薄幸の花嫁はあやかしの頭領に溺愛される

「みつ殿……今しがたあなたとの面会を求めて、たかの屋一家が訪ねて参りました。部屋に通しますか? もちろん、このまま帰っていただくことも可能です」

 みつが日の本を訪れてから四日目の昼時。夫婦の居室として借り受けた一室を、凍城が訪れた。
 みつの過去についてあらかた把握している彼は、難しい顔をして決断を促す。
 みつは突然のことに動揺し、体を震わせながら言葉に詰まった。
 たかの屋一家に自分の居場所が知られていることへの恐怖に、サッと血の気が引いていくのを感じる。

「みつはどうしたい? 顔を合わせたくなければ、無理をしなくていい……ただ、俺は一度先方と言葉を交わしてみたい」

 磨徒の申し出は、みつにとって予想外のものだった。
 みつはばくばくと脈打つ鼓動に冷や汗を流しながら、ぎゅっと磨徒の着物の袖口をつかむ。
 誰よりも大切な磨徒に、いやな思いをさせたくない。
 もう忘れ去ってしまいたい人々なのだ。会うのが怖い。

「磨徒さまが、私の過去の繋がりのせいで気分を害するのは嫌です……もし面会するなら私だけでお会いします」

「夫として、そばについていたいのだ。みつが相手と対峙するのならば、俺もついていく。何があろうと必ず護るから心配はいらない」

 磨徒は、そっとなだめるようにみつの頭を撫でる。
 頭上に見える彼の表情は、強固な意思を感じさせる凛としたものだった。
 みつは大きく息を吐き出して、わずかに汗ばんだ拳を握る。

「…………分かりました、少しだけなら大丈夫です。凍城様、どうぞ部屋に招き入れてください」

 普段と変わらない穏やかな磨徒とのやりとりで、みつの心も決まった。
 忌まわしい記憶のすべてを断ちきるための決断だ。

 
 
 やや時間を置いて、見慣れた面々が夫婦の居室に足を踏み入れた。
 加助とその両親。みつに過酷な労働を強いながら、日常的に罵倒と暴力を繰り返していた人間たちだ。
 磨徒の隣でうつむき、みつはその身を震わせた。
 そんな様子を目にして嗜虐心が刺激されたのか、大女将はずかずかとみつの眼前に詰めより、口を開いた。

「どこに逃げたのかと思えば、あやかしに嫁いだだって!? ことわりもなく逃げ出した恩知らずめ!! 仕度金に千両もらったんだろう!? 長く役立たずなあんたの面倒を見てきたあたし達に、誠意を示しな!!」

「…………これまで、お世話になりました。身よりのない私を引き取ってくださったこと、感謝いたします。けれど、もうあなた方に屈服することは二度とありません」

 みつは、一歩も引かない覚悟で大女将と対峙する。
 傍らで勇気づけるように、みつの背をそっとさすってくれる磨徒の存在が頼もしい。
 今やみつは嵬族頭領の妻。どんな状況にあっても、退くことはない。
 
「みつ、俺はお前を妻にしてやろうと思ってたんだ。あやかしは暴力的で人間から搾取することばかりを考えているらしいじゃないか。うちに戻ってこい、居場所を与えてやる」

 大女将を下がらせた加助は、みつの鼻先に触れそうなほどに顔を近づけて、にやりと気味の悪い笑みを浮かべる。
 これがこの男の本性だ。誰よりも欲深く、他人を陥れることを快楽とする卑劣な人間なのである。

「暴力と搾取を続けていたのは、あなた方です。私は戻りません。優しい旦那様が日々幸福をくださるからです」

「なんだとぉ!? 生意気なんだよ、この──」

 加助が逆上し、大きく腕を振り上げたところで、磨徒がみつをかばうように前へ出た。そして加助の手首を掴み、強くひねり上げる。

「俺の妻を侮辱することも、傷つけることも許さん」

 みつからは磨徒の背中しか見えないが、その声色は冷たく鋭く、突き刺すような怒りをはらんでいた。

「……ッ!! 化け物ふぜいが、人間様に指図するんじゃねぇ!!」

 加助は磨徒の腕を振り払おうともがくが、びくともしない。そのまま握りつぶそうとでもしているのか、加助の手首がわずかに軋んだ。

 みつはあわてて磨徒の傍らへと飛び出して、彼の腕にしがみつく。

「磨徒さま! おやめください……! 人間を傷つけたら、あなた自身が後悔することになります!」

 人間との共生を切望し、調和のための歩み寄りを続けていた磨徒に、彼自身が目指したものを壊してほしくない。
 たかの屋一家のためではない、磨徒のために吐き出した言葉だ。

