべながら、流花の頭にそっと手を置いた。

「流花ちゃん、はじめまして。妹と仲良くしてくれてありがとう」

「わっ……あ、えっと、こちらこそ! お兄さんとも仲良くできたら嬉しいな!」

「はは、喜んで。俺も今度あやかしの都に遊びに行ってみたいな」

「わー! 来て来て! あたし案内するよ!」

 流花は穏やかで優しい男に弱いのだろう。菊太郎に向ける屈託のない笑みにつられて、みつも思わず頬が緩んだ。


 
「おー、ここに集まってんのか。みんな無事みてぇだな」

 続いて山門をくぐってきたのは、那岐とその親族一行だった。
 従兄弟の太郎はすっかり那岐に懐いてしまったようで、肩車をしてもらって上機嫌だ。

「なぎ兄ちゃん、つよくてかっこよかったよ! あやかしで一番つよいよね、きっと!」

「一番じゃねぇけどまぁ……太郎や婆ちゃんが傷つかねぇ程度には戦うぜ」

 照れ混じりに笑みを見せながら、那岐はそっと太郎を地面に降ろす。
 すると隣を歩んでいた祖母、そのがそっと横から那岐を抱きしめた。

「私たちを守ってくれて、本当にありがとうね。那岐は自慢の孫だよ」

「おい、やめてくれよ婆ちゃん……人目につくだろ」

「今まで会えなかったぶん、婆ちゃんは手加減しないよ。那岐が嫌と言ってもたくさん可愛がるからね」

「……ったく…………お手柔らかに頼むぜ」

 すっかり険がとれてしまった那岐は、困ったように、くすぐったそうな笑みを浮かべて頭を搔いた。

 

 やがて日の本に滞在していたすべてのあやかしが啓巌寺へと集うと、彼らはまた列を成して凍城邸へと戻ることになった。
 人間の護衛は負傷している者も少なくないが、新しく無傷の兵を増員し、厳重に脇を固めている。
 深い傷を負い戦線離脱していた山野も、今は気丈に磨徒とみつのとなりを歩んでくれている。
 聞けば人間の負傷兵にも、嵬族の秘薬が手渡されていたようだ。

 
 破壊され消失した家屋が並ぶ大通りは、見た目には痛ましいが、一行を出迎えるべく数多の人間たちが押し寄せていた。

「みんなが戦ってくれてるとこ、見てたぜ! 本当にありがとうよ!!」

「俺たちの町なのに、自分で戦えなかったのが不甲斐ないよ……! あやかしの皆さんがいなかったら、とっくに町ごとなくなってた!」

「さっき私のこと助けてくれたあやかしさん! 好き!! 抱いて!!」

 雨のように降り注ぐ、感謝の言葉。
 人々は拝むようにあやかしの行列を見守り、中には涙を流している者もいる。
 市井の民はその目で見たのだ。あやかしが人間を守るため、命がけで戦う姿を。
 もはや蔑みや嫌悪の目を向ける者はいない。
 磨徒が徹底して貫いてきた人間への歩みよりは、ここでようやく大きな成果に結び付いた。
 人間とあやかし、両者の心がひとつになったのだ。

 真夜中だというのに興奮冷めやらぬ人々は、英雄となったあやかし達をねぎらう為、道の脇で点々と行灯を照らしながら朗らかに一行を出迎えた。


 
 やがて一行が町人地の中心部に差し掛かったその時、前方から三頭の馬が駈けてきた。何やら背後には物々しく武装した一団が侍っている。
 何事だろうと磨徒とみつが顔を見合わせたところで、頭巾を目深にかぶり、口元を襟巻きで覆い隠した男が白馬から飛び降りた。
 そうして、磨徒の元へ駆け寄ってくる。

「磨徒! みつ殿! そなたらが敵の大将を捕えてくれたそうじゃな、心から礼を言うぞ!」

 頭巾と襟巻きを外した男の顔には、見覚えがあった。将軍家斉公だ。

「家斉、わざわざありがとう。被害を出してしまったことが心苦しいが、俺たちにできることがあればいつでも頼ってほしい。もちろん復興にも力を貸すつもりだ」

 磨徒は穏やかに目を細めながら、家斉を見つめる。
 将軍という立場から考えると、私用での外出など気軽にできるものではないだろう。
 それでも、こちらを気遣い駆けつけてくれた。かけがえのない盟友だ。

「いやいや、皆の力がなければ江戸は今頃消し炭じゃったわ。本当に助かった! 今宵の一件は、すみやかに日の本中に知れ渡るであろう。さすれば、ますます近づくのではないか? 我らが目指す共生の世に」

「……そうだな、そうなってくれると嬉しい。まだまだこれからだが、大きな一歩になるはずだ」 

 磨徒と家斉は、顔を見合わせて笑みを交わした。
 そんな両者の親しげなやりとりが、江戸の町民達の心をますます熱くさせた。
 将軍様! 頭領様! と、二人を称える声が響き渡る。
 種を束ねる者同士がこうして肩を並べ、同じ未来を見据えて笑いあっているのだ。
 それは人間にとってもあやかしにとっても、喜ばしく心踊る光景だろう。
 
 目に見えて何かが変わろうとしている、そんな夜だった。
 あやかしも人間も入り乱れて、この世紀の一瞬を分かち合える僥倖に歓喜する。
 皆、一様に笑っていた。

「……磨徒さま、わたし、今夜のこと一生忘れません」

 そっと傍らに立つ磨徒に寄り添いながら、みつは呟く。
 夫婦が掲げてきた共生の理念は、今まさに形となって眼前に広がっている。
 尊く、晴れやかで、奇跡のように幸福な一瞬だ。

「ああ、俺も忘れない。みつ──今まで本当にありがとう。そしてこれからもずっと、共に歩んでいこう」

「はいっ! どこまでもお供いたします、末永く!」

 心通いあった夫婦の幸福に満ちた笑顔を見て、周囲の人間もあやかしも、皆がつられてひやかすように笑った。
 
 すれ違いから始まった夫婦の歩みは、決して平坦なものではなかった。
 しかし両者の想いの強さが、互いを護り支える何よりの力になった。
 愛し合い助け合うあやかしと人間の夫婦。
 二人の旅路は長い。
 これから先、どんな困難が待ち受けていようと歩みを止めることはないだろう。
 きっとその足跡が、差別も偏見も、くだらない慣習も壊して行く。


 藍色の空に輝く煌々とした月が、革新の一夜を祝福するように笑っていた。