薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 凍城から啓厳寺のおおまかな場所は聞いていたが、みつと磨徒はいまだにたどり着けずにいた。
 正確な場所が掴めない上、なかなか前へ進めないのだ。
 瓦礫にまみれ、人々が逃げ場を求めてさまよう阿鼻叫喚の地獄絵図は、果てしなく視界の先まで続いている。
 鳴り響く半鐘。江戸から出ろ、火の海になるぞとあちこちで呼び掛けが上がっていた。
 
 磨徒は周囲に散らばる敵兵を見つけ次第戦闘不能に追い込み、妖力を編んだ縄で縛り上げた。
 また、火事の現場に行き当たると術法によりすみやかに消火してきた。
 多くの人間を救えたことは間違いないが、首謀者である華奴を捕らえなければ何も解決しない。
 

 急がねばと焦りながらみつが周辺を見渡していると、背後から何者かの力強い声色が響いてきた。

「みつ!! 無事でいるのか!? 安全な場所に避難を!」

 今や、みつのことを呼び捨てにする者などごく近しい相手だけだ。
 何者だろうと警戒しながらうしろを振り返れば──そこには見知った顔があった。
 
「えっ……あ…………兄、さま…………?」

 あの晩、離ればなれになった実の兄、菊太郎。
 かつてはひょろりとした痩せ形だったが、今は別人のように鍛え上げられた体つきをしている。
 片眼に何かあったのか眼帯をしており、武装した一団を従えている。
 その風格から一瞬判別に迷いが生じたが、間違いない。優しい面影は七年経っても変わらない。

「みつ……今まで連絡をとれずにいてすまなかった。お前があやかしの頭領様に嫁いだことを先日知ったよ。城下町を行くあやかしの行列の中にお前の顔を見つけてな。幸せそうに笑っていたので、顔は見せずに遠くから見守っていようと思っていたんだが……」 

「兄さま、江戸にいたの!? 生きていたのなら、どうしてこれまで会いに来てくれなかったの!?」

「……俺はあの夜、盗賊たちから仲間に引き入れられてな。蔵やぶりや、細工のある箪笥や金庫を開けることを強いられて、奴隷のように飼い慣らされていた。元罪人だ。お前に合わせる顔がなかった。すまない……」

 自責の念に苛まれている様子で、菊太郎は苦しげに表情をゆがめた。
 みつがたかの屋で辛い思いをしていた間、菊太郎もまた耐え難い屈辱の日々を送っていたのだろう。
 兄の心痛と苦労を想い、みつはぽろぽろと涙をこぼした。

「……でも兄さま、今は何をなさっているの?」

 従えている部下たちは皆貧相な装備で、なんとなく悪人顔だ。もしやまだ、盗みを働いているのだろうか?

「ああ……今は、岡っ引きをやってる。盗みの罪を不問にしていただくかわりに、同心の捜査に協力しているんだ。町の被害を調べて回っているところでお前を見つけてな」

「まぁ……それじゃ今はもう、辛い仕事をやらされたりはしていないの?」

「そうだな、もう過去は捨てた。こんな事態になってようやく、逃げ回らずにお前と向き合う決心がついたよ」

 菊太郎はみつに歩みより、そっと優しく頭を撫でた。
 懐かしい兄のあたたかな掌に、みつは幸せだったあの日の縁側を思いだし、とめどなく涙を流すのだった。

 
「菊太郎殿、お初にお目にかかります。みつの夫、磨徒と申します」

 兄妹の再会を傍らで見守っていた磨徒が、そっと菊太郎へと歩み寄り、頭を下げる。
 菊太郎もまた居ずまいを正し、一礼した。

「磨徒様、お目にかかれて光栄です。みつの兄、菊太郎と申します。このような状況で足止めをしてしまい、大変失礼致しました……どこかへ避難中でしょうか? 安全な場所までお送り致しましょう」

 菊太郎からの申し出に、磨徒は切迫した様子で言葉を返した。

「我々は啓厳寺を目指しています。場所をご存知でしたら、ご案内いただけると助かります」

「啓厳寺! 実は我々もそこを目指しております。しかし、間違いなく危険が伴います……それでも行かれるおつもりですか?」
 
「何としても、私が行かねばなりません。一刻を争います。なにとぞお力をお貸しください」

「…………承知致しました。参りましょう!」

 菊太郎を先頭にして、磨徒とみつもその背を追いかける。
 怒号と悲鳴、そして破壊音が響き渡る江戸の町を走り抜け、一行は目的地へと急ぐのだった。 

 

 啓厳寺は荘厳で格式高く、広大な境内を持つ歴史ある寺院である。
 到着した一行が長い石段を登り山門に差し掛かると、門前に多くの兵が集まり、何やら周囲を検分しているようだった。
 彼らに声をかけると、幕府の兵であろう人間たちは磨徒に向かって大きく頭を下げた。