 磨徒は怒りと憤りに満ちた様子で加助を睨みつけ、彼の手首から手を離した。
 そうして静かに二言三言呟き拳を握りこめば、加助をはじめとする一家三名の頭上から滝のような水が降り注いだ。
 それはやがて縄のように足元から伸び、彼らの首にまとわりついた。そのままぎりぎりと締め付けるように水の縄が縮んでゆく。

「失せろ。二度とみつの前に現れるな」

 あやかしの王たる、圧倒的力による制圧。
 いつでも貴様らを殺せるのだと、言外の圧を感じる。
 本来磨徒は、力任せの残虐性に満ちた嵬の純血種だ。
 しかし彼はこの状況においても己を律し、一線を越えることはない。

「ひ……ひいいっ……!! 何しやがる、化け物!! もうそんな女いらねぇよ! 夫婦そろって破滅しやがれ!!」

 行くぞ、と加助が両親に呼び掛けると、三人は苦しげに首に巻き付いた縄をかきむしりながら、足早に部屋から出ていった。
 

「…………」

 目を伏せて握りこんだ拳から力を抜いた磨徒は、心配して彼の片腕にしがみついたままのみつに視線を向け、眉尻を下げた。

「すまない、みつ……俺が奴らに会うことを勧めたせいで、怖い思いをさせたな」

 いつも通りの、優しくあたたかな声色だ。
 先程までの殺意をむき出しにした威圧感は、すっかり影をひそめてしまっている。
 みつは安堵してぽろぽろと涙を流しながら、磨徒の懐に顔をうずめた。

「磨徒さまにいらぬ心配をかけてしまいました……ごめんなさい」

「謝らないでくれ。俺は奴らと対話による和解をはかりたいと思ったが、話が通じない相手だったな……本当にすまない。みつにとっては声を聞くことすら耐え難い相手だというのに。もっとお前を気遣うべきだった」

「そんな……磨徒様のお考えは理解しております。私のためを思って、話をつけようと動いてくださったのですよね。私は大丈夫です。あの方々にしっかりと心の内を伝えることができて良かったと思っています」

 みつがわずかに顔を上げると、磨徒はそっとあやすように彼女の頭に手を置いた。

「もう二度とみつを悲しませたくない。辛いことや怖いと思ったことがあれば、遠慮なく伝えてほしい。誰よりそばで護らせてくれ。お前が愛おしくてたまらないのだ」

「うっ……あ、ありがとうございますっ……ずっとずっと、磨徒さまのおそばにいたいです」

「ああ、もちろんだ。これからもずっと、俺のとなりにいてくれ」

 ぐすぐすと鼻をすするみつの頭を優しく撫でながら、磨徒は微笑んでみせる。
 あやかしの頭領たる剛毅で威厳に満ちた姿は、彼が生まれ持った尋常ならざる力を源とするものだ。
 家斉公も口にしていた。嵬族がその気になれば、日の本などすぐさま制圧できると。
 気にくわない相手と向かい合えば、命など瞬時に狩りとることができる。先代までの頭領ならば躊躇なく力をふるっていたことだろう。
 しかし磨徒は強堅な理性により、あやかしの破壊衝動と嗜虐心を抑え込んでいる。
 それはみつのためでもあるが、人間との共生を真に望んでいるからこそ貫き通せる信念でもあった。

(磨徒様の夢を、私も共に叶えたい。今日で忌まわしい過去とは決別するんだ──)

 みつは改めて決意を固めた。
 加助たちのようにあやかしを見下し、危害を加えようとする人間は他にもいる。それは分かっている。
 しかし、夫婦ですべてを変える決断をしたのだ。
 愛する磨徒の妻として、人間の悪意や憎悪と正面から向き合っていくことを誓うのだった。