薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

 日の本を訪れて五日目の夕刻。
 みつと磨徒は、流花を連れて芝居見物に繰り出し、大満足で凍城邸へと戻ってきた。
 演目はあやかし物。人間が悪のあやかしを成敗するといった話で、興行主は冷や汗を流しながら「皆さまにおすすめできる内容ではない」と説明した。
 しかし、磨徒が「色悪を見てみたい」と意見を通したことで無事に最後まで楽しむことができたのだった。

「色悪とはあのような物なのだな。ただの憎まれ役ではないと感じた」

 誰よりも興味深げに見入っていたのは磨徒であり、帰り道でもしきりに日の本の芝居はすごいと繰り返していた。 

「ふふ、そうですね。あやかしの頭領様も素敵でしたが、化け猫も出てきましたよね。流花ちゃんはどう感じました?」

 みつがにこにこと傍らの流花に言葉をかけると、流花は周囲を取り囲む猫たちを撫で回しながら頬を膨らませる。

「化け猫、ぜんぜん可愛くなかった! ほんものの猫ちゃん達は、こんなに可愛いのにねぇ~」

 流花が町へ出ると、どこからか猫が集まって来て彼女のうしろをついて回る。
 そういうわけで、凍城邸も今や猫屋敷と化しているのだが、凍城も他のあやかし達も嫌がる素振りは見せず、にこやかに猫たちを可愛がっている。

 現在は、丸一日付き合ってもらった護衛たちを部屋に帰して中庭で歓談しているところだ。
 いつもなら忙しなく人の出入りがあり、屋敷の中も賑やかなのだが、不思議と今日はシンと静まり返っている。


「みんなお帰り。待っていたよ」

 玄関から姿を現したのは凍城だ。ゆっくりとした足取りでにこやかに歩み寄ってくる。
 庭先で猫と戯れながら芝居の感想を語り合っていた三名は、それぞれ彼に向かって言葉をかけた。

「芝居見物というのは一日がかりなのだな。楽しい時間だった。今度は大和も共に行こう」

 すっかり芝居好きになった様子の磨徒は、口角を上げて凍城の肩に手を伸ばそうとするが──わずかに眉を動かし、ふと動きを止めた。

「…………貴様、本当に大和か……?」

 何を言うのだろう。目の前に立つのは確かに凍城だと首を傾げるみつと流花。
 警戒姿勢を取りながらざりざりと後退する磨徒を見据えつつ、凍城は腰に下げた巾着を取り外し、そのまま中身を磨徒と流花に向かってぶちまけた。
 袋の中に入っていたのはどろりとねばついた紫色の物体で、それらは磨徒と流花の全身に飛び散り、じゅわじゅわと音を立てて体内へと吸収されていく。

「磨徒さま! 流花ちゃん! 大丈夫ですか!?」

 みつは苦しげに地面に這いつくばる二人に駆け寄るが、どちらも息をするのも困難な様子で弱りきっている。
 磨徒のこんな姿を見たのは初めてだ。
 何者にも屈しない、圧倒的な力を持って種を束ねる、あの磨徒が──!
 
「あなた、何者です!? どうしてこんなことを……!」

 もはや目の前に立つこの者は凍城ではないと、みつも確信した。
 肩で息をしながら苦しげにうめく磨徒の背をさすりながら、気味の悪い笑みを浮かべる得体の知れない何者かを睨む。
 周囲に護衛はいない。この場を切り抜けられるかどうかは己の行動次第だと、いやな汗がこめかみをつたう。


「うふふ…………これで全ておしまいじゃ」

 目の前に立つ凍城の体が、頭からぼたぼたと泥のように崩れ落ちる。
 やがて姿を現したのは、美しいあやかしの女だった。
 額の上に生える一本の角。切れ長の眼のふちには赤紫の紅が塗られており、血をぬりたくったかのように唇は紅い。
 薄く透き通った長い青髪が、さらさらと風になびいている。

「…………っ…………母上…………!!」

 女を視界にとらえた瞬間、磨徒は眼を見開いてかすれた声をあげる。

「えっ…………磨徒さまの、母君…………?」

 みつの背にぞくりと悪寒がはしる。
 なぜ、母が息子にこんな仕打ちを……?
 眼前の女は不敵な笑みを浮かべて、空中で人差し指をくるりと二回転させる。
 すると彼女の指先に四つの火球が現れた。

「人間の女。貴様ごとき卑賎(ひせん)の輩が、わらわに目線を合わせて言葉を吐くなど、不敬であるぞ。ひざまずいて許しを乞え」

「…………ッ!!」

 女が腕を振り抜くと、火球は大きく弧を描きながらみつに迫ってくる。
 両腕で頭をかばうようにしてしゃがみ込むも、避けようのない攻撃だ。
 みつの脳裏を一瞬最悪の事態がかすめる。
 視界の端に、力尽きて横たわる磨徒の姿が見えた。

(ここで命を落とすわけにはいかない──!!)
 