「頭領様! この先に此度の混乱を招いた首謀者が陣取っておるらしいのですが、近づこうとするとはじかれ、皮膚が焼けてしまうのです……何か仕掛けがあるのでしょうか?」

「結界でしょう。破れぬか試してみます」

 磨徒は兵をかき分け山門の際まで歩を進めると、両手を重ねるようにして前方に突きだし、静かに詠唱をはじめる。
 すると、ばちばちと音を立てて寺の周囲がいびつな光を発し出した。
 このまま結界を壊せるかと皆が期待したところで、磨徒が歯を食いしばりうめくように言葉を吐いた。

「何十にも張り巡らされた強い結界です……私一人の力では、なかなか……」

 額に汗を浮かべながら目の前の分厚い結界と向き合う磨徒の背中をそっと一撫でして、みつは彼の隣へと歩み出る。
 そうして磨徒の掌と隣り合うように、自らの掌を正面へと付き出した。

「我が血気をもって豊国の御神に願い奉る──すべてを散らす破防の光を!」

 詠唱を終えると同時に鋭い光があたりを包み、大きく何かがはじけるような音が響いた。
 祈血の巫女による破防術だ。結界術や防御術のすべてを無効化する強力な力を持つ。
 
 やがて冷たい風が、前方から吹き抜けてくる。遮断されていた空気が正しい方向へと流れはじめたようだ。

「結界を破れたようですね、皆様、参りましょう!」

 みつが周囲を鼓舞するように声をかけると、兵達は雄々しく声を張り上げながら境内へと踏み込んでいく。
 傍らに立つ磨徒が、みつの肩にポンと掌を乗せて微笑んだ。
 
「……みつ、ありがとう。お前のおかげで活路を開くことができた。さぁ、俺達も行こう」

「はいっ!」

 二人は肩を並べて山門をくぐる。
 周囲では敵兵と幕府の兵が激しく白刃を交えており、その中には菊太郎の姿もあった。
 しかし、みつと磨徒は一瞥もせずただ正面を目指して走る。
 
 
 山門をまっすぐに突っ切った先、本堂を背にして華奴が立っていた。
 強い結界により身を守っているようで、彼女の周囲には溶け落ちた矢や刀が無数に転がっている。

「母上、何をお考えです!? 私が目指す共生の理念は、かつてあなたにも語ったはず! 水を差すような真似はやめていただきたい!」

 華奴との間合いをつめながら、磨徒は右手に妖力を集中させている。みるみるうちに出来上がったのは、大きくうなりを上げる竜巻のごとき力の渦。
 臨戦態勢である息子を目の前にしてなお、華奴は自信に満ちた笑みで嘲笑うように言葉を発する。

「来たか、馬鹿息子よ。人間の女とずいぶん仲がいいようじゃなぁ。共生? 笑わせる! なぜ我らあやかしが力なき人間に歩みを合わせてやらねばならぬ? お前は本当に愚かじゃ。わらわがせっかく婚礼の儀を壊す手はずを整えたというのに、それも台無しにしおって……」

 忌々しげにみつを睨み付けながら、華奴もまた頭上に妖気を集め、激しく燃え盛る火球を生み出した。

 
(この方が、わたしたちの婚礼を壊そうとしていたんだ──)

 みつは息をのみ、一触即発のあやかし親子の動向を見守った。
 あの婚礼の儀から、すべてが始まった。
 みつにとっても磨徒にとっても、忘れえぬ記憶だ。
 あやかしの中に潜む、血の呪縛。抑えきれぬ本能。磨徒は常にそれらと戦ってきた。
 本気で、心から人間との共生を望んでいるからだ。
 みつもまた、あの日誓い合った夫婦の夢に向かって、いつだって命がけで向き合ってきた。
 そんな日々の積み重ねが、磨徒との揺るがぬ絆を作り上げたのだ。

「華奴様、磨徒さまは立派なお方です。あやかしと人間は心通わせることができると、私は彼の生き方から学びました。互いに偏見を持っていた両種が、頑なだった心を開く瞬間も多く目に致しました。今この時、確かに変革は起こっているのです!」

 みつの脳裏に無数の顔が浮かぶ。
 あやかしにどこまでも歩みより、移住と婚姻を諦めない凍城。
 植え付けられた先入観を打破し、正面から人間と向き合おうとする流花。
 人間に対する複雑な感情に決着をつけ、家族になることを選んだ那岐。
 そして、あやかしとの共生に大きく舵を切った将軍家斉公──。

 それぞれが懸命に生き、悩みもがく中で手にした一つの答えである。
 一皮むけた彼らのこれからは、明るいものになるだろう。
 

「黙れ、人間! わらわは貴様のように非力で生意気な女には虫酸が走る! 雷我は非情に見えて詰めの甘い男じゃったからのう、日の本への侵攻に慎重じゃったが、わらわは違う! 貴様らの青臭い理想などひねりつぶしてやるわ!!」

 華奴が頭上に掲げた指先を、二回転させる。
 先刻見たものと同じ動きだ。
 巨大な火球はすぐさま四つの塊に分裂し、華奴の四方を守るように浮遊している。

「俺の夢を阻む者は、誰であろうと許さん──無論、母であろうとな!」

 磨徒は華奴を睨み付けながら、右腕に膨大な量の妖力を集中させる。竜巻は本堂を呑み込まんばかりの巨大な渦となってうなりを上げている。
 ここからは両者の一挙手一投足が、決着につながる布石になるだろう。

(私にできることをしなければ──!)
 
 磨徒の方が俊敏に動けるだろうが、華奴を囲んでいる結界は相当に強固なもののようだ。
 まずはみつ自身が動いて、相手の結界を突き崩すのが最善策。

「我が血気をもって豊国の御神に願い奉る──すべてを散らす破防の光を!」

 みつは深く祈りながら、華奴を包む結界に手を伸ばした。
 はじける光と、幾重にも張り巡らされた妖力が剥がれ落ちる轟音。
 数歩先で、華奴の表情が大きく歪んだ。
 きっとすぐさま、怒りに満ちた彼女が操る火球がみつを襲うことだろう。

 すると、結界術を唱えるべく態勢を立て直したみつの眼前に、磨徒が立ちふさがった。盾になろうとしてくれているのだろう。
 彼はそのまま、妖力うずまく右腕を眼前の華奴めがけて振り下ろした。

「嵐閃(らんせん)──!!」

 すさまじい勢いの妖力の塊が、激しく渦を巻きながら華奴を包み込む。
 地を抉り、木々を巻き込み、本堂すら吹き飛ばしてもなお止まらない。
 華奴を守っていた火球など、もはや影もなく呑まれている。
 圧倒的な力。すべてを蹂躙し、破壊しつくす暴威。竜巻の通りすぎた後には草ひとつ生えていない。
 研ぎ澄まされた妖力の渦は一通りの仕事を終え、周囲に破壊対象がなくなると、ゆるやかに空気へと溶け込んでいく。
 視界が晴れると、あとに残るのは無残に刻み尽くされた瓦礫の山と、力なく倒れこむ華奴の姿のみだった。
 磨徒は冷たい眼差しでそっと息をつくと、両手の指を絡ませて簡単な詠唱を済ませる。
 すると上空に残っていた妖力の渦は、磨徒の意思にそって縄状に姿を変え、全身をズタズタに刻まれ瀕死の重症を負った華奴へと巻きついていく。
 
 磨徒は地に伏している母の元へと歩みより、彼女がかろうじて息をしていることを確認すると、その場に膝をついてうなだれた。
 みつはすぐさま磨徒に駆け寄り、彼を支えるようにその身を抱く。

「磨徒さま……あの、私がついています。ずっとあなたの味方ですから」

 そっと、勇気づけるように磨徒の大きな背中を撫でる。
 実の母が起こした取り返しのつかない凶行。そして躊躇なく磨徒を踏みにじろうとする華奴の無情な姿勢に、彼の心はすり減り、抱えきれぬ痛みを抱えているに違いない。
 磨徒を支えたい。その一心だった。

「…………俺は、父のことも母のことも好きにはなれなかった。愛されることもなかった。自らの中に二人の血が流れていると思うたび、嫌気がさす。こんな呪われた血は、断つべきではないかと…………」

 磨徒は苦しげに言葉を紡ぎながら、力なくみつを抱きしめる。
 みつはそれに応えるように、ぎゅっと強く彼を抱きしめ返した。

「磨徒さま、私たちの代からすべてを変えていきましょう。ね、私、磨徒さまの子を産みたいんです。その子に、お父さんとお母さんが大好きって笑ってもらえるように、大切に育てていきましょう」

 みつの瞳から、幾筋もの涙が流れる。
 責任感が強く、嵬の頭領としての自覚を持って生きてきた磨徒は、涙を流すことがない。辛くとも、泣くことを知らないのだ。
 だからこそみつは、彼の痛みを共に背負い、涙として流し去りたいと思った。

「みつ、ありがとう…………弱気になってしまってすまない。お前が傍にいてくれるなら、何だって覆せる気がする」

「はい。これからも二人で生きていきましょう。私はずっとずっと、磨徒さまのとなりにおりますから」

「…………また俺が立ち止まりそうになった時は、力をくれ。背中を押してくれ」

「もちろんです。私はあなたの妻ですもの」

 きつく抱き合い、互いの体温を感じあう二人は、困難を共に乗り越え、喜びも悲しみも分かち合ってきた。
 互いの弱い部分を、誰より知っている。
 そして互いの幸せを、誰より願ってやまない。
 手を取り合って進むことで、必ず幸福な未来にたどり着くことができると。
 そう信じながら、改めて共に生きていく決意を固めるのだった──。