 顔を上げて女を睨む。火球は間近まで迫っている。

「我が血気をもって豊国(ほうこく)の御神に願い奉る──この身を護りたまえ!!」

 詠唱を終えた直後。
 みつの身体がまばゆく光り、彼女を閉じ込めるように薄桃色の膜が張り巡らされる。
 光を放ち続ける強固な膜に阻まれて、火球はみつに届くことなく消し飛んだ。

「あっ……せ、成功した…………?」

 身を縮めて攻撃に備えていたみつが恐る恐る顔を上げると、眼前の女が表情をゆがめながらジリジリと後退していくところだった。
 凍城から借りた術書に記されていた、祈血の巫女の防御術が発動したのだ。
 にわかには信じがたい現実に、みつは己の手のひらを凝視した。

「ちっ……貴様、術士か! 面倒じゃ、ここは見逃してやろうぞ」

 苛立たしげに舌打ちをしながら、女は自らが生み出した霧の中へと消えていく。
 やがて立ち込めていた霧が晴れた頃にはその姿もなく、ただただ静かに夜のとばりが降りようとしていた──。

 
「みつ殿! ご無事ですか!?」

 女が去ってすぐ、こちらに走り寄ってくる影がひとつ。凍城だ。
 先ほど彼の偽物に遭遇したばかりだ。みつは警戒を強めながら精神を統一し、結界の範囲を拡げた。
 書物によると防御術のたぐいは、体内の血の巡りを意識することで発動するという話だった。
 結界はみつの思うまま拡がっていき、気を失っている磨徒と流花も、煌々と光を発する薄桃色の膜に包まれた。

「……あなたは凍城様ですか? ひとつ質問をさせてください。私が好きだった読本の名をご存知ですか?」
 
「え? 何ですか、こんな時に……天命春待月でしょう?」
 
「…………良かった、凍城様。磨徒さまと流花ちゃんが大変なんです……!」

 凍城が間違いなく本人であると分かり安堵したみつは、座り込んだまま目に涙を浮かべて助けを求めた。

「ひどい有り様ですね……しかしみつ殿、この結界は? ここまで強い力で編まれたものは見たことがありません……」

 結界に触れようとし、間近まで寄せた凍城の手が大きく弾かれる。何者も寄せ付けない祈血の加護だ。

 みつは先ほど起こったことの顛末や、祈血の巫女の呪文が発動したことなどをかいつまんで語ってゆく。
 すると凍城は懐から小刀を取り出し、みつに手渡した。

「みつ殿、話を聞く限り、おそらくあなたが祈血の巫女なのでしょう。磨徒と流花ちゃんに血を落としながら、治癒術の詠唱をお願いします」

「は、はい……!やってみます!」

 言うが早いか、みつは指先に刃を押し当てて浅く傷をつけた。そうして、ぽたりと垂れてくる鮮血を磨徒の心臓めがけて落としていく。二滴、三滴、四滴。

「我が血気をもって豊国の御神に願い奉る──巡血の加護と生命の躍動を!」

 一瞬磨徒の全身が淡い光に包まれたかと思うと、溶け出すように変色していた肌が、みるみる元どおりに塗り変わっていく。
 見違えるように顔色が良くなったとみつが凍城のほうを振り返ると、彼はよくやったと言わんばかりに大きく頷いてくれた。

 そうして流花にも同様の処置をほどこしてわずかな時間が経つと、二人が目を見開いて体を起こした。
 己の身に起きたことが理解できないのだろう、腕や胴体、それから足と、順に動かしては驚いたように声を上げている。

「これは一体……俺は立ち上がれないほど弱っていたはずだが……」

 磨徒はにわかには信じがたいといった表情で、傍らに立つみつと凍城に視線を送った。

「みつ殿のおかげだ。彼女は祈血の巫女──その力が二人を助けたんだ」

 凍城の説明に磨徒は一瞬眉を寄せ、溢れだしそうな感情を抑え込むようにそっと口角を上げた。流花の方はというと、聞いたこともない単語を出されて首を傾げている。

「みつ……やはりそうだったのだな。本当にありがとう。お前とは結ばれるべくして結ばれたと感じる。そのことが嬉しい」

「磨徒さま…………私も嬉しいです。またお話ができて本当によかった……」

 柔らかく微笑んでくれる磨徒の懐に、みつはそっとその身を寄せる。あたたかな体温に包まれて、張りつめていた気持ちがゆっくりとほぐれていく。

 やがて安堵から涙をこぼしはじめたみつをぎゅっと強く抱き締めながら、磨徒は彼女の頭を静かに撫でるのだった。